ディリ

ディリ

[1] ディリ

Webページ

[2] 東ティモール旅行記 (1/2) 佐納康治, , http://www.asahi-net.or.jp/~hc7y-snu/sanoo/Travel90/Travel90a.html

平成15年9月13日(土)

成田空港より、ガルーダインドネシア航空GA881便で出発。連休ということで、成田空港は 出国ラッシュ 。チェックインカウンターはごった返し、出国ゲートは長蛇の列となっていた。当然、飛行機は満席。来たのはエアバスA330型機。以前、ガルーダに乗ったときは使い古した機体で、しかも飛行中(特に上昇・降下時)に機体がメリメリとかバリバリとか、亀裂が入っているのではないかとも疑いたくなるような異常な音がしていたので、内心いやだなあと思いつつ乗ったが、今日のは新しいいい機体であった。まあ、これなら安全だろう(多分)。

バリ島のデンパサールまでは、6時間半のフライト。隣が単身の若い女性だったので、フライトアテンダントに、 その人とカップルと間違われている ようだ!イアホンも入国書類も飲み物も二人分まとめて私のテーブルの上に置く。そのうち、その隣の女性はビールを半分飲みかけたまま眠ってしまった。すると、フライトアテンダントが来て、「お隣のビールをお下げしてよろしいですか?」と聞く。 そんなこと私に聞かれても、知りまへんがな!!

成田を出発して4時間、飛行機がフィリピン領空を抜け、インドネシア領空に入った時、黒い服のインドネシア入国審査官が、機内で入国審査を始めた。この飛行機には、入国審査官が同乗しているのだ! 機内での入国審査は初めての経験 である。乗客全員のパスポートをチェックし、入国印を押して行く。それにしても、飛行機に入国審査官が同乗しているということは、このためだけに、昨晩(あるいはその前)の夜行便で来たのに違いない。でも、インドネシアから日本まで、機内でスタンプを押すためだけにわざわざ来るとは、ご苦労様なことである。珍しいので写真を撮っておきたかったが、さすがに正面から撮る勇気はなかったので、背後からこっそりと一枚撮らせてもらった。

バリには、現地時間の午後5時到着。日本と時差1時間。一泊だけだったので、明日の空港税10万ルピア(約1500円)を含めても3000円も換えればいいと思ったが、念の為、5000円両替。345000ルピア。去年来たときとレートはほとんど同じ。1ルピア=0.015円。ルピアから円にするには、0を2つ取って1.5倍すれば良い。

空港前から、S1と書かれたベモ(乗合のミニバス)に乗る。少し走って、ホテルや食堂のありそうな場所

[3] 東ティモール旅行記 (2/2) 佐納康治, , http://www.asahi-net.or.jp/~hc7y-snu/sanoo/Travel90/Travel90b.html

Sさんは今日の飛行機で帰国なので、昼前に空港に向かった。私はもう一泊あるので、今晩も続けて“ディリゲストハウス別館”に投宿。

昼、普通の食堂に行ってみた。メニューを尋ねて、イカンゴレン(魚のフライ)を注文したら、さんまの焼き魚定食が出てきた。1ドル25セント。これはまたえらく安い。昨晩の食堂は外国人向けだったので少し高かったが、ローカルな食堂は格安で食べられることが分かった。

午後から、町の東の岬にある丘の上のキリスト像を見に行った。何でも、リオデジャネイロのキリスト像に次いで、 世界で2番目に大きなキリスト像 らしい。岬までは歩いて往復すると半日がかりなので、タクシーに乗る。片道2ドルずつと岬での待ち時間20分が1ドルの合計5ドルで交渉成立。

岬に行ってみたが、車は丘のふもとまでで、丘は徒歩で登らなければならなかった。てくてくと登って行く。7〜8分で頂上に出た。キリスト像はやはりでかい!見上げるばかりだ。しばらくキリスト像や十字架、レリーフなどを見て、それから下山してタクシーに戻る。

ディリ市内に戻ってきて、タクシーを降りようとすると、運転手が、「思ったよりも時間がかかった。7ドル払え」と言い出したので、またまた喧嘩になった。岬までの往復と岬での待ち時間20分で交渉し、私は約束通り20分で戻ってきた。まあ、1ドルぐらいはチップにくれてやってもいいが、2ドルは渡し過ぎだ。6ドルだけ渡して車を降りたが、運転手は納得せず、車を降りてきてまだ私にぶつぶつ言っていたが、最後にはあきらめたようで、憮然とした表情で車に乗って立ち去って行った。これだから、外国でタクシーに乗るのは余り好きではない。

夕食、パダン料理。これも1ドル25セント。市内のお土産屋で東ティモール独立記念絵葉書1ドル。郵便局より投函。日本まで50セント。

平成15年9月16日(火)

午前中、もう一度ディリの市内を見に行く。小さな教会を見たり、店で少し買い物をしたり。

デンパサール行きムルパティ航空MZ8490便は、午後1時の出発。昼前に宿の向かいのインド人が経営する食堂で昼食。それから荷物を担いで、例のミクロレットで空港に向かう。空港前の十字路で降り、そこから歩いて空港まで。この方法だと、市内から空港まで、わずか10セントで行くことができる。チェックインはもう始まっていた。空港税10ドル。

待合室で飛行機を待

[4] ティモール島縦断バスの旅, , http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/timor/timor.zyuudan.html

その2:ティモール島縦断バスの旅

西ティモールのクパンから東ティモールのディリへは、毎日何便もバスが出ています。クパンのバスターミナルは空港よりも町外れの辺鄙な場所にありましたが、地方へ向かう人達で賑わっていました。 「ディリ、ディリ、ディリ!」と車掌が連呼しているバスを見つけて乗り込みましたが、なかなか発車しない。どうやら満席になるまで出発しないようです。ま、東南アジアや中国、香港のミニバスなんかでも当たり前のルールですが。

結局、クパンのバスターミナルを出たのは、乗り込んでから1時間以上経った10時ごろ。乗客はみんな大量の荷物を持ち込んでいて、屋根はもちろん通路にも山積みされています。丘の上の畑の道を通って、藁葺き屋根の家が集まった小さな村を通って、峠を越えて、また畑の道を通って…、の単調な景色の繰り返しです。ときどきバスターミナルのある町に止って、トイレ休憩となります。

夕方6時ごろ、アタンブラという東ティモールとの境界線に近いわりと大きな町に着きました。ところが運転手は「今日はここまで」といってロスメン(簡易旅館)の前でバスを停め、乗客に今晩はここで泊まれと命じるのです。 「ディリまで行くと言ったじゃないか!」と文句を言うと、「明日行く」。 「なんで今行かないのか?」と抗議すると、「日が暮れたら危ないから」。 そう言われたら仕方がないのですが、シャクにさわったので運転手お薦めの宿とは別の宿に泊まりました。

さて翌日、早朝6時にバスは出ます。バスは一路ディリに向かうのかと思いきや、昨日乗っていた乗客たちが泊まっている宿を点々とまわり、客を集めていきます。知人の家に泊まった人もいて、車掌が家まで「出発しますよ」と呼びにいきます。まさにドア・ツードアで親切なサービスなのですが、おかげでバスはアタンブラの町を1時間近くもブラブラするはめになりました。

ものすごい急斜面の峠を越えて、いよいよ東ティモール入りです。ここには検問所があって、車掌が乗客全員の身分証明書を集めて軍官に見せにいきます。問題なく通過したと思いきや、しばらく走るとまた検問所があり、車掌が再び身分証明書を集めに来ました。 ひょっとして、さっきの検問所は西ティモールからの「出境」で、今度の検問所は東ティモールへの「入境」手続き?インドネシアは東ティモールを「自国領土」として併合したはずなの

[5] ひがちも・ディリの市場散策, , http://www.geocities.jp/keropero/timor/timor.ichiba.html

その4:ディリの市場散策

いわゆる商店街はひっそりとしていたディリですが、街外れにある市場は活気がありました。肉や魚、野菜、果物や調味料、日用品や雑貨、衣料品など、毎日の生活に必要な物は、主にここで売られているようです。市場の入口の門は、つい数年前までのマカオと中国の国境ゲートの門と、どことなく似ていました。

市場の中は屋台がびっしり。日本を除くアジア各国には、どこの街にもこの種のマーケットがありますが、ディリの市場はなんだか露店市といった雰囲気。もしヒガチモが独立を果たしたら、アジア諸国の首都のマーケットの中では、断トツでボロいマーケットということになるでしょう。

カボチャとミカンとバナナと菜っ葉を売るおばさん。この店は八百屋なんだか、果物屋なんだが…。ミカンを器用に積み重ねています。

これまたミカン売りのおっさん。

小学生くらいの女の子も、一生懸命働いています。野菜クズなどを拾い集めているらしい。

市場の裏手はトタン屋根の家が並ぶ住宅街で、屋台の食堂も出ています。

シューッと音を響かせている屋台があったので、何かと思えばヤキイモでした。

路地でエサをあさるブタ。インドネシアはイスラムの国ですが、ヒガチモの人はカトリックが大多数なのでブタも食べるのでしょう。でも、食堂のメニューではブタ肉料理は見かけませんでした。

カメラを向けると陽気にポーズを取ってくれる人が多かったです。この時期、ジャーナリストが大挙してヒガチモ入りしていたので、全世界に東ティモールの独立要求をアピールするいい機会だと住民は張り切っていたのでしょう。なにしろ観光客のほとんどいないヒガチモでは、カメラをブラ下げている人=ジャーナリストだと思われています。子供たが持っている赤い旗は、どこかの政党のキャンペーン旗。ちょうどインドネシアの総選挙が終わったばかりでした。

ヒガチモにも日本製の化学調味料が…。でも漢字入りの商標は堂々と掲げてないようです。

その5:さらに東の村へ行く

目次へ戻る

[6] ティモール島・ニシチモからヒガチモへ, , http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/timor/timor.nishitimo.html

インドネシアの首都・ジャカルタから、ティモール島への直行便はありません。

バリ島のデンパサールから、西ティモールのクパンと、東ティモールのディリに飛行機が飛んでいます。とはいえ、それぞれ週に何便かしかありません。

もとからインドネシア領だった西ティモールの様子も比べて見たかったので、クパンから陸路でヒガモ入りすることにしました。

島民にカモにされまくりの日本人観光客と、オールナイトでバカ騒ぎを続けるオーストラリア人観光客であふれた、いかがわしい喧騒の街・デンパサールから約2時間。ニシチモの州都・クパンはのどかというか、何もない小さな田舎の町です。町の中心にもまともなビルはありません。人影もまばらです。

クパンも町の中心街はインドネシア名物「漢字のない中華街」です。インドネシアでは排華政策のため、漢字の看板は禁止されていますが、大きな店はほとんど華人(中国系)が経営しているようです。インドネシアの華人は、多くが福建省出身ですが、北京語がよく通じます。カンボジアやラオスもそうでしたが、不安定な情勢が続く国に住む華人は、いざとなれば他の国に逃げ出しても商売ができるように、しっかりと北京語を勉強しているようです。安定したタイの華人が、中国語がさっぱりなのとは対照的です。

クパンの町の交通手段は、ペモと呼ばれるミニバスとタクシー、そしてバイクタクシー。ペモは市内600ルピア(約8円)均一で、どこでも乗り降りできます。

夜、タクシーに乗ったら、運転手が「女はいらんか」と誘ってきました。連れていかれた「色街」は車で20分ほど行った山奥の村でした。斜面のドブ川を挟んで、両側に石造りの小屋が並んでいて、女の人が1人ずつ立っていました。灯はなくて真っ暗だし、なんだか古代ローマの娼館を連想させるような不気味な一角です。チモール人は肌が黒いので、暗がりでは顔が全くわかりません。

そそられる雰囲気は全くなく、早々とタクシーに戻りましたが、運転手が行方不明です。どうやら私のことなど忘れて、自分が遊びに夢中となったようです。1時間ほど待っても運転手は帰って来ないし、チンピラにはからまれるしで、バイクタクシーを拾ってホテルに戻りました。おかげで行きのタクシー代(1万ルピア)は払わずに済みました(笑)。

ちなみに1回の花代は6000ルピア(約100円)とか。バリ島やジャカルタでは、ポン引きが20万ル

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567252033597

メモ