小坂森林鉄道

小坂森林鉄道

[1] 小坂森林鉄道

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[2] 廃線レポート 小坂森林鉄道 濁河線, , http://yamaiga.com/rail/nigorigo/main.html

【周辺地図(マピオン)】

私はライフワーク的に、かれこれ5年くらい、日本中の旧版地形図を集めている。

そしてそこに描かれている「かつての交通」を、今の地形図と比較して楽しんでいる。

新たな探索ターゲットを手にするきっかけとしては、この旧版地形図と市町村史、そして皆さまからの情報というのが私にとっての“ビッグ・スリー”である。

表題の森林鉄道を探索したきっかけも、また旧版地形図であった。

旧版地形図を見ただけでは、その歴史は無論のこと路線名さえ明らかではなかったが、“描かれ方”だけで十分に私を惹き付けた。

実際に探索へ赴いて、地形図の中の風景の今をこの目と足で確かめたいと思わせるものがあった。

それでは早速、私の興味を引きまくった旧版地形図をご覧頂こう。

上図は、昭和25年応急修正版の5万分の1地形図「御嶽山」(一部)である。

同図は標高3000mを越える御嶽山(おんたけさん)山頂を含む図幅で、全体に凄まじい密度で書き込まれた等高線が、“日本の屋根”の一画を構成するこの地域の山深さや急峻さを伝えてくる。

図の赤く着色した部分に、「特殊軌道」の記号が描かれている。特に注釈は見られないが、森林鉄道と判断された。

中でも一番御嶽山の奥深くまで到達している線は「濁河川」なる谷に沿って描かれていたが、その線をつぶさに目で追っていくと、面白い事に気がついた。

線路は途中濁河川を横断する区間で途切れていて、そこを「索道」の記号が中継していたのである。

森林鉄道と索道は、しばしば一緒に用いられることがあった運材の施設ではあるが、森林鉄道用の索道というのは鉱山用のそれに較べて使用期間が短かったり規模が小さかったりといった理由で、地形図に描かれるのは稀である。

そんな索道が、珍しく森林鉄道の一部のように描かれているのがまず興味を引いた。前後を林鉄に挟まれた索道を地形図で見るのは初めてだった。

さらに、 谷底との最大落差が140m前後もあるように描かれている索道そのもののスケールも興味深かった。

そして索道の存在によって麓側の軌道とは杜絶している“上部軌道”の現状にも、大変な興味を感じた。

林鉄跡の“杜絶”は、時に大変な宝物を隠し持つことを、私は過去の経験から知っていた。

この段階で探索する事を検討し始めた。

そこで、手元にあった『 全国森林鉄道 』を確認してみた

[20] 御嶽山 (長野県) - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1_%28%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%29

火山活動[編集]

御嶽山は東日本火山帯の西端(旧区分による乗鞍火山帯の最南部)に位置し、古生層と中生代の濃飛流紋岩類を基盤(基底部は17 km四方の広さ)とし、基盤からの高さが1,400-1,900 mのカンラン石、複輝石、安山岩などで構成される成層火山である[5][9][32]。各方向に溶岩流を流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。末端には安山岩の大岩壁巌立がある[33]。一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶ外輪山の内側がカルデラであると推測され、カルデラ形成前の姿は、富士山に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。大爆発によって崩壊した土砂は土石流となって川を流れ下った岐阜県各務原市付近の各務原台地には御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできた火山灰堆積物が地層となっている。この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成された複成火山であり、その山容はアフリカのキリマンジャロ山に似ている[34][35]。

従来、最後のマグマ噴火は約2万年前で以降は水蒸気爆発と考えられていたが、2006年(平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた国土交通省多治見砂防国道事務所や産業技術総合研究所の調査によれば、約5200年前の火砕流を伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)のマグマ噴火を起こしている[32][36]。信濃毎日新聞の2007年(平成19年)4月30日の紙面に掲載された記事によると、岐阜県の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市小坂町内において、約5200 - 6000年前の火砕流が堆積してできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。最近の2万年以降の活動は水蒸気爆発と限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、ハザードマップなど防災に関する見直しが行われる可能性が指摘されている。

1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている[37][38]。気象庁により「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」に指定されていて[39]、山頂周辺には火山活動の観測のための地震計、空振計、傾斜計、火山ガ

[21] 飛騨小坂の森林鉄道(跡)(2), , http://www.dagashi.org/tro/osaka2.html

と、お犬様のお導きか、放置されていたトロッコを発見! この倉庫の中も覗いてみたが、めぼしいものは見つからなかった。 ほかにもあと1か所、車輪だけが転がっているのを見つけた。

さらにサイクリングコースを進んでいくと、こんどは木橋を発見! 森林鉄道のものにちがいない。 これ以上は、上流にたどることができず、またこの発見で十分に満足したので、引き返すことにした。

さて、山の中にある濁河川の森林鉄道の話である。 飛騨小坂から1日2本の濁河温泉行きのバスに乗って現地に向かった。現在このバスは予約制となっていて、時刻表にも「乗客ゼロの場合は運転しません」と書かれている超閑散路線である。 しかも、終点の濁河温泉での折り返し時間は1時間ほどときている。はたして、何か見つけることができるのか、そして帰りのバスに乗り遅れたらどうしようと不安にかられながら車上の人となった。 バスの路線図を見ると、「林鉄口」という停留場があることに気づく。そして、飛騨小坂から約1時間半、心細くなるほどの山の中を走った末、「林鉄口」で降車のボタンを押したのであった。 降りたところは、人の気配がまったくない高原の道、しかもバス停の表示も何もなく、私はいやな予感がしてきた。

地図によると、森林鉄道が走っていたのは右手に見える谷のあたり。標高差にして200メートルほどある。でも、「林鉄口」という停留場なのだから、どこかに降りる道がついているのではないかと思った。 しかし、いくら探してもそんな道はない。茫然として撮ったのがこの写真である。たぶん、昔は道があったのだろうが、使われなくなってだいぶ時がたったに違いない。 はるかかなたから林道が走ってきているが、そこまで行っていると、帰りのバスに乗り遅れるのは必定だ。 写真に触れると線路跡(地図から推測)が表示されます

履歴

[23] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926425446255

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