梓湖

梓湖

[1] 梓湖

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[2] 道路レポート 梓湖に沈んだ前川渡(長野県道乗鞍岳線旧道), , http://yamaiga.com/road/maekawado/main.html

これを執筆している平成28(2016)年の夏は、関東地方を中心に降水量が不足しており、各地のダム湖で深刻な渇水が報告されている。

そんなニュースを耳にして思い出したのが、今から8年前の平成20(2008)年8月に訪れた、長野県松本市の奈川渡(ながわど)ダムのことだ。

私は何度がこのダムを訪れているが、このときほどに低い水位を目にしたのは1度きりだ。

今回は、そんな折に行った湖底での廃道探索の模様を紹介しよう。

「ダムある所に廃道あり!」

…という格言があるかは知らないが、アーチ式ダムとして本邦第3位の堤高155mを誇る奈川渡ダムは、諏訪湖の2倍の1億2300万立方mという貯水量を持つ梓(あずさ)湖を、昭和43(1968)年のダム完成と同時に誕生させた。

この巨大な湖は、かつて梓川の川縁を通行していた諸道を水没させ、トンネルばかりが幅を利かせる付替道路へ生まれ変わらせた。

今回紹介するのは、この梓湖に水没した道路のうち、 長野県道84号乗鞍岳線の旧道 (大野川〜前川渡間)である。

現在の地図を見ると、梓川の支流である前川沿いの県道乗鞍岳線は、前川が梓湖に注ぐ1.5kmほど手前で川縁を離れ、3本のトンネルと梓湖を渡る大きな橋によって国道158号と結ばれている。この交差点の名前を 前川渡 (まえかわど)といい、湖に沈む前からあった旧来の地名なのだろう。 (この付近には奈川を渡る所に奈川渡、前川を渡る所に前川渡、根木の沢を渡るところに沢渡(さわんど)といった独特の命名法則があるようだ。)

なお、前川沿いの付替道路は昭和41年に着工され、43年のダム完成時に開通したという記録がある。

一方、県道乗鞍岳線は昭和39(1964)年に初めて県道認定を受けているので、ここには “湖に沈んだ県道” があるはずだった。

多くの水没旧道がそうであるように、現在の地形図には影も形も見えないけれども…。

、ダム完成直後に発行された地形図、昭和47(1972)年資料修正版5万分の1「乗鞍嶽」には、「大野川」という文字のすぐ上でトンネルに入らず右に分岐して、そのまま湖に突っ込む道が描かれている。

合流すべき旧国道も完全に湖面下にあり、この旧道が果たしてどの位置まで辿る事が出来るのかは水位次第と思われたが、実際には水位以外にも探索を難しくする要因があることを、私は現地で理解すること

[6] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main6.html

2008/7/2 10:23 【現在地(別ウィンドウ)】

この「新入山トンネル」だが、

実は 「しんにゅうやま」ではなく、

「にゅうにゅうやま トンネル」 と呼ぶ。

…と、読者の一人がコメントを下さった(大笑) ←座布団全部上げます。

動と静。

1面2相を一洞に宿した入山隧道。

いま、県道に供された「静」の坑口より脱出なる。

そこにあるものは、我々と、皆様のご想像通り……。

信濃川水系最大の湖、 梓湖(あずさこ)だ。

奈川渡ダムによって貯留された水の総量は1億2300万立方メートルもあり、これは同じ長野県の諏訪湖の2倍の容量である。(アーチダムとしては、全国6位の貯水量)

こうして目前にすると、確かに巨大だ。

しかし、この湖の膨大な水量は湖面の大きさより、その深さによるところが大きい。

沈んでいる谷の深さは、このダム堤体付近で湖面から数えて120mを超えている。

湖の平面形は平仮名の「く」の字を逆さにした形で、ダムはその頂点にある。

向かって左の腕が奈川で、沿う道は境峠を越えて木祖村(県道26号)や、野麦峠を超えて飛騨高山方面(県道39号)へと通じる。

右の腕は梓川の本流で、沿うのは国道158号。安房峠を頂点に飛騨方面へ通じる。

いずれの腕も、上流5km以上にわたって細く長く、そして深い湖水を連ねている。

前回の最後に、「未発見の廃道」を匂わせる記述をしたが、その謎解きは取りあえず後回しにして、少し周辺を確かめてみよう。

その中にも、いろいろとこの「入山隧道」の過去を思わせるものがある。

新入山の西側坑口から出ると、湖面を望む丁字路になっている。

左折方向にも、私にとって思い出の深い“オイシイ隧道”たちが並んでいるが、今回は右折だ。

こちら側も、国道158号と合流するまでの約150mが県道26号に指定されている。

新入山隧道の坑口前の様子。

左写真は、木祖側から坑口へ接近した際に目にする青看。右折して隧道へ侵入することは出来ないことが、シンプルに表現されている。

遠方に見える建物は、道路左がレストハウス、右が「梓川テプコ館」という東電のPR施設だ。

そして、昭和40年代らしくシンプルな作りの坑門。

こちら側からは進入出来ないので、お馴染みの「トンネルナンバーのプレート」も取り付けられてはいない。

代わりに、進入禁止の規制標識が

[7] 梓川 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93%E5%B7%9D

[編集] 地理

長野県松本市の北西に位置する飛騨山脈(北アルプス)槍ヶ岳に源を発し南流する。上高地で大正池を形成し、梓湖(奈川渡ダム)に注ぐ。島々宿で東に向きを変え、新淵橋を過ぎたところから右岸の波田と左岸の梓に河岸段丘をつくる。松本市大字島内で奈良井川を合わせ犀川と名を変える。奈良井川との合流点手前のラーラ松本付近では拾ヶ堰や勘左衛門堰が地下横断をする。

[編集] 歴史

仁科濫觴記によれば、成務天皇の代に諸国の郡の境界を定めた際(古事記には「国々の堺、また大県小県の県主を定めた」とある)、保高見ノ熱躬(ほたかみのあつみ:後に「熱躬」を「安曇」と改称)が郡司であったため熱躬郡(あつみぐん)とし、境界の川も「熱躬川(あつみがわ)」とした。この熱躬川が、天智天皇7年(668年)に「梓川」と改称された[1]、とある。「熱躬川」であったにもかかわらず、梓川を「あつみがわ」ではなく「あずさがわ」と呼ぶ理由としては、二十巻本の和名抄(巻5)で、信濃国安曇郡を「阿都之(あつし)」と訓じてあることがあげられる。この「あつし」の訓は、「あづさ」の音にきわめて近い。

一方で、流域は古来より梓の産地であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていて、このことが川の名前の由来になったとも言われている[2]。

[編集] 利水

梓川の水は、発電用と、農業用灌漑のために、古くから用いられてきた。このため、新淵橋よりも下流の松本盆地での流量は豊かだとは言えない。

[編集] 発電用

水路式発電所は上高地に近い上流から、盆地部に下りての昭和電工赤松発電所・梓水力発電所まで、流域の各地に造られて古くから稼働してきた。1969年(昭和44年)11月には、奈川渡ダム、水殿ダム、稲核ダムの梓川3ダムが完成した(それまで梓川にはダム式発電所がなかった)。この梓川3ダムは揚水発電所として運用され、電力需要の多い時間に発電のためにいったん下流に放水された水を、電力需要の少ない夜間に再度揚水して上流のダム湖にためるようになっている。このために、下流のダム湖の上端が上流のダムの下まで来るように造られている。

[編集] 灌漑用

「堰」は一般には、川を堰き止める構造物をさすが、松本盆地ではその堰から取水して水を流す人工河川をも「堰」(読みは「せぎ」)といい、たくさん存在する。梓川から取水するものだけでなく、烏川から取水する烏川

[8] 道路レポート 奈川渡ダムの謎の道, , http://yamaiga.com/road/nagawado/main2.html

2008/9/8 17:27

大白川の河床付近から30mほど強引に岩場の斜面をよじ登ると、そこに「謎の道」が、案の定といえる廃道姿を晒していた。

国道側が塞がれていて通行できない隧道…これを仮に「1号隧道」と称することとする…の、ダム側坑口前に登り着いたのであるが、坑口前にはまるで旧道を匂わせるような、隧道へは入らず崖側につながる平場も存在している。

まずはこの平場を探ってみる。

もしここが普通の道であったなら、この線形は旧道とみて間違いないだろう。

隧道以前の旧道の線形そのものである。

しかし、この道はまだ「謎の道」であるから、断言は出来ない。

確実に言えると思われるのは、奈川渡ダムの工事かそれ以降に建設された道だろうということだ。

ダムが造られる以前には、この道が接続している国道は影も形もなかったのであるから。

旧道のような平場の突端には、コンクリート製の1×2×1m程度の水槽(空)と、廃看板が捨てられていた。

水槽は元からここに設置されていたものらしく、何となく「トイレ」から上屋を取り外したもののような気がしたが、もちろん確証はない。

これが平場の上に捨てられていた看板。

どうやら、この「謎の道」についてのものというわけではなく、国道の入山トンネルに関するガイドであるらしい。

トンネル内分岐について書いているように思われる。

落ち葉が乗っている看板の全文を確認すべく、掃除をしなかったのはうっかりミスであったが…。

なお、これは予想通りのことであるが、旧道顔をした平場は10mほどの地点で途絶えている。

その先、国道までの区間は垂直の崖になっていて、国道側から見た景色の鏡像のようである。

もしこの道が旧道であるとしたら、ここにはかなり高い桟橋が欲しいが、痕跡を留めてはいない。

しかし線形的に見て、ここが隧道以前の旧道跡だというのは、かなり確かだと思う。

私はここで引き返し、「謎の道」本線を奥へ進むことにした。

と、その前に…

隧道、隧道。

せっかく中に入る機会を得た隧道。

これ一つを迂回するのに、たっぷり30分かかった。

…なのに、正直この隧道自体にはさほど魅力を感じていなかったからなのか何なのか、私はろくに中に入りもせず、坑門を正面から捉えた写真さえ撮影していなかった。

…まあ、全面コンクリート巻きで出口が見通せる20mほどの隧道と

[9] 道路レポート 長野県道26号 奈川木祖線 奈川渡ダム〜奈川, , http://yamaiga.com/road/npr26_nagawa/main.html

【周辺地図(別ウィンドウ)】

このレポートは、「 道路レポート 国道158号 水殿ダム〜奈川渡ダム 」の続編である。

nagajis氏とタッグを組んで梓川筋の隧道・旧道・廃道を手当たり次第に攻略する旅は、その重要な経由地である奈川渡ダムに到達後、少し寄り道をすることにした。

ターゲットは、奈川渡で国道158号より分岐して旧奈川村から木祖村方面へ繋がる県道26号「奈川木祖線」にある、4本の隧道たちだ。

水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間にも5本の隧道があったが、ダムへのもう一つの接近路である県道26号にある隧道は4本。

由来もダム工事に関する路線の付け替えということで前者と共通する。

なお、前回レポートの冒頭でも語ったとおり、私にとってこの一帯は、 “トンネルではない「隧道」への目覚め” のエリアである。

特に我が家では、毎回この県道26号から梓川筋へ入っていた憶えがある。17.8年も前だから、当時は長野自動車道も未完成で、東京方面からの入路として必ずしも松本経由は最短ではなかったのかも知れないし、ハンドルを握る親父の好みだったのかも知れない。(帰りはいつも松本経由だったので)

ともかく、今回の探索では最後に遭遇することになるだろう「角ヶ平隧道」こそ、幼少の私にとって、 なぜだか分からないが興奮する隧道達との出会いと再開の場所 であった。

そこは、今日の ヨッキれんの原点 であるといっても、決して過言ではないはずだ。

大人になって初めて… 十数年ぶりの再会。

果たして隧道は、どうなっているのだろう。

地図を見る限り、当時と同じで5本健在であるようだが…。

ナガジスさん、すまないね〜。 俺の思い出拾いにつきあわせちゃって…。

「 イイヨイイヨー 」

読者さんにも、すまないね〜。

2008/7/2 10:24

県道26号の起点は、入山隧道内部の洞内分岐地点と、そこから約200m離れた奈川渡ダム交差点の、合計2箇所あることになる。

だが、そう厳密に考えなくても、起点から約200mほどで両者は合流する。前回紹介した、新入山隧道の坑口前の交差点で。

左の写真は、そこからさらに100mほど南へ進んだ地点だ。

早速、県道26号として1本目の隧道が見えている。

右に広がる広大な水面は、これでほぼ満水位の梓湖だ。

この湖面は、かつての梓川の右支流奈川を5k

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926425158368

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