北方定点

北方定点

[1] 北方定点

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[2] おじか型巡視船 (初代) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%8B%E5%9E%8B%E5%B7%A1%E8%A6%96%E8%88%B9_(%E5%88%9D%E4%BB%A3)

おじか型巡視船 (おじかがたじゅんしせん、 英語 : Ojika -class patrol vessel )は 海上保安庁 の 巡視船 。公称船型は 旧海軍 海防艦 型 。いずれも、 日振型海防艦 および準同型艦である 鵜来型海防艦 を巡視船として再就役させたものである [2] 。

来歴 [ 編集 ]

気象レーダー や 気象衛星 の体制が整備される以前は、 地上気象観測 が難しい外洋域においては、 気象観測船 による気象観測が行われてきた。 連合国軍占領下の日本 においても、アメリカ当局からの要請で日本周辺の観測が求められ、経費の大半をアメリカが負担するかたちで、 運輸省 中央気象台 により、1947年より北方定点(X点; 塩釜の東方約1,000キロ)、1948年からは更に南方定点(P点; 室戸岬の南方約500キロ)の観測が開始された [3] 。

これらの観測業務にあたる気象観測船としては、1947年の開始当初は中央気象台が戦前から運用してきた 凌風丸 のみが用いられていたが、1948年からは、 第二復員省 で復員輸送・掃海活動に従事していた 海防艦 4隻(生名,竹生,鵜來,新南)が加わった。更に1950年には、米軍の連絡船として用いられたのちに保管艦扱いとなっていた志賀も参加した [3] 。

サンフランシスコ平和条約 発効後の1953年11月、アメリカ側からの財政支援が打ち切られたこともあり、同年で、定点観測はいったん打ち切りとなった。しかしこのうち南方定点については、日本としても台風や梅雨前線の観測上不可欠であったことから、のちに改めて独力での観測続行が決定された。この体制改編に伴い、1954年1月、海防艦5隻はそろって海上保安庁に移籍し、巡視船としての籍を与えられた。これが本型である [2] [3] 。

運用 [ 編集 ]

本型は、中央気象台より引き継いだ定点気象観測任務を継続するとともに、揺籃期の海上保安庁において長距離救難の一翼を担って活躍した。巡視船として再就役した時点では非武装だったが、この時期、アメリカ極東海軍より兵装の貸与(のちに供与へ切り替え)が開始されていたこともあり、のちに他の大型・中型巡視船と同様に Mk.22 3インチ単装緩射砲 などの兵装を搭載している [2] 。

また 「こじま」 は、第二復員省時代に米軍の連絡船として徴用されていた

履歴

[3] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926425158273

メモ