東能代駅

東能代駅

[1] 東能代駅

Webページ

[2] 奥羽本線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E6%9C%AC%E7%B7%9A

起点である福島駅から米沢駅までの区間はいわゆる峠越えでも名高い板谷峠を越える。後節でも触れているが、ここは蒸気機関車時代からの難所であり、電化・高速化および標準軌化によるミニ新幹線が直通運転されるようになった後も、冬季は雪害による遅延や運休が生じやすい。米沢駅から秋田駅まではほぼ奥羽山脈の西側に沿う様な形で進路をとる。途中、山形駅までは蔵王連峰の山々、山形駅から先はしばらく月山の山を望みながら北上する。秋田駅から男鹿線と分岐する追分あたりまでは海こそ見えないが日本海沿いを通り、東能代駅まで八郎潟の東岸を通る。東能代駅から進路を東にとり大館駅を過ぎると再び奥羽山脈に沿う形で北上し矢立峠を越える。越えた後は弘前駅・浪岡駅などの津軽平野の中を西側に岩木山を望みながら走り青森駅へと至る。

運行形態[編集]

路線名称としては1つであり、かつては寝台特急「あけぼの」、急行「津軽」など、全線通しで運転する列車も存在したが、山形新幹線・秋田新幹線開業とそれに伴う一部区間の標準軌への改軌により、従来の1,067mm軌間専用車両で運転される優等列車は、1999年12月4日の山形新幹線新庄駅延伸に伴うダイヤ改正で「こまくさ」が快速列車に格下げ(2002年12月1日ダイヤ改正で廃止)になって以降は秋田駅以北のみの運転となり、普通列車も運行系統としては以下の4つの区間に分かれている。

福島駅 - 新庄駅間[編集]

詳細は「山形新幹線#運行形態」および「山形線#運行形態」を参照

山形新幹線「つばさ」が走行する区間である。板谷峠という難所が途中に存在する。新幹線からの直通列車を走らせるために標準軌に改軌されている都合上、この区間を走行する車両を新庄駅以北へと運転することは不可能になっている。また、この区間の在来線普通列車は「山形線」の愛称が付けられ、奥羽本線の他区間と区別されている。運行形態は基本的に福島駅 - 庭坂駅・米沢駅間、米沢駅 - 山形駅間、山形駅 - 新庄駅と3つの区間に分けて運転されている。

新庄駅 - 大曲駅間[編集]

山形・秋田県境の辺境区間で、普通列車や快速列車のみが設定されているが、かつては他区間と同様に昼夜問わず優等列車が運転されていた。新庄駅 - 秋田駅間を直通する普通列車に加え、院内駅・湯沢駅・横手駅 - 秋田駅間・新庄駅 - 真室川駅間の区間列車が設定されており、1

[3] 五能線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%83%BD%E7%B7%9A

路線データ[編集]

管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)

区間・路線距離(営業キロ):147.2km

駅数:43(起終点駅含む)

五能線所属駅に限定した場合、奥羽本線所属の東能代駅と川部駅[1]が除外され、41駅となる。

軌間:1067mm

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:なし(全線非電化)

閉塞方式:特殊自動閉塞式(電子符号照査式)

運転指令所:秋田総合指令室(CTC)

最高速度:85km/h

全線秋田支社の管轄である。

運行形態[編集]

運転系統は途中の深浦駅を境におおむね区分される。一部は深浦駅をまたいで運転される列車があるが、一部の臨時列車をのぞいて深浦駅で列車番号が変更される。

東能代側では、東能代駅 - 能代駅間の区間列車が多く、運転本数は同区間の運転列車の3分の2を占める。これは奥羽本線から能代市の中心部にある能代駅を接続する役割があり、1時間あたり1本程度運転されている。その他、東能代駅 - 岩館駅間の区間列車がある。岩館駅 - 北金ヶ沢駅間については海沿いを走るため、吹雪・強風・高波による運休が年に何回かある。臨時快速列車をのぞけば岩館駅 - 鰺ヶ沢駅間で4 - 7時間ほど運転されない時間帯がある。

川部側では、快速「深浦」をのぞく全列車が奥羽本線に乗り入れ弘前駅に直通する。深浦駅 - 弘前駅間の列車のほか、鰺ヶ沢駅 - 弘前駅間の区間列車が半数を占めていて、1 - 2時間に1本程度運転されている。また、深浦駅 - 青森駅間に快速「深浦」が1往復運転されているが、五能線内は各駅に停車する。

一部列車(東能代駅 - 能代駅間の区間列車は全列車)においてワンマン運転が行われている。

リゾートしらかみ[編集]

詳細は「リゾートしらかみ」を参照

日本海の海岸沿いを走るというロケーションを活かし、土曜休日を中心に観光列車が運転されている。1990年から50系客車を使用した「ノスタルジックビュートレイン」が運転を開始したが、冬季運転の困難などにより1997年にキハ40系気動車による快速「リゾートしらかみ」に置き換えられた。運転区間は、秋田駅 - 東能代駅 - (五能線) - 弘前駅・青森駅間である。2003年と2006年にはそれぞれ編成が増備されて1日3往復の運転(冬期は最大2往復。通常は土曜・日曜日のみの1往復)となり、五能線の顔となっ

[4] ミニ・レポート, , http://yamaiga.com/koneta/koneta_36.html

今回はまた、皆様からの情報提供をお願いしたいと思います。

見つけたのは、謎の鉄道橋なんです。

もっとも、謎といっても、今度の物件はしっかりと地形図にも載っていたし、存在自体は疑う余地は無いんです。

では、その地形図をちょっとご覧頂いちゃいましょう。

これは、大正元年測量・昭和14年修正版の5万分の一地形図の一部分です。

写真の範囲は、奥羽本線の東能代駅駅の一帯ですが、いかがでしょうか。

見慣れない鉄路が、一本、描かれてますのに、お気づきになりましたか?

それは、東能代駅のすぐ東より北に分岐し、全体がS字を描くようにして蛇行、わずか2kmほどで米代川に阻まれて終点となっています。

奥羽本線の支線のようでありますが、沿線には駅どころか、人家ひとつ無い様子ではありませんか。

貨物扱い専用の支線だったにしても、余りにも辺鄙な場所に何ゆえこのような線路が敷かれていたのでしょう…。

なぞは、尽きません。

では、実際に現地へ足を運んで見ましょう…。

11月5日午前6時過ぎ、能代市鰄淵(かいらげふち)の米代川河川敷。

鰄淵は東能代駅付近では機織(はたおり:東能代駅の旧名でもある)に次ぐ市街部であるが、米代川の堤防に近い2kmほどは空き地が広がっており、人気は無い。

普通なら市街地の河川敷でこの時間といえば、犬の散歩やらジョギングの人々が多く出没しそうな物だが、妙に寂しい。

写真は堤防上の道に立ち、上流方向を眺める。

左の二本の立て札には、時空の歪みを感じさせられたが、その話はまたいずれ…。

同じ場所に立って、今度は川下の内陸側を撮影。

広大な空き地は一応区画整理を受けているようで、道路網があったりする様だが、人家は一軒もなく、当然ながら人の姿はゼロ。

東能代駅が一応奥羽本線内では能代市の中心駅であるが、駅からほんの2km足らずでこんな有様なのだ。

五能線の能代駅こそが、能代市の中心にふさわしい駅だといえる。

話が脱線した。

古い地形図に描かれていた支線の終点は、この更地のどこかに違いないようであるが、すっかりと土地は整理され、廃線跡の痕跡は一切見つけられない。

だが諦めずに、ここから東能代駅へと、廃線跡に近いと思われる道を通って向かってみる。

ある程度内陸に入り駅まで500mほどになると、やっと工場群が現れる。

これは能代工業団地であ

[5] 橋梁レポート 秋田木材専用線 桧山川橋梁(仮称) 再訪&机上調査編, , http://yamaiga.com/bridge/akimoku/main.html

2003(平成15)年11月10日に公開したミニレポート【 能代駅近くの謎の廃鉄道橋 】を記憶しているという方は、当サイトの熱心な読者さまの中でも、かなり少ないと思われる。

本橋は、秋田県内に残る数少ない鉄道用廃橋ではあるが、余り目を引く規模ではなかったし(特に川面からの高さが小さいことがインパクトを薄めている)、私自身もレポートから数年後に住居を秋田から東京ヘと移してしまったため、ますます印象から遠ざかってしまっていた。

だから、これを再訪したのは、里帰り期間中のほんの偶然の悪戯(友人とドライブしている最中に近くを通りかかったので立ち寄ってみた)でしかなかった。

しかし実はこの廃鉄橋、わが国の橋梁史上に燦然と名を連ねうる、逸材だった。

本編は「再訪&机上調査編」と題して、2012(平成24)年の再訪をきっかけに判明した 本橋にまつわる「貴重な事実」と、未だ解き明かされぬ謎 について、まとめておきたい。

なお、文責はいつも通りヨッキれんだが、気持ち的には「鉄道友の会」秋田支部郷土誌編纂室長として公表している。支部長ミリンダ細田氏を中心に、私を含む総勢5名(2016年4月現在)の少数からなる秋田支部では、随時支部会員を募集しています。ご入会お問い合わせは 鉄道友の会本部 へ。

1. 橋の再訪で発見したものは――

【位置図(マピオン)】

2012/4/2 16:30 【現在地】

約8年半ぶりに訪れた、東能代駅裏手の現場。

そこには桧山川を渡る連続5径間、総長70mほどの上路PG(プレートガーダー)廃橋が、特に変化した様子もなく、泰然と存在していた。

正式名は相変わらず分からないので、鉄道橋の命名法に則って「 桧山川橋梁 」とする。

変わらず架かっていたことに安堵した私は、挨拶がてら、この橋を再び渡ってみることにした。

写真の向かって右、東能代駅のある側から、懐かしの渡橋へ挑む。ちなみに前回とは反対方向也。

遠目には「変わらなかった」廃橋も、実際に渡ってみると、過ぎ去った年月は確かに感じられた。

隙間だらけのPGを突き破って生えた、氾濫原に根を張る生きた木々はさらに太く生長していたし、半面、以前は気にせず歩けたはずの枕木や中央の踏み板など死んでいる木々は、一層朽ちてスカスカになっていた。

橋上の枕木を延長する形で空中に設けられた、木製の勾配標も、肝心の

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