五日市街道

五日市街道

[1] 五日市街道

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[2] 玉川上水 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4

『玉川上水起元』(1803年)によれば、承応元年(1652年)11月、幕府により江戸の飲料水不足を解消するため多摩川からの上水開削が計画された。工事の総奉行に老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後は忠克)が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負った。資金として公儀6000両[2]が拠出された。

幕府から玉川兄弟に工事実施の命が下ったのは1653年の正月で、着工が同年4月、四谷大木戸までの本線開通が11月15日とされるが、1653年2月10日着工、翌年8月2日本線開通とする史料もある[3]。

羽村から四谷までの標高差が約100メートルしかなかったこともあり、引水工事は困難を極めた。当初は日野から取水しようとしたが、開削途中に試験通水を行ったところ“水喰土”(みずくらいど; 浸透性の高い関東ローム層)に水が吸い込まれてしまい、流路を変更(「かなしい坂」参照)。2度目は福生を取水口としたが岩盤に当たり失敗した。こうした事情を受けて、総奉行・松平信綱は家臣の川越藩士安松金右衛門を設計技師に起用。安松は第1案として「羽村地内尾作より五ノ神村懸り川崎村へ堀込み-」、第2案として「羽村地内阿蘇官より渡込み-」、第3案として「羽村前丸山裾より水を反させ、今水神の社を祀れる処に堰入、川縁通り堤築立-」を立案した。

この第3案に従って工事を再開し、約半年で羽村・四谷大木戸間を開通し、承応2年(1653年)11月に玉川上水はついに完成。翌承応3年(1654年)6月から江戸市中への通水が開始された[4]。しかし、工費が嵩んだ結果、高井戸まで掘ったところでついに幕府から渡された資金が底をつき、兄弟は家を売って費用に充てたという[5]。

庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられた。

なお、玉川上水の建設については記録が少なく、よく分かっていないことも多い[6]。安松金右衛門については三田村鳶魚の『安松金右衛門』に詳しく記されている。

給水地域[編集]

玉川上水の給水地域は『御府内備考』に簡略で分かり易く説明されている。

玉川上水 (中略)今、此上水、流末広大にして四谷・麹町より御本城へ入、西南は赤坂・西の久保・愛宕下・増上寺の辺、これ松平豊後守屋敷の辺、金杉左右海手すべて北手、南東方は外桜田・西丸下・大名小路一円、虎御門外、数寄

[3] 多摩の古城: 伝鎌倉街道 - (九道の辻~鎌倉橋)②, , http://tama-oldcastle.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/04/post_acff.html

交通:西武国分寺線小川駅から徒歩5分又はたかの台駅から徒歩15分

所在地:小平市小川東町~津田町~上水本町付近 地図

小平市内を通る鎌倉街道は、九道の辻から現在のブリジストン工場内を通り、小川東町から津田町へと直線で抜けていたと推測されます。この部分は現在も道筋が残されています。(耕地区画により若干道が食い違っている部分があり)小平市により鎌倉街道の説明板や標柱も建てられていて、判り易くなっています。久米川宿(東村山)から恋ヶ窪までの間、当時は無人の荒野であったと考えられ、水も容易には得られず旅人はひどく難儀したことでしょう。現代の風景からは想像も出来ませんが。。)だだっ広い荒野であったため、江戸初期(寛永年間)から小平市一帯は徳川将軍家・ 尾張徳川家の鷹狩場に指定され、現在も幕張り(鷹狩の際の陣場)や鷹の街道などの呼び名が残されています。一面荒野の小平市(小川村)の開発が始まったのは、玉川上水・野火止用水が完成した後の明暦2年(1656)小川九朗兵衛(武蔵村山の岸村出身。玉川上水より分水を願い出て許可される。祖先は小田原北条氏の家人で武蔵七党のうち西党小川氏の末裔。鷹場の鳥見役も務める。)により開墾が開始され、青梅街道の宿場が作られた事に始まります。(この時、最初に開墾を始めた地が石塔ヶ窪と伝わる。江戸末期までこの地に秩父青石の大きな石碑が在ったことに由来する。現在もわずかに低地となっている。)新編武蔵風土記稿の小川村の項に”村内古街道あり道幅二間許・・・”とあります。

津田町に出た鎌倉街道は、玉川上水を鎌倉橋(昭和52年に架けられた)を渡り、上水本町へと入ります。その後は五日市街道にぶつかり、住宅地となり道は途切れてしまいます。五日市街道に交差する少し手前辺りを二ツ塚と呼び、道の左右に一対の塚があり鎌倉街道の一里塚であったと伝えられています。(塚は昭和の初め頃まで存在していたという。但し、鎌倉街道に一里塚が存在したかどうかは疑問。)鎌倉街道の道筋が再び現れるのは、府中街道西武国分寺線の踏切(東恋ヶ窪)手前になります。

玉川上水(鎌倉橋)

[4] 新鏡ヶ池(小沢川水源) : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/12425597/

神田川の支流「小沢川」についてはいずれとりあげようと思っていたのだが、「暗渠さんぽ」さんより水源「新鏡ヶ池」の写真のリクエストをいただいたので、先にここだけとりあげておこう。 「新鏡ヶ池」は杉並区梅里にある真盛寺境内入って右手にある池だ。真盛寺はもともとは江戸時代初期に湯島で開創された寺で、大正11年にこの地に引っ越して来た。かなり広大な境内を持つ寺だ。 もともとこの地には湧水池があり、杉並区和田を東進〜南下して丸ノ内線中野富士見町駅付近で神田川に合流する通称小沢川の主水源となっていた。この池を境内に取り込み、放生池としたのが「新鏡ヶ池」だ。命名者は当時の俳優だとか。なぜ新なのか、よくわからないが・・・現在は水は湧いてないと思われる。 境内に入って左手、墓地の入口にももうひとつ池がある。この池の北西の延長線上、隣接する本佛寺〜妙祝寺との境界線に沿って、五日市街道方面からもうひとつの流れが来ていたようだ。これらの話も含め、小沢川自体についてはまたそのうち。 なお、これらの写真は2007年3月、春の彼岸時のもので、現在寺の境内には一般の人は入れないそうであるのでご注意を。

[7] , , http://kawawalk.sakura.ne.jp/kandagawa/jou2/wadasiryuu2.html

富士見橋で合流する和田の支流を追ってのウォーキングの第二回。前回水路跡ははっきりしていてたどりやすいといったが、一ヶ所だけ一般の道路に紛れ、しかも次の車止めが道なりの道路に面していないところがある。そこからの再開だが、ただ地図を見れば谷筋の食い込んでいる場所やクネクネした道路は一目瞭然なので、どのあたりを探せばよいかのメドはたちやすい。

地図中オレンジ点線は40メートル等高線で、その食い込んでいるあたりが、旧高円寺村の元の地名、小沢の由来となった谷筋である。

[8] 「毎年4、5人は死んだよ」小金井桜の戦前の花見を知る人物が衝撃の告白! | きなこなん式, , http://kinakonan.com/koganeizakura/

かつて東京には飛鳥山と並び称される桜の名所があった。

それが玉川上水の小金井桜である。

駅でいうと、中央線で吉祥寺の先にある「武蔵小金井」が最寄駅となる。

この玉川上水沿いの桜が名勝として知られていた時代があった。江戸時代から戦前までの時代だ。

その当時の賑わいを知る人にたまたま話を聞く機会があったのだが、なんと当時の花見では「毎年4、5人は死んだよ」という。

詳しく話を聞いてみることにした。

歌川広重の浮世絵にも描かれた名勝・小金井桜とは

小金井桜とは江戸時代に玉川上水の堤に植えられたおよそ2000本のヤマザクラのこと。

当時は歌川広重に浮世絵で描かれるなど多くの文人・歌人に愛された。

明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であり、大正13年には国の名勝にも指定された。

昭和初期の観光ブームの時には、西武新宿線の数少ない観光スポットとして臨時駅まで誕生した。

そんな大人気だった小金井桜だが、今は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。

それでは2004年に、玉川上水のそばの釣り堀で偶然話を聞いた84歳のおじいちゃんとのやりとりをお伝えしようと思う。

命がけだった昭和の花見

-小金井桜って昔は有名だったんですよね

「そうだよ。私が小さい頃は4月になると人で歩けないほど多かったね」

-小さい頃っていつ頃ですか?

「私が大正10年生まれだから、記憶にあるのは昭和の始め頃の話」

-だいぶ古いですね

「そうだね。小さい頃から凄かったけど、この辺りに西武線が開通してからよけいに人が増えたね」

-西武新宿線の開通が昭和4年でしたよね

「そう、その少し後に中央線が開通してそっちからも人が来た。あの頃はさ、みんな仮装して花見に来るの」

-仮装? どんな仮装ですか?

「侍とかひょっとこのお面とか被って来る。あれは電車の中から仮装してたのかなぁ・・・。侍の仮装をした人もさ、持っている刀が本物だった」

-本物?

「そう。あの頃は銃刀法違反もないから本物だったよ。そんで喧嘩になると、それを抜くんだよね」

-えっ! 死んじゃうじゃないですか?

「そう、昔の喧嘩はさ、半端じゃなかったからね。一升瓶で殴ったり、耳をちぎったりして、みんな喧嘩っ早いしね。だから毎年花見の時はこの玉川上水で溺れ死ぬ人も含めて4、5人は死んでた」

-花見で死人が出るんですか?

履歴

[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926382903227

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