三ノ宮駅

三ノ宮駅

[1] 三ノ宮駅

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[2] 三宮 - chakuwiki, , http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E4%B8%89%E5%AE%AE

三宮駅の噂はこちら。

元々は中心部じゃなかった。市役所が移転して発展した街。

発展の基礎はもともと元町駅の所にあった国鉄三ノ宮駅が現在地に移転し、阪急の神戸側ターミナルがここに移転したため。

都庁が移転して発展した東京・新宿と構図は似ているかも。

三宮での待ち合わせ場所の基本は、阪急の551前。土・日・祝日には必ず何かしらの待ち人・待ち団体がいる。

阪急西口と、東口北側の広場も。震災前は「三宮の阪急会館」が基本だった。

通称「パイ山」

丁寧に言うときは「オッパイ山」

「でこぼこ広場」と言う人も。

「もっこり山」という人も。

「ハト山」という人も。(鳩がいっぱいいるから)

愛称募集中らしい。(リンク切れてた・・・)

ノーリンク!ノーノーノー!

正式名称は、サンキタアモーレ広場。

三ノ宮駅北口からこの広場にかけては神戸におけるストリートミュージシャンの一大演奏場。

限りなく定期的に近い不定期に訪れるアンデス音楽の楽団は必聴もの。

この楽団、明石駅前でもよくやってる。

神戸駅前でも偶に見かけます。

でも「神戸はコブクロを育てた場所だ!」というのは実は微妙らしい。NONSTYLEと客を取り合いをした場所ではあるようだが。

コブクロって堺東がホームでないの?

神戸市民は、三宮のそごうを愛する。

食品の強い阪神百貨店が食品専門店を出店。今度はどうなるか。

その阪神食品館も無期限休業(事実上閉鎖?)に。そごうに勝てなかったのか・・。

アンチそごう・大丸信者の人もいるわな。

でも高級感で大丸が頭一つ抜きん出ていると思う。

そごうの売り上げ上位店は横浜、千葉、神戸の順で、何故か神戸は千葉店よりも売り上げが少ないらしい。

おそらく大丸と買い物客を分け合っているのが一因と思われる。

地下街が坂だらけ。神戸の地理的環境をよく表している。

名前は「さんちか」。尾崎小百合(かつみ・さゆりの嫁の方)は「元・ミスさんちか」なんだそーだ。

名前は「さかさん」(坂と三宮の意)で良いんじゃあーりませんかー!何か人の名前みたいで笑えるが!

さんプラザやセンタープラザの地下とも繋がっている。

この地下は大阪駅前ビルの地下みたいな雰囲気で、結構ディープなムードが漂っている。

「三宮市場」という市場まである。

そしてその市場のあるビル(センタープラザ西館)の上の方の階にはヲタ街がある。センタープラザ恐るべし…。

[3] 神戸新聞NEXT|社会|JR「三ノ宮駅」の「ノ」消える? 神戸市が要請, , http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201602/0008840956.shtml

「三ノ宮駅」の「ノ」が消える-? 神戸市は26日、JR神戸線三ノ宮駅(神戸市中央区)の改称をJR西日本に申し入れたことを明らかにした。都心再整備に合わせ、三宮周辺にある駅名を統一したいという。 兵庫県最大の繁華街である三宮周辺には、三ノ宮=JR西▽神戸三宮=阪急、阪神▽三宮=市営地下鉄西神・山手線、ポートライナー▽三宮・花時計前=市営地下鉄海岸線-の4種類(6路線)の駅名がある。 同市によると、駅と街の一体的な空間づくりを目指す上で、駅名の統一が望ましいと判断。地名と異なる「ノ」入りが1874年の開業以来続く「三ノ宮」の改称を昨秋、JR西に申し入れた。 その際、「神戸の中心地と分かる」として阪急、阪神と同じ「神戸三宮」を要望したという。合意の見通しが立てば、地下鉄などの改称も検討する考え。 26日の同市議会本会議の予算質疑で鳥居聡副市長が「すぐできる話ではないが、JR西の意向を聞きながら協議を進めてまいりたい」と説明した。 (小川 晶)

[4] 手塚山通信: 近代遺産を歩く JR神戸駅, , http://reinbach-junbow.blogspot.jp/2015/01/jr.html

「 JR神戸駅 」

どこにでもあるよな高架駅 。

実は輝かしい歴史を持つ駅なのです。

よく知られる

日本で最初に走ったのが「新橋〜横浜」。

その次に開通したのが

「 大阪〜神戸 」なのであり、

日本で2番目に開業した

鉄道の駅ってことになります。

現在の駅舎は3代目にあたります。

初代は煉瓦造駅舎だったそうですが、

神戸駅の開業は開通の1874年(明治7) のこと。

東海道線の終着駅でもあり、

三宮や元町はまだ市街化されていなかった頃は、

この一帯が神戸の中心であったそうです。

コンコース内の採光は庇上の

「 ハイサイド・ライト 」によるもの。

ハイサイド・ライト中央には

ステンドグラスと組み合わせた 大時計 。

一連の構成は、

「三ノ宮駅」にもみられて形式で

1930年代半ばの

大型駅舎の系譜に繋がります。

コンコースの丸柱の

腰部分は石材ではなく、

モルタルの研ぎ出し によって

仕上がられています。

上部の ラッパ型柱頭 には、

植物文様が見て取れました。

海側の上部にもステンドグラス。

壁面のアーチの意匠は当時のものを、

引き継いでいるのかは不明ですが…

外観は東京の 上野駅 にも

似ているといわれるもの。

小樽駅 や 大連駅 にも

符号する形式になっています。

未公開ですが 

貴賓室 も残されているそうです。

かつては多くの特急が発着した中心駅、

やがて三宮駅にその座を奪われ、

さらに新幹線開通によって立つ位置が

変わってきたようです。

駅周辺に官公庁や事業所が集まっていて、

隣接する 新開地 や湊川地区は商業地区、

そして歓楽街として

大阪をしのぐ賑わいを呈していたとか…

こちらはマンション建築のため、

取り壊しを余儀なくされた

「 旧神戸ガスビル 」跡地。

湾曲した外壁が印象的なモダンビルが、

最近までその偉容を誇っていたそうです。

[5] 熊本内陸部に「液状化の帯」 全長5キロ、「旧河道」か:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ535GVDJ53ULBJ004.html

熊本県などの一連の地震で、熊本市内陸部の長さ約5キロ、最大幅100メートルの細長い範囲に、地盤の液状化による被害が集中していることが地盤工学会の現地調査でわかった。現在は住宅地で地表からは見分けがつかないが、かつて川が流れていた「旧河道」とみられる。土砂が堆積(たいせき)した場所に沿って「液状化の帯」が生じた可能性があるという。

学会調査団の村上哲・福岡大教授(地盤防災工学)らは4月22日~5月1日、液状化の現地調査を実施。熊本市では南区を中心に、地中から噴き出した砂が建物の周囲や道路などに広がる「噴砂」を確認した。建物が沈み込んで大きく傾いたり、逆に建物の周囲が最大75センチ沈下したりした場所も見つかった。中には、応急危険度判定で立ち入り「危険」を示す赤い紙が貼られている住宅も多数あった。

発生地点は海岸から約8キロの内陸部。阿蘇から有明海へ流れる白川と加勢川に挟まれた幅約50~100メートルの帯状のエリアに集中していた。地元の河川に詳しい大本照憲・熊本大教授(河川工学)によると、この範囲は川の氾濫(はんらん)で運ばれた土砂が堆積してできた「自然堤防」という地形とほぼ重なり、白川の旧河道の可能性があるという。江戸時代の絵図では郡の境界にほぼ該当し、「川が郡界として利用されていた可能性が高い」とみる。

履歴

[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926373755970

メモ