金門県 (きんもんけん)は、 中華民国 の県。欧米では「Quemoy」と呼ばれることも多い。
中華民国 の「 福建省 政府」が置かれているが、1996年から省としての機能を「凍結」している。一方 中華人民共和国 の行政区分上は、 泉州市 の管轄とされている。
九龍江口や廈門湾口を望む 大金門島 、 小金門島 および大胆島や二胆島など12個の島から構成される。総面積は150.3397平方キロメートルである(代理管轄の 烏坵郷 を含まず)。 中華人民共和国 側の 厦門市 とは海を隔てて接する。中華人民共和国支配地域とは最小2.1kmしか離れておらず、 国共内戦 期間中は最前線となった。
右の地図で見える台湾海峡にある群島は 澎湖諸島 である。金門は 亜熱帯海洋性気候 に属し、4月から9月にかけてが最も降水量が多い。年間平均降水量は1,049.4ミリ。年間平均気温は20.9℃である。地質は 花崗岩 が主体であり、 農業 には適していない。
歴史 [ 編集 ]
かつては 鄭成功 による反清復明の抵抗の拠点にもなった。
中国国民党 が 台湾 へ移って以降は 馬祖島 ( 連江県 )とともに 中華民国軍 の軍事的拠点となり、 1956年 より 軍政 が敷かれ、一般観光客の出入りは厳しく制限されていた。
1958年 には、極東を歴訪する 米国 の ダレス 国務長官の台湾訪問を前に、対岸の 中国人民解放軍 ( 中国共産党 )との間で激しい砲撃戦による 金門砲戦 が発生した。多数の死傷者を出したものの 中華民国陸軍 は中国人民解放軍を打ち破り、金門島の防衛に成功している。
1960年 6月17日金曜日深夜にも、同日の アイゼンハワー 大統領の訪台を前に中国人民解放軍が激しい砲撃を浴びせた [1] 。この時日本では安保条約締結阻止の暴動が起きており、大統領の身に危険が及ぶ可能性を日本政府が伝える形で訪日も急遽中止となった。訪日阻止が中国共産党によるものとみていた米国では、金門砲撃、さらにネパール国境で多くのチベット人が殺傷されていたこと [2] などで、中華人民共和国への警戒がいっそう強まった。
1992年 11月7日 の戒厳令解除後、特に 三通政策 の実施後は、多くの観光客が訪れる島となっている。
1995年 には同国6番目の国立公園・ 金門国家公園 に指定された。
交通 [ 編集 ]