北陸の峠道
万葉の道 ウツロギ峠・利椋峠 そして 五幡山
久しぶりのそして今年初めての峠歩きは、まだ木の芽峠が通じていなかった頃の北陸道の
峠二つ。 そして清少納言の枕草子に名前が出ているという五幡山(428.7m)を歩いた。
大伴家持が越中守として赴任するとき詠んだ歌の中の「五幡の坂」というのは、この二つの
峠を指すのではないかと言われている。 当時は敦賀から樫曲〜越坂〜田尻〜ウツロギ峠〜
五幡〜挙野〜利椋峠(とくらとうげ)〜阿曾〜杉津〜元比田そして山中峠を越えて今庄に出た。
ウツロギ峠への道は、田尻からは舗装されて車で行けるが、今回は利椋峠も歩きたかった
ので、五幡の海岸に車を置いて、集落の中を行く細い道へ入った。宿屋や西勝寺の前を通る
多分昔からの道ではないかと思う。
五幡のバス停の前、信号を右へ入る。すぐ後ろに見える尾根の鞍部が利椋峠。
集落を外れて谷間をなだらかに登って行くが、雪解けが終わったばかりなので轍の跡を水が
流れて、この時期歩きにくい。峠の少し手前に古い石灯篭と石仏があって峠道らしい雰囲気だ。
ウツロギ峠への道
しかし、ウツロギ峠の石仏は広く舗装された処にあって万葉の道としては雰囲気が無いのだ。
石仏の横に登山道があり、五幡山へ向かう。送電線の巡視路としても整備されているので歩き
易く、気持好く歩けた。あまり展望は無いが、シニア向きと云うか、山頂までゆっくり歩いて1時間
で、山頂らしくないが四等三角点(点名・蛇岩)がある。
ウツロギ峠の石仏
とても気持ちの良い尾根道
五幡山の四等三角点
そこでゆっくりとコーヒーなど飲んでから、戻って五幡の式内五幡神社へ向かう。ここは当時の
旅人が旅の安全を祈ったと言われる。 ここで昼近くになったので凄い風の中で昼食とした。
式内五幡神社
神社の松たけ石に大伴家持の歌が刻まれている。
「可敝流廻( かえるみ )の道行かむ日は五幡の坂に袖振れわれをし思はば」 (万葉集巻十八)
挙野の集落は家が少ない。集落を抜け舗装された道を谷間に入ると、昔の狭い段々畑の石垣が
見られる。やがて舗装が切れると間もなく道が判らなくなった。細い沢伝いに登れば間違いないと
思ったが、歩きにくいことこの上ないので、竹林の中を登る。
地図には破線があるが、それが尾根を越える処が峠だと思っ