塩原町

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[1] 塩原町

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[2] 道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) その1, , http://yamaiga.com/road/enna/main1.html

塩那道路を走りたい。

それは、私の長年の夢であった。

私には、全国に幾つも、そんな道がある。

生涯で、一度は走りたい道。

これまでの山チャリ人生十数年間で、そのうちの幾つかは、幸運にも走ることが出来た。

例えば「 仙岩峠 」に「 万世大路 」、それに「 大峠 」などだ。

そしてまた、夢の一つの実現を懸け、私は旅立った。

ターゲットは、東京から北に175kmの地。

走り慣れた東北地方を離れ、関東の北端、栃木県は塩原町。

今回の同行者は、千葉県より参戦のゆーじ氏(サイト『銀の森牧場』)ひとり。

彼とは、丸一年以上もこの計画を温め合ってきた仲だった。

彼もまた、塩那に取り憑かれた男の、一人だ。

2005年10月9日早朝、まだ日の明くる前の道の駅「塩原」に、二人の姿はあった。

残念なことに、天候は雨。

前日夕方に当地に集合した我々は、近くのファミリーレストランで対顔を祝うと共に、今回の計画の成功を誓い合った。

早々に車中泊となったが、いよいよ迫った塩那への挑戦への緊張から、眠れぬ夜を過ごした。

今回の計画は至って単純である。

道の駅塩原をスタート地点に、まずは国道400号線を西進し、塩原温泉郷に至る。

そこからは、早速塩那道路である。

全長51km、高低差1100mの塩那道路を、無事に突破し板室温泉に到着したら、そのまま最短距離で出発地に戻るという、一周約77kmの周回コースだ。

この所要時間は13時間程度と見積もっており、塩那道路の走破だけで10時間以上掛かるものと考えていた。

この計画から逆算して午前4時過ぎという出発時刻を決定したわけだが、それだけではなく、出来るだけ早い時刻に塩那道路塩原側入口から約10kmの地点にあるらしい通行止めゲートを、突破してしまいたいという思惑があった。

ゆーじ氏は昨年の夏にも友人と二人で塩那道路のチャリによる走破を企て、これを成功させている実績がある。

昨年の塩那計画も実は私が言い出しっぺであり、もちろん当初は私も参加する予定であったのだが、結局叶わず一年遅れとなったわけである。

塩那道路を経験した数少ない男は、私にとって最大のアドバイザーであり、相棒となり得た。

だが、この一年間の間に塩那道路では、我々の興味本位の進入に対する、様々な抑止策が展開・強化されていたのである。

午前4時15

[9] 道路レポート 塩那道路工事用道路, , http://yamaiga.com/road/ennakouji/sub.html

私が最初に塩那道路を探索したのは、平成17(2005)年10月9日。

その レポート を書き終えたのは、同じ年の12月8日であった。

私が工事用道路を用いて2度目の塩那道路へ足を踏み入れたのは、平成23(2011)年9月28日。

その レポート は現在執筆の途中であるが、第一部(第7回まで)を書き終えたのは平成27(2015)年6月17日であった。

既に塩那道路と私の関わりは10年の年月を経ている。

たった2回しか訪れていないが、それは極端な訪問の難しさを現している(車で訪れられる両端の区間はこのほかにも何度か行っている)。

そして、この10年間の途中の平成25(2013)年2月27日、私が塩那道路への思いを一層深くするきっかけとなった一通のメールを受信した。

頂いたメールの内容を簡単に要約すれば、20年前に死去した父親が自衛官として塩那道路の工事にあたった。

父親からは生前、塩那道路の話を聞いていたが、そこがどんな場所であるかは自分には分からなかった。

「山さ行がねが」のレポートを見て、はじめて塩那道路の風景を見ることが出来たことを感謝したいというものだ。

メールの送信者はお名前もHNも名乗られておらず、文中には「宇都宮在住の60歳男性」とだけあった(本稿では仮に「A氏」と呼ぼう)。

また、その内容は私信であり、個人情報も含んでいるので、そのまま全文を公開することは出来ないが、塩那道路の絶大な規模に反して極端に不足している「建設中の話題」に関する記述があり、また一人の人間として感じ入る所が多いので、ここまで編を重ねた塩那道路のレポートにお付き合いいただいた皆さまに、最小限の加工を加えたうえでご紹介したいと思う。

その後で、普段はあまり知る機会が無いであろう「自衛隊による道路工事」について、調べたことを簡単にまとめてみた。

本稿は、塩那道路をより深く知り、愛していただくための“寄り道”である。

1.ある自衛隊員のご子息からのメール

私は栃木県宇都宮在住の60歳男性です。

20年前に死去した自分の父親に関連する情報がないか、あまりあてにせずネットで検索していたところ、あなたの塩那道路のレポート中に父の名があるのを発見しました。

レポート(7)のなかで、当時の栃木県知事、横川信夫氏が書いた記念碑の碑文の文面と写真とが紹介されています。

104建

[10] 道路レポート 塩那道路工事用道路, , http://yamaiga.com/road/ennakouji/main10.html

↑この表題は、どうやら事実らしいと思う。

すなわち、塩那道路の最高地点である標高1800mの地点の座標は、おおよそ北緯37度03分08秒、東経139度48分10秒付近にあるのだが、 この座標よりも東と北の国内には標高1800mに届く道路が1本も存在しないであろうという“予想” である。

このことに私が思い当たったのは、実は結構最近で、2015年5月25日に自身のツイッターへ このツイート をしたのが最初である。

そして私のこの予想を検証して下さった方が数人いて、全員が「そのようだ」と判断された。

右図は、「カシミール3D」の機能を使って標高1800m以上の地点を白く着色した日本地図である。

ご存知の通り、わが国の高山は中部地方に集中しており、それ以外の地方では相当に限られる。 (ある匿名読者さまの調査によると、東北の山は標高の高い順に、1位の燧ケ岳2356mから、12位の磐梯山1819mまでが1800mを超えているそうである。また、北海道については、1位の大雪山2291mから28位の1839峰1842mまでが1800mを超えているという。)

そして、これらの高所を逐一現在の地理院地図で確かめた限り、車道を示す実線の地図記号は、一切発見出来なかった。

もちろん、登山道は縦横に存在しているし、山小屋の物資運搬用のブル道のような特殊な車道は存在するかもしれないが、塩那道路のように普通自動車が通行できる(た)道路は未確認である。

塩那道路の北や東の地域に存在する車道で現状、最も標高が高いのは、宮城県の蔵王ハイライン(1750m)ではないかと思われる(北海道については道道1162号(1500m)か?)。

このことは、塩那道路がもし「塩那スカイライン」として華々しいデビューを迎えられていたとしたら、明瞭なアピールポイントになっていた事だろう。

これからご覧頂くのは、そんな誇らしい 土木技術と山岳開発の記念地 となるはずだった場所の、実際の風景である。

2011/9/28 14:48 【現在地】

この場所は、塩那道路の 最高所 (海抜1800m)であるだけでなく、全線(約50km)の 中間地点 に近い。

具体的には、塩原起点から26km、板室終点から24km前後の地点である。

この距離と高さの調和は偶然であるかも知れないが、もし遊覧道路としての理想を追い求めた

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[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926366864552

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