八甲田山

八甲田山

[1] 八甲田山

Webページ

[2] 道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間), , http://yamaiga.com/road/aotowa/main.html

“大規模自転車道” ( ※ ) は、 闇 が深そうだ。

前々から薄らと感じてはいたが、平成24(2013)年にほんの僅かな時間を過ごした「 和歌山県道802号太地新宮自転車道線 」において、その予感は決定的な確信へ繋がった。

※大規模自転車道とは……

昭和48年に旧建設省がスタートさせた道路事業で、当時のサイクリングブームを背景に、国民の健全なレクリエーションの増進を図るべく、全国に約5000kmの自転車専用道路(大規模自転車道)を整備するとした。各路線は都道府県や指定市が事業主体となって、国の高率の補助金を受けて整備された。各路線が一般都道府県道として供用されており、路線名は「一般県道○○自転車道線」のようになる。この事業は国土交通省となってからも受け継がれ、平成21年現在の全体計画4300kmのうち、約3600km(計134路線)が供用されている。

全国に134路線もあるという大規模自転車道の一覧は、国土交通省のサイトで公開されている。(→ リンク )

これを見ると、東北地方だけでも16路線が認定されているのだが、各路線を探ってみると案の定、「和歌山県道802号太地新宮自転車道線」のような未完成臭をプンプンと漂わせる路線が、いくつも発見された。

今回はそのうちの1本、青森県の有名な観光地を結ぼうとして夢破れた(っぽい)、愛称「田代平高原自転車道」こと、正式路線名「 一般県道青森十和田湖自転車道線 」の一部を探索したので、紹介しよう。

サイクリスト ならば、これは 必見! そうでないあなたも一寸見てほしい!

これがサイクリングを愛する全ての“国”民のために、“国”自らがお墨付きを与えた、134ある珠玉の一つだ!!

【周辺図(マピオン)】

既に述べた通り、このサイクリングロードは県道である。

そのため、一部の市販品やネット上で見られる地図などが県道として表現している。

右図は「 プロアトラスSV6 」だが、黄色く塗られている道がそれである。

地理院地図など他の地図もいくつか見てみたが、基本的に県道として表現している地図は、どれも同じ区間を示していた。

具体的に言うと、青森県十和田市内の仙人平ち湯ノ台を結ぶ約4.5kmの道である。

ここは名山として知られる八甲田山の中腹にある冷涼な高原地であるから、いかにもサイクリングに適していそうだが、正直い

[7] 道路レポート, , http://yamaiga.com/road/hakkouda/main.html

2004年5月中旬、山行が宛てに一通のメールが寄せられた。

そこには、私を即座に夢中にさせるネタがしたためられていた。

差出人は、青森県にお住まいのぴょんぴょん氏。

その彼が以前登山で利用した道が、戦前の車道の跡であるというのだ。

その道の場所は、右の地図の通りである。

地図の最も下に水色がかっている部分があるが、これは十和田湖である。

その十和田湖の北岸の突端である御鼻部山付近から北上し、海抜900m前後の山上を縦走。

いよいよ南八甲田山の峰峰に対峙し、これをヘアピンカーブで上り詰める。

最高所は、標高1200mを超える稜線上にあり、この名が、地獄峠。

ここから猿倉温泉へ向け、数度のヘアピンカーブを経つつ緩やかに下りるというコースである。

すなわち、北東北有数の観光地である「十和田湖」と「八甲田山」とを短絡する稜線ルートといえば分かりやすい。

このルートは、確かに一般の道路地図にも示されている。

だが、それは「歩道」としての記載であり、その存在する場所からも、ただの登山道路と見える。

ここに車道がもし存在するとしたら、果たしてそれが廃道となるものだろうか?

現在の国道ですら遙か谷を下り谷地温泉を経由して繋ぐこの二大観光地を短絡する路線、まさに、最高の観光道路ではないか。

メールを頂いた瞬間より、私の興味はこの道から離れなかった。

図書館に赴いたり、WEBをさすらい情報を集めた。

ぴょんぴょん氏からも積極的に追加情報を頂戴した。

それらを総合すると、ますます謎の深い道だと言うことが分かった。

それぞれの情報の出所は煩雑になるので示さないが、私が調べた限りでも、次のような情報が、この道について錯綜した。

・昭和8年〜9年に建設された「酸ヶ湯大鰐線」という観光道路である。

・昭和8年から3年間掛けて建設された産業道路である。

・一度も車が通ることなく現在に至る。

・検査の車が通ったこともある。

・昭和9年から3年がかりで、県が救農土木事業として建設した道である。

・救農対策で建設された後は、旧陸軍が使用する軍用道路であった。

・この道は「旧道」と呼ばれ、一部が登山道として再利用されている。

・この道を「旧県道」として案内しているガイドマップも存在している。

・戦後、道は放棄され現在は大部分が自然に帰した状態になって

[8] 飯豊山 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E8%B1%8A%E5%B1%B1

概要 [ 編集 ]

磐梯朝日国立公園 内に位置し、可憐に咲く 高山植物 が有名で、 日本百名山 のひとつに数えられている。飯豊連峰の最高峰は、標高2,128 mの大日岳である [2] 。

飯豊山は、 福島県 と 新潟県 そして 山形県 三県の 県境 にあるが、南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが 福島県 喜多方市 になっており、山頂付近は喜多方市である [3] 。理由は、明治期に廃藩置県後飯豊山付近が 新潟県に編入 されたが、 飯豊山神社 宮とする福島県側の猛烈な反対運動により、参道にあたる登山道および山頂を再び福島県にすることで決着した結果である [3] 。そのため、福島県の県境がいびつな結果になっている [4] 。

山名の由来 [ 編集 ]

飯豊山の名の由来には諸説あり、確定していない。 福島県 会津 地方では「いいとよさん」とも呼び、雪化粧した山容が飯を豊かに盛った様子に見えることから、この名がついたとされる [5] 。 陸奥国風土記逸文 には飯豊山の名の由来について、以下の2つの伝承が記されている( 飯豊青皇女 の項目も参照のこと)。

飯豊(いいとよ)を歴史的仮名遣いで表記すると、「いひとよ」となる。「いひとよ」とは 古代日本語 で フクロウ をさす言葉であり、それが語源であるという説もある。他にも、山麓に温泉(湯ノ平温泉)があることから「湯出(ゆいで)」が変化したものだとする説がある [6] 。

飯豊連峰の主な山 [ 編集 ]

大日岳 (2,128 m) :飯豊連峰の最高峰 [2]

飯豊山 (2,105.1 m) :飯豊本山であり、飯豊山神社が置かれている

北股岳 (2,024.9 m) :晴れた日には日本海が望める

烏帽子岳 (2,017.8 m)

御西岳 (2,012.5 m)

三国岳 (1,644 m)

地蔵岳 (1,539 m)

山岳信仰 [ 編集 ]

652年 ( 白雉 3年)、知同和尚と 役小角 が開山したとされる古い 山岳信仰 の場である。飯豊山大権現を祀る 修験 の場として栄え、 江戸時代 初期までには修験道の 修験者 が多く訪れた。 元禄 期以降は修験色は弱まり、稲作信仰、成人儀礼、死者供養などを中心とする庶民信仰の形態に移行した。

また、 明治 初年の 神仏分離 によって 飯豊山神社 となり、地域住民から崇敬された

履歴

[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448196692780

メモ