くじ氏はさっさと奥へ進んで行ってしまったが、残る我々もそれを追った。
ボートはとりあえず入り口において、内部の水位などを確認することにした。
17日ぶりに立ち入る隧道内部。
風は感じられない。
ただ、閉塞隧道にありがちな、土臭さや、かび臭さもなく、内部には広い空洞が残存していることを感じさせる。
坑門付近では、おそらくは人工的に埋め戻された痕跡なのだろうが、天井近くまで土砂が堆積している。
コンクリートで薄く覆工された天井スレスレを、中腰で進むと、程なく2段階に盛り土は低くなっていき、間もなく本来の洞床に立つことになる。
坑門付近の、洞床からは一段階高い位置にて、振り返り撮影。
天井のコンクリート覆工は一部破壊され、灰色の煉瓦が覗いている。
煉瓦にも一部大きな欠損があるものの、ここを除けば洞内の煉瓦で崩壊を感じさせる場所は殆どない。
総じて撓みや変状もなく、廃後半世紀近くを経過し、竣工からは80年を超えているが、その保存状況はよい。
水没という状況が影響していた可能性もあるが、水没していない和賀仙人側の残存部分についても、決して保存状態は悪くなかったので、もとより本線きっての長大隧道として頑丈な造りだったのだとも考えられる。
内部には、定期的に現れる遺構が二つある。
一つは、狭い待避口。
もう一つは、この碍子である。
ちょうど内壁の側面と天井部分の施工の切り替わる場所に設置されている。
木製の取り付け部に、二つの碍子が縦に並んでいるのだが、本隧道内で見られる碍子は全て、黒かった。
触ってみたところ、ゴム製と思われたが、全体がゴムなのか、ゴムの靴下を履いているだけなのかは分からなかった。
(この碍子については記憶が不鮮明であり、同行者各位のアドバイス待ちです。)
17日前の前訪時に比較して、洞内には大きな変化があった。
それは、あれだけあった水が、すっかりと引いていたのだ。
足元の泥は依然深く、一歩一歩足を引っ張ったが、それでも進めないほどではない。
また、その泥の底には、かつて枕木が敷かれていただろう凹凸が、極めて規則的に並んでいることを、感触的に知った。
マグライトで照らし出させる50mほど先まで、全く水没している気配はない。
前回は、もうこの辺りで30cm以上の水深があり、早々に撤収したのだが…。
この調子なら、ボ