神城断層

神城断層

[1] 神城断層

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[2] 長野県北部地震の断層 300年前にも活動か NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151122/k10010316111000.html

去年11月に長野県北部で震度6弱を観測した地震から22日で1年になりますが、専門家が地震の断層を詳しく調べた結果、およそ300年前にもずれ動き、大地震を引き起こしていた可能性が高いことが分かりました。1000年以上としている国の評価よりも、短い間隔で激しい揺れの地震が起きていた可能性があり、専門家はさらに詳しい調査が必要だと指摘しています。

神城断層を含む糸魚川ー静岡構造線の北部は、国の評価で、1000年から2400年程度の間隔でマグニチュード7.7程度の地震が発生するとされていて、東北大学の研究チームは国からの委託を受けて、先月から現地で掘削調査などを行って、過去の活動を詳しく調べました。 その結果、これまでの調査で白馬村の飯田地区では、過去数千年の間に5回前後の地震の痕跡が見つかり、過去の活動のうち最も新しいものは、地層から見つかった皿などから、江戸時代前後とみられることが分かりました。研究チームは、文献で白馬村にも大きな被害が出たと記されているおよそ300年前の1714年に起きた「小谷地震」という大地震で、神城断層がずれ動いた痕跡の可能性が高いとみています。 従来の国の評価よりも短い間隔で、激しい揺れを伴う地震が起きていた可能性が高く、調査を行っている東北大学の遠田晋次教授は「こうした現象が神城断層特有なのか、あるいは全国のほかの断層でもみられるのか、今後、明らかにする必要がある」と話しています。

国によりますと、神城断層は、長野県から山梨県にかけてのおよそ158キロに及ぶ「糸魚川ー静岡構造線断層帯」の北部に当たる活断層です。長さはおよそ30キロで、長野県の小谷村と白馬村、それに大町市を南北に通っています。去年の地震では、この一部がずれ動いたとみられています。 「糸魚川ー静岡構造線断層帯」は複数の活断層からなる断層帯で、これまでの調査の結果、およそ1200年余り前には、現在の長野県の白馬村周辺から茅野市付近にかけての複数の断層が同時にずれ動き、マグニチュード7以上の大地震が起きた可能性があるとされています。国はことし4月、断層帯を4つの区域に分けて、将来、地震が起きる確率を評価し直し、神城断層を含む長野県の小谷村から安曇野市にかけてのよそ50キロの「北部」では、マグニチュード7.7程度の地震が起きる可能性があり、今後30年に起きる確率は最大で15%としています

[3] 糸魚川静岡構造線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E9%9D%99%E5%B2%A1%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A

国の天然記念物 新倉の糸魚川-静岡構造線

画像の中央、崖の右上から左下に斜めに走るラインが構造線の露頭である。

山梨県南巨摩郡早川町新倉(あらくら、地図)

1918年に、東北帝国大学(現東北大学)の地質学者・古生物学者である矢部長克(1878年〜1969年)によって提唱された。

しばしばフォッサマグナと混同されるが、糸魚川静岡構造線は「フォッサマグナの西辺」であって、「フォッサマグナ」ではない。フォッサマグナは、糸静線から東に大きく広がる地溝帯、すなわち「線」ではなく「面」である。

特徴[編集]

(ここでは自然地理的な特徴について述べる。人文地理的な特徴は「中部地方#地域性」を参照すること。)

糸魚川静岡構造線に沿って日本アルプスが造られており、飛騨山脈や赤石山脈の高山が沿線に連なり、天険を形成する。生態系は、糸静線を境にして大きく異なり、東半分を東北日本、西半分を西南日本という。糸静線沿線の主な山や高地には、白馬岳、乗鞍岳、上高地、赤石岳、身延山などが連なる。

日本海側の東西境界線は新潟県と富山県の境に位置する親不知であり、内陸側の東西境界線は諏訪湖である。太平洋側については、静岡市付近ではあるが詳細ははっきりしておらず、安倍川の他、薩埵峠付近や大崩海岸付近などともされる。

北部フォッサマグナ[編集]

日本海が形成された時期の新第三期中新世後期までは東西方向に引っ張られる力が作用し大きな陥没地帯が形成されていたが、中新世末期以降は力の方向が逆転し圧縮方向に変化した。その為、隆起と沈降を示す地形が交互に現れている。隆起地形としては、上水内丘陵地帯(主に妙高火山群の山々)と中央隆起帯(長野県中部から群馬県にかけての地域で志賀高原、八ヶ岳などとその周辺)があり、隆起地形の間には逆断層の長野盆地西縁断層系があり地震活動が活発である[1]。なお、最北部の西頚城山地での活動は終了しており変動地形学的に見ると活断層ではない[2]とする見解もある。

北部フォッサマグナの東側(信越地域:長野県北部から新潟県頚城地域)には、大峰面[3]と呼ばれる第四紀の70万年前に海岸平原であったとされる頃に形成された花崗岩質の礫及びシルトによる平坦な地形が広がっていた[4]が、その後の地殻変動により浸食され現在は、標高900m前後の山々に痕跡が残る[5]。

糸静線上の松本盆地から長野盆地に向か

履歴

[4] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448192547810

メモ