下ノ廊下

下ノ廊下

[1] 下ノ廊下

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[2] 黒部ダム - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E9%83%A8%E3%83%80%E3%83%A0

黒部ダム(くろべダム)は、富山県中新川郡立山町、黒部川水系黒部川に建設されたダムである。ダムに貯えられた水を利用している発電所が黒部川第四発電所(黒四)であることから、黒四ダム(くろよんダム)と呼ばれることもある。

概要[編集]

日本を代表するダムの1つであり、富山県東部の黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム。発電に利用する水を確保することを主目的として関西電力によって建設された。ダムの高さ(堤高)は186mで日本一を誇り、現在でも破られていない。富山県で最も高い構築物でもある。総貯水容量は約2億tで北陸地方屈指の人造湖黒部湖(くろべこ)を形成する。総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる労働災害による殉職者は171人にも及び、いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。

前述のように「黒四ダム」の別称もあるが、関西電力は公式サイトなどでも「黒部ダム」としている[1]。また、日本ダム協会によれば、「黒四ダム」の名は仮称として用いられ、後に正式名称が「黒部ダム」と決められたとしている[2]。完成時には「黒四ダム」と呼ばれることが多かったが、最近では一般に「黒部ダム」と呼ばれるようになっている。また、かつては図鑑などで「黒部第四ダム」と書かれていたこともある。

沿革[編集]

黒部ダムが建設された地点は黒部川の水量も多く、水力発電所設置に適した場所であることは大正時代から知られていた。ただ、第二次世界大戦などもあり、黒部川の開発は下流の仙人谷ダムおよび黒部川第三発電所にとどまっていた。戦後、高度経済成長期を迎えると電力不足が発生し、関西地方では停電が頻発した。その事態を受け、関西電力の代表取締役(当時)太田垣士郎は1956年、戦前に調査(一割強程度)・計画・設計は実施したものの、開戦以降お蔵入りとなっていた黒部ダム建設事業を急遽たちあげた。それは、同社の社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトであり、近畿(関西)地方への電力供給ひいては経済活動の命運が懸かっていた。黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負った。

第1工区…間組

黒部ダム、取水口、導水トンネル、大町トンネル(現・関電トンネル)、御

[3] 黒部峡谷 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E9%83%A8%E5%B3%A1%E8%B0%B7

黒部峡谷(くろべきょうこく)は、富山県黒部市、黒部川中流~上流にある峡谷(V字谷)である。飛騨山脈を立山連峰と後立山連峰に分断する極めて大規模な峡谷。国の特別天然記念物(天然保護区域)及び特別名勝指定。中部山岳国立公園に含まれる。清津渓谷、大杉谷とともに日本三大渓谷、日本の秘境百選の一つにあげられている。

概要[編集]

現在では黒部湖を境に下廊下(しものろうか:下ノ廊下または下の廊下とも表記される)、上廊下(かみのろうか:上ノ廊下または上の廊下とも)に分けられる。さらに薬師沢小屋から源頭部までは奥の廊下(おくのろうか)と呼ばれる。黒部ダムが完成するまでは下廊下と上廊下の間に中廊下(なかのろうか)もあったが、現在は黒部ダムのダム湖である黒部湖の下に沈んでいる。廊下とは絶壁に挟まれた深い谷を意味する。

一帯は古くから人が踏み入るのを拒む秘境として知られており、江戸時代でも加賀藩が国境警備と森林管理のために立ち入りを禁じ、黒部奥山廻り御用の役人が見回っていたに過ぎなかった。明治時代になると一般に開放され、多くの登山家たちが黒部を目指した。特に冠松次郎は精力的に峡谷を探検したことで「黒部の父」と呼ばれている。

戦前から大量の電力を必要とするアルミニウム精錬のための電源開発が行われてきた(黒部川及び各種ダムを参照)。中でも国内最大級のダムである黒部ダムは、その時の工事用通路が後に一般に開放されて立山黒部アルペンルートとして観光開発されている。その後、交通アクセスが格段に改善したことで、黒部ダム一帯は年間1,000万人以上が訪れる観光地に発展した。また、宇奈月温泉を始め黒薙温泉、鐘釣温泉など温泉地が点在しているため、この温泉地をつなぐ黒部峡谷鉄道が観光に一役買っている。

もっともこれらの観光地は峡谷全体から考えるとごく一部であり、現在も人を寄せ付けない断崖絶壁の世界が一面に広がる。上流の十字峡、S字峡のあたりは絶景で知られるが、辿り着くのが極めて困難である。

下廊下[編集]

「水平歩道」および「日電歩道」も参照

下廊下は黒部峡谷の中でも心臓部に当たる。花崗岩の岩壁の間に激流が流れ、下流からS字峡、十字峡、白竜峡などのポイントがある。S字峡はSの字のごとく、両側に岩壁が複雑に入り組み、激流が左右にぶつかり、飛沫を上げることから名付けられている。十字峡は原始林に覆われ、岩壁を割って

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448191352048

メモ