2014/10/28 13:21 【現在地】
差切5号隧道を皮切りに、かなり矢継ぎ早のペースで現れてきた隧道群も、2号隧道から150mほど離れたところにあるこの隧道、 差切1号隧道 をもって、打ち止めとなる。
そして隧道群の終わりは、差切峡を無事に通過し終えるということでもある。
事実、隧道の向こう側にはもう、先ほどまでのような、そそり立つ山肌のシルエットは見えていない。
なお、「 大鑑 」には、1号隧道について全長20m、幅3.3m、高さ3.2m、竣工昭和28年という記録がある。
この20mという全長は、既に開削されてしまった旧5号隧道の13mに次いで短い。
目前に現れた1号隧道は、これまで目にした5〜2号隧道の中で最短というだけでなく、幅も3.2mと一番狭い。「大鑑」でもそう記録されていたが、現状でもそのままのようだ。
そして、素掘吹き付けの2号隧道には見られなかった坑門があり、そこには見馴れたデザインの扁額も取り付けられていた。
そこで私は気付いた、小さな異変に。
ここまで2号隧道を除く各隧道で扁額を見たが、この1号隧道だけはなぜか「一号隧道」と、番号が漢字で書かれているのである(他はみなアラビア数字)。
「だから何だ?」
…そう言われると、困るんだぜ。扁額のデザインは4号や3号で見たものと全く同じなので、単に文字を入れる人間の気まぐれか或いはミスで、「1」ではなく「一」を入れたというだけだろう。
実はこの隧道については、 さらに重要な異変 があるのだが、私が気付いたのは、もう少しだけ後だった。
目の前にある1号隧道の大きな異変にも気付かないほど、私の意識は“旧道”発見へ注がれていた。
そしてその甲斐あって、今回もまた旧道が発見された。
4号や3号隧道の旧道で見たような片洞門が、1号隧道の“外”に続いていた。
もしかしたら本当に、2度あることは3度あるかも知れない!
隧道の坑門が旧道へのアクセスを邪魔していたが、自転車を残して身軽になれば、これを越えるのは難しい事では無かった。
たった数分前に体験した2度の強烈な成功体験がリフレインする。
おそるおそる、過去2回の成功地である岩場突端のカーブを回り込むと…
残念! 今回、隧道は無し。
さすがにそう何度も思い通りにはならないのである。
1日で2本も未知の明治廃隧道を発見したのだから、もう