高幡山明王院金剛寺

高幡山明王院金剛寺

[1] 高幡山明王院金剛寺

Webページ

[2] 高幡不動でハイキング, , http://www3.plala.or.jp/sanpo/takahatafudo.html

京王線高幡不動駅 南口の駅前ロータリーに出て来ました。右方向に目をやると、高幡不動尊参道と記された大きな門が見えています。

[3] 高幡不動尊, , http://www.kaiun.jp/takahata01.html

真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。その草創は古文書によれば、大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1,100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の削がん勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定め、山中に不動堂を建立し、不動明王を御安置したのに始まる。のち建武二年(1335)八月四日夜の台風によってやんちゅうの堂宇(どうう)が倒壊したので。時の住僧儀海上人が康永元年(1342)麓に移し建てたのが現在の不動堂で関東稀に見る古文化財である。続いて建てられた仁王門ともども重要文化財に指定されている。足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて鎌倉公方を始めとする戦国武将の尊崇をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめた。

当時門末三十六ヶ寺を従え、関東地方屈指の大寺院であったが安永八年の業火により大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊等を一挙に消失した。その後、歴代住持の営々たる努力により徐女医復興に向かったが殊に昭和五十年代以降五重塔・大日堂・鐘楼・宝輪閣・大回廊・奧殿等の工事が相継ぎ往時を凌ぐほどの寺観を呈するようになった。日本一と称えられた重要文化財の丈六不動三尊は現在(財)美術院(京都国立博物館内)で修復作業中で、平成一四年春にご帰山の予定である。

[4] 第九番動霊場 高幡山 明王院 金剛寺 高幡不動尊, , http://kanto36fudo.fudasyo.net/top/3/fudo-2-newpage1.html

お寺の縁起

真言宗智山派別格本山。

高幡山 明王院 金剛寺は、古来関東三大不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。

その草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100年前、平安時代初期に

慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まる。

のち建武2年(1335)8月4日夜の大風によって山中の堂宇が倒壊したので、時の住僧儀海上人が康永元年(1342)麓に移し建てたのが現在の不動堂で

関東稀に見る古文化財である。

続いて建てられた仁王門ともども重要文化財に指定されている。

足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊祟をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ、

火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめた。

当時門末三十六ケ寺を従え、関東地方屈指の大寺院であったが安永8年の業火により大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊等を一挙に焼失した。

その後、歴代住持の営々たる努力により徐々に復興に向ったが、殊に昭和50年代以降五重塔・大日堂・宝輪閣・奥殿・大師堂・聖天堂等の工事が相継ぎ

往時を凌ぐ程の寺観を呈するようになった。

総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられた重文丈六不動三尊は修復作業が完了し現在奥殿にご安置されている。

[5] 問屋場・高札跡 高幡山不動尊参道石柱, , http://www.c-hino.org/miru2/page/10oneday/oneday-10.html

問屋場・高札跡

日野宿本陣はす向かいにある白い建物は日野市立日野図書館です。ここに問屋場・高札跡の碑が立っています。このあたりが甲州街道日野宿の中心地でした。

ちなみに、この建物は日野郵便局本局として建てられたものです。

また、新選組ライブラリーが充実している中央図書館はJR中央線豊田駅から徒歩5分の場所にあります。

日野図書館の脇の道を入るとすぐに普門寺の観音堂が見えてきます。そのまま進むと小さな下り坂になっており、そこに日野用水下堰掘が流れています。下堰掘は宿内の家並みがある場所より一段低い所を流れていて、多摩川の堤防が長年の月日をかけて整備されるまでは氾濫原だった所だと思われます。

問屋場・高札跡からしばらくは甲州街道を歩きます 川崎街道交差点にある中島酒店、この店では街道沿いの家並みに特有の短冊状に仕切られた屋敷割を見ることができます。

店の横、駐車場入口を覗くと間口にくらべて奥行きの深い敷地になっているのが良くわかります。林家洋品店はデパートになくてもここにはある、といった品揃いで重宝がられているお店です。

街道に沿った民家の表札を見ていくと、落合、古谷、高木といった旧家が並んでいます。

高幡山不動尊参道石柱

川崎街道の入口に「高幡山不動尊参道」と書かれた石柱が立っています。左側面には地蔵堂、明治17年建立の文字が刻まれています。

この石柱はもともと甲州街道から大昌寺に向う、大門道の入口に立っていたものでしたが、昭和7年、現川崎街道ができたおり、ここに移されました。

履歴

[6] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448187038074

メモ