2014/10/28 13:07 【現在地】
さて、こんな目立つ大岩(←)に穿たれた 差切3号隧道 であるが、近付いて驚いた。
なんと、トンネル脇に家がある。
見上げれば大岩で、左手は差切峡の断崖が麻績川に落ち込んでいる。
こんな場所にただ一軒だけ、家があるのだ。
しかも、看板やら駐車場やらも見あたらないので、これは普通の民家?なのかな?
道から玄関に通じる通路のうらぶれた雰囲気や、窓の閉め切られたカーテンなどから見て取るに、どうやら無人のようではあるが、廃屋みたいに崩れている所はなく、見たところ綺麗である。
3号隧道のスペックは、昭和43年発行の「大鑑」曰く、全長40m、幅4.1m、高さ4.4m、竣工昭和28年で、一連の隧道群では最も長い。
また、昭和27年の旧版地形図(→)には、既にこの地点の隧道が描かれている。
したがって、ここにも旧道があって、その旧道上に隧道でも見つからない限り、3号隧道は、既に見てきた5号や4号隧道よりも古い起源を持っていると判断出来る。
逆に言えば、ここに旧道がもし見つけられたならば、未知の隧道が期待できるということだ。
それはとても魅力的なオプションだったが、東口には民家(?)があるので、直接確かめる事が出来ない。
旧道の有無は、3号隧道の西口で改めて点検することにした。
3号隧道の東口は、既に見た5号隧道の東口と非常によく似ている。
尋常ではないほどに激しくスキューしている点や、上部に落石防止フェンスを載せた出っ張りのある坑門のデザイン、扁額の位置など、まるで双子だ。
だが、スキューの度合いはこちらの方がさらに強くなっており、約4mの道幅に対する坑口左右の前後差は、3mくらいもある。
ここまで斜めになっている坑門は、私もはじめて見る気がする。
これが3号隧道の内部だが、これまでの2本の隧道と同様、素掘の岩盤にコンクリートを吹き付けただけの簡易な施工になっている。
また、断面の形が一般的なアーチ型でなく、四角形に近いことも特徴である。
隧道は一枚岩の堅い岩盤に穿たれているので、掘削は大変であったろうが、かなり安定していそうだ。
その一方で、洞内の一角にはなぜか小さなテラス状に凹んだ部分があり、そこにポツンと小さな石塔のようなものが立っていた。
良く見ると舟形をしており、地蔵のような気もするが、風化したのか、