皆さま、この写真の橋をご存知だろうか。
福島県西会津町の阿賀川に架かる 旧柴崎橋 だ。
本邦に現存する道路用廃トラス橋としては最大級の規模を有する。
ただ、最近のレポートでは無いので、ご存知の無い方も多いだろう。
そんな方はまず こちら 、そして歴史解明編の こちら をご覧頂きたい。
最初の探索は平成18(2006)年に行い、そこで強烈な“平均台渡橋”を成し遂げた。
そして平成20(2008)年にも訪れ、この時は渡らなかったが、多くの写真を撮影したほか(左の写真もその時の撮影)、「西会津町史」に本橋の架設に関する記事を見つけ、昭和13年竣工などの新事実が判明した。
だが、実はこの2回の探索でもまだやり遂げていないことがあった。
それは…
私はまだ、あの岸辺に立ってない!
写真は下流から撮影しているので、阿賀川の左岸である。
そしておそらくあそこには、本橋に残された 最大の謎 を解き明かすヒントがある。
誰もが本橋を見た時に感じるであろう疑問。
「あの左岸の桁の傾きは最初からなの?」
…というもの。
鬼気迫る廃トラスの威容から、つい「廃橋故の傾斜」と決めつけて仕舞いがちな傾斜部分であり、事実、前回のレポートではそう書いている。
だが、実際の所はよく分かっていないというのが真相だ。
あれはナチュラルボーンの傾斜桁なのか、橋脚の故障による傾斜なのか。
(もし生来の傾斜桁だとすれば、それはそれで「珍しい作り」として、新たな評価に繋がるだろう)
最初の探索では危険を冒してトラスを完渡し、あの傾斜桁の上に立ってさえいるのに、なお解明できていないこの“謎”。
そいつを解明する為には、傾斜桁やそれを支える橋脚を、もっと間近に観察する必要があった。
これは現在の地理院地図に見る旧柴崎橋の周辺である。
私がこれまで二度訪れながら、左岸の橋頭に立たなかった理由であるが、単純に辿るべき道が見えなかったことと、遠目に見ても左岸一帯は猛烈な草藪で、踏み込むことが躊躇われたことが挙げられる。
この地図の通り、橋の左岸橋頭は県道から100m以上離れていて、道が通じていない。
旧柴崎橋が現役だった当時の旧版地形図では、もちろん道は描かれているのだが、その道が今では判然としない。
旧道はどこへ行ってしまったのか。
だが、このままでは進展は無い。
そこで今回、意を決し