松川

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[1] 松川

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[2] 水路をゆく・第二運河 松川の舟通しと和船のことなど, , http://suiro.blog27.fc2.com/blog-entry-1640.html

(『 松川遊覧船ふたたび…5 』のつづき) ● 松川遊覧船の中村珠太専務にうかがったお話と、著書「 神通川の河川文化~川魚漁と川舟から~ 」を参考に、気になる松川舟通しをはじめ、松川で見たご当地の和船について、以下にまとめさせていただきました。 松川舟通し! いやもう、想像をはるかに超えた、驚異の舟航施設(?)といってもいい過ぎではありませんでした! 【 ▼ 「続きを読む」 をクリックしてご覧ください 】 ● 私の感想は後にして、まずは舟通しの件を箇条書きにまとめてみましょう。 イ)松川舟通しの構造について 1)前扉(松川側扉体)のみ、リモコンで舟上から開閉操作ができる。後扉(神通川側扉体)は機側操作のみ。 2)前扉は下げることで開く。下の写真の状態は半ば閉じた状態で、全閉するともう少し上がる。 ロ)松川舟通しの運用について 1)通常は前扉のみ下げて通航する。面倒なので下げずに乗り越すこともあり。同様の理由で後扉もほとんど操作しない。 2)本来は前扉をもっと上げて、松川の流量を確保しなければならないが、やはり面倒なのでそのまま。 ハ)高水敷の水路について 1)舟を押すなり、ロープで引くなりして出入りしている。水深や段差の点は、舟が軽量なので問題でない。 2)かつては現在のように曲流しておらず、もっと直線に近い流路で、神通川の上流に向けて伸びていた。 ● いやもう、何が驚いたって、一番びっくりしたのはイ-2! このゲート、下げて開くんだ! ● こういった造りの扉体を、何と呼んだらよいのでしょう? 水面下に沈むことで開く扉体といえば、大阪で見た閘門のサブマージブル・ラジアルゲート(『 東横堀川閘門…1 』参照)が思い出されましたが、この伝でいくと、「 サブマージブル・スライドゲート 」とでも呼ぶべきなのでしょうか。 いや、起伏ゲートやライジングセクターゲートなど、「沈んで開放する」構造の水門はいくつもあるものの、ローラーゲート・スライドゲートのように、一枚板が上下するタイプで実見したのは初めてだったので、驚かされたのです。 ● そうなると、「 富山の極小閘門! 松川舟通し水門…4 」で、「呑口の洗掘を防ぐためか、鋼矢板の基礎護岸が追加されて」と書いたのは、大いなるカン違いだったことになります。下がった扉体が収まるだけの、いわば戸袋の深さを確保するためのものと、見てよい

[19] いたち川散策 その1 - 茅ちゃん日記, , http://tigayacyan.hatenablog.com/entry/2015/04/15/214643

では、富山の町の始まりとなったいたち川を散策してみましょう。

いたち川の散策は何と言っても桜が咲く春が最高ですよね。

ところで、いたち川の歴史を少し紐解いてみましょう。

富山市 内にいたち川と松川が流れていますが、松川はかつての 神通川 です。今の 神通川 は、明治の頃に旧河川道を利用して真っ直ぐに 富山湾 に流れるように付け替えました。それ以前は今の松川が 神通川 でした。

しかし、中世には、 神通川 は呉羽山の下を流れていたのです。「 富山市 史」(旧版)によれば、 天正 8年に 神通川 は大洪水となって、富山城の北を流れるようになったとあります。

江戸時代、岩瀬からたくさんの海の産物が 神通川 を利用して富山に荷揚げされました。また、飛騨からは、たくさんの材木が 神通川 を利用して木町にもたらされました。木町の浜は大いに賑わったと言います。かつて八人町には魚市場がありました。その名残から今も蒲鉾や鱒寿司、そして昆布屋さんの店があります。これらの写真は、サイトをご覧下さい。

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木町の浜の本町観音堂から歩いてみましょう。

ここに万霊塔が建っています。この塔は江戸時代、 神通川 で水死した人の霊を供養すつために立てられました。

ここは木町の浜という別称があります。木町は本町と町名変更になりましたが、今木町という町名が今も残っています。

少し歩くと、松川といたち川の合流点に出ます。

江戸時代、 神通川 には舟橋が架けられていました。しかし伝承によると、舟橋をかけたのは 佐々成政 で、その舟橋は、今の小島町あたりにあったとされ、その由来を示す看板がここにあります。

ここからいたち川に沿ってを歩いてみましょう。

少し歩くと花見橋に出ます。小島の橋とも呼ばれたこの対岸に大きなスーパーマーケット大坂屋がありますが、かつては八清楼という料亭でした。芸者衆もいて華やいだ所でした。その北側に 赤十字 病院がありましたが、今はマンションに変貌しています。

かつては華やかな町だったのですね。

このあたりは、戦災復興で道路が付け替えられてかなり代わって変わっていますが、ソバ屋さんの「つるや」は60年前から営業しているそうです。

この橋から眺める桜は実に綺麗ですね

[20] 河津桜 富山市にもあった、 いたち川左岸の堤|ウォーカープラス地域トピックス 富山市, , http://area.walkerplus.com/walker47/article/detail/ar0516201/le2168/20150320/2_201503200801191877/

富山県富山市の地域トピックス

河津桜 富山市にもあった、 いたち川左岸の堤

富山県富山市地域編集長 富山の宝石 2015年3月20日 8時20分

(2015年3月20日撮影) 河津桜。静岡県河津町のそれが有名だか、近年全国各地に増殖中という。 富山県の桜といえば、『ソメイヨシノ』が一般的だが、あちこちで記念樹として、植えられているようだ。 (2015年3月20日撮影) ここ、いたち川左岸の堤の『ソメイヨシノ』の桜並木道の中、「小島橋」のたもとに1本だけ『河津桜』が植えられ、花を咲かせている。 若木で、樹高は2.5メートルほどであろうか。見慣れているソメイヨシノと比較して、鮮やかなピンク色である。 桜並木ではないので、祭りをするほどではないが、植樹された方の思いがあるのだろう。 今朝の新聞を読んできたのだが・・・。 惜しむらくは、もう少し早く盛りの時期に来て、鑑賞したかったところ。 来年に期待したい。 そのためにも、開花時期など、事前に鑑賞のための情報をしっかりとつかんでおきたい。 いたち川、松川、磯部の堤は、富山市中心部の桜の名所であるが、今年の開花予想は4月5日頃。見頃は、4月中旬と報じられている。 4/3(金)〜4/5(日)には、全日本チンドンコンクールが開催される。国内で唯一のコンクールで、全国からチンドンマンが集まり、技を競い合う。 桜の花とお祭り。富山の春は、街も自然も満開だ。 待ち遠しくてならない。 路面電車が通る「桜橋」から松川を臨む眺めが忘れられない。

[21] JOBBB 168 沖縄ボラボラ�A 那覇市 写真と記事のページ, , http://jobbb.sakura.ne.jp/radio/168Okinawa-bora-bora2/Okinawa-bora-bora2-picturecaption01.html

沖縄ボラボラ�A 那覇市

写真と記事のページ

写真・記事・構成…馬場哲平/撮影機材…CANON 40D/取材協力:瀬口つぐみさん

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2011年3月25日(金)沖縄ボラボラ1日目の後半

只今那覇市内の大衆食堂にお邪魔しています!

出てきたのはAランチ。定員さんから受け取ったズシリと重い皿は確かなボリュームを約束してくれます。大阪でセコイ量の定食を見慣れているだけに非常に嬉しい気持ちになりますね。

しかし人一倍の食欲を誇る哲平でも完食するのには相当きつかったです。

ただ揚げたてのサクサク天ぷらや衣に甘辛い味がしっかりとついた豚カツなど、どれも空き腹にガツンとくる味で満足させていただきました!

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沖縄の大衆食堂の大きな特徴としてメニューの豊富さがあります。この「あやぐ食堂※綾語あやぐ とは沖縄の宮古諸島に伝わる古謡の総称だそうです。広辞苑より」では「おかずメニュー」「お魚メニュー」「ちゃんぷるメニュー」「そばメニュー」「丼・ごはんもの」「汁もの」など紹介するだけでもお腹一杯になるメニュー数を誇ります。しかも各メニュー内には10種〜30種もの定食が潜んでいます。

例えば「おかずメニュー」には茄子の味噌煮、すき焼き、てびち煮付、A・B・Cランチ、コロッケ定食、チキンカツ定食………と言った具合です。

1日1食だとしてもこの店の定食メニューを制覇するのには100日位かかりそうです。

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ユネスコ世界文化遺産にも指定された首里城目指して那覇市内をボラボラしましょう!食堂から15分程歩いたところに巨大なコンクリート建屋が一際目立つ、那覇市立首里中学校が現れました。

正門前から校舎の中に続くプランターには赤や白などの綺麗で鮮やかな花々が植わっており、その横を運動クラブの生徒たちが元気に走り抜けていきます。

それにしても沖縄で見るコンクリートのビルの多くは、なぜこのように薄汚れてカビっぽく変色しているんでしょうか?まぁ嫌いではありませんが…

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正門横の石碑によれば、首里中学の運動場には琉球王国時代(1372〜1879年)の最高女神官であった聞得大君(きこえおおきみ)の神殿と住居がありました。女神官は当時首里城にいた国王の長寿や、琉球王国の繁栄、五穀豊穣、航海安全などをこの場所で祈願したそうです。明治時代の廃藩置県で

[22] いたち川 (富山市) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A1%E5%B7%9D_(%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82)

いたち川 は、 富山県 富山市 を流れる延長約12kmの河川。 常願寺川 と 神通川 という富山の2大河川を結ぶ川である。 平成の名水百選 に選定。

概要 [ 編集 ]

常願寺川から取水する「常西合口用水」から富山県富山市西番付近で分流し北西に流れる。しばらくは田園地帯の中を流れるが、周囲の風景は次第に住宅地へと変化し、富山市の中心部へと流れていく。富山市北部にある工業地帯の脇を流れ、富山市興人町で神通川に 合流 する。

かつては富山市中心部で神通川と合流していたが、 明治時代 に神通川の付け替えがあり、神通川は市街地の西側を流れる流路に変わった。川幅を狭めて残った神通川の旧流路は、それまでのいたち川との合流点を境に下流をいたち川に編入し、上流は、 松川 となった。

文化作品 [ 編集 ]

宮本輝 の小説 螢川 の舞台となっている。1987年に映画化。

[23] いたち川 (富山市) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A1%E5%B7%9D_%28%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%29

いたち川 は、 富山県 富山市 を流れる延長約12kmの河川。 常願寺川 と 神通川 という富山の2大河川を結ぶ川である。 平成の名水百選 に選定。

概要 [ 編集 ]

常願寺川から取水する「常西合口用水」から富山県富山市西番付近で分流し北西に流れる。しばらくは田園地帯の中を流れるが、周囲の風景は次第に住宅地へと変化し、富山市の中心部へと流れていく。富山市北部にある工業地帯の脇を流れ、富山市興人町で神通川に 合流 する。

かつては富山市中心部で神通川と合流していたが、 明治時代 に神通川の付け替えがあり、神通川は市街地の西側を流れる流路に変わった。川幅を狭めて残った神通川の旧流路は、それまでのいたち川との合流点を境に下流をいたち川に編入し、上流は、 松川 となった。

文化作品 [ 編集 ]

宮本輝 の小説 螢川 の舞台となっている。1987年に映画化。

[24] 磯部堤 | 富山フィルムコミッション, , http://www.toyama-fc.jp/loca-navi/08-026/

ロケ地名

ID:08-026 磯部堤

エリア

富山市中部

キーワード

桜 遊歩道 水門 神通川

対象物の時代

昭和戦後

所在地

富山県富山市磯部町~布瀬町 緯度:36.689659 経度:137.200853

撮影日

H23年4月13日

撮影時間

コメント

富山大橋から布瀬町にかけて1キロ以上にわたって続く、神通川右岸の松川沿いの遊歩道、通称磯部堤。1000本以上の桜の木が植えられていて、春には満開の桜並木が続く。映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(2011年)では、桜満開の遊歩道のシーンが使われた。

こんなシーンにおすすめ

桜 花見 川沿いの遊歩道

マップ

履歴

[26] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404084721687

メモ