牛島閘門

牛島閘門

[1] 牛島閘門

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[2] 水路をゆく・第二運河 牛島閘門ふたたび…1, , http://suiro.blog27.fc2.com/blog-entry-1616.html

(『 富岩運河で遊ぶ…11 』のつづき) ● 「ふがん」から降りると、ちょうどお昼どき。先のスタバと同様、前回訪ねたときにはなかったレストラン、「ラ・シャンス」で環水公園を眺めながらの昼食も乙なものだろうと入ってみると、大入り満員で空席待ちができる盛況です。 「ラ・シャンス」は、牛島閘門のすぐ隣にあるという、閘門好きにとってはおあつらえ向きの立地でもあります。席が空くのを待つ間、牛島閘門との再会を楽しむことにしました。 ● まずは船溜側から、後扉室を眺めて。両岸に階段が設けられているのが、閘程(水位差)を視覚で感じることができるのと、上部構造がなく埋もれがちなマイタゲートに適度なディテールを与えて、魅力的な角度になっていますね。ちなみに説明版によれば、閘程は0.65mとのこと。 ● 後扉室のゲート周りを上流側から。閘室内の水は抜かれて、船溜と同じになっていました。おかげで扉体のディテールがよく観察できます。水に接する部分を減らし、扉体の腐朽を防ぐという意味も、あるのかもしれません。 当然ではありますが、前回訪ねたときより、少々くたびれた感じはしたものの、まめに手入れはされているように見受けられました。何分木製扉体とて、維持管理のご苦労は並大抵ではないでしょう。 ● 前扉室のゲートを閘室側から。太いフレームを貫通する、ボルトやその当て金に目を引かれます。対角線上に渡されたターンバックル付きの筋交は、扉体の垂れ下がりによる変形を防ぐためのものでしょう。いずれも木製扉体独特の構造で、興味深いものです。 左右の扉体の水線近くに見える、注水用のスライドゲート(スルースバルブ)は半開きのようですね。しかし上流側の水位が低いので、水の流入はほとんどないようです。嬉しかったのは、水面を透かして階壁(閾に当たる段差)が見えたこと。閘室の水中には、小魚がたくさん泳いでいるのも見られました。 ● 前回同様の角度から一枚。こじんまりとまとまった、小型マイタゲート閘門の魅力が凝縮された角度、佳き哉、よきかな。 前後ともに俯瞰できる場所があり、また近寄って眺めまわすこともできるのが、牛島閘門の良いところ。過去ログ「 牛島閘門…1 」と、くらべてみてください。 【 撮影地点のMapion地図 】 (27年6月20日撮影) (『 牛島閘門ふたたび…2 』につづく) にほんブログ村

[18] 水路をゆく 過去ログ 牛島閘門…1, , http://naisuiro.blog46.fc2.com/blog-entry-498.html

(『富岩運河環水公園』のつづき) 富岩運河には、いまひとつの閘門があります。船溜り南西部と、鼬(いたち)川の間を結ぶ牛島閘門がそれで、中島閘門同様、国登録有形文化財に指定されています。市内に、しかも一つの水路上に、二つも閘門があるなんて、富山はなんとステキなところでしょう! 写真は、天門橋の展望塔から見た、牛島閘門のある堀割りです。 【 撮影地点のMapion地図 】 運河側から、牛島閘門を見たところです。 ご覧のとおり、閘門としてはかなり小型で、しかも国内には数少ない、木製の扉体とくれば、実見したときの興奮もいや増そうというものです。 これを自艇で通過できたら、さぞ楽しいでしょうね! 【 撮影地点のMapion地図 】 階段を登ると、閘室と上流側の扉体が見えます。道路の下をくぐる暗渠の向こうには、さらにローラーゲートの水門があって、鼬川の増水時に備えられています。 扉体はもちろん復元で、運転のための設備も含め、平成13年に完成したものですが、閘室の護岸はほぼ竣工当時のままで、風化した質感が星霜を感じさせます。 運河側扉体のアップ。最近復元されたものとは言え、木製で、しかも水に浸かり放しのマイタゲートですから、維持にはさぞ気を遣うことでしょう。 閘門横の説明板を見ると、現役時の写真が載せられており、手すりの形状などは、当時とほぼ同じに復元されてはいたものの、可動部も手動のまま、というわけにはいかなかったようで、動力化された分、原型より幾分いかめしい雰囲気になっています。 閘門の全景を、暗渠の上から。閘室長12.2m、閘室幅4.5m、閘室深さ3.2mで、運河と鼬川との水位差は、約0.6mあったそうです。私の艇(長さ6.4m)が一隻入ったら、ほぼ余裕がなくなってしまいそうな、かわいらしい閘門ですね。 手前の扉体には、閘室に注水するための、小さなスルースバルブがひとつづつ見えますね。国内のほとんどの閘門は、護岸の中に設けられたバイパス管によって、注排水を行いますが、こちらは単純明快、扉そのものに開けられた、小さな穴を通して注排水する形式なのです。 【 撮影地点のMapion地図 】 (19年8月8日撮影) (『牛島閘門…2』につづく)

[19] 富岩運河 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A9%E9%81%8B%E6%B2%B3

富岩運河 (ふがんうんが)は、 神通川 下流の東岸に沿って位置し、 富山湾 の岩瀬港(富山市岩瀬)から 富山市 湊入船町までをつなぐ 運河 である。 富山県道30号富山港線 や 富山ライトレール富山港線 とほぼ平行に流れている。

地理 [ 編集 ]

富山市中心部、富山駅北側の湊入船町にある 富岩運河環水公園 から流れ始め、 中島閘門 までは 工場 や 住宅地 の間を流れる。中島閘門を過ぎると住宅地や工場や 木材 などの資材置き場、 日本海ガス のガス貯蔵庫などがあり、途中で住友運河と合流する。萩浦小橋を過ぎると右岸には工場、左岸は神通川の堤防が続く。富山港付近になると 港湾 関係の施設が続き、富山港に流れ出る。

歴史 [ 編集 ]

江戸時代 、現在の富山港には他の地方からの船舶が多く停泊していて岩瀬地区では古くから商業が盛んであった。しかし、岩瀬地区から 富山城 のある富山市中心部までは遠くて不便であった。さらに 明治時代 に入ると資材の運搬が盛んになり、岩瀬地区と富山市中心部を結ぶ 水運 が不可欠となった。

1928年 、当時 内務省 の技師であった赤司貫一( 1890年 - 1954年 )が立案した計画をもとに富山の都市計画事業が決定する。赤司が立案した計画は、当時はばらばらに整備するのが一般的だった運河、区画整理、街路や公園の整備を同時に行う画期的な計画だった。この計画に当時の内務省幹部は「日本初の試みだ。」と賞賛した。

1930年 に工事は着工した。この工事ではエキスカベーカという掘削機が使用されていた。そして、 1934年 に、整備は完成した。この工事で削り取られた130万m³の土砂は富山市市街地で曲がっていた神通川の馳越(はせこし)工事による廃川地の埋め立て工事と富山港修築工事に利用された [1] 。

戦前は木材や貨物などを運ぶために敷設された 富岩鉄道 (現在の 富山ライトレール )や安い電力、広い工業用地などで流域には多くの工場が建設された。これによって富山の工業は発達した。

しかし戦後は、電力料金の高騰や上流の水質悪化、住宅地建設、などで立地環境が低下した。そのため流域の工業は衰退した。また、木材置き場になりつつあって本来の役割を果たしていなかった。県は 1979年 に運河を埋め立てて富山市中心部と 国道8号 をつなぐ幅25mの道路を建設する計画を

履歴

[21] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404084717352

メモ