富岩運河

富岩運河

[1] 富岩運河

Webページ

[2] 富岩運河 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A9%E9%81%8B%E6%B2%B3

富岩運河(ふがんうんが)は、神通川下流の東岸に沿って位置し、富山湾の岩瀬港(富山市岩瀬)から富山市湊入船町までをつなぐ運河である。富山県道30号富山港線や富山ライトレール富山港線とほぼ平行に流れている。

[3] 中島閘門 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E9%96%98%E9%96%80

中島閘門 (なかじまこうもん)は、 富山県 富山市 の 富山駅 北側付近から 富山湾 の 河口 まで南北に続く、 富岩(ふがん)運河 中流域にある現在も運用されている パナマ運河 方式の 閘門 で、国の 重要文化財 に指定されている。

概要 [ 編集 ]

総延長約5.1Kmの富岩運河河口側より約3.1Km上流にあるパナマ運河方式の複扉室閘門(ふくひしつこうもん)で、 運河 掘削と同時に建設され、 1934年 ( 昭和 9年)8月に竣工。上流側標高が約2.7m、下流側標高約0.2mの水位差約2.5mを調整する為の閘門で200t級までの船舶が往来できる。閘門は、左岸側に閘室・扉室、右岸側に水位調整用水門・放水路、それらに挟まれた中洲敷地に閘門操作所があり、閘門下流側にある中島橋で両岸を結ぶ構造となっている。建設後は運河上流部沿岸の工場などへ原材料や資材・製品の運搬をする船を通すことで富山の工業発展に寄与した。

しかし輸送手段が陸上運輸に取って変わり、近燐に住宅地が増え環境への配慮が必要になったり、水質の悪化などにより周辺の工場の縮小や撤退が進み、運河交通自体が衰退したため、運河も荒れた状態となり、県が 1979年 (昭和54年)富岩運河を埋め立て道路を建設する計画が持ち上がったが、 1984年 (昭和59年)に方向を転換しこの水辺を生かした街づくりを目指し整備することになった。

その後昭和60年代に入り新たな計画のもと運河の最上流部の 船溜まり は 富岩運河環水公園 として、上流から中流域の閘門までの沿岸は遊歩道などの整備が行なわれ、老朽化した中島閘門も 1997年 ( 平成 9年)より扉体等の原形復元修理を行い、 1998年 (平成10年)に復元修理工事が完了し、昭和初期に作られた土木建造物としては全国で初めて同年5月1日、閘門、閘門操作所、放水路、中島橋、量水計が 富岩運河水閘施設 として国の重要文化財に指定された。

施設並びに構造 [ 編集 ]

閘門 [ 編集 ]

閘室・扉室 [ 編集 ]

閘室・扉室は長さ60.6m、幅9m、高さ6.27m。基礎には直径21cm、長さ5.3mの1700本の松の丸太を使用し、石組みと鉄筋コンクリートを併用し造られ、底面には竿で舟を進められるように千鳥配置に割り石を置き引っ掛るようにしてある。

閘門扉 [ 編集 ]

扉体(ひたい)のゲ

[4] 水路をゆく・第二運河 富岩運河で遊ぶ…9, , http://suiro.blog27.fc2.com/blog-entry-1609.html

(『 富岩運河で遊ぶ…8 』のつづき) ● 中洲ができた原因は、正横を通過したときに一目でわかりました。小河川が運河の東岸に河口を構え、ほぼ直角に流入していたのです。ガイドさんによれば、「がめ川」とのこと。変わった名前ですが、漢字ではどう書くのか、帰宅後に検索してもわかりませんでした。 カワウ君と鴨さんが、船がすぐそばを通過しても、驚くそぶりも見せずおくつろぎの様子。ここから眺めたかぎりでは、少なくとも表面は砂礫っぽく、泥っ気はありませんでした。がめ川も流速が意外と速いのでしょう。 艀船運河としての処理を徹底するなら、流入河川は伏越(アンダーパス)で立体交差させ、神通川に落とすのが理想的ですが、それができない理由があったのでしょう。あるいはここも、運河竣工時は可航河川として利用されていたのかもしれません。 ● 中洲が水面上に顔を出している面積はわずかでも、浅瀬は大きく流路中央を侵食しているようで、「ふがん」は右側の岸に寄せること寄せること、そのギリギリっぷりは相当なもの。ちなみに、赤い桁橋は国道8号線富山高岡バイパスを渡す、富岩運河橋とそのものズバリの名前。神通川の中島大橋につながっているとのこと。 操舵席後ろから前方を見ても、右舷から顔を出して後方を振り返って(下写真)も、接岸せんばかりに寄せていることが、わかるかと思います。 ● ゴロタ石のある水際が間近に迫り、引き波は浅い岸辺の泥を巻き上げるほど。 水面下に杭か、沈置物でもあるのか、小さなブイが揺れているのも不気味でした。船長のご苦労も大変なものと思います。 ● 水深はその後、たたみかけるように浅くなり、ついには0.61mまで! 想像の斜め上をゆく豪快(?)な河床の上がりぶりに、言葉がありません。 たびたび引用している矢野剛「運河論」(昭和10年4月発行)によれば、「朔望平均干潮面以下水深‥‥水閘の下流に於いては五尺八寸」つまり、中島閘門から下の感潮水域でも、平均干潮面から約1.76mの水深を確保する設計だったとのこと。先ほど下流で見た水深と、ほぼ一致することがわかり、また、がめ川の及ぼす影響が、いかに大きいかも理解できます。 これでは現役だった時代も、定期的な浚渫が欠かせないなど、ネックになっていたのではないでしょうか? どのくらい放置するとここまで堆積が進むのか、ちょっと興味を惹かれるものがありますね。 ●

[20] 富岩運河のダイオキシン類対策を考える |ひづめ弘子 ― 日本共産党富山県議会議員, , http://hiroko.jcpweb.net/news/2014-04/434.html

4月12日に富山大学で開催された、日本科学者会議北陸シンポジウムで、「富岩運河のダイオキシン類汚染と富山県の対応」についての報告をさせていただきました。

2001年に発覚した、富岩運河などのダイオキシン類汚染。当時の発表は1,400pg-TEG/g(以下はTEG/gを省略。底質の環境基準は150pg)で、当時は底質の汚染としては日本最大と言われ、県民に大きなショックを与えました。

ところが、2003、04年の調査で、最大汚染濃度は12,000pg、汚染土量は29万㎥と判明したのです。最大値では環境基準の約80倍にもなります。県の資料によると2014年段階では、底質のダイオキシン類汚染濃度としては、全国で6番目、汚染土量としては全国4番目ということになっています。

富岩運河は1934年に完成し、富山市北部工業地帯の発展とともに物資の輸送路として、重要な役割を果たしてきました。その後、水質が悪化するなどし埋立て案も出されていましたが、富山県は1984年に一転して方針転換。「ポートルネッサンス21」構想で、水辺空間として残し、将来にわたって活用する計画がたてられ、今日に至っています。現在では、富岩運河環水公園に集中的投資が行われ、利活用は県の重点施策となっています。運河には2台の観光船が運航され、環水公園には新しい県立近代美術館が76億円かけて移転・新築されることになっています。

汚染発覚後、県はただちに対策検討委員会を設置し、11年間12回にわたって会議が開かれ、対策が進められてきました。ダイオキシン類に汚染された土壌をどう処理するか、汚染原因はどこにあって、その寄与割合はどう算出するのか、対策事業費の負担はどうするのか、などが検討されて、昨年11月に一定の結論が出たというのが、現時点の状況です。今年度から5年間をかけて、運河の中ほどにある中島閘門上流の対策工事が行われることになっています。

しかし、県の判断には、様々な問題が含まれています。私は、この11年間県議会で、住民の立場から県を激励しながら、様々な提案を行ってきました。富山県は、イタイイタイ病の原因となったカドミウムによる環境汚染とたたかい、汚染原因企業と「緊張感のある信頼関係」を築き、汚染土壌復元も成し遂げてきました。その経験、教訓と誇りにかけて、この対策をやりとげなければなりません。

その点で、県の判断には

[21] 人工河川: 俗・暇人とその周辺, , http://s707721169.seesaa.net/article/261952911.html

俗・暇人とその周辺

日々の所感と愚痴を綴る非生産的で 自己完結的性格の強いブログ。 とにかく文章が長いです。 自分で言うのも何ですが、根気要ります。 一部の記事は非常にリアルタイムに更新しているので 現実のものと差があることをご注意してください (特に06年7月の記事) 原則1話完結ですが、1話だけで 物事を把握するのはくれぐれも慎重にして読んで下さい。

4月に入ってもこの話が続くなんて。本当は3月27日までで完結させるつもりだった。 さてはともあれ2012年3月14日に遡る。 富岩運河を環水公園から辿ってきた行程も富岩大橋の先で 道は途絶えていたところで迂回路を選択する事に至ったのが前回までのあらすじ。 こちら国道8号を歩いて除雪ステーションのもとへ出たあと県道30号に向かい、 そのまま河口方面へと進むと先ほどの行き止まりの手前に流れていた河川がめ川と遭遇。 これを渡っていくとどこかで見覚えのあるマンションが右手に見えてくる。 このマンションの陰にある城川原駅(電停)に到着。ここから富山ライトレールを利用する。 さりげなく見ているだけだった城川原駅(電停)のアドボード。これを提供されているのは住吉工業。 ちょうど運河の「行き止まり」を隔てているところに立地している工場がこちらにあたる。 個々の駅のアドボードは個々の地域にスポットライトを当てたもので これに縁のある企業が出資されているものが多々。 ようやくこれでその位置関係というものがわかる。まあ知ったところで何になる、というレベル。 「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という人は 個々の地域の生活の根底にある産業構造などに着眼されて それを成り立たせることを配慮されるモノの見方をされていたり、 意識をされているのではないかと。 次の犬島新町で2つの橋を訪ね、工場と住友運河に行く手を塞がれ、 再度富山ライトレールを利用してまた一駅。蓮町へ。 団地などが近隣にあるこの電停。 目の前のおでん屋さんにJR時代の駅名表示板が立てかけられてる。 沿線スポットとして取り上げられることで名前は知っていた馬場記念公園は 道路を挟んで向かいに位置していた。旧制の富山高校があった場所だとか。 この界隈も工場が多い。そんな中でようやく千原崎橋から再び運河沿いに歩いていく。 次に架かる橋は萩浦小橋だ。 隣接して萩浦橋が神通川に架

[22] 『2013年GW後半旅(その2)は、新潟帰りに富山の街中で自然に癒される☆』 [富山市]のブログ・旅行記 by きーぽーさん, , http://4travel.jp/travelogue/10774132

2013年GW後半旅(その2)は、新潟帰りに富山の街中で自然に癒される☆

旅行時期 2013 / 05 / 05 - 2013 / 05 / 06 �( 2013/05/28投稿 )

GW後半は、新潟に帰省。 2日目は、義母プロデュースの、SLばんえつ物語号にて3時間の会津若松への旅に行き、八重の桜の舞台に足を踏み入れて来ました♪帰りは一路ナゴヤへ・・・だとなんだか疲れるので、帰り道に一泊、ということで、今回は3日目から富山へ。もともと、砺波チューリップ祭りがお目当てでしたが、、さて、どうなったでしょうか。 スケジュールと街に大満足!おいしい海の幸、水と緑と乗り物(笑)もある富山は魅力的。また再訪したいです! なんと、出発時のドタバタによりデジカメを忘れる大失態!携帯とスマホ(夫)で、伝わるかわかりませんが、旅行記作成してみました。 1日目 新潟到着。県立植物園にて友人と再会 2日目 SLばんえつ物語号にて会津若松へ 3日目 新潟出発。富山到着後、富岩運河環水公園のスターバックスで一息&散策。 かんぽの宿富山泊 4日目 富山市内観光(水上バス、最新型路面電車、白エビ丼)後、帰宅

[23] 水路をゆく 過去ログ 牛島閘門…1, , http://naisuiro.blog46.fc2.com/blog-entry-498.html

(『富岩運河環水公園』のつづき) 富岩運河には、いまひとつの閘門があります。船溜り南西部と、鼬(いたち)川の間を結ぶ牛島閘門がそれで、中島閘門同様、国登録有形文化財に指定されています。市内に、しかも一つの水路上に、二つも閘門があるなんて、富山はなんとステキなところでしょう! 写真は、天門橋の展望塔から見た、牛島閘門のある堀割りです。 【 撮影地点のMapion地図 】 運河側から、牛島閘門を見たところです。 ご覧のとおり、閘門としてはかなり小型で、しかも国内には数少ない、木製の扉体とくれば、実見したときの興奮もいや増そうというものです。 これを自艇で通過できたら、さぞ楽しいでしょうね! 【 撮影地点のMapion地図 】 階段を登ると、閘室と上流側の扉体が見えます。道路の下をくぐる暗渠の向こうには、さらにローラーゲートの水門があって、鼬川の増水時に備えられています。 扉体はもちろん復元で、運転のための設備も含め、平成13年に完成したものですが、閘室の護岸はほぼ竣工当時のままで、風化した質感が星霜を感じさせます。 運河側扉体のアップ。最近復元されたものとは言え、木製で、しかも水に浸かり放しのマイタゲートですから、維持にはさぞ気を遣うことでしょう。 閘門横の説明板を見ると、現役時の写真が載せられており、手すりの形状などは、当時とほぼ同じに復元されてはいたものの、可動部も手動のまま、というわけにはいかなかったようで、動力化された分、原型より幾分いかめしい雰囲気になっています。 閘門の全景を、暗渠の上から。閘室長12.2m、閘室幅4.5m、閘室深さ3.2mで、運河と鼬川との水位差は、約0.6mあったそうです。私の艇(長さ6.4m)が一隻入ったら、ほぼ余裕がなくなってしまいそうな、かわいらしい閘門ですね。 手前の扉体には、閘室に注水するための、小さなスルースバルブがひとつづつ見えますね。国内のほとんどの閘門は、護岸の中に設けられたバイパス管によって、注排水を行いますが、こちらは単純明快、扉そのものに開けられた、小さな穴を通して注排水する形式なのです。 【 撮影地点のMapion地図 】 (19年8月8日撮影) (『牛島閘門…2』につづく)

履歴

[28] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404084714614

メモ