瀬戸大橋

瀬戸大橋

[1] 瀬戸大橋

Webページ

[2] 鷲羽山探検隊, , http://www.geocities.jp/yukiguniltdexpress/wasyuuzann.htm

鷲羽山。

鷲が羽を広げているように見えることからこの地は

江戸時代中期頃からこう呼ばれるようになった。

かつてよりここは美しい多島美を誇る

瀬戸内海屈指の展望地であり

日の出もまた美しいと有名であった。

かって文豪徳富蘇峰をして

「内海の秀麗ここに集まる」と絶賛させたほどだ。

昭和63年、この展望地に転機が訪れる…。

その転機とは…

↓これができた

元祖瀬戸大橋

(2004年10月24日与島より撮影。正確には下津井瀬戸大橋)

風景に人の作り出した美しさが加わったのだ!!

しかもその調和が見事!!

1+1=2になるどころか、3にも4にもなった。

その絶景をとくとご覧あれ↓

(2003年5月22日、鷲羽山より撮影)

…って曇ってますから!

残念!!

鷲羽山、この名前をはじめて知る人が必ず最初にぶち当たる壁、それは

読み方が分からない!! ってことだろう。

「わしゅうざん」と読みます。

俺が鷲羽山探検を決行したのは2003年5月22日。新幹線で岡山へ出て特急に乗り換え児島へ。そこから瀬戸大橋記念館に徒歩で立ち寄り、また児島駅へ戻る。そこから下電バスで鷲羽山までたどり着いた。右のMAPで言うと市営駐車場ってとこで降りた。駐車場から写真�@の階段を登る。そして道に突き当たりMAPの「現在地」というところに出る。そこからの眺めが写真�A。展望台の横には鷲羽山レストハウスがある。

[3] 鷲羽山トンネル - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2%E7%BE%BD%E5%B1%B1%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

路線 [ 編集 ]

瀬戸大橋 に接続し、上部2本は道路用で 瀬戸中央自動車道 、下部2本は鉄道用で 四国旅客鉄道 (JR四国) 本四備讃線 ( 瀬戸大橋線 )が使用する。左右2本のトンネルが上下2段になっている 世界初 の四つ目状のトンネルとして、 1988年 4月10日 に開通した。

上部2本のトンネルは片側2車線、下部2本については 四国新幹線 建設計画があることから 在来線 用と 新幹線 用それぞれの 複線 トンネルとなっているが、新幹線建設の見通しが立たない現状はそれぞれのトンネルを在来線の上下線にわけて使用している(後述)。

計画段階では、該当区間は山を切り開く オープンカット工法 での施工が予定されていたが、景観上の配慮からトンネル方式に切り替えられた。

鉄道部(下層)は、 神道山トンネル と一体となっている。このトンネル内では、本四備讃線の上り線が本来は新幹線用トンネルの下り線となるべき部分を、下り線が本来在来線用トンネルの上り線となる部分を使用する。神道山トンネルとの接続部分で下り線が新幹線側に移動し、神道山トンネルは新幹線用を複線で通過する形になる。さらに、トンネル内の 児島 よりの バラスト軌道 部分で在来線側へスライドし、児島駅方向へ抜ける構造となっている。スライド部分がバラスト敷なのは、すべてを スラブ軌道 にすると新幹線敷設工事時に 軌道 の移設が困難になるからである。

概要 [ 編集 ]

道路部分:205 m

鉄道部分:230m

隣接する橋梁・トンネル [ 編集 ]

神道山トンネル (鉄道部のみ) - 鷲羽山トンネル - 下津井瀬戸大橋

周辺情報 [ 編集 ]

瀬戸内海国立公園

鷲羽山ハイランド

岡山県道393号鷲羽山公園線(鷲羽山スカイライン)

関連項目 [ 編集 ]

瀬戸大橋

瀬戸中央自動車道

本州四国連絡道路

本四備讃線

外部リンク [ 編集 ]

本州四国連絡高速道路株式会社

四国旅客鉄道株式会社

座標 : 北緯34度26分18秒 東経133度48分28.2秒  /  北緯34.43833度 東経133.807833度

[4] 本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線, , http://ktymtskz.my.coocan.jp/project/honsi.htm

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1 関門トンネル 2 青函トンネル 3 丹那トンネル 4 生駒トンネル 5 本四架橋 6瀬戸大橋線 HOME

本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線

本四備讃線について 本四公団鉄道課長 羽場良和 JREA 1982/8より

本州と四国を結ぶ道路橋は徳島県の大鳴門橋、香川県の瀬戸大橋、愛媛県の瀬戸内しまなみ海道の3つがあるが、そのうち瀬戸大橋のみ鉄道橋が併設されている。昭和最後の63年4月10日瀬戸大橋線が開通した。

○調査ルートの概要

瀬戸大橋線は昭和36年の鉄道建設審議会の建議に基づいて海上部は道路鉄道併用橋として調査を進めることになり、

B 宇野−高松

C 日比−大崎鼻

D 児島−坂出

の3ルートを比較路線として行なってきた。

その間、昭和37年土木学会に技術的検討を委託し、昭和42年架橋計画の技術的検討を中心とした報告書が答申された。

その結果B・Cルートは、Dルートに比較して技術的に非常に困難で、明らかに工事費も高くなることが判明し、瀬戸大橋線のルートはDルートの児島−坂出に決定した。

また昭和45年5月に成立した全国新幹線網の基本計画12路線の中には、本四連絡橋に関係する四国新幹線(大阪−大分)と四国横断新幹線(岡山−高知)の2路線が計画されており、児島−坂出は在来線と新幹線も同時に通すことで路線計画を進めて来た。

昭和48年9月の鉄建審においてDルートには瀬戸大橋線と同時に新幹線も併設することが建議されている。

○路線計画上の方針

路線を決定するにあたり基本的に次のことを考慮して選定した。

�@ 路線選定は海峡部橋梁(道路・鉄道併用橋)の位置を確定の上、既設線に連絡するものとした。やむを得ない区間(海峡部取付部、停車場予定地)等を除き、市街地を出来るだけ避けることとした。

�A 計画に適用した鉄道規格は用線規格で複線構造とした。

ただし先に述べたように、全国新幹線網の計画により瀬戸大橋線の海峡部には、新幹線規格複線を併せて載荷出来るように複々線構造とし、陸上部も用地取得上新幹線を併設しうるよう選定した。

(現在新幹線の建設の見通しがないため用地は取得していない)

�B 列車の最高速度は新幹線250km/h、在来線120km/hとして曲線を選

[5] 鷲羽山北バスストップ - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2%E7%BE%BD%E5%B1%B1%E5%8C%97%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97

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[6] 仏島 - 「一歩」, , http://blog.goo.ne.jp/harimaoeight/e/7ba9f72dfd3db483e85c1813476dfb6b

先日、久しぶりに石川県七尾市に帰郷しました。 石川、富山の県境の沖合150mに「仏島」があります。 「仏島」 昔は「姫が崎」と云われる岬でしたが 波の浸食により陸地から切り離され島に なりました。 「仏島」の島名の由来は諸説ありますが・・・。 (1)能登国と越中国の間で所領争いが起こり 見かねた住人が「ほっとけば争いが治まるだろう」 と言ったのが「ほっとけ島」から「仏島」になったとか (2)春、秋祭りに七尾市大泊町の「左近孫左衛門」どんが 「仏島」の仏様に舟でお供えを持ってお参りしたことから 「仏島」と呼ばれるようになったとか言われています。 「仏島」は現在は富山県氷見市に属しており 仏様は石川県七尾市大泊町の左近さんの家に 安置されています。 海岸から見える立山連峰 まだ雪があります。 氷見市の沖にある「虻が島」 富山県で一番大きな島です。 今日も応援クリックお願いします。

[7] “まっちの街歩き”ブログ 【能登半島一周その1】七尾は衝撃的な簡易郵便局の宝庫だった, , http://match345.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html

▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。

手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ

[8] 美佐島駅 ~恐怖の160キロ~ - YouTube, , http://www.youtube.com/watch?v=ozopVVHWUuE

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[9] 瀬戸内国際芸術祭2013秋期中の直島へ行ってきました! | aquadrops *, , http://aquadrops.jp/archives/2322

そうだ、直島へ行こう

これまでの旅は一人で、旅先でfacebookなどで知り合った方々と会う、というパターンが多かったのですが、

今回は全工程、初の二人旅でした。

二人旅のご参考までに、今回の旅のプラン立てから、帰宅までまとめてみます。

そもそも直島とは

お恥ずかしながら、行こう、という話になるまで知らなかったのですが、

古くは三菱金属鉱業の精錬所の島で、今でも島の北半分は工場で占めています。

1987年より、今のベネッセ(当時の福武書店。あの進研ゼミや、たまごクラブひよこクラブの出版社。)の創業者が、「直島南部を人と文化を育てるエリアとして創生」するための「直島文化村構想」を発表し、島全体を使った現代美術展へ。近年、新たに美術館が増え、観光リゾート地へと変貌して行きました。(引用:wikipedia 直島町)

準備編

ざっくりとプラン立て

9月中に、どんな工程で行くか、また、宿泊先をざっくりと組み立てました。

今回はこんな条件にしました。

宿泊先はつつじ荘 和室(その場で空きを確認)

行きは新幹線+在来線

帰りは寝台特急 サンライズ瀬戸

相手方のお休みの日が限られているので、それに合わせ、そして最終日はゆっくりできるような感じにします。

今回のコース

プラン立てのざっくりしたコースを元に、電車・フェリーのコースプランを立てます。

1日目

品川駅-東海道新幹線のぞみ-岡山駅-JR快速マリンライナー-高松駅-高松港-四国汽船(フェリー)-宮浦港-直島で観光-つつじ荘(泊)

2日目

つつじ荘-直島で観光-宮浦港-四国汽船(フェリー)-高松港-高松でご飯-高松駅-サンライズ瀬戸-東京駅-解散

旅のしおりを作りました。

手持ちのサーバにWordPressをインストールして、

お互いにスケジュールや必要なモノがチェックできるような、旅のしおりを作りました。

スマフォでも見れるように、レスポンシブデザインなテーマを使いました。

台風が近づいていました…

引用:tenki.jp

22号、23号、24号、と立て続けに発生し、23号はなんとか台湾の方に向け、安心したのも束の間、

24号がほぼ直撃のようなコースで予想されていました…

出発するまでソワソワしていましたが、岡山到着までに熱帯性低気圧に変わりました。本当によかった。。

切符・宿の手配

サンライズ瀬戸はなかなか取りづらい、とい

[10] めがねトンネル eye-glass-shaped twin tunnel, , http://mishi.weblike.jp/eye_glass_tunnel.html

めがねトンネルというのは,二つのトンネルを接近して構築したもので,二つのトンネルの間にセンターピラーと呼ばれる隔壁を造り支保工や覆工の一部を共有するトンネルある.

トンネルを2本並行して掘る場合は,一般にトンネルセンター間を30m程度(二つのトンネルの壁と壁の距離がトンネル掘削幅以上)離して相互の干渉を防いでいる.これに対して,めがねトンネルでは,センター間の距離が12m程度で二つのトンネルの側壁は1m程度の離れしかない.

めがねトンネル採用の理由は,用地確保の困難さが最も多い.おそらく沖縄県が最も多く,資料が手に入っためがねトンネル38カ所のうち6トンネル(16%)が沖縄県にある.また,日本で初めて施工されたのも沖縄県の伊祖トンネル(1975年竣工,延長90m)である.

図1 3導坑式めがねトンネル

伊祖トンネル以来の最も安全なトンネル構造である.側壁導坑先進トンネルを二つくっつけて中央の導坑を共用することで上半の脚部沈下を防止するという考え方である.

2001年9月号の「トンネルと地下」に「わが国におけるめがねトンネルの頑丈と課題」(青木他)という報告が載っている.めがねトンネルの施工記事を収集・分析しているほか,設計・施工技術者にヒアリングを行っている.この報告を参考に,この記事を書くに当たって収集した資料を加えて,めがねトンネルの特徴を列記すると以下のとおりである.

(1)施工された個数

2006年4月時点で施工されためがねトンネルは,38カ所の資料が得られている.この中には,2007年竣工予定の沖縄県の 比屋根トンネル が含まれている.

また,トンネル全線のうち,一部のみをめがねトンネルで施工したものが,北九州市の下到津(しもいとうず)トンネルや中央環状王子線の飛鳥山トンネルなど4カ所ある.

(2)施工延長

これまで建設されためがねトンネル中では 白川トンネル (阪神高速道路神戸山手線)の938mが最も長い.施工延長300m以下のものが全体の70%を占めている.

(3)最大土被り

最大土被りは35m以下である.4−5m程度の土被りしかないトンネルもある.

(4)めがねトンネルを採用した理由

最も多い理由は用地が確保できないためである.沖縄県にめがねトンネルが多いのも用地の確保が困難であることが大きい.特にうるま市から南の中新世−鮮新世の島尻層

[11] 廃線跡の旅37・下津井電鉄, , http://homepage2.nifty.com/RW-kusamakura/haisen37.htm

下津井電鉄は、岡山県の茶屋町から下津井までの21.0kmを走っていた路線である。昭和47年茶屋町−児島間が廃止され、他の鉄道と接続しない状態での営業を続けたが、平成3年に残る児島−下津井間も廃止となった。

茶屋町駅は瀬戸大橋線の開業に伴い高架駅に改築され、下津井電鉄の駅跡は何も残っていない。

[12] 廃止間近の下津井電鉄, , https://www.youtube.com/watch?v=ggZMGk0d2W0

廃止間近の下津井電鉄です。

1990年12月31日廃止されるまでは児島から下津井で運行されていました。

瀬戸大橋では今はなきキハ181系気動車特急が走行しています。

[13] 石垣の美で名高い 丸亀城へ 古寺とお城の旅日記�U/ウェブリブログ, , http://30047809.at.webry.info/201209/article_9.html

中津万象園・丸亀美術館 を出て、今回の旅行の最大の目的池である 丸亀城 に着きました。

丸亀城は、高松藩主の生駒氏が、慶長年間(1596〜1615)に、標高66�bの亀山に築いた平城です。一時、一国一城令で、廃城となりましたが、1658年(万治1)京極高和が天守を完成させました。明治になって天守と大手門以外は全て失われましたが、地元の懇願で残されたようです。全国に12個ある現存天守の一つで、日本一小さい天守閣で知られています。

丸亀城には、 大手口 から登城しました。高齢の母は私らが登ってる間、 丸亀世界のガラス館 を見学しに行きました。 実は、何処で待っててもらおかと思っていたんです。運転手さんも上まで行ったことがんかったみたいで、良いとこを紹介してもらい助かりました 。

[14] 道路レポート 島根県道319号 西ノ島海士線, , http://yamaiga.com/road/dozen/main2.html

2014/5/23 14:14 【現在地】

前編で紹介した探索に続いて、中ノ島を4時間ほど巡って遊んだ私は、再び菱浦港へ戻って来た。

今度は、内航船「いそかぜ」に乗って、知夫里島へ行ってみるのである。

知夫里島の港は来居(くりい)といい、内航船だけでも1日10回程度は移動のチャンスがある。この他、カーフェリーと大型客船も毎日運航しているから、かなり気軽に移動出来る。

島前三島に四方を取り囲まれた内海は、湖と区別が付かないほどに波静かであり、とても本土から50kmも沖合に浮かぶ離島の海とは思えないものがあった。

三島と内海は、巨大な火山の中央火口丘とカルデラと外輪山であるらしく、実際の景観も十和田湖を船上から眺めるのによく似ていると思った。たぶん内海の広さも十和田湖と同程度だろう。

内航船は自転車を乗せるのにも追加料金はかからないし、輪行袋に入れることも求められなかった。普通に客室に停めておける。しかも、三島間の運賃は一律300円と安い。船体は小さいが、その分スピード感があり、デッキに出て風を受けながら四方の風景や航跡を眺めるのは、とても爽快だった。実際の乗船時間も18分(菱浦〜来居間)と短い。

19:47 【現在地】

それからさらに3時間半後、すっかり日の暮れた海をもう一度内航船で渡り、今度は島前三島中最大の面積と人口を誇る西ノ島へとやって来た。

港の名は別府港といい、明治時代以前からの西ノ島の玄関口として島内に二つある大きな集落の一つを構成している。

県道319号西ノ島海士線の起点があるのもここであり、西ノ島側区間の探索をここから始めるつもりであったが、さすがにもう夜だ。探索は明日にしよう。

港のそばにある食堂で温かい定食を頂いてから、集落外れの海端に適当な場所を見つけた私は、一人用テントを設営し直ちに眠った。

こうして隠岐で過ごした3日目、島前での1日目が終わった。

2014/5/24 4:06 【現在地】

……お おひゃょぅござ いまふ………。

さすがに眠い。

根が貧乏性だから、遠征では日のある時間は常に探索をするという状態を4日続けた後の5日目の朝だった。

体の節々が重く、出来の悪い繰り人形のような動きになっているのが自分でもよく分かる。

しかも、昨日の中ノ島のどこかの廃道探索中に、左の目蓋を毛虫に刺されたようで、途轍もなくはれぼった

[15] 新幹線とクルマが同じ橋を並走 日本初、新幹線と道路の「併用橋」登場へ(1/3) | 乗りものニュース, , https://trafficnews.jp/post/63568/

北陸新幹線の延伸工事が進む福井県内で、新幹線と道路が一緒になった橋が建設されています。日本でも数少ない鉄道と道路の「併用橋」、しかも新幹線との併用橋は初めてです。

いくつもある「併用」のメリット 新幹線 と 道路 が一緒になった、珍しい構造の橋が福井県で建設中です。

それは福井 駅 の北東およそ5km、福井市内の九頭竜川へ新たに架けられる「新九頭竜橋(仮称。以下同)」。中央に北陸新幹線が、その左右に少しあいだを空けて県道福井森田丸岡線が通ります。長さは415m。歩道も設けられます。

新幹線と道路の併用橋となる新九頭竜橋の完成予想図(画像出典:福井県)。 鉄道 と道路の「併用橋」は、道路の下を鉄道が走る構造の瀬戸大橋や関空連絡橋、道路と鉄道が並行する 長野電鉄 の村山橋(長野市と須坂市のあいだを流れる千曲川に架かる)などがありますが、国内では数少ないもので、しかも新幹線との併用橋は、初めてです。

どうして併用橋になったのでしょうか。道路の建設主体である福井県の福井土木事務所によると、1995(平成7)年3月に道路建設の都市計画が決定した際は、新幹線と道路で別々に橋を建設する予定だったといいます。

しかし、北陸新幹線の整備計画が進むにつれ、道路橋の建設地近くに新幹線の橋も架かることが明らかとなり、福井県は2006(平成18)年4月に都市計画を変更。新幹線と一体的に整備することとなりました。コスト縮減、工期短縮のほか、橋脚を共用することになる、すなわち橋脚の本数が減るため、河川への影響も抑えられるそうです。

履歴

[20] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24074289439873991

メモ