北大阪急行電鉄南北線

北大阪急行電鉄南北線

[1] 北大阪急行電鉄南北線 (きたおおさかきゅうこうでんてつなんぼくせん)

Webページ

[2] 北大阪急行電鉄南北線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84%E5%8D%97%E5%8C%97%E7%B7%9A

{{Infobox rail line | box_width = {}; border-top:5px {} solid | name = {} | other_name = | native_name = | native_name_lang = | color = | logo = | logo_width = | logo_alt = | image = Kita-Osaka Kyūkō Railway.JPG | image_width = 300px | image_alt = 千里中央駅 - 桃山台駅間を走行する8000形 | caption = 千里中央駅 - 桃山台駅間を走行する8000形 | type = | system = | status = | locale = | start = 起点:江坂駅 | end = 終点:千里中央駅 | stations = 4駅 | routes = | ridership = | ridership2 = | open = | lastextension = | event1label = | event1 = | event2label = | event3 = | event3label = | event3 = | close = | owner = 北大阪急行電鉄 | operator = | character = | depot = 桃山台車庫 | stock = 北大阪急行電鉄#車両の節を参照 | linelength_km = 5.9 | linelength_mi = | linelength = | tracklength_km= | tracklength_mi= | tracklength = | notrack = | gauge = | ogauge = | lgauge = | minradius = | racksystem = | routenumber = | linenumber = M | mapcolour = | el = 直流750 V 第三軌条方式 | speed_km/h = | speed_mph = | speed = 最高 | elevation_m = | elevation_ft = | elevation = | website = | map = | map_state = }} |} 南北線(なんぼくせん)は、大阪府吹田市の江坂駅から大阪府豊中市の千里中央駅までを結ぶ北大阪急行電鉄の鉄道路線である。 全線が立体交差化されており、千里中央駅付近を除いて新御堂筋の上下車線の間を通っている。千里ニュータウンと1970年に開催された日本万国博覧会の会場アクセスのために開業した。本項では、会場アクセス線として営業していた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)についても述べる。 車両については会社の記事を参照のこと。

[3] 北大阪急行電鉄 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84

北大阪急行電鉄株式会社 (きたおおさかきゅうこうでんてつ、 英称 : KITA-OSAKA KYUKO RAILWAY Co., Ltd. )は、 大阪府 豊中市 と 吹田市 の市境付近を走る鉄道を運営している 鉄道会社 。 北大阪急行 、 北急 (きたきゅう)と略称される [1] 。社紋は「輸送の安全と平和」を二羽のハトで象徴すると共に、ハトの姿をかりて北大阪急行の「北」と「大」の文字を意味している。

千里ニュータウン と 日本万国博覧会 (大阪万博)の会場アクセスのために 阪急電鉄 と大阪府などが出資して設立された 第三セクター会社 であるが、 阪急阪神ホールディングス の100%子会社である阪急電鉄が株式の過半数を保有しており、 阪急阪神東宝グループ の一社ともなっている。全営業区間は5.9kmと短いが、 準大手私鉄 に分類されている。本社所在地は大阪府豊中市寺内二丁目4番1号で、 緑地公園駅 に併設されている。

コーポレートカラーは、赤 ◆ (乗り入れ先の御堂筋線に準じた色)とマルーン ◆ (親会社の阪急電鉄の系列カラー)のツートンカラー。

スルッとKANSAI でカードに印字される符号は KE である。

概要 [ 編集 ]

北大阪急行電鉄株式会社は 1967年 (昭和42年) 12月11日 に 阪急電鉄 の子会社として設立された。路線は当初、相互直通運転を行っている 大阪市営地下鉄御堂筋線 の延伸線、そして 日本万国博覧会 会場への路線として計画された。当初計画では、御堂筋線のこの地域への延長は早くて 1971年 度を想定していた。だが、 日本万国博覧会 の千里丘陵での開催が決定( 1965年 )し事態は一変する。会場へのアクセスとして重要視されたため、 堺筋線 、 阪急千里線 延伸線ともども早期着工を促されたのである [2] 。しかし、大阪市側の動きは遅かった。大阪市域外のため、当該自治体である 吹田市 ならびに 豊中市 との協議が必要となるうえに 大阪府 の補助金が出ないことや、そもそも市域外に地下鉄を建設すること(計画自体は戦前から 榎坂 への延伸計画があったが)に対する市民の理解を得られるかという懸念、建設費と万博閉幕後に発生するであろう莫大な赤字、そして御堂筋線のパンクなど、これらがネックであった。ついには、「会場輸送は 江坂駅 からの バス で

[4] 北大阪急行線 かやの中央方面延伸, , http://rurohsei.michikusa.jp/kitaosaka-kyuko-line1.html

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わずか6キロあまりの路線長であるのにもかかわらず、 日本で最初の本格的な大規模ニュータウンである千里中央と、 大阪の中心部とを便利に結ぶ事で準大手私鉄として扱われる、北大阪急行電鉄。 実は、この北大阪急行線でも、将来路線の延伸を行う計画がある。

北大阪急行電鉄の路線は、現在1本しかなく、南端である江坂駅で 大阪市交通局地下鉄御堂筋線と接続し、北端である千里中央駅で行き止まりになっている。 しかし、千里中央駅でホームの北端まで行くと、トンネルが100メートルほど奥まで延びているのが確認できる。 これは古くから、北大阪急行線がさらに北へと延伸されることが考えられている証とも言えるものなのだ。

一方で、延伸する先にある大阪府箕面市では、萱野地区の区画整理事業が持ち上がり、2003年10月、 萱野地区に箕面マーケットパークヴィソラという名の大規模商業施設が完成、 萱野地区は流通や娯楽の拠点としてにぎわうようになっている。 大阪府箕面市では、かねてから北大阪急行線の延伸に積極的だったが、 一方で当事者の北大阪急行電鉄は、路線延伸は大規模な投資となることから 延伸には消極的な態度を取っており、両者の話し合いはほとんどまとまらないまま平行線をたどるばかりで、 計画は事実上の頓挫状態となっている。 北大阪急行電鉄は高度経済成長期のさなかに行われた大阪万博に乗じ、 建設費用をわずか半年で返済したとも噂されており、投資回収額がよほど容易でない限り 乗り気にならないようで、今後の大阪府や箕面市の出方が注目される。

このまま実現が単なる夢に終わる可能性も否定できない北大阪急行線の延伸問題。 デジカメを手に、これから路線が延伸されるとされる場所の姿を追ってみた。

旅のスタートは北大阪急行電鉄の終着駅である千里中央駅から。1面2線(乗り場が一つ、線路が二つ)の典型的なスタイルだが、上部が吹き抜けになっていて、上にある地下通路から下に停車中の電車を眺められるという、一風変わった造りとなっている。改札口へと向かう階段の上から乗り場の光景を撮影してみる。北大阪急行電鉄の保有である8000系車両が左に入ってきた。右側には大阪市交通局の車両である10系が停車中。また、この駅でならさ

[5] 北大阪急行延伸区間を歩く(その1) : 北摂の混沌, , http://blog.livedoor.jp/bunchousann/archives/2830271.html

駅名標に、出資会社にして筆頭株主の阪急電鉄の香りが漂う。 大阪市営地下鉄御堂筋線は、中津駅を出ると地上区間に入り、新御堂筋の中央部を道路に挟まれる形で北上する。北急はその延長線上にあるので、これも新御堂筋の中央部を北上するのだが、終点の千里中央駅が近づくと地下区間へ入り、やや東側にカーブして商業施設の直下にある駅へすべりこむ。 ここから北上するにあたっては、再び新御堂筋のほうへ向きを変えねばならない。そのため、千里中央駅の車止めは、あらかじめ西側に湾曲した形状になっており、将来の延伸に対応した構造になっていた。構想によれば、この先にY字型の引き上げ線が設けられるようである。

ではこのまま掘り進めていけばいいのかというと、そうはいかないようである。 既に述べたように、千里中央駅一帯は商業施設が立ち並んでいる。また、新御堂筋と中央環状線がクロスする交通の要所でもあるために、住宅地もあって、その駅前は北摂エリアでも随一の賑わいを見せている。ここを起点に多くのバス路線が設定されていて、今回延伸する箕面方面にも多数のバスが走っている。 北急延伸に際して、工事上の大きなネックになると言われているのが、これらの建物である。

[13] 整備計画8_箕面船場駅周辺のまちづくり計画/箕面市, , https://www.city.minoh.lg.jp/kitakyu/new_kitakyu/seibikeikaku/machi_senba.html

更新日:2014年2月12日

整備計画8_箕面船場駅周辺のまちづくり計画

船場地域においては、鉄道の延伸により“物流のまち”から“人流のまち”へと転換させていくことを念頭に置きながら、特別業務地区として発展してきたまちの特性を活かし、繊維卸商団地の再整備を中心に、新たな企業誘致によるまちの活性化をめざします。

船場団地の再整備との連携

大阪船場繊維卸商団地協同組合では、北大阪急行線延伸を契機に再整備を進めるべく、平成24年5月に「船場団地再整備マスタープラン(案)」を策定し、土地区画整理手法による土地の集約や企業誘致について検討、関係者との協議等を進めているところであり、市は、このマスタープランと連携しながら、団地組合と協力してまちづくりの検討を進めています。

船場団地全体(約50ha)をまちづくりの検討区域としつつ、(仮称)箕面船場駅の東側5.7haを駅周辺整備地区と位置付けて、鉄道の延伸と同時期のビルドアップをめざしており、現在は、その中核となる施設について具体化を進めている段階にあります。

延伸線は、約2.5kmの間に千里中央、箕面船場、新箕面の3駅が存在するエリアとなることから、3駅周辺がそれぞれ異なる個性を持ち、集客を競いつつ広域的な人流を生み出していく必要があります。

こうした中、船場地域においては、保健医療・スポーツなどの健康機能と公共ホールなどの文化機能を備えた複合施設を産学官協働で整備し、文化と健康をキーワードにした高品質な都市空間を創出するとともに、空き倉庫や空きビルなどの既存リソースも活用して新産業を集積するなど、まち全体のリノベーションをめざす構想が動き出しています。

船場地域のポテンシャル

船場地域は、ビジネス拠点として必須となるアクセス性において、北大阪急行線の延伸により高いポテンシャルを有することになります。

まず、核となる新たな施設は、新駅の出口に直結することが可能で、鉄道駅から徒歩0分という地の利を得ます。

また、新大阪駅から電車で15分、伊丹空港から電車で18分、関西国際空港から電車で64分と、国内・国外を問わずどこからでもスムーズなアクセスが可能です。

さらに、平成28年度開通予定の新名神高速道路のインターチェンジからも車で8分の場所に位置しており、元々物流のまちとして整備されてきた地域内の良好な道

[14] 新箕面駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%AE%95%E9%9D%A2%E9%A7%85

新箕面駅 (仮称)は 北大阪急行電鉄南北線の延伸計画 で 箕面市 への設置が検討されている駅。 阪急箕面線 箕面駅 とは約1.8km離れている。駅予定地( 北緯34度49分54秒東経135度29分21秒 )周辺は箕面市などにより かやの中央 として みのおキューズモール などの開発が行われている。 国道171号線 と接続する。完成すれば、北大阪急行の最北端の駅となる。

駅構造 [ 編集 ]

計画されている事例 高架の駅でプラットホームはフルスクリーンタイプの ホームドア が設置される予定である。 みのおキューズモールと直結する他、バスターミナルも設置される。

参考資料 [ 編集 ]

“ 北大阪急行線延伸 ”. 箕面市. 2012年3月26日 閲覧。

外部リンク [ 編集 ]

北大阪急行線延伸検討委員会(平成20、21年度)/箕面市

[15] 新御堂筋 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%BE%A1%E5%A0%82%E7%AD%8B

新御堂筋 (しんみどうすじ)は、 大阪府 の北部を南北に貫く 幹線道路 ( 国道423号 )、 地域高規格道路 であり、 北摂地区 の大動脈である。

全国屈指の 交通 量を誇る 道路 であり、西日本では首位。 新御堂 (しんみどう)、 新御 (しんみ)と略される。陸上距離は 大阪市 北区 西天満 - 箕面市 白島までが最長距離で16.22kmである。上り線も同様である。

大阪市内の幹線道路は筋もしくは通で呼ぶ慣例( 大阪市内の筋・通一覧 を参照)があるが、大阪市外にまで伸びている唯一の例である。( 中央大通 も東大阪市の区間でも呼ばれることがあるが、正式に表記されていない。)

構想自体は現在の 御堂筋 がまだ完成していない時点からあり、 1926年 の高速鉄道(地下鉄)計画では御堂筋線が江坂付近まで予定され [1] 、 1932年 (昭和7年)の大阪市第二次都市計画事業の中では「北野豊津線」という路線が予定されていた [2] 。戦前の時点では 新淀川 に架ける 新淀川大橋 [注釈 1] の 地下鉄 部分の橋脚が完成していたが、資金難と 太平洋戦争 勃発で工事は中止。戦後の 1961年 ( 昭和 36年)に 東海道新幹線 の終点が工事計画地上の 新大阪駅 に決定したのに伴い工事が再開。 1964年 (昭和39年)にまず地下鉄部分と、新淀川大橋の上流部分(南行車線)が開通 [1] 。新淀川大橋の残りの下流部分(北行車線)が 1970年 (昭和45年)の 大阪万博 開催前の 1969年 (昭和44年)に供用開始。大阪市( 国道1号 交点)から 千里ニュータウン を経由し箕面市萱野( 国道171号 交点)を結ぶ大阪府道大阪箕面線が全面開通した。

1982年 (昭和57年) 4月1日 、国道に昇格した。その後、国道423号は、 大阪府道9号箕面池田線 交点(白島)まで延伸され、2007年5月30日には 箕面有料道路 (箕面グリーンロード)も開通したが [注釈 2] 、通称名としての「新御堂筋」としては、どの部分までを指すか、統一された認識は定まっていない。箕面有料道路が開通後は、白島2丁目交差点から北の本線(有料道路)部分は 掘割 となっている。また白島2丁目交差点は「白島南ランプ」として立体交差化される計画がある。(坊島4丁目交差点~大阪府道9号箕面池田線交点(白島)間は、

[16] 大阪国際空港 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF

大阪国際空港付近の空中写真。(1985年撮影の6枚から合成作成)。

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真) を基に作成。

撮影時点では、後年に供用開始された新 管制塔 やW9高速脱出 誘導路 はまだ存在していない

大阪国際空港 (おおさかこくさいくうこう、 英 :Osaka International Airport)は、 大阪市 の北西13 kmの 大阪府 豊中市 、同 池田市 、 兵庫県 伊丹市 にまたがる 会社管理空港 である。 大阪空港 (おおさかくうこう)あるいは 伊丹空港 (いたみくうこう、 英 :Itami Airport)の通称でも知られる。かつては名実ともに 国際空港 であったが、現在は日本の国内線の 拠点空港 (基幹空港)として運用されている。近隣の 関西国際空港 ・ 神戸空港 とともに 関西三空港 のひとつである。

概要 [ 編集 ]

敷地は、 大阪府 の 豊中市 と 池田市 及び 兵庫県 伊丹市 の2府県3市にまたがり、空港ターミナル及び事務所は豊中市に、滑走路は池田市と伊丹市にまたがる。 [2] 、 空港ターミナルビル 、 大阪モノレール線 大阪空港駅 、 エプロン 付近で府県・市の境界が複雑に入り組んでおり、各市の 飛地 も無数に存在する( #空港建設以前 を参照)。 警察署 は 大阪府警豊中警察署 と 兵庫県警伊丹警察署 の両者が常駐し、他の旧第1種空港にあるような 空港警察署 は設置されていない。

大阪市 ・ 神戸市 ・ 京都市 などからなる 京阪神都市圏 のほぼ中心に位置するために、利便性が高く( #交通 を参照) 関西圏 の国内線の基幹空港として利用されている。また、 オフィス街 へのアクセスの良さから、特に ビジネスマン の需要が高くなっている [3] 。国際線は1994年9月3日まで発着していたが、翌9月4日に開港した関西国際空港に移転した後は就航していない。施設規模は、関西国際空港の開港前は関西地方で最も大規模な空港であったが、現在は関西国際空港の方が大きい [注 1] 。2010年3月現在、当空港を利用した国際運航は、 中古 機体の売却による フェリーフライト や外国 要人 の 専用機 など、非営業用の発着が中心である。

正式名称の大阪国際空港の他に、一般的に 大阪空港 (おおさかくうこう、英: Osaka Air

[17] ブラタモリで東京駅の地下にトンネル発見 ※ネタバレあり #未成道 #ロリ鉄 #東京駅 #ブラタモリ (2ページ目) - Togetterまとめ, , http://togetter.com/li/849555?page=2

どうも昭和40年代は幹線道路の交差点付近でアンダーパス空間の確保を行政指導されていたようで、記憶の中では港北NT各地(未完)や横浜市営地下鉄高島町駅(完成)とか。本件の委託工事で国鉄が営団に引き渡した構造物一式のうち、道路分は建設省(国道1号だから国だよね?)に行ったのだろうか。

[18] 【鉄道歴史ミステリー】堺筋線は南海が電圧を昇圧すれば直通OKだった? - Osaka-Subway.com, , http://osaka-subway.com/knk/

ここでも少し言及しましたが、かつての予定では 南海は堺筋線へ乗り入れる予定でした。

しかし、これに関して詳しく説明したものはなく、どの資料を見ても「 阪急・南海両者が出願したが、軌間の違いなどや万博輸送の観点から南海が断念した 」という程度の軽い記述に留まっていました。過去に作った私のサイトを見てもこう書いてありました。笑

建設当初は南海電鉄も隣接する(天下茶屋周辺からの大阪市内乗り入れ)為、三社共願になった

…が、南海電鉄には諸事情(軌間・電圧が違う)があり断念せざるをおえず、阪急が乗り入れる事となった。

また、この裁定は陸運局(現在の国土交通省)が行い、将来性から1500Vの阪急側規格になった。

http://www.geocities.jp/series207_2000/6/6.html

しかし、実は堺筋線へ南海が乗り入れる際の条件というのは、かなり具体的に判明していることがわかりました。

これは、元南海電鉄の副社長である岡本和夫氏が、この件に関して次のように述べています。

具体的な南海の乗り入れ条件

大阪市(筆者注:堺筋線)の特許申請後、南海は運輸省の特別監査を受けたが、 その真意は昇圧問題であった

(中略)

当時南海は600Vだったが、昇圧に対しては7両編成までは対応できるとし、当事者は昇圧したいと思っていたと思うが、なにぶん車両から電力施設の改変までの費用を考えると、つい二の足を踏んで昇圧する意思を示せぬまま終わってしまった。当局としては、 昇圧の意欲を示しさえすれば、堺筋線は狭軌で建設して南海と直通、千里山線は狭軌化させて相互乗入れをさせる意図であったとされる。 南海は直後に昇圧を決定し、準備を進めただけに誠に惜しいチャンスを逸したといえよう。

出典:「鉄道ピクトリアル 2008年8月号 【特集】南海電気鉄道」,電気車研究会

阪急は現在の京都線全てではなく 、千里線 北千里~天神橋筋六丁目間のみ限定的に狭軌に改軌させ 、堺筋線は大阪市営地下鉄初の狭軌で建設、そして南海は高野線、もしくは本線のどちらか全線と直通運転をする予定であったようです。

つまり運輸省は、 阪急は狭軌化 に、 南海は1500Vの昇圧 にお互い出資させることで歩み寄らせ、3社直通運転を行なわせようとしていたようです。

しかし残念ながら、この当時南海電鉄では1967年に 樽井駅周辺で

新箕面駅

新箕面駅

履歴

[20] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24067045587042413

メモ