マセ口川

マセ口川

[1] マセ口川

Webページ

[2] マセ口川ピクニック: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2013/04/post-77da.html

肌寒かったり、雨ふりだったり。そんな日が続きますが、春らしい記事をふたつ、書こうと思います。ひとつめは、暗渠と開渠のピクニックのおはなし。

行先は、調布にあるマセ口(ませぐち)川。 これが正式名ですが、最初に「ませろ」と読んでしまったため、またそのほうが呼びやすいため、わたしは普段は「ませろがわ」と呼んでいます。 だから現地でも声に出して「ませろがわ」、と連呼するわけですが、それが聞こえてしまった地元の方がもどかしく思っているかどうかは、知りません。

以前、秋にマセ口川の水源を見に来たことがありました( ゲゲゲの湧水前編 )。また別件で調布を歩いていたときにマセ口川の脇をたまたま通り、「春にピクニックに来たらよさそう!」と、思っていたのでした。

そして、待ちに待った春がやってきました。

マセ口川の水源は、都立農業高校神代農場の敷地内。普段は入ることができません。 その、水源のある谷戸はかつてまるまる池で、池の谷とも呼ばれていました。いまでも湧水が豊富で、おそろしく澄んだ水を使い、ワサビ、ニジマス、ヤマメなどが育てられています。

ここは農場のすぐ下流側で、ここなら普段から一般人が出入りできます。

農場内を流れる澄んだ水を思い出しながら、フェンスに近づいていくと・・・なんと、湧水がはみ出ているではありませんか。

きれい・・・。

そしてはみ出ていた湧水は、農場の田んぼを通ってくる流れとここで合わさり、一度地下の管渠におとされ、地面の下にくぐるようです。

でも、その落とされたすぐ先にも浅い凹みがあって、あちこちからじゅくじゅく、じゅくじゅくと水が湧いていました。

みごとな湿地。自然のままの姿です。 ここも”神代農場南側斜面”という、調布の湧水点のひとつとして挙げられています。

この、はみ出し湧水と、じゅくじゅく湿地がいっぺんに見られる場所に、自分たちだけが立っている。すてきなお庭に居るような・・・。まだ朝でしたが、あまりの気持ちの昂りに、おもわず、乾杯 。(まだ咲いていませんでしたが、ここには桜の木まであるのです!)

この場所、豊水期に行かれたえいはちさんが 記事 にしていますが、やはり春とは水の量が違いますね (しかし暗渠写真の撮り方がものすごく被っていて、おもしろかったです)。

じゅくじゅく湿地のおわりには、橋のようなものがありました。 橋?の先で中央自動車道をくぐり、

[3] マセ口川 - 川のプロムナード, , http://riverpromenade.blog.fc2.com/blog-entry-49.html

2015.05

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2015.07

調布市深大寺南町四丁目にある都立農業高校神代農場を水源とする野川の支流 マセ口川 (ませぐちがわ、別名:佐須用水)を追ってみた。 マセ口とは、付近の小字名から名づけられたものだが、そのマセ口という字名 の由来は不明のようだ。 まず、神代農場と三鷹通りを挟んで向かい側、 青渭神社 に立ち寄ってみる。 祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命、創建年月は不明であるが、古代の先住民 が水を求めて居住した際に、祠を建て水神を祀ったと伝えられる。 かつて社前には湧水から出た大池があり、青波をたたえていたことから青波天 神社とも称されていた。 境内には樹齢数百年という大欅があり、江戸名所図会にも描かれている。 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載) さて 都立農業高校神代農場 からマセ口川を追い始めてみる。 前身は青年学校の射撃用地、昭和23年(1948)に農業高校の付属農場として 譲渡された。 毎週木曜日には一般公開しているそうだが、この日は土曜日のため入れず、 仕方なく西側沿いに歩いていく。 農場沿いに歩いていくと、柵の下に池(心字池)を望むことができる。 農場内にはかなり深い谷となっており、湧水を湛えていることが想像される。 歩いていくと中央高速手前、右手に小さな 池ノ上神社 がある。 絵堂(旧字名)の鎮守社で創建は不詳、明治40年(1907)に里の稲荷社と 池ノ上の稲荷社を合祀して、池ノ上神社となったとのこと。 池ノ上という名前が興味をそそる。 その中央高速の手前から左手、谷(池ノ谷)へ下りていく階段がある。 谷へ下りると、神代農場から流れ出るマセ口川の清流を見ることができる。 その脇、別の湧水からの小さな流れも合流している。 ここから南へ 深大寺自然広場 が続くが、残念ながらマセ口川は暫く暗渠と なってしまう。 中央道のガードを潜ると広場内に 野草園 がある。 園内には約300種類1万本以上があるとのことだが、開園期間は3月か ら10月まで、また期間内においても休園日が多いので、訪問時には注意 が必要である。 その野草園の入口近くには湧水があり、かな

[4] 東京の橋:マセ口川, , http://www.djq.jp/river_liblary/tokyo_river_masekuchi.html
[5] ほとんど痕跡のない、深大寺用水西堀上流部〜深大寺用水と入間川を紐解く(7) : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/17413260/

ほとんど痕跡のない、深大寺用水西堀上流部〜深大寺用水と入間川を紐解く(7)��

2012年 02月 07日

前回まで6回にわたり深大寺用水東堀を辿ってきたが、こんどは深大寺用水西堀をたどってみよう。西堀は、現在の東八道路の南側の「水わかれ」で、T字に東掘と分かれ、深大寺村、佐須村、柴崎村、大町村を流れて野川に注いでいた。 深大寺用水東堀が、用水開削の直接の引き金となった野が谷田んぼや下流部の金子田んぼといった水田の灌漑用としての性格が強かったのに対して、西堀は上流部には水田はなく、下流部も比較的水に恵まれていた土地が多く、どちらかというと生活用水としての要素が大きかったように思える。「水わかれ」での水の配分量はおよそ5対3で西堀のほうが少なかった。 まず全体の地図を(google mapにプロットしたものをキャプチャ)。

左上から中央を横切り右下に流れる青の太いラインが西堀本流だ。下流部は、厳島神社からの川(紫色のライン)を利用し、深大寺用水東堀流末(緑色のライン)と並行しながら野川に注いでいた。中央左の緑は神代植物公園だ。西堀からもいくつか分水が分かれていたが、それらは都立農業高校神代農場を水源とする「マセ口川(ませぐちかわ)」や深大寺を水源とする「逆川」、そしてそれらから分かれた灌漑用分水と絡み合いながら、国分寺崖線下の水田を潤して野川へと注いでいた。 西堀の上流部、台地上のルートは現在では1箇所を除いて全く痕跡が残っていない。一方で、崖線を下って野川沿いの低地に出た以降はコンクリート蓋暗渠や開渠水路などの痕跡が比較的残っている。今回はまず上流部の紹介となる。

「水わかれ」から西に流れた西堀は、調布北高校の北西角で直角に曲がり、武蔵境通りにそって南下していた。かなり深い掘割となっていた箇所もあったというが、最近武蔵境通りが拡張されたこともあり、その痕跡は皆無だ。神代植物公園正門付近まで来ると、水路は再度直角に曲がり、神代植物公園の真ん中を横断するバス通りに沿って東進していた。正門付近では南側に向かって深大寺方面への分水路も分かれていた。こちらは深大寺周辺の湧水を集めるマセ口川に落とされていた。だが水が豊富であまり必要性がなく、1940年頃には水が止まっていたという。 ちなみに、「神代」は一帯の旧町名で、1889(明治24)年の町村合併施行時、新村名候補が「深

[7] 大谷口すり鉢エリア① マチュピチュ編: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/02/post-2ec0.html

やっと、大谷口に行けました。 ここは、去年ある方から教えていただいた場所です。すり鉢的には有名な場所なのかもしれませんが、私にとってはかなり魅力的でありながら、自力で辿りつくのは難しい情報だったと思います。

ある方、というのは、偶然にお会いした、河川・暗渠好きの方で、私が荒木町のすり鉢が良かったという話をしたら、大谷口を教えてくださいました。私より年若ながら、東京の地形のことをよく知っている人で、「若いのに、すごいなぁ」なんて感心した覚えがあります。

あちこちとさんぽしてきましたが、板橋はなかなか遠い印象がありました。が、ようやっと。大山の駅を降ります。以前、日大病院にお見舞いに行く機会が何度かあり、通るのはそれ以来です。大山の商店街を見るのは、サンドウィッチマンがM1取ったとき以来なので、これまたやや久しぶり。

そういえば以前大山のアーケードを歩いた時は、厚底ブーツを履いていました・・・ずいぶん前のことですね。あの頃は厚底なんて「全然」疲れませんでしたが、今じゃ数メートルで疲れるでしょうね、きっと。バランスだって、取れないかも。

アーケードを抜けると、「ハンサムらーめん」。うわぁw。・・・いや、でも、「ハンサム」という単語がむしろ新しく感じます。 その隣に材木屋さん。ここらへんたしか、千川上水が通っていたと思いますが、上水沿いにある材木屋さんって、どういうことなんでしょう。尾根沿いのわりかしまっすぐな運びやすい道があったということなのでしょうか。

さて、今回の第一の目的は「すり鉢を堪能する」なのですが、大谷口すり鉢エリアを通過するらしい、石神井川の支流をも堪能する予定です。

そこで、その水源といわれる大谷口1丁目のほうに向かいます。日大病院の脇を通過。 そしたら、もう無いものだとおもっていた、給水塔が見えました。リニューアルされていたんですねぇ。あたらしいけど、カタチは昔のものと同じなんですね。かわいいよなあぁ、あの帽子。

そして水源はこの近くみたいなのです。

もう遺構も、暗渠くささも何もない、きれいに舗装された道や、比較的新しい家が立ち並び・・・

でもこの道は、なんとなくあやしい。水源から、ここを流れ、すり鉢に向かうのでは・・・なんて、なんのあてもないのに勝手に妄想です。

その怪しい道の向い、コンビニの脇から北に向かおうとすると、おもむろにガックン!!と急降下し

[8] 大谷口すり鉢エリア② 風呂釜支流(仮)編: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/02/post-7a01.html

前回の続き、大谷口から石神井川に注いでいた支流を、河口から遡ります。

河口近く、最初の道路はちょっと広めの立派なものでした。 道沿いにあった、ちょっと惹かれる一角。食堂と、むかし本屋さんだったらしき店。

てくてく。あまり川らしさが無い道だったので、ほんとにここで良いのかなあ、とちょっと疑わしく思っていたところに、公園がありました。見てみると、「さくらづつみ公園」!

堤!? 立派めの桜がいっぱいありました。桜堤、なんて場所があったのだとしたら、なんだかすてきですね。

そしてその先の流路はあてずっぽうです。なんとな~~く歩いていくと、いきなり出現しました!

車止め×コンクリ蓋の完全体が!!

わーーー!やったぁ、なぜだかすっごくウレシイ! 初めて歩く、板橋の蓋暗渠です。

よく見ると、コンクリ蓋のサイドに、穴が開いてます。それから、ひとつひとつの奥行が、杉並のソレよりもずっと長いです。

まあ、杉並の中でも規格が違うことはあるのかもしれないですが、それにしても、「おお、なんだか蓋が違うぞ」というのが第一印象でした。

さて、支流を遡ります!

すっごいワクワクします~。

いままで辿ってきた暗渠とのもうひとつの違いは、圧倒的な私有地感、でしょうかw こういう物置がどっかり置いてあったり、所狭しと植木?があったり、いろいろ、いろいろ・・・

なかでもスゴかったのは、これ。

お風呂の浴槽・・・ですよねぇ。 でもって、タイヤですよねぇ。半分はプランター・・・?

でも浴槽があったのはここだけじゃなくて、この先にも、いくつもあったんです。ベビーバスも、何個も・・・w ベビーバスには雨水が溜められていたりして、用途はさまざまなのかもしれませんけど、ともかく風呂釜の多いこと!・・・てなわけで、ここは「風呂釜支流(仮)」と名づけることにいたしましたw

もすこし先には、こんなガタガタ・エリアが。

ぱっと見はちょっと怖いですが、歩いてみるとべつにガタガタ動くわけではなかったです。 スキマから底を見ようとしましたが、微妙に見えませんでした。(・・・おそらく、水は流れていないようでした)

かなりワンダーランドな風呂釜支流(仮)蓋暗渠部分でしたが、全長は短いものです。

そろそろ終焉・・・の前に、なんだか意味不明な場所でクライマックスですwなんだか色々なもんが釣り下がってます・・・

・・・罠? 罠なのか・・・?

履歴

[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24058370944212832

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