十六島

十六島

[1] 十六島 (うっぷるい)

35.4583087376746 132.753848433495

Webページ

[2] 十六島 (出雲市) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%B3%B6_%28%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%B8%82%29

日本 > 島根県 > 出雲市 > 十六島 十六島(うっぷるい)は島根県出雲市の地名。旧平田市。十六島海苔(岩海苔の一種)で有名。

[3] 過去のもっと藻の話, , http://takenaka57.easy-magic.com/user/index.php?menu_id=27&mode=view_content&news_content_id=76&page=1

出雲海藻風土記(4) ノリを食べる文化 十六島(うっぷるい) 日御碕神社での和布刈神事の翌朝、出雲大社神楽殿(かぐらでん)の日本一大きな注連縄(しめなわ)の下で島根大学の大谷修司君と待ち合わせ、一緒に十六島(うっぷるい)を訪ねた。大谷君はミカヅキモと近縁のハタヒモ(Netrium)を研究してきた分類学者で、私が調査していた北海道では、釧路湿原、仁々志別(ににしべつ)川などを案内して一緒に藻を採集した事もあり、懐かしい。 十六島は奈良時代、出雲国風土記や長屋王邸出土の木簡に「紫菜、ムラサキノリ」と記された、ウップルイノリの本場である。このノリは、アサクサノリの親戚で、主として出雲・隠岐から朝廷に「調」として納められ、平安時代以降も貴族が好んで吸物にした。地元では、イワノリ、マノリ、磯から剥ぐのでハギノリ、また1960年頃までは老人がオッポーとも呼んでいた。江戸時代、松江藩七代藩主・松平不昧(ふまい)公・治郷(はるさと)は、江戸の茶会でこのノリの羽織を着て諸大名に茶を振る舞ったという。海の綺麗な昔は磯の上にノリがビッシリと生え、50センチにも成長したが、干潮の時に乾いたノリを綺麗に剥ぎ取り、羽織に仕立てたのである。明治以後も皇室や県知事に献上されたそうだ。 ノリの「島」見学 大谷君の夫人の紹介で十六島に住む小澤夫人にお会い出来た。近所にはご主人の従妹で、「島持ち」の渡部勇氏夫妻が住んでいる。渡部夫人は足が痛くて前日まで入院されていたが、杖をついて「島」へ案内して下さった。私は心の中で手を合わせる。十六島町は日本海に西に突き出た三角形の岬で、渡部家の「島」は家から海岸沿いに北西へ車で5分程走り、ここから15分程山道を登り降りした岬の先端近くにある。「島」の前は急斜面の岩山で、足の踏み場だけ足型が彫ってあり、踏み外さぬ様に一歩一歩海岸へ降りて行く。岩山は海面付近で座敷の様に水平な磯となり、沖に5〜20メートルほど突き出て、その上にノリが生える。これが土地台帳にも登録された個人財産の「島」で、岩の切れ目や細い線が、隣の「島」との境界になっている。古来、十六島百戸、と言い、百戸のうち「島持ち」は十六戸だけだった。出雲国風土記に「種々の海産物は隣の秋鹿(あいか)郡の物と同様だが、紫菜(ムラサキノリ)は楯縫(たてぬい)郡の物が最良」とある理由は、満潮線と干潮線

[4] 島根半島に十六島と書いて「うっぷるい」と読む地名があります。これは... - Yahoo!知恵袋, , http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108837405

島根半島に十六島と書いて「うっぷるい」と読む地名があります。これは朝鮮語の「ウルピロイ(巨大な岩)」が変化したものという説がありますが、本当でしょうか。朝鮮語が母語の人に尋ねると「大きい岩」は「クンスン」というような発音で、まったく別のことばのような印象があります。よろしくお願いします。

「巨大な岩」は根拠のない俗説です。俗説は一人歩きして、ネットにはあふれています。チャンポンがオランダ語だとか(そんな単語ない)。

朝鮮語説でもう少しまともな説を参考URLに見つけました。韓国の地名研究のサイトです。ハングルが読めるなら、「於豆」でサイト内検索するとその個所が出てきます。和訳しておくと

「平田市の河口の港に出ると、奇妙な地名「於豆振(オズフルイ)」浦に出てくる。「ウップルイ」は明らかな韓国語で、オ(ウ)は「至高、最高」、ズは「~の」、プルは「村」、イは意味のない接尾語で、「最高の村、よい村」という意味である」

於豆振(おずふれ、おつふり)は出雲風土記にある名でウップルイの古形だとされている形ですね。

しかし、引用した韓国サイトのように、プルを韓国語「村」と解釈するなら、日本語朝鮮語共通の古語で「ふれ=村」とも解釈できます。そうすると、「おづ」は、無理に朝鮮語で理解するより、十六島の湾の奥にある「小津」だと理解するほうが自然です。

「小津」は文字通り「小さな津=港」で、昔は「こづ」とも発音しました。出雲風土記にある「許豆」という別表記から、「おづ=こづ」は日本語の可能性が高いです。(小川=こがわ=おがわ、のように、小さいの意味の「お=こ」は交替する)。

私の想像では、十六島湾が古代に「小津」と呼ばれ、その中心地の集落(神社の多い今の小津地区か?)が「小津振(おづふれ)」と呼ばれたのだと思います。飛鳥時代の発音では Odupure です。

Odupure > Udupure > Uppurui

は無理な音変化ではありません。

アイヌ語説、ポリネシア語説、巨大岩の朝鮮語説より確かなはずでず。こじつければ英語でも解釈できますから(英語 odd pure ruin 奇妙で純粋な廃墟、とか)。

「十六島」の漢字表記は、実際には島じゃないので、何らかの神話に基づくものでしょう。島には、領域・地区の意味もあります。

http://www.cheramia.net

[5] 十六島, , http://www.dai3gen.net/upruy.htm

ORIG: 96/10/01 REV1: 97/07/17 format 図版のこと追記

REV2: 97/08/31 図版は「目井浦」とのこと REV3: 97/10/12 ご指摘にも応えて

島根半島に「十六島」と書いて「ウップルイ」と読む半島・集落があります。

この地名の語源・語義に就いて、以前から興味を持っていましたので、調べてみた事を

まとめて見ましたので、各位のコメントを頂戴できれば幸いです。

0.出雲風土記・楯縫郡の所で「於豆振」(オツフリ)と出ているのが

「十六島」(ウップルイ)とされている。(岩波日本古典文学大系の風土記ではP177)

これに関して、読者の方から、岩波も採用している「於豆振」との表記は不確実であり、

必ずしも「オツフリ」ではない、とのご指摘を頂きました。ありがとう御座います。このご指摘が

意味するところは、現行の呼称「ウップルイ」が風土記の「オツフリ」に溯れるのか、に就いては疑問が

ある、と言うことで、即ち、「ウップルイ」呼称がどこまで溯れるのかは判らない、と言う意味で

あります。しかし、いつから始まったのか現在に至るまで「ウップルイ」と呼ばれているのは事実

なので、これの語源探索自体には意義があります。

同ご指摘によると、先達のご研究の中で広く支持されているものは、要約しますと、

金関丈夫氏の説で、その「十六島名称考」(『考古と古代』所収)にて、『風土記』の記事は

「許豆埼」であろうとされ、加藤義成氏の『修訂 出雲国風土記参究』で、

「定説とすべき」とされていることの由です。

さしづめ、「於豆振」は誤記で「許豆振」が正しいのであろう、ということかと思います。いずれにせよ、

其の地がウップルイと呼ばれてきていることには変わり無く、小生の興味としての、ウップルイの語源、

語義は相変わらず不明、ということかと思います。また、「許豆」の語義に就いて

考えた所を下記に追記しておきます。

一つのアプローチは、「オツフリ、が古く、ウップルイ、が新しい。つまり、

ウップルイの語源は、オツフリである。としてオツフリの更なる語源を

求める」ことでしょう。

もう一つは「実は、その地名は昔からウップルイと言っていた筈だ、それを

『於豆振』と漢字を宛てたに過ぎない。だから、ウップルイの語源を求める」

ということになりましょうか。

1.オツフリ の語源

第1

履歴

[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054557609386

メモ