御池通

御池通

[1] 御池通 (おいけどおり)

35.0107244481441 135.759354829788

Webページ

[2] 御池通 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%B1%A0%E9%80%9A

御池通(おいけどおり)は、京都市の主要な東西の通りの一つ。

[3] 京都市:第3回御池通沿道のマップづくりワークショップの記録, , http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000004831.html

京都市役所 〒604-8571 京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地 電話番号:075-222-3111(代) 市役所へのアクセス

内容: 1 開会のあいさつと前回の振り返り(都市づくり推進課:江田担当課長) ・ 寒い中,日曜日にもかかわらず多数お越しいただきありがとうございます。 ・ 今回は,これまでに話し合ったことを基に実際にまちを歩いて見てみようということで開催しています。前回も各グループでいろいろなご意見をちょうだいすることができました。 ・ 新しく地域に住まれた方が,地元を理解できるようなマップにしようというご意見や,「ここに住んでいてよかった」と思えるマップにしようというご意見がありました。 ・ 1200年もの歴史は何層にも重ね合わせることで整理しなければいけないというご意見もありました。 ・ "水"をテーマにまちあるきをしようという意見が出されていたグループもありました。 ・ 範囲が広いのでゾーン別にしてはどうかということもおっしゃっていただきました。 ・ 御池通の由来を大切にしようということもおっしゃっておられましたし,身近な歴史や個人の思い出,建物などを紹介したい,将来に向けて何があればいいか話し合うマップになど,様々なご意見が出されていたと思います。 ・ 今日はまちで皆さんが気づかれたことをたくさん持ち帰ってください。 2 まちあるき 3つのゾーンに分かれてまちを歩きました。<千本~堀川><堀川~烏丸><烏丸~鴨川> 3 発表(発表順) <3班:千本~堀川> ・ 私は御池通の東の方に住んでいるのですが,今回は興味があって西の方を歩きたいと思い,この班に参加しました。 ・ 東側は高層マンション街ですが,西側にはほとんど高い建物がなく,対照的に感じました。 ・ まちにごみが落ちていなくてきれいで,お地蔵さんの手入れもされていて,住んでいる人の人情や温かさを感じました。 ・ この地域の特徴は,二条城があり,その南側に神泉苑があること,水が豊富なこと,染屋や薪などの燃料屋が多いことです。二条の駅に昔貨物がたくさん集まってきたので,そこから燃料屋が発達したのではないかということでした。 ・ 一緒に歩いたこの地域の方はおそろいの紫色の裃を着ておられますが,こういう取組を通じて人間関係を築いておられるのだと思いました。自分の住んでいるまちのことも

[5] 京の道 今日の道 第204回 マンガと絵本の博物館~烏丸通北から南~その16, , http://kyoto1966.blog.fc2.com/blog-entry-217.html

京の道 今日の道

京都の観光地の周辺の様子や 季節の移り変わりを 写真を織り交ぜて紹介。 「京都は、観光地そのものよりも 移動中の道にその良さがある」が コンセプトです。

押小路(おしこうじ)から烏丸通(からすまどおり)を南に向いています。 京都では比較的高いビルが続いていく中、 約50m先に少し開けた場所があります。 それが今回ブログの訪問地「京都国際マンガミュージアム」です。 一応中の方に許可をもらったところだけ撮ったのですが、 それでもブログ1回分の写真枚数になってしまいました…… 撮影日は、2014年5月1日木曜日午前10時20分。 GW中日は、雨が降ったり晴れたりと忙しい天候でした。 押小路から、烏丸通を南に約50m進みました。 西側歩道沿いに、この「京都国際マンガミュージアム」があります。 では、こちらの階段を上っていきます。 階段を上がって、カフェの前で西を向いています。 こちらが、マンガミュージアムの入り口です。 その手前に桜の木がありますが、ここが小学校だった名残でしょうか? その桜の木の下に、このような張り紙がありました。 日本文はともかく、英文を読むと毛虫に刺された方がいらしたのか、 そこが気になりますね。 自分も毛虫に刺されたことがありますが、 手の平の一部が握りこぶしくらいの大きさに腫れましたし…… 入り口を入ると、すぐに売店があります。 マンガも売られていましたが、 アニメのグッズや絵本も売られていました。 (「京アニグッズ」も売られていました) その脇に券売機があって、この切符を買って中に入ります。 800円と多少高いのですが、 その代わり当日なら何回出入りしても構いません。 ちょうど切符を買おうとしたときに、 フランス人御一行が(彼らの言語で分かりました) 30人ほど来られてなかなか中に入れませんでした。 入り口付近に、こちらのパンフレットがありました。 それぞれ言語が違いますが、書かれている内容はほぼ同じです。 これを読んでいると、ここが「巨大なマンガ図書館」なのではなく 「マンガ」「絵本」をテーマにした博物館であることが分かります。 外国から来られた方や、小中学生が 「マンガ」という文化を学ぶ場所なのでしょうね。 ともかく、「マンガミュージアム」の中に入っていきました。 ここは元々小学校の校舎ですが、その壁面の大半が本棚になってい

[6] 二条殿跡 京都通百科事典, , http://www.kyototsuu.jp/Sightseeing/HistorySpotNijyouDonoAto.html

二条殿跡(にじょうどのあと)は、和歌連歌で著名な公家 太政大臣 二条良基の邸宅の跡

旧龍池小学校前に、二条殿御池跡を示す石標が立てられている

現在、烏丸御池付近には、「御池之町」「龍池町」「二条殿町」の地名が残る

【二条殿(にじょうどの)】

二条殿(にじょうどの)は、和歌連歌で著名な公家 太政大臣 二条良基の邸宅で、

「押小路殿」とも称されていた

室町時代の洛中洛外図屏風にも描かれている

邸内には龍躍池があり、「御池」の名前の由来の一つとされる

1577年(皇紀2237)天正5年

織田信長が、景観の美しさを好み移り住んだ

1579年(皇紀2239)天正7年

織田信長から、正親町天皇皇太子 誠仁親王に献上された

1582年(皇紀2242)天正10年 本能寺の変

織田信長の長男 織田信忠がこの地で自害し、二条殿が焼失してしまう

【二条家(にじょうけ)】

二条家(にじょうけ)は、五摂家の一つで、藤原氏北家の九条家流の公家

(御子左流の二条家も別にある)

近衛家、一条家に次ぎ、九条家・鷹司家と同格の扱いがされていた

鎌倉時代

九条道家の二男 二条良実が、二条京極の邸宅を「二条殿」と称したのが家名の由来

家紋は二条藤

室町時代から明治まで

新天皇の即位式において、新天皇に灌頂を授ける「即位灌頂」の儀を、二条家が独占して司っていた

【二条殿跡へのアクセス】

地下鉄 烏丸線・東西線 烏丸御池駅 2番出口すぐ

市バス・京都バス 烏丸御池 すぐ

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[7] , , http://20006.web.fc2.com/isibasi/kyoto/kyoto_si/oike/oike.html

<地図>

元は堀川二架かる御池通りの橋 御池通り拡張の際に撤去され高欄の一部が 堀川通りと東堀川通りを隔てる緑地帯に

移設保存された 昔より大きな池があった神泉苑の横を通るため「御池通」と称されるようになったといわれる

天長元年(824)空海が 法成就池(ほうじょうじゅいけ)の中央に

折雨の修法を行った善女龍王を勧請して祀ったのが神泉苑の由来

その他

宝暦12年(1762)「京町鑑」に「此通の号は神泉苑の前通ゆへ斯くよぶ」と記されている 二条関白家の邸跡で

織田信長の「二条新御所跡(二条城跡)」もあり 室町御池上ルには「二条殿御池跡の碑」が現存し そこから

名付けられたともいわれる 現在も 烏丸御池付近には「御池之町」「龍池町」「二条殿町」の地名が残る

[8] 押小路烏丸殿 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E7%83%8F%E4%B8%B8%E6%AE%BF

押小路烏丸殿(おしこうじからすまどの)は、中世京都にあった邸宅の1つ。後に二条摂関家の邸宅を経て、本能寺の変の際に織田信忠が戦死した二条御所となる。現在の京都市中京区二条殿町及び御池之町、龍池町付近と考えられている。通称二条殿。

元は陽明門院の御所があったとされ、後に後鳥羽院の寵臣藤原範光の邸宅を経て、承元3年(1209年)に後鳥羽院の仙洞御所(三条坊門殿)となった。この邸宅の南側には後世「龍躍池」と呼ばれる広大な池が存在し、池の上には「泉殿」と呼ばれる離れが建てられ、本邸と結ばれていた。後に陰明門院の御所となったが、貞応元年(1222年)の火災で焼失した。その後、正嘉元年(1257年)になって後嵯峨院によって新たな御所が造営された。これが押小路烏丸殿の直接の祖となる。弘長2年(1262年)に院が寵愛する西園寺成子に与えられて以後彼女はここで生活した。

さて、二条家の祖である二条良実がここに居住したとする『拾芥抄』の説があり、また「二条京極第」に邸宅が存在したことから「二条」の家名が成立したとする説もある。更に二条家に伝わる『二条押小路家門亭泉記』には二条良実が建長年間に相博したと記されている。だが、二条良実邸は後に内裏として用いられる二条富小路殿であったことが、『平戸記』寛元2年4月20日条に記された良実の冷泉殿から二条富小路殿への移転記事(「今夜殿下(二条良実)御渡二条富小路御所」 )から確認可能であり、また良実の子二条道良が死去したのが、二条富小路殿であったことも『経光卿記』正元元年11月8日条の死去記事(「今暁(二条道良)令薨去給云々、坐二条富小路亭、已為陣中、旁無便宜」 )に明記されており、二条良実邸が押小路烏丸や二条京極にはなかったと考えられている(なお、当時二条富小路殿は里内裏である冷泉富小路殿とは二条大路を挟んで斜め向かいにあり、里内裏の出入口(陣)の一部とみなされていた)。また、建長年間(貞応と正嘉の間の時期)に押小路烏丸殿の施設が存在したかも不明であり、少なくても二条良実が押小路烏丸殿の主であった可能性は低い。更に室町時代後期に壬生晴富が二条持通より、相博を行ったのは永仁年間であったとする話を聞いており(『晴富宿禰記』文明10年3月9日条)、後伏見天皇が二条富小路殿にて即位した。永仁6年(1298年)以前の13世紀後半に二条富小路殿と押小路烏丸殿

[9] 京都市 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82

京都市 (きょうとし)は、 京都府 南部に位置する 市 で、同府の 府庁所在地 である。

政令指定都市 に指定されており、11の区を置いている。市域は、 山城国 の 葛野郡 ・ 愛宕郡 ・ 紀伊郡 の全域、山城国の 宇治郡 ・ 乙訓郡 と 丹波国 桑田郡 の一部、さらには山城国の 久世郡 ・ 綴喜郡 にもくい込んでいる [1] 。

日本 全国の 市 の中で 推計人口 では第7位( 参照 )、 昼間人口 では 神戸市 を抜き第6位である。京都府最大の都市であり、府の人口の56.3%を占める(2015年5月1日)。都道府県全体の人口の過半数を占める都市は、 東京23区 を一つの都市として考えない場合は京都市のみである。

都市雇用圏 の基準では、京都市を中心として京都府南部・ 滋賀県 南西部に広がる 京都都市圏 ( 京滋 )が形成されている。また、1.5% 都市圏 の基準では、 京阪神大都市圏 の一角を担う。

794年 ( 延暦 13年)に日本の 首都 となった 平安京 を基礎とする都市で、 明治天皇 が 東京 に 行幸 するまでの約1080年に渡って 天皇家 および 公家 が集住したため「 千年の都 」との雅称で呼ばれる( 首都 に関する議論は「 日本の首都 」を参照)。 平安時代 、 室町時代 の 室町幕府 期には日本の政治の唯一の中心であり、 鎌倉時代 、室町時代の中の 戦国時代 、 安土桃山時代 、 江戸時代 の 幕末 期などにおいても、日本の政治の中心のひとつとして大きな役割を果たした。

平安時代から江戸時代前期までは日本最大の都市であり、その市街地は「京中」、 鎌倉時代 以降は「 洛中 」と呼ばれ、都市としては「京」「京の都」「 京都 」と呼ばれた。江戸時代には 三都 、 明治 期には 三市 、 大正 期以降は 六大都市 ( 五大都市 )の各々の一角を占め、戦後には 政令指定都市 になった。このような中で都市生活者向けの商工業が発達し、特に国内 流通 が活発化した江戸時代には、全国に製品を出荷する 工業都市 となる一方、数々の技術者を各地の 藩 の要請に従って派遣した。その伝統は現在も 伝統工芸 として残るのみならず、 京セラ や 島津製作所 など先端技術を持つ企業を初め、 任天堂 や ワコール など業界トップクラスの本社が集まるなど、現代産業を支えている地域

履歴

[16] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054553850252

メモ