昨日は、早退申し訳ないです。遅くまでお疲れ様でした。
本能学区の特色
延暦13年、京都に都が遷されてから開けた所で、左京永昌坊に属し、主として
貴紳の邸宅に当てられていました。此のあたりの良質な地下水を活用し、京染の
生産地として発展してきました。地域には京染をはじめ伝統産業の職人が住まいし、
京の暮らしを支えるものづくりや、商いがされてきました。近年和装産業の活力低下
などにより、地域の経済力が低下し、京染などの工場が無くなった跡地に高層の共同
住宅が次々と建設されるなど、町の変化が急激に進みつつあります。
明倫学区の特色
明倫学区は京都市内の中心部に位置し、平安時代から特に織物関係の業者が多く、
公家等との交流も早く商業、経済の振興など早く文化が栄えた。都として行政面から
も安定する必要から社寺の建立もあり祭を通じて生活の安定を図った。明倫地区内で
現在13の山鉾が在り現在全部で32ケ所の建立地点を有し、民衆の理解が深まり
「祇園御霊会」と称し、将軍家でさえ行政面での日程など空けた程である。祭りの
目的は今も疫病の削除の願いがあったのである。
城巽学区の特色
築城が400年の二条城(東南)から辰巳の方角になることから名づけられた。古くは
平安時代関白藤基経の大邸宅であり堀河院(里内裏)藤原良房の京三条院等公家邸宅が
あった。醍醐天皇の皇子の高松殿、豊臣秀吉の(妙顕寺跡地)城館、江戸時代には大老
土井利勝屋敷跡(現御池中学)や福井藩邸跡があった。明治から大正・昭和10年期に は堀川で友禅流しの染処の町として栄え、現代も和装工芸の職住の地域ですが、御池通
に高層ビル、マンション/ワンルームマンションが建て替えられ世帯が増加しています。
龍池学区の特色
龍池学区は、北は二条通り、南は三条通り、東は烏丸通り、西は新町通りに囲まれた
地域です。「龍池」の名は、上京二十五番組小学校が創設された両替町御池あたりは、
江戸後期以後、「御貸地」(おかしむ)であり、地名がなく、明治3年に、鎌倉時代
に栄えた二条関白の邸「二条殿」にあった「龍躍池」(たつやくいけ)にちなんで、
龍池町と命名されたことに由来しています。
以上、参考にお願いします。