栄橋

栄橋

[1] 栄橋 (さかえはし)

Webページ

[2] 榮橋, , http://www.geocities.jp/sta_vanilla/bridge/sakae.htm

榮[1](さかえ)橋は、市道上町線に存在する橋である。

市道終点側から撮影している。[2013/9/24]

親柱から欄干からすべて遺っており、一見現役の橋に見える。しかし写真を眺めるだけでも既に橋本来としての役目を果たしていないことに気付くだろう。欄干の外側には木が伸びているし、川のあるべき場所が駐車場で車が停まっている。

橋の中央部分をポイントした地図を下に示す。

この地図を眺めるだけでも元は川があったらしいことが推測されるだろう。下流側には細い運河のような部分が遺っており、上流側には公園を示す緑地としての表示がみられる。如何にも、この帯状領域は昭和後期までは今の新川のように潮の干満の影響を受ける人工水路だった。

この橋の異様な外観は、早い時期から気付いていた。恐らく大学時代だったと思う。宇部線の列車から川もない場所に橋が架かっているのを見つけている。奇妙とは思ったが当時の自分にとって居能方面は如何にも遠く、わざわざ観に行こうという気もなかった。

初めてここを訪れたのは、今から4年前に遡る。榮橋が以前存在していた筈の川に架かる橋であることは気付いていたので、そこから上流側を辿ることでかつて真締川が居能方面に流れていた痕跡を探れないだろうかという考えから行動を起こした結果だった。[2]

市道上町線は、かつて新川から居能を経て西宮八幡宮に参拝する古くからの幹線道路だった。榮橋はその区間の最も主要な橋であり、初代の木造橋は明治30年代前半に居能の船大工が持てる技術を発揮して造りあげた。彼らはその後厚東川に架かる琴川橋も手がけている。[3]現在架かっているのは初代のコンクリート橋である。

橋の部分を仕切る石材が今も路面に埋め込まれたまま遺っている。これは当時のものと考えられるだろう。

「榮橋」のブロンズプレート。

コンクリート製の親柱がかなり大きい。

上流左岸側。

親柱に隣接して祠のようなものが置かれていた。

(個人の所有物かも知れないのでここでは深くは追及しない[6])

「榮川」の河川名表記も旧字体である。

市道終点側から撮影。

左右にある公園や駐車場、前後の道路に比べて橋全体が高かったようだ。

右岸下流側の親柱には平かな表記で「さかえはし」。

上流側には竣工年として昭和12年3月となっていた。

コンクリート橋としては古い部類に入る

[3] 栄川児童公園, , http://www.geocities.jp/sta_vanilla/park/sakaegawa.htm

川と公園は景観的に結びつく。市内を貫流する真締川は、宮地から河口部までの両岸に市道が整備された区間が真締川公園となっている。しかし栄川児童公園は河川に面した公園ではなく、栄川の上が公園となっている。栄川という河川実体そのものは既に存在しない。[1]昭和11年と昭和49年における時期をおいた2度の埋め立てによって現在に至っている。

栄川埋め立てに関する詳細は宮地嶽神社にある石碑の派生記事を参照されたい。

ここでは、踏査日現時点における栄川児童公園に関して述べる。

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栄川児童公園は正式には栄川街区公園と呼ばれ、市公園緑地課の管理する公園の一つである。[2]

元々が栄川を埋め立てた上を公園の敷地にしているので、河川の成りに沿って細長い。

入口は榮橋と原田橋の両側にあり、原田橋側に公園名と成立時期をあらわす標示板が立っている。

標示板を中心にポイントした位置図を下に示す。

薄緑色に着色されている区画が栄川児童公園の範囲である。

まずは標示板の場所から下流側へ歩いてみよう。

児童公園という表示の通り、子ども向けの遊具が設置されている。

お馴染みのブランコも。

元々が河川なので幅が狭く、ソフトなどのボール遊びをするにはちょっと狭い。

ベンチは昭和40年代後半らしくコンクリート製で、水飲み場も同年代を思わせる仕様だ。

もちろん水飲み場の蛇口はひねるとちゃんと機能した。

(但し下部に取り付けられた蛇口下の排水口は流れ込んだ土で詰まっていた)

公園に隣接する私有地はブロック塀で仕切られている。風を通す模様入りの建築ブロックに笠石着きは昭和中期以降民家のブロック塀によく見られたスタイルである。

ブロック塀の一部には扉が設置されていた。

どうやって遊ぶのかちょっとよく分からない遊具。

想像はつくが、平成期の子どもは果たして巧く使いこなせるのだろうか…

榮橋側の出入口。市道上町線とは1m近い段差がついていてコンクリート階段で接続されている。

公園内の雨水を処理する桝が見えている。

(栄川の下に埋設されているヒューム管に接続されているのだろうか)

振り返って撮影。

遊具の種類などは申し分ない。限りあるスペースを利用してよく整備されている。

栄川児童公園の両側には民家が迫っている。そのままだと公園から丸見えなので民家に接する部分には樹木が

[4] 梅田新道 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E6%96%B0%E9%81%93

国道1号と国道2号などの結節点であり、1952年12月からは国道の起点終点を示す道路元標が設置されている(以前は高麗橋東詰、次いで大阪市役所前に設置されていた)。ここより南、難波までは御堂筋の南行き一方通行路である。東隣の交差点はウメシンヒガシ(梅新東)で、渋滞の先頭になることが多い交差点である。南隣の交差点はウメシンミナミ(梅新南)である。

交差点の地下では、JR東西線と大阪市営地下鉄御堂筋線が交差し、大阪市営地下鉄谷町線がこの交差点を曲がっている。

梅田新道交差点を終点とする国道[編集]

国道1号(始点: 東京都中央区日本橋)

国道25号(始点: 三重県四日市市)

国道176号(始点: 京都府宮津市)

梅田新道交差点を起点とする国道[編集]

国道2号(終点: 福岡県北九州市門司区)

国道26号(終点: 和歌山県和歌山市)

国道163号(終点: 三重県津市)

国道165号(終点: 三重県津市)

梅田新道交差点からの距離[編集]

国道1号 名古屋・京都・枚方方面

名古屋 185km

四日市 149km

京都 44km

枚方 22km

守口 9km

国道2号 岡山・姫路・神戸方面

岡山 155km

姫路 88km

明石 53km

神戸 32km

尼崎 12km

国道25号 四日市・伊賀・八尾方面

四日市 141km(名阪国道経由)

伊賀 84km(名阪国道経由)

八尾 15km

国道26号 和歌山・岸和田・堺方面

和歌山 72km

岸和田 32km

堺 15km

国道163号 津・木津川・門真方面

津 117km

木津川 35km

門真 10km

国道165号 名張・橿原・大和高田方面

名張 80km

橿原 41km

大和高田 37km

国道176号 福知山・宝塚・豊中方面

福知山 109km

宝塚 23km

豊中 11km

関連項目[編集]

近畿地方の道路一覧

道路元標

北新地

外部リンク[編集]

『昔の大阪』写真ライブラリー > 御堂筋と地下鉄

大阪梅田・淀屋橋の変化(ステーション・駅前の歴史いろいろ)

[5] 大阪珍登山紀行-蘇鉄山と天保山 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/sotetsuyama-mount-tenpo

大阪は平野が南北に伸びる、比較的平らな土地ですが、一方で 兵庫県 以外の県境がすべて山でもあります。 大阪で有名な山の一つに、 金剛山 があります。大阪の小学校では耐寒登山で真冬の 金剛山 に登るのが儀式になっているのですが、最近はミリオタや二次元好きの間で、戦艦『金剛』の命名山になったところとして有名になったそうな。 標高1000mちょっととは言え、 金剛山 も立派な山ですが (地元の人はサンダルで登るらしいけど) 、大阪にある山はこれだけではありません。他 都道 府県にあれば、たぶんネタにもならない、大阪にあるから輝ける名山ならぬ 「珍山」 もあったりします。 大阪人なら、タイトルで「ああ・・・」とすべてを察するでしょう。

1.蘇鉄山

大阪の 堺市 に、 「大浜公園」 という比較的大きい公園があります。 元々ここは江戸時代のお台場から始まり、明治以降は水族館や海水浴場、 スーパー銭湯 のご先祖様と言える「潮湯」という温泉娯楽施設がありました。 娯楽が少なかった戦前においては、浦安の ネズミーランド に匹敵した自称「東洋一」の総合レジャーランド、かつリゾート地。夏になると関西中から観光客が殺到していました。 しかし残念ながら、 松尾芭蕉 の「つわものどもが夢のあと」が身にしみるほど、現在はその片鱗すら見当たりません。 大浜公園については、別記事で詳しく書こうと思います。なので、今回は軽くスルー。

こんなところにも、実は山があります。

蘇鉄(ソテツ)が植えられていることから、長年 「蘇鉄山」 と呼ばれている山です。

ここが山の入口です。

険しい山道を登り、

よっしゃ、頂上まで登ったで~!

さて、麓から頂上までに要した時間はというと!

「分」ではありません、 「秒」 です。 それもそのはず、蘇鉄山の標高は 6.97m 。センチに直すと 697cm 。

え!?それは山なんか!?うちのマンションの方が『高い』やんか!PVが集まらんからってついにタイトル詐欺か!? まあまあ、落ち着いて話を聞きましょう。

頂上(とおぼしき所)には、このような印があります。これを 三角点 といいます。 三角点とは、測量の時の基準となるポイントのことで、一等~四等に分かれています。 蘇鉄山の三角点は 「一等三角点」 ですが、これは測量の際にもっとも重要な土台となるもので、意図的に破壊すると2年以

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054549395896

メモ