2015/4/8 6:42 【現在地】
橋脚群の目撃情報があった草木原へ向かう途中の道すがらで、こんなものに出会った。
高台の畑の中にポツンと、まるで一里塚か小さな古墳のように盛り上がった土饅頭で、一方にだけコンクリートのアーチ型の口が開いていた。
全くこれまでに見た憶えのない構造物で、気になったので近寄ってみたらば、案内板が設置されていたので正体が判明した。
曰わくこいつの正体は…
防空監視哨跡(聴音壕)
昭和16(1941)年第2次世界大戦が始まり、国内の防空体制が強化される中、全国に防空監視哨が作られました。この聴音壕は敵機の音や種類をいち早く見分けて、本部へ連絡することを仕事としていました。構造は、煉瓦の二重積みで壕の縁がラッパ状になって集音しやすくできています。勤務には、国民学校高等科を卒業した15〜16才の青年が、24時間体制であたっていました。県内に作られた約40ヶ所のうちのひとつで、状態が比較的よく保存され、戦争を知る重要な遺跡です。 (平成16年7月 長野原町教育委員会 町指定重要文化財)
私は知らなかったが、戦時中にはこんなものが日本各地にこしらえられていたのだそうだ。
そして今回探索している鉱山鉄道とは、ほぼ同じ時期に、同じ目的(戦争遂行)の為に建造された土木構造物の仲間ということになる。鉄道工事は昭和20年の終戦間際まで続けられていたようだから、この聴音壕の発令によって労務者の命が救われたこともあったかもしれない。
7:00 【現在地】
草木原集落がある河岸段丘の東の縁に近いところにやってきた。
写真奥に見えるのが吾妻線の草木原トンネルの西口で、直前の川縁での探索で見届けた最後の地点である。
ちなみに聴音壕や国道が通っているのは、これより一段上の段丘上で、右奥に見える坪井大橋がその高さを教えている。
さて、鉱山鉄道がこの草木原の平地のどこを通っていたのかは、不明である。
住民に問い合わせればヒントが得られたかも知れないが、残念ながらこの天気では、出歩いている人も無い。
まあ、仕方がない。
いずれ平坦地では、目を瞠るような遺構が残っていることはないだろうから、時間の限りもあることだし、ここはサラッと流して先へ進もう。
この後に目指す【情報1】の橋脚群遺構との位置関係を考えると、草木原の計画ルートは、この写真の畦道辺りでは