ペテガリ岳

ペテガリ岳

[1] ペテガリ岳

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[2] jimmys.hiking.news.9., , http://page.freett.com/stsuyuki/jimmys.hiking.news.9.htm/jimmys.hiking.news.9.htm

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山歩通信

(Jimmy's Hiking News)

No. 9

今回ご紹介する山:

日高 ペテガリ岳(1736m)

(Mt. Petegari,1736m,

in Hidaka Mountains, Hokkaido)

北海道の300名山

北海道からは26座の山々が日本300名山に選ばれて居ますが、峻険をもって知られる

日高山脈の山々では最高峯の日高幌尻岳、カムイエクウチカウシ山、神威岳、それに

このペテガリ岳の4座が指定されて居ります。

1994年の初夏までに26座の内, 23座の

300名山を登っていた私は,残る3座を訪れる為に7回目の北海道登山旅行に出かけ

ました。

それではこれから数回に亙ってその折の拙い紀行文を、ご紹介させて戴き

ます。

飛行機から見た冬の日高山脈

ペテガリ岳,1736m

ペテガリ岳,私がこのエキゾチックな響きの山名を知ったのは敗戦直後,1947年

(昭和22年)の冬だったと思いますが,早大山岳部が極地法(ポーラーメソッド)

により、早大尾根から頂上をアタックした事が新聞で報道された時で,このニュース

は当時,後のヒマラヤ遠征よりもビッグなニュースとして扱われて居た様に記憶して

居ます。

何しろ当時は敗戦直後の混乱期で、暗い事件ばかりで明るく,希望に

満ちたニュースなど皆無に近かったせいかも知れません。

当時,17歳で病床にあった私は,小暮理太郎の『山の憶い出』や、田部重治の

『山と渓谷』等の山の本を読みふけり,未だ見ぬ山々を夢に見、憧れて居ましたが、

このニュースを知り,日本にもこの様な人跡未踏で遥かに遠い山があったのかと

思いました。

当時発行されていた雑誌、”山と渓谷”等は紙も無かった時代で、今から

は想像できない程,薄っぺらでザラザラ、そして灰色の、紙とは名ばかりな粗末さでした。

ちなみに今手元に残っている1946年9月〜11月刊行の冠松次郎の"渓想”,及び

中西悟堂の“鳥の山旅”〈共に山と渓谷社刊〉はそれぞれ120数頁で定価9円です。

それから半世紀が過ぎ,北海道には幾度となく渡り,北の大地の多くの山々を尋ね

ましたが、

この遥かな山、ペテガリ岳は最後まで残ってしまいました。

海抜1736mの高さの山は,本州ではむしろ低山と言えます

履歴

[3] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054545748384

メモ