十二社

十二社

[1] 十二社 (じゅうにそう)

35.6879975290461 139.688088297844

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[2] 十二社(じゅうにそう)の池(新宿区西新宿) : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/12453676/

荒木町の策の池に続き、花街を擁した池ということで、「十二社(じゅうにそう)の池」を取り上げる。 十二社(じゅうにそう)の池は、新宿中央公園の西側を南北に通る十二社通りの西側、北側に開ける深い谷戸の底にあった(十二社は一帯の旧地名で、現在でも地元ではその名で呼ばれることが多い)。もともとは1606年、近隣の農業用の溜池として湧水をせき止め造られた池(上の溜井と下の溜井)だが、すぐそばに新宿一帯の鎮守社熊野神社があること、1667年に玉川上水から神田上水(神田川)への助水堀が引かれ、ちょうど熊野神社の所に滝が出来たこと、更に神田上水助水堀から池へいくつか滝が落とされたことなどから、江戸近郊の景勝地として知られるようになった。池の周囲には茶屋が並び、明治以降は料亭や芸者置屋も数多く出来て、池の西側からそれに続く丘陵地にかけて、花街として賑わった。 下の溜井(小池、下池)は明治期には既にかなり小さくなっていたようだが、上の溜井(大池、上池)は弁天池とも呼ばれ、明治〜大正期の時期で南北300m、東西50mの規模があり、池ではボートや釣り、花火が楽しめた他、屋形船まで浮かべられていたという。一帯は1924年には二業地(料理屋、芸者置屋)、1927年には三業地(二業地+待合)として指定され、賑わった。 花街が最盛期を迎える一方で、池は徐々に規模を縮小していく。大正後期〜昭和初期には、一番北寄りの小さな池(下の溜井の名残)が埋め立てられた。1934年には十二社通りが開通、弁天池は熊野神社と分断され、池の東側が少し道路の下となって埋め立てられた。同時に池の南側部分(現在のニューシティホテル以南)も埋め立てられ、竜宮殿、弁天閣、神風閣といった大きな料亭が建ち並んだ。 その後花街は戦争末期の経済統制と東京の空襲で一旦消滅し戦後、再度復興。戦前ほどの規模ではないが1950年代に戦後の最盛期を迎えた。1958年には弁天閣が温泉を掘削し、「十二社温泉」としてオープンする。しかし、その頃をピークに料亭、待ち合いは減少。池を取り巻く環境も、淀橋浄水場の廃止と副都心の開発、近辺の宅地化などによって大きく変化する。池は北側を残して徐々に縮小していき、最後まで残っていた弁天池北側の十二社通りに面した一角も、水質の悪化から1968年7月に埋めたてられ、完全に消滅した。花街も1980年代半ばにはほとんどの料

[42] 信濃町 | 2007~2009年 (東京都新宿区) - 東京DEEP案内, , http://tokyodeep.info/shinanomachi/

2007年夏、初めての信濃町 東京の地理に詳しい知人の話で「一度信濃町と言う所に行ってみろ、凄いから」という強いお勧めを受けて、2007年の真夏の暑い中、新宿から総武線各駅電車に乗って信濃町駅を目指した。 新宿御苑、神宮外苑、赤坂御用地など、皇室関係の敷地が数多くあるお陰で首都のど真ん中にありながら広大な緑地と自然環境が残ったエリアが存在するのは、東京に来て驚く事の一つである。そんな絶好のロケーションの土地が、とある新興宗教団体によって次々買い占められているという話を聞いたのは、もうかなり昔の事だ。 公称1000万人、日本最大の新興宗教団体「創価学会」の本拠地がここ信濃町にある。一体どんな場所だろうという好奇心だけでやってきたのだ。 信濃町駅の改札を降りた、駅の構内からして既に教団関係の広告ばかりでありヤバイ。 「信濃町饅頭・信濃町しぐれ 三色味」と書かれた饅頭屋は和風とは似ても似付かぬ鮮やかな青黄赤の極彩色大勝利カラーに包まれていて非常に香ばしい。信濃町限定の代表的な土産物だ。 赤色には梅、黄色には栗、青色にはずんだ餡が使われているのだそうだが、この青はどう見ても正常な食品の色には見えないぞ。 学会員ではない人でも、神宮球場や、この慶応義塾大学病院は足を運ぶ機会があるだろう。この病院は過去に前総理大臣安倍晋三氏が運ばれたり首を吊った松岡利勝農水大臣が運ばれたりするなど、政府要人などの大物が利用している。 他にも、謎の死を遂げたZARDの坂井泉水氏が転落した螺旋スロープもある。この件も事故だったのか自殺だったのか結局謎のままだ。 だが、それよりも信濃町と言えばやっぱり青黄赤の大勝利カラーである。町中至るところに大勝利カラー。ここはルーマニア領ですか? しかも、このステッカーをよく見ればわかるが、信濃町商店振興会のものだ。商店街からして既にSGIの配下にあるということなのだろう。いやはやたまげました。 信濃町から四谷三丁目までを南北に抜ける外苑東通り。ここにも創価専門仏壇店や書店などの関連店舗がズラリと軒を連ねる。 本当は一歩裏通りに入っていくと凄まじい密度で創価関連施設が密集しまくっているのだが、今回は写真なしです。ヘタレですみません。 ちなみに、この界隈では普通にカメラを持ってうろつくだけでも謎の警備員に尾行されたり、「何か御用ですか」とさりげなく尋問されたりする

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