桃園川

桃園川

[1] 桃園川

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[2] 神田川1985(1)桃園川合流地点 : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/12177242/

1985年の夏、学校の夏休みの自由研究で、神田川を源流の井の頭池から河口の浅草橋まで歩いて調査した。そのときの写真から、いくつかピックアップして現在の状況と比較してみる。 まずは桃園川と神田川との合流地点。杉並区天沼にかつてあった弁天池を源流とし、杉並区から中野区を東に流れる神田川の主要な支流のひとつだ。現在は全区間が暗渠化されている。 まずは1985年の写真。桃園川は合流地点まで完全に暗渠となっているものの、護岸は船の舳先のような、暗渠化される前の姿が残っていて、二つの川がここで合流しているということがはっきりとわかる。

そしてこちらは現在の姿。神田川の川底を掘り下げる改修があったようだ。それにあわせて、桃園川の合流口は、何とも味気ないものとなっており、知らない人がみたら、そこで川が合流しているとは気がつかないだろう。

川だけではなく周囲の風景も激変している。1985年の写真の右端に写っているビルが、現在の写真の右端の奥に辛うじて姿を覗かせているのが、唯一のはっきりした目印だろうか。そして神田川の上流方向にそびえ立つ沢山の高層ビル。85年の時点ではそこには空があるだけだ。 高度経済成長期に東京の景色は激変した(そして数多くの川も暗渠化された)のだが、その後もバブルの時期や2000年代の大規模再開発を経て、大きく変化してしまっていることを改めて感じる。1985年はすでにノスタルジーの対象になりうる年代となってしまっているのかもしれない。

[12] 小沢川支流を歩く 蛇窪支流(仮): 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/06/post-26c2.html

久しぶりの杉並、久しぶりの小沢くんです。実は本流歩きのときに見つけた小沢川支流を、1ブロックだけ歩いてあとは見つからないとか言ってあきらめていました。そして後日、杉並区史跡散歩地図でその上流部の流路があることに気付いたのですが、たぶん痕跡などなかろう、と、後回しにしていました・・・。わたしのこの、1ブロック無かったらあきらめるクセ/少し知っている場所だと何もなさそうだと決めつけるクセ、は、いかんですね。時々出てしまいます(たぶん持久力が無いので自分エコに走るんじゃないかと・・・)。

しかし、何かあるかもしれないじゃないか!そんなわけで始まる、東高円寺スタートの、小沢川支流さんぽ。 青梅街道沿いに、鰻屋さん”小満津”(元は京橋に在ったらしい老舗、なかなか美味しいです)が移転してきてました。ほんの数メートルの距離にあった、以前の店舗は一体?と見に行きましたら、散歩かふぇなるものができてました。うーん、気になるネーミング。さんぽ好きにはたまらん内容ですし!このときは開いてなかったので、ぜひ開店時に行ってみたいです。

さて青梅街道から、南方向へと。杉並区と中野区の区境あたりに、”蛇窪””清水窪”などと呼ばれた場所があり、そこから小沢川の支流は始まっているようです。 それらしき場所の近くにはまず、クリーニング屋さんが2軒。こちらは残念ながら廃業されてるのでしょうか・・・

クリーニング屋さんの少し東に、杉並区史跡散歩地図で暗渠ラインが引いてある地点があります。それが、ここ。・・・あああ!この場所、そういえば道路の感じにちょっと違和感持っていたんだった~・・・車の奥に鬱蒼とした緑が見えると思いますが、もうめちゃくちゃ川跡っぽいです。早くあそこを見に行きたい! しかし家・家・家でなかなか近寄れません。ぐるぐる探していると・・・、

ぶっほー!!

・・・なんと見事なバランスのおうち!!すごいインパクトです。。

って、建物に気を取られている場合ではありません。まさにその家の真横を、支流が走っているのでした!!

さいわい駐車場があるので、落ち着いて絶景を眺めることができます。

見てください、この壁を。その向こうに生い茂る草たちと、暗渠のにおいを。

上流の方向を見ます。このように、ちょっとした崖になっています。いかにも湧水があったような感じです。

その崖下がこう。駐車場の壁と、茶色のフェンス

[13] マセ口川ピクニック: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2013/04/post-77da.html

肌寒かったり、雨ふりだったり。そんな日が続きますが、春らしい記事をふたつ、書こうと思います。ひとつめは、暗渠と開渠のピクニックのおはなし。

行先は、調布にあるマセ口(ませぐち)川。 これが正式名ですが、最初に「ませろ」と読んでしまったため、またそのほうが呼びやすいため、わたしは普段は「ませろがわ」と呼んでいます。 だから現地でも声に出して「ませろがわ」、と連呼するわけですが、それが聞こえてしまった地元の方がもどかしく思っているかどうかは、知りません。

以前、秋にマセ口川の水源を見に来たことがありました( ゲゲゲの湧水前編 )。また別件で調布を歩いていたときにマセ口川の脇をたまたま通り、「春にピクニックに来たらよさそう!」と、思っていたのでした。

そして、待ちに待った春がやってきました。

マセ口川の水源は、都立農業高校神代農場の敷地内。普段は入ることができません。 その、水源のある谷戸はかつてまるまる池で、池の谷とも呼ばれていました。いまでも湧水が豊富で、おそろしく澄んだ水を使い、ワサビ、ニジマス、ヤマメなどが育てられています。

ここは農場のすぐ下流側で、ここなら普段から一般人が出入りできます。

農場内を流れる澄んだ水を思い出しながら、フェンスに近づいていくと・・・なんと、湧水がはみ出ているではありませんか。

きれい・・・。

そしてはみ出ていた湧水は、農場の田んぼを通ってくる流れとここで合わさり、一度地下の管渠におとされ、地面の下にくぐるようです。

でも、その落とされたすぐ先にも浅い凹みがあって、あちこちからじゅくじゅく、じゅくじゅくと水が湧いていました。

みごとな湿地。自然のままの姿です。 ここも”神代農場南側斜面”という、調布の湧水点のひとつとして挙げられています。

この、はみ出し湧水と、じゅくじゅく湿地がいっぺんに見られる場所に、自分たちだけが立っている。すてきなお庭に居るような・・・。まだ朝でしたが、あまりの気持ちの昂りに、おもわず、乾杯 。(まだ咲いていませんでしたが、ここには桜の木まであるのです!)

この場所、豊水期に行かれたえいはちさんが 記事 にしていますが、やはり春とは水の量が違いますね (しかし暗渠写真の撮り方がものすごく被っていて、おもしろかったです)。

じゅくじゅく湿地のおわりには、橋のようなものがありました。 橋?の先で中央自動車道をくぐり、

[14] スーさんの釣り堀 ( 東京都 ) - なんたって中央線 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/ikansokutai/4119382.html

今日もまた雨。

本当に梅雨に舞い戻ってしまいましたね、これでは。

気象庁の方々、ちゃんと高円寺の気象神社にお参りに行ったのかなぁ?(笑)

よく気象神社に「明日晴れますように」とお参りに行かれる方もおいでのようですが、もともと気象神社は「天気予報が的中しますように」という神社ですから、お間違いなきように。

じゃぁ昨日に引き続き、今日も水っぽいお話しといたしましょう。

まず例の2005年9月の水害時、水没?した阿佐ヶ谷駅について。

阿佐ヶ谷駅の南口ロータリーから西に延びる商店街は「川端商店街」と言います。

このあたり、かつて文学者が多く住んで「阿佐ヶ谷文士村」などという通称もあったということで、川端康成先生の旧宅があった・・・・とか、そういうわけではありません。

実際に「川端」だったからこそのネーミング。

そう、水没もするはず。阿佐ヶ谷駅前は、元々はなんと川だったのです。

高円寺には馬橋稲荷神社という、こちらも由緒ある神社があります。ここでは江戸時代、よく雨乞いが行われていたそうです。

江戸中期以降に田畑の開発が進んだ中野・杉並地区では、やがて水不足に直面します。

宝永年間に天沼・阿佐ケ谷村は、千川上水(元禄年間に開削)から分水を引くことを許されました。これは通称「六ケ村分水」と呼ばれます。けれどもその先の高円寺・馬橋・中野の三ケ村は、その恩恵に預かることが出来ませんでした。天沼の弁天沼を源とする桃園川の水量は乏しく、そのため田圃の用水は雨水に頼るしかないため、雨乞いが盛んに行われたのです。

しかし、いつまでも神頼みでは仕方がありません。「天は自ら助くる者を助く」というじゃありませんか。しかも「天保の大飢饉」が関東一円を襲いました。高円寺・馬橋・中野三ケ村の名主さんたちは相談し、水量豊かな善福寺川から桃園川に通じる水路を開削しました。工事は青梅街道という丘を胎内掘り(地下トンネル)で越すという難しいものでしたが、幕府の協力と優秀な民間技術者、川嶋銀蔵の力により見事成功。これが「新堀用水」です。荻窪団地のあたりで取水し、杉並高校横の成宗弁天池を中継地とし、地下トンネルで青梅街道を横断。杉並区役所やショッピングアーケード「パールセンター」の地下を通り、桃園川の東橋付近で合流していました。

豊かな農村地帯であった高円寺や阿佐ヶ谷近辺には、こうした用

[15] 暗渠ハンター 立会川・清水池「下」支流: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-b1b1.html

立会川の主な水源は、3つに大別でき、西から東へ順番に挙げると ①碑文谷八幡付近 ②碑文谷公園弁天池(碑文谷池) ③清水池公園清水池 となります。

このうち、最近この辺りを改めて探索してみて、 ・②の弁天池からさらに上流にある暗渠 ・③の清水池からさらに上流にある暗渠 ・③から流れ出る立会川本流の傍流暗渠 などを見つけてきたので、 何回かに分けて書き進めて行こうと思います。 まず今回は、最後に挙げた 「③から流れ出る立会川本流の傍流暗渠」のお話、いってみましょう。

清水池(それと、今後触れる弁天池・別名碑文谷池)については、 とっても詳しくわかりやすく説明する 目黒区のページ を見つけてしまったので、 これをご参照ください。

清水池は古くから湧水を湛える名勝地。

ここから立会川(のひとつ)が流れ出していくのですが、 清水池の南に、それに寄り添うように流れる一つの水路がありました。

位置からすると、 もしかしたら清水池からあふれ出すもう一本の水路だったのかもしれません。 (たぶんそう解釈した方が自然でしょう) ではまずは地図を。この緑色のラインです。

より大きな地図で 立会川 を表示

立会川の主ルート(紫線)はこちらなんですが、

これを下っていくとある一つ目の大きなカーブ。

ここに、左手の後方から鋭角に合流してくる水路があるのです。 それがこれ。 左が本流、右というか正面が今回取り上げる傍流です。

まあ清水池の下(南)あたりから始まってるから、 これを「立会川清水池下支流」と仮に名づけることにします。

この清水池下支流にちょっとだけ入って、 合流後の本流方面を眺めたのがこの写真。 合流点付近には点々をマンホールが連なっています。

ではここから上流に向かって入って行ってみましょう。

未舗装です。

草の生え方からいって、 交通量はたいへんに低そうな道ですねこれは。

その原因は、やはり「狭いから」でしょうね。

ですがある意味見事な暗渠です。 このワイルドさは 桃園川たかはら支流 (リンク先はnamaさんの「暗渠さんぽ」) の一部にちょっと通じるものがあります。

これですから。この連続ですから。

盛夏だし、もう見たことない羽虫とかが いつ出てきてもおかしくない雰囲気ですが、 私の好奇心がそれに勝るのだw

化石のようになったマンホール。

見た瞬間、ジョージ

履歴

[16] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054542936656

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