石神井川羽沢支流

石神井川羽沢支流

[1] 石神井川石神井川羽沢支流

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[2] 羽根と粘土のはざま。石神井川羽沢支流(下練馬分水)をたどる : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/20280576/

暗渠を辿って街を歩いたり、地域の旧地名を調べていたりすると、しばしば「羽」のつく地名に遭遇する。何となく鳥の羽根が連想され、軽やかなような、気品のあるような地名に感じられたりする。練馬区内の豊島台を刻み、石神井川に流れ込んでいたいくつかの支流の暗渠のひとつにも、そんな「羽」のつく地名を流域とするものがある。1960年代に暗渠化されたその川は、流域の地名「羽沢」をとって「石神井川羽沢支流」と呼ばれている。 羽沢支流にはその源頭部に、千川上水からの分水路が接続されていた。こちらの分水路は下練馬村分水とよばれていたため、羽沢支流全体を下練馬村分水、あるいは羽沢分水と呼ぶこともあったようだ。分水路は江戸中期には開通していたようで、羽沢の谷戸の底には細長い水田が拓かれていた。

(google earth経由「東京地形地図」に川・川跡をプロット) 「羽沢」は現在では「はざわ」と読むが、もともとの地名は「羽根澤」と書いて「はねさわ」と読んだ。下練馬村の字名の一つだ。昭和初期の板橋区編入時に消滅した地名だが、1962年に羽沢として復活したという経緯を持つ。どうせ復活するならそのまま羽根沢にすれば良かったのに、なにか思惑があったのか。 練馬区のサイトによれば、地名の由来としては鶴がたくさん飛んできて羽を落としていったからというよくわからない伝承があり、一方で「埴沢」つまり、埴輪の素材となるような、粘土質の土が採れる場所だったからだろうとされている。 羽沢といってまず思い出すのは、渋谷川の支流「いもり川」の流れていた「羽沢」だ。こちらには源頼朝の飼っていた鶴がここに飛来して営巣し、卵から孵った雛がはじめて羽ばたいたところ、と、やはり鶴にかこつけた由来が残っている。羽から鶴への連想・変換というのはひとつの型だったのだろうか。(いもり川の記事はこちら「いもり川再訪(1)」「いもり川再訪(2)」。) おそらくもともとはどちらも粘土や泥を指す「はに」が語源なのだろう。古地図をみると練馬の羽根沢から続く台地のヘリには「羽根木」という字名があり、同じ地層の粘土が露出していたであろうと思われる。ちなみに「赤羽」の羽も同様に赤い粘土質の土がとれたことが語源とされている。 粘土が語源だとすると羽根のイメージとはまったく異なってきてしまうわけだが、それでもなおハネという言葉の響きにはなにか惹

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