深大寺用水

深大寺用水

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[2] 深大寺用水と入間川〜絡み合う用水路(跡)と川(暗渠)を紐解く(1)深大寺用水東堀の上流部その1 : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/17164124/

深大寺用水と入間川〜絡み合う用水路(跡)と川(暗渠)を紐解く(1)深大寺用水東堀の上流部その1��

2011年 12月 04日

またもや久々の更新です。10月、11月としばらく間が開いてしまいましたが、今月から何とかペースを取り戻したいと思います。今回から何回かにわたって、かつて三鷹市から調布市にかけて流れていた玉川上水の分水「深大寺用水」の暗渠/川跡を、関係の深い野川の支流「入間川」とあわせて紹介していきます。深大寺用水に関連する水系は、東京の水2009バージョンを再開する前から探訪を重ねていたのですが、なかなかに奥が深くて、記事にするタイミングを測りかねていました。先日久々に現地を訪れ、またも新たな発見があったりしたので、思い切って記事を開始してみることにします。 ================= まずは関連する水路の全体を地図で見てみよう。深大寺用水の玉川上水からの取水口は、流末の京王線つつじヶ丘駅付近から遡ること約30km、昭島市つつじヶ丘(!)の松中橋のたもとだ。といってもここから分水されているのは「砂川分水」(地図上部を玉川上水に平行して横切るオレンジ色のライン)だ(※この分水口については、 柴崎分水の記事 中に写真を掲載)。砂川分水は五日市街道に沿って、一旦玉川上水から離れた後に再び上水に接近して並行し、 小金井分水 (細いオレンジ色ライン)を分けた後、梶野新田分水(水色のライン)につながり南下、そしてその末端に深大寺用水がつながっている(青いライン)。(※なお、小金井分水と梶野新田分水の間を縫うように折れ曲がって通っている青緑のラインは仙川の上流部で、悪水路として機能していたと思われる。)

「砂川分水」は1657(明暦3)年と、玉川上水開通のわずか3年後に開削されたかなり古い分水だ。また、「小金井分水」は元禄年間(1688〜1704年)、「梶野新田(呑用水)分水」も1734(享保19)年頃と江戸時代中期以前に開通している。これらはいずれも開通当時は玉川上水から直接取水されていたが、1870年(明治3年)、玉川上水通船事業に伴う分水口の統合が施行された際に、玉川上水右岸(南側)側は砂川分水が上水沿いに延長されて、各分水の分水口はそこに接続され、その分だけ砂川分水の取水口での取水量が増やされた。 「深大寺用水」の開削はその翌年の1871年。砂川分水の

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