玉川上水

玉川上水

[1] 玉川上水 (たまがわじょうすい)

35.7274821228341 139.402846097946

Webページ

[2] 玉川上水 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4

玉川上水(たまがわじょうすい)は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つである。多摩の羽村から四谷までの全長43kmが1653年に築かれた。また、一部区間は、現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。 羽村取水堰で多摩川から取水し、武蔵野台地を東流し、四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)に付設された「水番所」(水番屋)を経て市中へと分配されていた。水番所以下は木樋や石樋を用いた地下水道であったが、羽村から大木戸までの約43キロメートルはすべて露天掘りであった。羽村から四谷大木戸までの本線は武蔵野台地の尾根筋を選んで引かれているほか、大規模な分水路もそれぞれ武蔵野台地内の河川の分水嶺を選んで引かれている。 1722年(享保7年)以降の新田開発によって多くの分水(用水路)が開削されて武蔵野の農地へも水を供給し、農業生産にも大いに貢献した(代表例、野火止用水、千川上水)。

[3] 鈴木用水(玉川上水鈴木新田分水)(1)田無用水との分岐点から鈴木稲荷まで : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/22286531/

またもや久々の記事となってしまったが、今回から玉川上水の分水「鈴木用水」について、3回ほど続けて更新していく予定なので、お付き合いいただければ幸いに思う。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 玉川上水と武蔵野台地の開発 今回とりあげる「鈴木用水」は、武蔵野台地上に「新田開発」で出来た村への飲み水の供給を目的とした、玉川上水からの分水路のうちのひとつだ。 もともと武蔵野台地の中央部は、川が無く地下水位も低かったため、近世まで人の住む集落は皆無に近かった。1654年、江戸市内への給水を目的とした玉川上水が武蔵野台地の中央を貫くように開通すると、この水を分水し呑水を得ることでようやく集落が形成されるようになった。最初の分水は1655年の野火止用水で、次いで1656年に小川用水が分水され、小平エリア最古の村である小川村が開拓された。 小川村は台地上を東西に通る青梅街道の両側に集落を形成し、それぞれの家屋の背後に、南北に細長い短冊状の地割で、各家の敷地がわりふられている。これは小川用水からの給水の利便性を意図していたという側面があるようだ。小川用水は青梅街道の両側にふた手に分かれて平行して流れ、街道沿いの家々に呑水を給水するかたちとなっていた。1696年には田無用水が開通し、同様に青梅街道の両側に分かれて流れ、街道沿いの家々に給水するかたちをとった。この形態は、後に続く新田開発でも踏襲されていく。 台地上の開拓は17世紀後半にいったん抑制されたが、江戸時代中期、いわゆる「亨保の改革」の時代に大規模に再開された。これは江戸幕府は財政再建のための税収増加をもくろんだためで、武蔵野台地の新田開発が奨励された。開発にあたっては飲水の供給源として玉川上水からの分水が活用され、新田開発に伴いいくつもの分水が開削された。これらの分水は利用料の徴収が免除され、入植した住民は無料で用水を利用できたという。 下の地図は、それらの用水路の全体図(google mapにプロットしたものをキャプチャ)。ピンク及び赤のラインが用水路、水色及び青のラインが川となる。玉川上水から放射状に分かれる用水は台地を廻り、谷を流れる川に落とされる。動脈と静脈の関係がはっきり見て取れる(といっても実際には用水にはなかなか十分な水量が流れず、流末に辿り着く前に涸れることもままあったようだ)。

鈴木新田と鈴木用水 今回とりあ

[105] 昭和記念公園内を歩く: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/11/post-6d40.html

ふたたび、立川周辺です。と、いっても、このときは、たんにコスモスを鑑賞し、公園で昼ビールでも飲んで癒されよう、という目的で昭和記念公園に行きました。

そう、「今日は暗渠抜きよ」みたいなかんじで・・・。

ちなみに昭和記念公園っていうと地下シェルター説が気になりますが・・・そして中央線のここらへん、軍事萌えが活性化するエリアなんですが・・・

ふつうに公園日和を楽しんでいて(ふつうの公園日和の写真は割愛w)、そういえばここって川が流れていたな、と、川のほうへ行ってみることに。

残堀川(狭山池を水源とし、立川にて多摩川と合流する)。開渠が公園をぐるうっと通っています。ま、それはそれで。

で、ふと、川のすぐ脇に側溝が走っていることに気づきました・・・。わああ、こんなのあったんだ・・・!

見下ろすと、わりときれいな水がなみなみと流れています。ちょっと、うれしくなるほどに。 周囲の景色とあわせると、暗渠っぽいふんいきを醸し出しているのに、暗渠ともいいがたい。しかし開渠とも言いがたいぞ。なんと呼んだらいいのかな・・・そうしたら、連れのひとが、「半渠」と表現してくださるではないですか。ナイスネーミング!

ちなみに、横を流るる(はずの)残堀川はこうです。のぞきこんだら、カラッカラでした。

このカラッカラ、と、横の半渠のなみなみ、の対比が興味深すぎます。いったいなぜこんなことが・・・?半渠の水は、いったいどこから、どこへ・・・?

もう気になって仕方が無いので、追いかけてみることにしました(トイレ休憩もはさみつつw)。

途中、こうやってコンクリ蓋の終点があって、でもそれを我慢して遡ると、また出現して・・・の繰り返し。しばし黙々歩きます。

昭和記念公園、何度も来ているのに、こんな側溝知らなかった・・・当然といえば当然かもしれないけど。芝生でねころんだり、花見でどんちゃんやったり、それで帰るだけだと、この端っこをひっそり通っている流れには出会えないわけです。

突如、開渠になります。

サイクリングコースのすぐ脇だからでしょうか、とつぜん綺麗に整備されています。今までの、端っこボウボウ未整備地帯からすると、面食らうほどに。

そして、立て札が出現。 「立川分水は、1737年(元文2年)に玉川上水から水を分けました。水道施設が広まったため生活用水に使われることはなくなりましたが、現在も農業用水として利

[106] 「毎年4、5人は死んだよ」小金井桜の戦前の花見を知る人物が衝撃の告白! | きなこなん式, , http://kinakonan.com/koganeizakura/

かつて東京には飛鳥山と並び称される桜の名所があった。

それが玉川上水の小金井桜である。

駅でいうと、中央線で吉祥寺の先にある「武蔵小金井」が最寄駅となる。

この玉川上水沿いの桜が名勝として知られていた時代があった。江戸時代から戦前までの時代だ。

その当時の賑わいを知る人にたまたま話を聞く機会があったのだが、なんと当時の花見では「毎年4、5人は死んだよ」という。

詳しく話を聞いてみることにした。

歌川広重の浮世絵にも描かれた名勝・小金井桜とは

小金井桜とは江戸時代に玉川上水の堤に植えられたおよそ2000本のヤマザクラのこと。

当時は歌川広重に浮世絵で描かれるなど多くの文人・歌人に愛された。

明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であり、大正13年には国の名勝にも指定された。

昭和初期の観光ブームの時には、西武新宿線の数少ない観光スポットとして臨時駅まで誕生した。

そんな大人気だった小金井桜だが、今は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。

それでは2004年に、玉川上水のそばの釣り堀で偶然話を聞いた84歳のおじいちゃんとのやりとりをお伝えしようと思う。

命がけだった昭和の花見

-小金井桜って昔は有名だったんですよね

「そうだよ。私が小さい頃は4月になると人で歩けないほど多かったね」

-小さい頃っていつ頃ですか?

「私が大正10年生まれだから、記憶にあるのは昭和の始め頃の話」

-だいぶ古いですね

「そうだね。小さい頃から凄かったけど、この辺りに西武線が開通してからよけいに人が増えたね」

-西武新宿線の開通が昭和4年でしたよね

「そう、その少し後に中央線が開通してそっちからも人が来た。あの頃はさ、みんな仮装して花見に来るの」

-仮装? どんな仮装ですか?

「侍とかひょっとこのお面とか被って来る。あれは電車の中から仮装してたのかなぁ・・・。侍の仮装をした人もさ、持っている刀が本物だった」

-本物?

「そう。あの頃は銃刀法違反もないから本物だったよ。そんで喧嘩になると、それを抜くんだよね」

-えっ! 死んじゃうじゃないですか?

「そう、昔の喧嘩はさ、半端じゃなかったからね。一升瓶で殴ったり、耳をちぎったりして、みんな喧嘩っ早いしね。だから毎年花見の時はこの玉川上水で溺れ死ぬ人も含めて4、5人は死んでた」

-花見で死人が出るんですか?

[107] 吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 :日本経済新聞, , http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21022_R20C13A8000000/?df=4

東京都羽村市の羽村取水堰。ここから玉川上水に分岐する。現在は東京都の水源は利根川水系が8割で多摩川水系は2割となっている

[110] 武蔵野線の立坑めぐり - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/150319193012_1.htm

もう状況が切羽詰まったこっちからすれば「ドッキリ大成功」の看板を見せられた気分である。夕方の遊歩道で、半泣きでキレた。

とまあそんなことがあり、最近になってそう言えばあれ立坑って書いてあったな、と思い出したのだ。

立坑というのは鉱山の出入口のような、地下の空間に降りていくための道である。ほかに、長いトンネルを掘るときにそれぞれの入口からだけでなく、途中の場所に向かって上から立坑を掘り、そこから外に向かってトンネルを掘っていく場合もある。

玉川上水沿いのこの立坑はどこに繋がっているんだ?地下に水路でも通っているのか?と思って地図を見たら驚いたと同時に納得した。

あの地面の下には武蔵野線のトンネルが通っていたのだ。ということはあの立坑はトンネルを掘るにあたって造られたのか。確かに西国分寺駅から新小平駅の間は長いトンネルである。でも、府中本町駅と北府中駅の間、新小平駅と新秋津駅の間にも長いトンネルがある。もしかすると、そこにも立坑があるかも知れない。

また、立坑が地図に載っている、というのも面白いと思った。地図上で、武蔵野線をたどればほかの立坑が見つかるかも知れない。あと、遊歩道に対して微妙に違う角度で建っている、というのが地図上でも分かるのがいい。

なんだか妙に好奇心が湧き、立坑を探してめぐってみることにした。トイレと間違えて酷い目に会わされたのは水に流す!

[113] 東京の水 2005 Revisited:原宿村分水(17)暗渠の道路 - livedoor Blog(ブログ), , http://blog.livedoor.jp/tokyowater/archives/27860194.html

[[[渋谷川水系]]]

[渋谷川上流・宇田川概要]

[渋谷川中流・下流(古川)概要]

[笄川概要]

[鮫河/桜川概要]

[渋谷川流域全体標高図]

【渋谷川上流(穏田川)】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

┣玉川上水余水

┣原宿村分水(代々木川)

┃┗明治神宮北池からの小川

┗明治神宮南池からの小川

┗明治神宮東池・東郷神社からの小川

【宇田川】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

┃┣上原支流

┃┣西原支流

┃┣富ヶ谷支流

┃┗神山支流

┣河骨川

┣初台川

┗神泉・松濤支流〜三田用水神山口分水

【渋谷川中流】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

[目黒台地(三田用水)からの川]

┣鉢山口分水

┣猿楽口分水

┗道城口分水

[青山台地の川と湧水]

いもり川

笄川

┣長者丸支流

┣根津邸支流

┣蛇が池支流

┣龍土町支流

┣高樹町支流

┗豊分支流

【渋谷川下流(古川)】

ー[全記事]|

[鳥瞰図]ー

[白金台の川と湧水]

┣三田用水白金分水/自然教育園からの川

┣旧白金三光町支流

┗玉名川

[麻布台の川と湧水]

┣有栖川宮記念公園

┣旧本村町支流、釣堀

┣旧宮村町支流とがま池

┗薮下〜麻布十番の支流(赤羽川)

【鮫河/桜川】

ー[全記事]

桜川

┣鮫河橋谷(四ッ谷)

┣千日谷(信濃町)

┣清水谷(紀尾井町)

┣太刀洗川(赤坂)

┗弁天池、もみじ谷(芝)

※青字は今後公開予定

[[[神田川水系]]]

[弦巻川・水窪川概要]

【弦巻川・水窪川】

ー[全記事]ー

・弦巻川

・水窪川(東青柳下水)

[132] 水の高さ - 僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか, , http://blog.goo.ne.jp/den6blog/e/e8577fcffc4d318fceb997ea7a97b881

2014年3月27日(木)

水の高さ

00 サイフォン構造などを持たない流れでは、水は必ず高い方から低い方へと流れる。遠く隔たった場所へと水を引こうと思ったら、長い斜面を維持したまま水路を引かなければならないわけで、それはたいへんな土木技術だと思う。高低差をちびちび倹約して引き延ばし引き延ばししながら使わなくてはならないからだ。

01 多摩川から取水して武蔵野台地を東に流れ、四谷大木戸の水番所で江戸市中に配水された玉川上水の長さは43キロもある。どれくらいの高さを持つ場所から取水しているのだろうと羽村取水堰まで見に行ったことがあるが、電車で行ってもげんなりするほど遠いことにまず驚いた。

静岡県清水区大内の観音沢川。農地へ水を引く取水口のために、堰を設けて水位調節をしている。

02 静岡市清水区にある日本軽金属蒲原製造所が今月31日をもってアルミ電解事業を終えるという。大量の電力を使うアルミ製錬だが、ここ蒲原製造所は富士川の水を使った自前の発電施設を有することで、電気代の高騰にもかかわらず1940年の操業開始以来、世界有数の工場であり続けたという。

03 東海道線に乗ると富士川駅と新蒲原駅の間に、山の上から下りてくる太いパイプがあり、幼い頃から気になっていたそれが日本軽金属蒲原工場自慢の発電施設である。日本軽金属富士川第二発電所といい、運転開始は昭和18年で、富士川上流の富士川第一発電所で放水した水などをパイプでここまで引いているという。第一発電所は柿元ダムにより安定した発電用水量を確保しているからだ。

04 この富士川第一発電所の放水地点と、富士川第二発電所が水を落とすポイントの高度差がどうなっているか知りたい。玉川上水は武蔵野台地の尾根筋を選ぶことで高さを節約しながら引かれているというが、富士川第一発電所は身延線十島駅と井出駅の間にあり、富士川第二発電所まで直線距離で16キロ以上ある。間に越さねばならない富士川の流れもあるわけで、ふたつの発電所を結ぶ地中の水路はどうなっているのだろうと、Googleの航空写真を眺めながら首を傾けている。

[133] 荒川の水で旧江戸城外濠浄化構想…多摩川経由で : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE), , http://www.yomiuri.co.jp/national/20141129-OYT1T50053.html

東京都心にある旧江戸城外濠(そとぼり)(千代田区など)の水質を抜本的に改善しようと、東京大や中央大など5大学の河川や環境工学の専門家が、荒川上流の水を活用する構想をまとめた。

荒川上流から多摩川や玉川上水を経て外濠に導水する大がかりな構想で、12月3日に東京都文京区の中央大学で開くシンポジウムで発表する。

外濠は神田川とつながっているものの、水の流れがほとんどなく、大雨が降ると下水が流れ込む。夏場にはアオコが大量発生して水面が緑で覆われ、悪臭を放つこともある。

構想では、荒川上流の水利権がない水を活用する。荒川上流にある滝沢ダム(埼玉県秩父市)付近から多摩川に向かって長さ約20キロ・メートルの導水管を新設、荒川上流の水を多摩川に流す。多摩川につながっている玉川上水を経由して、外濠に導水する。

こうした方法により、冬場の渇水時を除けば、最大で毎秒約10トンの水を外濠に流すことができ、水質の浄化が期待されるという。

[134] マセ口川ピクニック: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2013/04/post-77da.html

肌寒かったり、雨ふりだったり。そんな日が続きますが、春らしい記事をふたつ、書こうと思います。ひとつめは、暗渠と開渠のピクニックのおはなし。

行先は、調布にあるマセ口(ませぐち)川。 これが正式名ですが、最初に「ませろ」と読んでしまったため、またそのほうが呼びやすいため、わたしは普段は「ませろがわ」と呼んでいます。 だから現地でも声に出して「ませろがわ」、と連呼するわけですが、それが聞こえてしまった地元の方がもどかしく思っているかどうかは、知りません。

以前、秋にマセ口川の水源を見に来たことがありました( ゲゲゲの湧水前編 )。また別件で調布を歩いていたときにマセ口川の脇をたまたま通り、「春にピクニックに来たらよさそう!」と、思っていたのでした。

そして、待ちに待った春がやってきました。

マセ口川の水源は、都立農業高校神代農場の敷地内。普段は入ることができません。 その、水源のある谷戸はかつてまるまる池で、池の谷とも呼ばれていました。いまでも湧水が豊富で、おそろしく澄んだ水を使い、ワサビ、ニジマス、ヤマメなどが育てられています。

ここは農場のすぐ下流側で、ここなら普段から一般人が出入りできます。

農場内を流れる澄んだ水を思い出しながら、フェンスに近づいていくと・・・なんと、湧水がはみ出ているではありませんか。

きれい・・・。

そしてはみ出ていた湧水は、農場の田んぼを通ってくる流れとここで合わさり、一度地下の管渠におとされ、地面の下にくぐるようです。

でも、その落とされたすぐ先にも浅い凹みがあって、あちこちからじゅくじゅく、じゅくじゅくと水が湧いていました。

みごとな湿地。自然のままの姿です。 ここも”神代農場南側斜面”という、調布の湧水点のひとつとして挙げられています。

この、はみ出し湧水と、じゅくじゅく湿地がいっぺんに見られる場所に、自分たちだけが立っている。すてきなお庭に居るような・・・。まだ朝でしたが、あまりの気持ちの昂りに、おもわず、乾杯 。(まだ咲いていませんでしたが、ここには桜の木まであるのです!)

この場所、豊水期に行かれたえいはちさんが 記事 にしていますが、やはり春とは水の量が違いますね (しかし暗渠写真の撮り方がものすごく被っていて、おもしろかったです)。

じゅくじゅく湿地のおわりには、橋のようなものがありました。 橋?の先で中央自動車道をくぐり、

[135] 暗渠ハンター 立会川を下る③: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-0273.html

さて立会川も最終回。

では中原街道と立会道路との交点から。 手前が中原街道、その奥に緑道が続きます。

進んでいくと、旗の台駅近くでいったん線路を前に中断。

さらに荏原町の駅をまたぎ中延を通って国道1号線まで続きます。 その途中にあった物件が、先日ご紹介したこの「大径マンホール跡」。 荏原町付近にはこんな味のある質屋さんも。大谷石づくりですね。 わき道もいい感じ。 地図上では立会緑地と名前を変え、こんな感じになります。 途中から工事中。すぐわきのストロングタイプの暗渠道を行きます。 中延あたりではこんな川辺っぽい光景も。 さて、ここが国道1号線との交点です。国道1号線ですが地域での愛称は「2国」。

東京横浜を結ぶ大幹線を、海側から1国(産業道路)、2国(1号線)、第3(第3京浜)と呼ぶんですって。かえって混乱しそうですけどねw。 そして、上の写真の左の敷地が、先日から問題視wしている「東急バスの荏原営業所」です。 うーん、川筋と操車場、どんな関係があるのでしょう・・・。 2国(<やっぱ紛らわしい)を越えると道幅がぐっと広がり、こんな光景になります。 ところでこの道をまっすぐ30m程度進むと、品川用水と立会川が交わる地点に。 立会川を下流に向かって左を望んだ写真が下ですが、この道がおそらく品川用水。立会川を突っ切って右に続いていたようです。 しかし横切るって・・・立体交差だったのでしょうか・・・。 さて、さらに立会川を下ります。道は上りへの一方通行道路となり、その脇をこんな歩道が続きます。 こんな魅力的は道も交差。ただし立会道路はすこし盛り土して作ったのか、支流からはこのように階段で数段上るようにして交差しています。 横須賀線・新幹線の高架と交差する場所が近づいてきました。 これを越えるとすぐにJR西大井駅。

ここからはこんな整備された緑道となり、いまいちテンション下がりますw。 JR大井町方面に向かっています。道もまた細くなったり、こんな暗渠らしい道になったり。 (あ、これは立会道路に交差する道だったかもしれません;;;;) いわくありげな舗装跡ですねw。

大井町に到着。川筋を見失いそうになりますが、しっかり立会道路の続きがあるので大丈夫。 駅の南にある線路を渡って、 右に現れる大きなガードをくぐると こんな緑道が復活します。 蛇行して進むこの道の傍らには、なんだ

[136] 小沢川支流を歩く 蛇窪支流(仮): 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/06/post-26c2.html

久しぶりの杉並、久しぶりの小沢くんです。実は本流歩きのときに見つけた小沢川支流を、1ブロックだけ歩いてあとは見つからないとか言ってあきらめていました。そして後日、杉並区史跡散歩地図でその上流部の流路があることに気付いたのですが、たぶん痕跡などなかろう、と、後回しにしていました・・・。わたしのこの、1ブロック無かったらあきらめるクセ/少し知っている場所だと何もなさそうだと決めつけるクセ、は、いかんですね。時々出てしまいます(たぶん持久力が無いので自分エコに走るんじゃないかと・・・)。

しかし、何かあるかもしれないじゃないか!そんなわけで始まる、東高円寺スタートの、小沢川支流さんぽ。 青梅街道沿いに、鰻屋さん”小満津”(元は京橋に在ったらしい老舗、なかなか美味しいです)が移転してきてました。ほんの数メートルの距離にあった、以前の店舗は一体?と見に行きましたら、散歩かふぇなるものができてました。うーん、気になるネーミング。さんぽ好きにはたまらん内容ですし!このときは開いてなかったので、ぜひ開店時に行ってみたいです。

さて青梅街道から、南方向へと。杉並区と中野区の区境あたりに、”蛇窪””清水窪”などと呼ばれた場所があり、そこから小沢川の支流は始まっているようです。 それらしき場所の近くにはまず、クリーニング屋さんが2軒。こちらは残念ながら廃業されてるのでしょうか・・・

クリーニング屋さんの少し東に、杉並区史跡散歩地図で暗渠ラインが引いてある地点があります。それが、ここ。・・・あああ!この場所、そういえば道路の感じにちょっと違和感持っていたんだった~・・・車の奥に鬱蒼とした緑が見えると思いますが、もうめちゃくちゃ川跡っぽいです。早くあそこを見に行きたい! しかし家・家・家でなかなか近寄れません。ぐるぐる探していると・・・、

ぶっほー!!

・・・なんと見事なバランスのおうち!!すごいインパクトです。。

って、建物に気を取られている場合ではありません。まさにその家の真横を、支流が走っているのでした!!

さいわい駐車場があるので、落ち着いて絶景を眺めることができます。

見てください、この壁を。その向こうに生い茂る草たちと、暗渠のにおいを。

上流の方向を見ます。このように、ちょっとした崖になっています。いかにも湧水があったような感じです。

その崖下がこう。駐車場の壁と、茶色のフェンス

[137] 平山城址・絹の道散歩 - 時空散歩, , http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2009/09/post-63.html

先日府中から国立に多摩川に沿って、また立川から府中へと立川崖線に沿って歩いた。その時気になっていたのは、多摩川を隔てて聳える多摩丘陵。あそこは聖蹟桜ヶ丘か、ということはその東の丘は米軍のレクレーションセンターのあるところか、あのあたりは高幡不動か、と、あたりをつけながら歩いた。 そのときふと、平山城址公園ってどのあたりだろう、と地図をチェック。昔南大沢から分倍河原に向かって歩いたことがあるのだが、平山城址公園のそばの道を越え、北野街道に出た。そのときは、日没時間切れのため結局、平山城址公園に行けなかった。そのことが少々心残りであったのだろう。ということで、とある日曜日、平山城址公園へとでかけることにした。 行く前に地図をチェック。平山城址公園のそばに長沼公園がある。またその西には野猿峠・野猿街道が走っている。さらにその西南には「絹の道」のマーク。横浜開港時、八王子で集めた絹を横浜まで運んだ道筋とか。絹の道って、多摩の歴史などを読んでいると、しばしば登場するキーワード。いい機会なのでそこまで足を伸ばすことにした。距離は10キロ程度。が、カシミール3Dでチェックすると、結構なアップダウン。多摩の丘陵を登ったり降りたりの散歩となりそう。少々膝に不安を覚えながらも、まずは最初の目的に京王線平山城址公園に向かう事にした。

本日のルート;京王線・平山城址駅>宗印寺>平山城址公園>北野街道>長沼公園>展望台・南陽口>長沼公園・野猿峠口>絹ヶ丘>白山神社>北野台>大塚山公園>絹の道>絹の道資料館>鑓水>小泉家屋敷>京王相模原線・多摩境駅 平山城址公園駅 平山城址公園駅に降りる。のんびりとした駅前。ローカル線の旅といった風情。駅前で案内をチェック。平山季重を巡る散歩コースといった案内がある。 さて、最初の目的地平山城址公園に行くルートを探す。穏当に歩くとすれば、北野街道をすこし東に戻り、先日南大沢から分倍河原に戻る際に歩いた峠越えの車道であろう。途中から公園に上る入り口もあった、かと。

宗印寺から丘陵に上る が、地図を眺めていると駅の南、北野街道からすこし丘陵地に入ったあたりに宗印寺。このお寺の裏山あたりから城址公園に上る道があるにちがいない、と故なき「確信」のもと歩を進める。 お寺に着く。眼下の眺めが美しい。登り道はないものかとチェック。お寺の西脇から山に向かう細道がある。とり

[138] マセ口川 - 川のプロムナード, , http://riverpromenade.blog.fc2.com/blog-entry-49.html

2015.05

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2015.07

調布市深大寺南町四丁目にある都立農業高校神代農場を水源とする野川の支流 マセ口川 (ませぐちがわ、別名:佐須用水)を追ってみた。 マセ口とは、付近の小字名から名づけられたものだが、そのマセ口という字名 の由来は不明のようだ。 まず、神代農場と三鷹通りを挟んで向かい側、 青渭神社 に立ち寄ってみる。 祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命、創建年月は不明であるが、古代の先住民 が水を求めて居住した際に、祠を建て水神を祀ったと伝えられる。 かつて社前には湧水から出た大池があり、青波をたたえていたことから青波天 神社とも称されていた。 境内には樹齢数百年という大欅があり、江戸名所図会にも描かれている。 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載) さて 都立農業高校神代農場 からマセ口川を追い始めてみる。 前身は青年学校の射撃用地、昭和23年(1948)に農業高校の付属農場として 譲渡された。 毎週木曜日には一般公開しているそうだが、この日は土曜日のため入れず、 仕方なく西側沿いに歩いていく。 農場沿いに歩いていくと、柵の下に池(心字池)を望むことができる。 農場内にはかなり深い谷となっており、湧水を湛えていることが想像される。 歩いていくと中央高速手前、右手に小さな 池ノ上神社 がある。 絵堂(旧字名)の鎮守社で創建は不詳、明治40年(1907)に里の稲荷社と 池ノ上の稲荷社を合祀して、池ノ上神社となったとのこと。 池ノ上という名前が興味をそそる。 その中央高速の手前から左手、谷(池ノ谷)へ下りていく階段がある。 谷へ下りると、神代農場から流れ出るマセ口川の清流を見ることができる。 その脇、別の湧水からの小さな流れも合流している。 ここから南へ 深大寺自然広場 が続くが、残念ながらマセ口川は暫く暗渠と なってしまう。 中央道のガードを潜ると広場内に 野草園 がある。 園内には約300種類1万本以上があるとのことだが、開園期間は3月か ら10月まで、また期間内においても休園日が多いので、訪問時には注意 が必要である。 その野草園の入口近くには湧水があり、かな

[139] 暗渠ハンター 涯のうえした・狛江喜多見に成城学園: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-16a8.html

もう1ヵ月も前の話ですが、小田急線・狛江駅駅前の泉の森会館というところで「六郷用水の今と昔」という小さな展示が行われていたので見に行ってきました。

六郷用水とは、小田急線が多摩川を渡るあたり(駅でいうと和泉多摩川駅)のちょっと上流から取水し、狛江、喜多見、世田谷の西端方面jからずっと下流の大田区・品川区あたりまで網の目のように続く、付近の田畑を潤していた用水です。つまり、国分寺崖線の下に広がる農地にぶわっと拡がっていたわけですね。 その、特に狛江周辺の昔の様子を地図や写真、絵で解説する、という展示でした。六郷用水についてはまだあまり詳しく知らなかったので、この上流のほうの全体像を把握するにはとても勉強になりました。

さて、ついでですからこのあたりの暗渠や湧水を見て回って帰りましょうかね。

展示施設のすぐ隣、もう狛江の駅のまん前には泉龍寺弁財天池という大きな池があります。 奈良時代からいつの旱魃にも枯れることなく一帯を潤してきた湧水でしたが、1972年の11月に枯れ尽きてしまったとのこと。現在は復元された姿となっています。ちなみに、隣の駅は「和泉多摩川」ですが、この「和泉」というのはこの池から取られたという説もあるようです。

さて、池つながりでもうひとつ。駅を新宿寄りに二つ戻って(狛江→喜多見→成城学園前)成城学園前に降りてみます。 狛江、喜多見と成城学園前。駅は至近距離ですが決定的に違うのは、国分寺崖線の崖下なのか、崖上なのか、という点。もちろん成城は崖上です。崖線には野川が流れており、崖上の成城側には当然国分寺崖線湧水ポイントがいくつか。 成城から歩いてこの湧水を見に行ってみることにします。

てくてく歩いて崖線近くにまで来ると現れるのが「みつ池」。しかし残念ながら保護区域に指定されていて、柵に阻まれ近づくことができませんでした。・・・無念。

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※訂正・・・さきほどまでここであたかも「みつ池」の如く池の写真を掲載しておりましたが、あれは先の「泉龍寺弁財天池」の画像でした;;;;;申し訳ありません、お詫びいたします;;;;

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近くのベンチでビール休憩したあと、なんとかこの池から野川に流れ込む様子を見られないかと崖を降りてみつ池の下あたりをうろう

[140] 東京から一番近くて田舎っぽい雰囲気ふんだんにある場所教えろ!:哲学ニュースnwk, , http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4908067.html

1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/17(金) 16:52:59.468 ID:28m9ILEp0.net

[141] 暗渠でひろったかけら~立会川暗渠で: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-deab.html

立会川を下りましたが、詳しい経過はまた後日。

しかしちょっとしたトピックスを拾ったのでそれだけまずご紹介します。

ひとつめ。

立会川暗渠、荏原町付近で見つけた「大径マンホール跡」。( 参考:tokyoriverさんページ )大きさがわかりずらかろうとクツをおいてみましたw。

ふたつめ。

立会川(立会道路)と国道1号線が交差する地点に・・・・。

またバス、しかも東急バスですか・・・。 東急バス荏原営業所」発見・・・。 やっぱり何か水路と関係あるとしか思えませんが。真偽のほどは今後の課題として。

さて、トピックスは以上。

より大きな地図で 立会川で拾ったかけら を表示

この日は立会川水源の碑文谷池から立会道路を下って河口である勝島までいってきました。

復路では近くの品川用水を上り、先日tokyoriverさんに教えていただいた「清水池と402号線の間にあるL字水路跡」を見てきました。

行程詳細は追ってご報告します。

[142] 暗渠ハンター 立会川を下る①: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-627a.html

立会川を3回ほどに分けて掲載します まず初回は、立会川の源流とされる碑文谷池から立会道路を下り、中原街道との交点(旗の台駅すぐそば)まで行きます。

また次回以降は立会川に原町から合流する、清水池からの支流を遡り、さらにその後中原街道から海まで。

スタートはここ、碑文谷池です。東横線の車窓からも見える、大きな池です。貸しボートなんかもあるくらい大きな池ですが、この日は相当暑くて誰もお客さんいませんでしたw。

池の北のほうに、こんこんと水が湧く様子が確認できます。

池の南から、東横線高架下に流れを発しているそうです。 碑文谷5丁目にあるみどりの散歩道が立会川。 目黒通りを越えると、一旦自転車も通さない車止めがあり、その先は公園に繋がっています。

ちなみに、都会の真ん中の「 マンションと合体しているセメント工場物件 」はこのすぐそば。

公園の先は「川の地図辞典」によると2車線の通り沿いに進むようですが、鵜呑みにせずその周辺の暗渠を探しましたが、どうも決定打に欠けます・・・。 そのうちに立会道路に出てしましました。大門橋。 立会川暗渠に造られた緑道で、真ん中が遊歩道になっています。 こちらに進むと下流、 こちらに進むと碑文谷池とは別の水源から伝わる上流です。 まずはこちらの上流を辿ります 程なく碑文谷八幡神社の参道となり、奥の社務所や社にたどり着きます。

この辺に湧水があるのかなあと注意深く探してみましたが・・・・。 井戸と水場があるくらいですね・・・。

暑い日でしたが鬱蒼とした森が作る木陰は涼しく、しばし一休み。

さて改めて立会道路を下ります。 お。ここは宮前橋。

しかしこの立会道路には、たくさんの「まっすぐな道」が交差しています。 この交差するまっすぐ道は、過去の区画整理のためなのか、それともこのそれぞれが「水道道路」的なものなのか・・・。これもあとで調べてみようっと。 目黒線西小山駅前に近づくあたり・原町清水池からの支流と合流し、その後流れは右にかくんと曲がって、あとは中原街道までやや蛇行したりして続きます。 その中原街道手前には、「荏原雨水調整池」があると以前「 目黒区川の資料館 」A津さんに教わりました。 それがこれ。 ここと隣接する公園との地下に巨大な調整池があるそうです。そういえば公園の片隅にはたくさんの土嚢が置かれていました。地下はどんなんなってん

[143] 暗渠ハンター 立会川を下る②: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-bc11.html

立会川の水源は、碑文谷池、碑文谷八幡神社周辺、清水池の3つとされています。 今回はこの清水池から原町で立会川に注ぐ暗渠を巡ります。

まずは清水池。清水池公園を構成する主要素ですね。 公園の池としては珍しく釣りOKで、普段は釣り人がたくさんいらっしゃいます。(ただし魚の持ち帰りは禁止) ちょっと前、雑誌「pen」の「有名人の、東京の中でも特に好きな場所」みたいな特集があって、高橋幸宏さんはこの清水池公園を挙げてらっしゃいました。 (高橋さんは大の釣り好き。またYMO結成当時から数年はこの近辺のお家に住んでらっしゃったようです・・・当時のお家についてはこちら参照「 A Fragment 」)

この池から南下する道路が流路です。 途中、こんな不自然な(あ、ほんとは川筋だから「自然」かw)カーブを描いきながら碑文谷1丁目と目黒本町6丁目の境目を流れていき、原町との境界で立会道路に合流しています。 ずっと前からこの道は知っていて「なんでこんなカーブしてんだろ?」と思ったことはありましたが、なるほどこれは「川筋」なんだよなあ・・・といまさら納得です。私が一皮剥けました(セルフ・ピーリングw)。

比較的近いところには「月光原小学校」というどこか心に染み入るような名前の小学校があります。昔月光原と呼ばれていた土地があるようです。 なんかいいですねー。月光原。いいなあ。月光原。(<しつこい) 今回の地図は、暗渠ハンター 立会川を下る①の項をご参照ください。

次回はいよいよ河口まで。

[144] 暗渠ハンター 大田区郷土博物館から内川を遡る: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-a061.html

調べ物(当然暗渠・川関連♪)をするために、 大田区南馬込にある郷土博物館 に行ってきました。

収穫は上々。博物館を出て坂を下っていくと、この辺りは内川の流があったことを思い出しました。 庵魚堂さんがちょうどこの夏かなりの勢いで特集されていた内川 w。

どれどれせっかくだから。私も辿って遡ってみることにします。

すぐに流路は見つかりました。

だってこんな立派な桜並木になってるしw

すぐに国道1号線を跨ぎます。

流路脇にはこんな立派な柳の木。でかいっす。時間があれば木の下に佇むご老人にお声を掛けたいところでしたが・・・スルー。

程なく、 庵魚堂さんもかかれていた巨大施設 に行く手を阻まれます。こんな「あからさまに隠してる」ところって、すごく興味をひくもんですね。

この施設の北側は東海道新幹線・横須賀線の通り道。線路高架を越えて内川上流の流れ出るポイントを探してみると・・・・。

ありました。ここですね。

ここで右からくる下水開渠が、内川に流れ注いでいる模様。

この写真はその足元に流れ込む下水開渠を上から写したもの。

ちょっとわかりずらいか・・・。

これまた見事にあからさまな下水溝です。禍々しげな雰囲気に魅せられてちょっとこの支流を追ってみます。ここが今回の自分的ハイライトでしたw

線路と並行して走る支流はすぐに坂(っつか山w)の中腹に飲み込まれてしましました。写真は支流が確認できる最遠ポイントからさっきの内川合流点を望んだところ。金網じゃまw。

内川本流に戻ります。細い暗渠道が、環7まで続きます。

途中は両岸(?)工事中だったり。

暗渠道自体の工事中だったり。

警備の方に何の工事ですか?と訊いてみると、

「・・・・・えっと・・・・下水管の付け替えです」と自信のなさそうなお返事。

まあこれ以上詳しく聞いてもお仕事の邪魔になるかと追加質問を断念w。

そして環7にこの階段で分断されます。

環7を越えるともうすぐに「水源の碑」があり、暗渠道が終わります。

これはその碑の足元から見る生内川。

しかし庵魚堂さんもご指摘の通り、ここが水源とは思えません。唐突すぎる。

そこで周りをしばし探索してみました。

どうやらこの「水源」の背後(北側)は山となっている様子。

写真のような急勾配が迫っています。よく湧水地にありがちな地形ですね。

結局水源の特定はできなかったけど、やはり「水源」碑は本当

[145] 暗渠ハンター 山王崖下の「池尻掘」?①湧水つきの東側掘: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-c37c.html

大田区に遠征してきました。 今回から数回にわたって、池尻掘、六郷用水北堀、内川の様子をシリーズでご紹介します。

まずは池尻掘から。 実はこの池尻掘、 カケダシのころからの愛用テキスト「 川の地図辞典 」にはしっかり載っているのですが、 その他の文献でも見当たらないしググっても出てきません;;;; もしかして名前の記載ミス?・・・という疑いを持ちつつも、便宜上もうこの「池尻掘」という名前で通すことにしますw ※補記:大田区の資料ではいくつか「池尻川」という表記が見られます。

※2011.7.18追記:大田区の小学校史の記事に、「環7内側・山王近辺の谷からの流れも内川の源流のひとつ」である旨の記述を見つけ、池尻堀も内川水系として扱うことにいたしました。

池尻掘は、 環7の馬込交差点あたりを真ん中にして 西と東それぞれから流れ出して南下し、 途中でこの2本が合流して 池上通りとの交差点あたりで六郷用水北堀と合流する水路です。Yの字形みたいに。

まずは東側の水路から探検。 「川の地図辞典」と手元地図を見比べていると、 どうも川の地図辞典の記載より上流がありそう。 そこから探ってみましょう。

「川の・・・」記載の始点に立ってみると、 果たしてさらに東のほうにあからさまな暗渠がありました。 この先が上流ですね。

すっかり無理固められていますが、ザッツ川筋。

おっと、金網フェンスで囲われている洋館。廃屋のようですがとことなくキッチュな風格(なんだそれw)があります。

奥に進んでいくと二筋に分かれるところがあります。まずは右に折れて進んでみます。

さらに狭い暗渠がまっすぐに続いていました。

足元には「 おしくらマンホール 」モドキが出現!

うわっさらに狭くなってきたw かなり好みの暗渠ですよこれ!!!

この暗渠は100mくらい続き、最後はは10段程度の階段となって、崖上に出ます。 その崖上からの暗渠の眺めはこれ。

この崖の横には駐車場があり、このへんが谷頭となっているようです。

この崖を含む台地が山王、台地の向こう側がJR大森駅となります。 先ほどの二筋の分かれ道のもうひとつの暗渠は、数10m続いてすぐに終り、この奥に消えてしまいます。

もうちょっと奥まで分け入っていくとこんなかんじ。 まだこの先の崖下伝いに先がありそうですが、もう流路は追えません・・・。

[146] 暗渠ハンター 山王崖下の「池尻掘」?②西側の掘と合流後の暗渠: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f286.html

では池尻掘の2回目は、まず東側の掘との合流点から上流に遡ってみましょう。

西側の堀は、環7の向こうからやってきます。

この正面の道を入ると、いきなり崖。 この崖上は大倉山公園という公園になっています。

崖上から流路をみるとこんな。高いですねえ。

西側堀は蛇行もなく、ちょっと見所は少ないです。 � �

どんどん北上して、馬込東中を左に曲がって坂を上ります。

「川の地図辞典」では、このあたりが起点。 この古い民家なんて怪しいな・・・。

何気なく隣のアパートをみると・・・

コーポラスいずみ。・・・「いずみ」!!!? ここが湧水ポイントか!? なわけありませんw

まだ上り坂が続くので、もはや「川の・・・」をちょっと無視してあたりをさぐってみます。 道は蛇行し、「もしかしたら流路が続いてる?」と思わせるには充分。 こんな不自然(いや、自然?w)な三角形のヘタ地まで登場。

古い川の流路と新しい計画道路が交わるところに、よくこんなヘタ地ができますよね。 渋谷区の例はここ 。 坂を上りきるあたりには大きな敷地の古い神社。 水源があったとしたら、このあたりじゃあないかなあ。

さて、東西合流後の流路は少しだけ環7とともに南下します。 なぜかこのあたりの環7沿いには看板建築物件が多く見られました。

環7と池上通りの立体交差あたりから、池尻掘は環7の西に離れていきます。 左が環7の立体交差。流路は右に。しかし先に見えるカーブは曲がらずにほぼまっすぐ進みます。

お!この立体交差付近で支流暗渠発見。

さっそく追ってみます。

曲がり角はわくわくするほどマンホールが連なっています!

残念ながらこの暗渠はこの角を曲がるとおわり。 本流に戻ります。

あ。ここにも支流。(写真まんなか奥)

ちょっと進むと行き止まりになります・・・。

民家から排水口が道に突き出ていますね。

さらに下ると春日神社横に橋跡がありました。

明神橋、という橋です。

欄干の親柱だけが移築されているのですね。

さらに南下して、池上通りにぶつかるところで六郷用水北堀と合流します。 このへんが合流点。

写真を撮っていたら、にこにこしたおじさんが近寄ってきて 「その花ね、種から植えたんだよw きれいでしょうww」 と。 「いえ、花を撮っているのではなく暗渠を撮っているのです」とはいえませんでしたww

[147] 暗渠ハンター 内川のまんなかへんをちょっとだけ: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-360c.html

大田区遠征、前回までは池尻掘をご紹介しましたが、今回は内川を。 内川は北馬込2丁目、環7内側の谷頭から流れ出て、大田区中央から東海道本線をくぐったところで突如開渠となり、まっすぐに京急線をくぐって大森ふるさとの浜辺公園あたりで海に注ぐ変化に富んだ川です。 いちど 上流付近を辿ったことがありましたが 、今回池尻掘と六郷用水北堀を巡る時にその中流(?)付近を通ったもので予定外でしたがチラ見してまいりました。 (ちなみに 庵魚堂さんが内川の記事を精力的に書かれていたのは丁度去年の夏でしたね )

中央と大森西の間で東海道線をくぐるあたりでは、内川は数本の流れに分岐しています。 これは、その北側の暗渠。 こんなふうにJRをくぐります。今回の内川チラ見はここからスタート。 JRは高架とは名ばかりで「低架」ですw その橋裏もこれまでみたことがなかったようなビジュアル。 蚕の足を思い出しました。(うわ、そういう比喩ちょっとキモいなあ・・)

昭和30年代前半の地図では、この低架のちょっとだけ上流までは開渠の表記がありました。 これをくぐるとまたいくつかに分岐しますが、まずは内川本流に近づいて開渠を拝むか・・・。 なんて思っていたら支流暗渠発見。 ずうっと西に向かって内川に並行するように延びているのですが、これまた「おしくらマンホールもどき」がたくさん見られる豊か(w)な暗渠でした。

こんなのも!

この暗渠は大森8中にぶつかって途絶えてしまいます。 そこからいよいよ内川開渠に向かいます。

出ました。内川にかかる富士見橋です。 富士見橋から上流を望む。今回は下流には行かず、上流を戻ってまた六郷用水北堀に向かいます。

ここからさらに2つほど橋を越えると、また東海道本線をくぐることになります。

これが東海道本線をくぐる高架。・・・でなくてここも低架。 奥に水門が見えます。ここが内川の開渠と暗渠の境目となります。 なんかこう、メカニカルでかっこいい・・・。

この低架は、ここからくぐります。 うわw-ほんと頭ぶつけそうです。自転車すれ違えないほど狭いしー。 まあ「橋裏」としても鑑賞に堪える見事なものなんですけどね。 こんな危なっかしい通路でも相当便利なようで、ちょっとの間に何人もの方が行き来していました。しかし閉所恐怖症のひとはここヤバいだろうなー。

そして暗渠となった内川は、一

[148] 暗渠ハンター 立会川プリンセス支流: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-9bd2.html

環7を自転車で走っていたら、気になる谷を見つけました。 目黒線洗足駅のちょっと北から東に延びる谷です。

環7をちょっと入った谷頭付近でうろうろしていると、 ご近所の方に声を掛けられました。 (怪しかったかな、私・・・)

模型店の雷王というお店 のご主人で、 このあたりの町内会の役員もされているという方でした。 (模型は鉄道やガンダム系強し。外観はふつうのおうちっぽいですが、 中はものずごい品ぞろえのようです!!! Nゲージもあるでよ)

たまたまそこにいたこれまたご近所の旦那さんと一緒に、 「ここにどぶが流れていたよ」 「その続きはあっちで、小学生のころ冒険に行ったよ」 などなどいろいろお話をうかがえました。

特にこの雷王のご主人には 「こっちから流れが始まってるから」 と、谷頭であるお庭の奥までいてていただいただけでなく、 「この流れは良く知ってるから、自転車で案内しますよ」 とおっしゃっていただき、この谷の途中までご案内いただきました。 雷王さん、ほんとうにどうもありがとうございました。

ってことで、まずは洗足2-15近辺。 この奥が谷頭らしいです。

そしてこの奥が模型屋さん「雷王」。 ご近所のお二人のお話では、 この真ん中の白いところが生活排水だったようです。

雷王ご主人のご厚意で、 この奥のお宅の横に流れるこの上流を 撮影させていただきました。

まずは雷王さんの入り口。 ちょと意外な店構えですが、 ご主人も気さくな方。遠慮なく門をたたいてみましょう!

この雷王さんの敷地の環7側に、 流路の上流が延びています。

ささ、奥に。

狭いけど、さらに奥に進みます。ご主人様、ありがとうございましたw

ここは実は品川区と大田区の区境。となりのマンションは、 区境の共有部分に強引に塀を掛け、 つまりこの流路のまんなかに塀を作ってそのためにこの流路が 暗渠化された模様。ふむふむ・・・。

はしっこまで来ると、すぐそこに環7が見えました。 ここが始まり、なんですね。

環7をはさんで西側には、洗足池に流れる支流のひとつ、 清水窪の湧水 があります。

さてこっから、下流を辿れるところまで行ってみましょう。 雷王さんも案内してくださる、とのことなので心強いです。

・・・しかし雷王さんからご注意を受けました。 特に年末年始は(この日は12月30日)、空き巣ねらいと間違われるので 注意し

[149] 暗渠ハンター 内川の南馬込支流群: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-d364.html

(品川用水シリーズの途中ですが、違うトピックを挟みます。これも速報系ですねw)

内川については、当ブログでも何回か触れてきました。 初めて行ったときは 主に上流の流路の確認だったり。 次に行ったのは 開渠から暗渠になる付近だったり。

この二つの記事の間の流路は、 桜並木としてよく整備された道となっているのですが、 今回はその本流でなくその付近の支流、 特に内川の谷と、その南西に位置する本門寺の山の間にある いくつかの暗渠をご紹介していきます。 ここではこれらまとめて、内川の南馬込支流群、と呼ぶことにします。 一度にたくさんご紹介させていただきますので、 ぜひ今回はじっくりとご覧いただければ、と思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

ひとつめはこちら。 地図中の南馬込支流①です。 南馬込6-24のブロックから、 隣のブロック6-19に延びる暗渠。 目視できるのは、6-24と20の間のところと、

隣の6-19と16の間でだけ。

ここ、ちょっと奥を覗きこんでみましょう。

そしてその西。 地図中の南馬込支流②です。 6-14と15の間にも短い暗渠が隠れています。

この左手の崖下の歩道から奥に。 歩道が尽きると金網に囲まれてしまいます。

その金網のさらに奥に蓋が続いていました。

残念ながら終点は未確認です。

地形からしてこれと繋がっているのかもしれないもう一つの暗渠。 地図中の南馬込支流③は、 さらに一つ西のブロックです。

道を隔てた6-9の空き地に現れる水路。

その行く先は、ブロックの反対側の、 高台の公園の崖下を縫って続きます。

しかし残念ながらこちらもこの先行方不明…。

圧巻は次。 地図中の南馬込支流④です。 北西に2ブロック辿ると、 梅田小学校がありますが、 なんとその校庭の端っこには細く深く抉られた小さな谷があり、 その奥は「はしご式開渠」になっていまいた。 これはびっくり。思わず声を上げてしまったくらいです。 (左側が小学校校庭です)

ちょっとアップで。

この開渠、校庭に沿ってまっすぐ北(内川方向)に行くのですが、 ぎっしり民家があってその後の流路は ブロック反対側でしか確認できません。 逆に上流方向は、暗渠はつながっているようなのですが 今回確認はできませんでした。

で、ブロック反対側で確認できるポイントがこれ。

多少油の浮いた、赤茶

[150] 暗渠ハンター 池尻堀の大仏支流: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-c554.html

以前、大田区馬込付近の 「池尻堀」のことを書きました 。

地形図を見ると、その付近にはいくつも谷があります。 (「こたたん山通信」のろっちさんはこの谷たちを<楓谷>と名づけられています 。いい名前ですねw)

地図を見ていると只でさえうずうずしてくる萌え地形なのですが、 ある日あるとき思い立って、 この楓谷の上のほう、 馬込駅の北・国道1号線横からぱっくりと始まる谷を 訪ねてきました。

毎度google earthさん「東京地形地図」さん、どうもありがとうございます。

楕円の中にはいくつかの谷が見られますが、 この谷たちが新幹線高架下あたりで一つに合わさります。 そこには確かに一つ、ドブのような流れがありました。

経緯は後程お話ししますが、 ここではこの北の谷をらが合わさって流れる水路を 「池尻堀・大仏(おおほとけ)支流」と勝手に名づけ、 痕跡や流路の街並みを見ていきたいと思います。

谷の入口は都営浅草線の馬込駅の北。 今回は、五反田から国道一号線を南下するバスでアプローチ。 馬込の東急バス荏原営業所前で降りました。 ここは、 立会川と品川用水が交差する水の要所。 またそんなところにバスターミナルがあるという 私的にもわくわくするところです。

東急バス荏原営業所を少し南に下ると、 1号線の広い道路からいきなり東側の崖下に下る 狭い階段が現れます。

おお、結構な勾配っすね。

谷頭にあたるこのあたりは路地の多い、 情緒たっぷりなエリアです。

ただ、「これは暗渠か」と問われると 正面切って「間違いない」と答える自信はこの時点ではまだありませんw

さきの階段近辺谷頭から、数本谷底に降りていく細い道があります。 その中の一つには、 丸と四角の異なる形の「おしくらマンホール」もどきが ありました。

ちょっと珍しいかも。

あまりの珍しさに遠目に猫も近づいてきた模様。(うそ)

ここからより低いところに向かって 比較的広い道が3本。 あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、 たぶんこの3本ともが怪しいんじゃないかと思うように なってきました。 (文末の地図参照)

本編と全く関係ないのですが、 谷の南の崖上を歩いていたら、 すりすり猫にもあうことができました。

むー。かわいいにゃあ。

あ、なんかあんまり見たことがない ハンキョ形態のマンホール蓋に谷底で遭遇。

怪しい3本

[151] 暗渠ハンター 馬込山王・楓谷を歩く: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-f93e.html

前回は大田区馬込付近の、池尻堀につながると思われる 「大仏支流」を追いました。 さて、せっかくここまで来たので、 大田区名物(?)の 「馬込山王・楓谷」(ろっちさん命名) の 北のほうの谷を横切って帰ろうと思います。 ほんとこの楓谷は見どころがいっぱいで、 足腰も鍛えられますw

立ち寄ったのは、この地形図の 「この谷A」「この谷B」。

まずは「この谷A」に環七からつまり下流からアプローチ。

実はここは、 この記事 を書いた時に 猫またぎさん から 「その裏にすごいとこあるよ」と教えていただいて、 立ちよらなかったことを激しく後悔したスポットでもありました。

「不自然に広い歩道」くらいしか暗渠サインは見当たりませんが、 この道は十分谷底感が味わえます。

まっすぐ登っていくと、萬福寺というお寺が小高い丘に建てられています。

入り口には「するすみ」の像が。 え?するすみって何だって?

漢字では「磨墨」。

平家物語の「宇治川の先陣」に出てくる名馬の名前です。 いやー、高校の教科書で出会って以来このストーリーは 全く忘れてしまっていたのですが、この馬の名前「するすみ」ばかりが 妙に頭に残っていて、たまに思い出して「するすみ」と口に出したりしていましたw なんか口に出してみたい日本語、じゃありません?「するすみ」。 ちなみに以前インターンではるばる会社に来たドイツ人は、 「デンシレンジ(電子レンジ)」という言葉が面白いといって、 自分で口に出しては笑っていましたっけ…。 確かに韻を踏んでて面白いような気もする。

あ、でその「宇治川の先陣」ってのは、 鎌倉幕府ができるちょっと前のお話で、源義経側にいる二人のオトコ、 するすみに乗った梶山某といけづきという馬に乗った佐々木某が、 合戦の途中で 「どっちが先に宇治川を渡って『やあやあわれこそは…』って 名乗りを上げるか」と張り合う短いエピソードです。 見事「馬に乗っての一番乗り」はするすみでなくいけづきになるのですが、 そのあと徒歩(かち)で渡ったのが大串某。 この大串某があまりにもちゃっかりしてたため敵味方ともにウケた、 というお話。

横道にそれましたが、 そのするすみの持ち主である梶山某縁のお寺だそうです。するすみ。

さてこのお寺の丘を挟んだ反対・北側にももう一つの谷筋があります。 もうこの辺は先のろっちさんの記事に詳しいの

[152] 暗渠ハンター 立会川・清水池「下」支流: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-b1b1.html

立会川の主な水源は、3つに大別でき、西から東へ順番に挙げると ①碑文谷八幡付近 ②碑文谷公園弁天池(碑文谷池) ③清水池公園清水池 となります。

このうち、最近この辺りを改めて探索してみて、 ・②の弁天池からさらに上流にある暗渠 ・③の清水池からさらに上流にある暗渠 ・③から流れ出る立会川本流の傍流暗渠 などを見つけてきたので、 何回かに分けて書き進めて行こうと思います。 まず今回は、最後に挙げた 「③から流れ出る立会川本流の傍流暗渠」のお話、いってみましょう。

清水池(それと、今後触れる弁天池・別名碑文谷池)については、 とっても詳しくわかりやすく説明する 目黒区のページ を見つけてしまったので、 これをご参照ください。

清水池は古くから湧水を湛える名勝地。

ここから立会川(のひとつ)が流れ出していくのですが、 清水池の南に、それに寄り添うように流れる一つの水路がありました。

位置からすると、 もしかしたら清水池からあふれ出すもう一本の水路だったのかもしれません。 (たぶんそう解釈した方が自然でしょう) ではまずは地図を。この緑色のラインです。

より大きな地図で 立会川 を表示

立会川の主ルート(紫線)はこちらなんですが、

これを下っていくとある一つ目の大きなカーブ。

ここに、左手の後方から鋭角に合流してくる水路があるのです。 それがこれ。 左が本流、右というか正面が今回取り上げる傍流です。

まあ清水池の下(南)あたりから始まってるから、 これを「立会川清水池下支流」と仮に名づけることにします。

この清水池下支流にちょっとだけ入って、 合流後の本流方面を眺めたのがこの写真。 合流点付近には点々をマンホールが連なっています。

ではここから上流に向かって入って行ってみましょう。

未舗装です。

草の生え方からいって、 交通量はたいへんに低そうな道ですねこれは。

その原因は、やはり「狭いから」でしょうね。

ですがある意味見事な暗渠です。 このワイルドさは 桃園川たかはら支流 (リンク先はnamaさんの「暗渠さんぽ」) の一部にちょっと通じるものがあります。

これですから。この連続ですから。

盛夏だし、もう見たことない羽虫とかが いつ出てきてもおかしくない雰囲気ですが、 私の好奇心がそれに勝るのだw

化石のようになったマンホール。

見た瞬間、ジョージ

[153] 暗渠ハンター 立会川・清水池のさらに上流があった!?①: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-5706.html

立会川の3つの主水源のうち、 前回に引き続いて清水池周辺の話題を続けます。 このシリーズは清水池の周りの短い暗渠を取り上げ続けるので、 「ANGLE」を使った考察はしばらくお休み。

実は、水源と言われている清水池のさらに上流には、 付近を走る品川用水からの取水路と思われる水路が 大きく二つ確認できます。

一つは今回で取り上げる東の水路( 清水池上流東水路 と名付けます)、 もうひとつは次回を予定している、 鷹番を貫く西の水路( 清水池上流西水路 と名付けます)。

元々は、「目黒区文化財マップ」に切れ切れに載っていた暗渠を参考にしました。 これらを周辺含めて辿りながら、そして「東京時層地図」を見ながら 「一つの水路」として考察していく方法を今回はとっています。

ではまず東の水路、 目黒区中央町1-10での品川用水との接点から 清水池に向かう流路をご紹介していきます。 品川用水の、目黒通りに下る手前からこんな暗渠が始まっています。

ちなみに、この背後にも暗渠が伸びていて、 つまり品川用水からはこれから辿る清水池方面と、 反対側の目黒区防災センター方面の二つの落水が この地点で行われていたことになります。 その防災センター方面の暗渠というのは、 この奥に続くやつ。

今回はこれは追わずに、清水池方面に向かいましょう。

緑道チックに整備されたこの暗渠を通ると

すぐに目黒通りに出ます。

そして目黒通りを越えると、 またこんな風に続いています。

ちなみにこの川筋のところは 目黒通りがこんなに凹んでいるので一目瞭然。 (写真奥の窪み)

この暗渠はまっすぐ続いていて、 おそらく住宅区画整理で付け替えされた用水路、 なのだと思われます。

ここを通って曲がったあとは、殆ど道に紛れてしまいます。

もう清水池の北側、池まで至近距離。 どうもこの辺りは西水路につながる水路含めて若干水路は錯綜しています。

清水池の隣のブロックにて、 また暗渠空気全開の道が姿を現します。

目黒区本町2-14。

そしてこのような広すぎる歩道を経て (まるで2車線道路のセンターラインみたいですね)

清水池につながっていきます。 ちなみにこの水路は、次回ご紹介する西水路とも東西に繋げているようです。

清水池まで来ました。

と、まあこんな具合に、 水源である湧水・清水池より上流で品川用水からの水を受け

[155] 暗渠ハンター 立会川・碑文谷池上流で妄想落ち水探し: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-c067.html

立会川の3つの主水源のうち、 前回は清水池から品川用水に遡上するラインを探してみました。 今回は、もうひとつの主水源である碑文谷池を起点にして おんなじようなことをしてみました。

池から遡る前に、ちょっと池自体のお話も。 名前自体も、碑文谷池とか碑文谷公園の弁天池とかどうも通称は二つあるようです。 また 目黒区のHP では、 前回の清水池とは「兄弟池」という位置づけだとしていますね。 江戸の鷹狩の時代に野鴨がたくさんいた、とか その後水田灌漑に活用されまた池の中の島に弁天様が祀られてるとか、 紆余曲折あって今は池を中心とした公園として整備されているからとか。 結構いい感じのテイストで取り上げられてますね。

で、ここでは「碑文谷池」としていますが、 同じ 目黒区のHPでもこちらでは 「弁天池」になってます。 ま、どちらでもいいんですが、ここでは「碑文谷池」でいきましょう。 弁天池だと他にもたくさんあるし。

まだ暗渠道にはまらないはるか昔、 東急東横線に毎日乗っていた時期は 電車の高架からこの池をほぼ毎日見ていたものです。 そのころは「なんて池かなあ」 「近所に住んでる同僚に聞いても池のこと知らなかったし、マイナーなんだろな」 「でもたまにボートで遊んでる人いるなあ」 くらいのぼんやり度でしか注意を傾けていませんでしたね…。 まあ基本的にそんなに華やかな池ではないわけです。

水源とされる池ですが、 どうも昔の地図をちらちら見たりしてると この上流方向にもたまに水路が見えたりしてるし。 しかもそれを延長していくと品川用水にぶち当たるし。

しかしまあ結論から言うと 品川用水とはここでジョイントしていた!的な エキサイティングな展開にはなりません;;; あ、そんながっかりしないでくださいよw

どうやら碑文谷池からは2系統の水路で 品川用水につながっていたのではないかと思っています。 ひとつは池から西に向かっていくやつと、 もうひとつは北に向かっていくやつ。

まず西方面からいきましょうか。 公園の西側にこんな入り口があって、

そこからこう歩道を通って上流が辿れます。

なんとこの歩道の右側(つまり左岸)には、プール! 日大水泳部の寮と温水プールがありました。 なるほど。

この歩道を上流に辿ると 寮の敷地に沿って、こんなふうにかくんと曲がります。

そして敷地の端まで行く途中

[156] 暗渠ハンター 貉窪をこえて洗足で「弁天橋」をみた。: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-57be.html

以前、洗足池に流れ込む何本かの上流を探しに行ったんですが,、そのひとつとして大井町線北千束駅そばを掠めて環七に延びる 「貉窪」を散策 しました。

で。しばらくたってから、ドブ川研究家(?)の 俊六さんのブログ にレィルウェイライフさんという方が、 「洗足駅のそばに池と橋があって、その谷筋は洗足池につながってるかもしれない…」という コメントをされているのを 見て、これはいつか行かねば!確かめねば!と思っていました。 今回は、その貉窪と洗足駅そばの池とそれに繋がる川筋について、レポートします。

まずは前回の貉窪の谷頭を探しましょう。 環七に西から東にぶつかるのはここ。

環七は盛土されたような高台を通っていますが、この流れはその下にぶつかり低いまま。 高台・環七から貉窪の低い支流を見下ろします。

この低い流れが、環七の内側のどこにつながっているのかどうか・・・。 古地図をみると、貉窪の続きの谷頭がちょっとだけ環七内側に張り出しています。 それを探してみました。 地形から言って、ここのようです。

昭和大学歯科病院の横。ここ。

ではここで、地形を確認しましょう。 いつものように、google earthさんと東京地形図さんに感謝しつつ。

先の写真の環七内側のところは、上の図貉窪楕円形の右上の端っこです。

で、レィルウェイライフさんが指摘されていたのは地形図中の「厳島神社」近辺のこと。 どうもここは、環七内側から新たに始まる谷の途中にあり、 そのまま立会川方面に流れていくようですね。 つまり地形図で谷を辿っていくと、さっきの貉窪とはちょっと別の谷筋のようです。 おそらく環七の尾根(厳密には現環七と微妙に左右にズレがありますが)がもともと分水嶺になっていたのか…。

さてそれでは、この新たな東に流れる谷の谷頭を探してみよう!

環七から内側をじろじろ見ながらあるくと、一目瞭然で「ヤバい」感じの路地が見えます。

ここを入っていきましょう。路地の出口はこんな。

うーん、ワケありげです。たぶんここからドブのような流れが始まっていたのでは。 その先は、住宅ブロックを無視してわずかな高低差をおうことになります。 じつはここはそんなふうに住宅ブロックの真ん中を目黒区と品川区の区界が走るちょっとかわったところなのでした。 この写真。

敷地の両側に、左は目黒区洗足二丁目27、右は品川区

[157] 暗渠ハンター 南馬込の谷の、ミッシングリンク「池尻堀 南馬込1丁目支流(仮)」: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/1-5458.html

前回「練馬にある石神井川の谷イッキ攻め」的なシリーズをはじめたばっかりですが、このシリーズは息長く不定期連載ということにさせていただいて、今日は全く違うエリアのお話をさせていただきます。

以前、南馬込1丁目にある短い暗渠をご紹介しました。 この記事 で「この谷B」と書いてあるところです。 「この谷B」を出た水の行く先については、 ろっちさんの記事 でも取り上げられていましたが、まあずっと気になっていたわけなんです。

先日、またまた断片的ではありますが、その水の行く先について手掛かりを見つけたのでご報告。

まずは概況を掴んでいただくために地形図を。

左上から右下にかけて、環7がざばっと通っています。 そして右上から左下へ鉄道・横須賀線と東海道新幹線が通っています。 以前「この谷B」として見つけた暗渠は水色のところ。 この先どんなふうに谷底(つまりこの「楓谷(ろっちさん命名)」の真ん中の方)に向かって行くのかなあと思っていたところ、今回、オレンジ色の暗渠を見つけました。 これはすなわち以前の水色の暗渠の「行く先」だと思われます。 水色とオレンジ色を結ぶと、桃色のような流れが推測できるなあ、 というワケなんです。

ではさっそくその現場を。 南馬込1-14-5。 ここ、環7沿いなんですよ。 環7の歩道から、こんな風景が見えるんです。

怪しい金網。 覗き込んでみると。 立派なはしご式開渠です。 まさか、環7からこんなあからさまな川跡が見られるとは思っていませんでした。

”小学○年生”的な雑誌に 「あなたのすぐ近くに、四次元への見えない入り口がある!」 みたいな特集がよくあったような気がしますが、そんな見出しを思い出して軽く興奮してしまいますw 轟轟と車の行き交う何車線もある幹線道路から、 異世界への入り口が駐車場と民家の間の小さなスペースに残っていたわけです。

駐車場に足を踏み入れ、行く先(上流)を観察します。

ちょっと底が浅いですが、はしご式開渠が続きます。 そして駐車場の敷地を回り込むように折れ曲がります。駐車場スペースの背後は小さな崖なので、その崖下を回り込む、といった方が正しいでしょう。

崖下を伝う流れには蓋がされてしまいます。

しかし流路は明確。

駐車場スペースから、民家の狭間へと続きます。

では上流を、コの字ウォークで追っていきましょう。

民家の狭間か

[158] 暗渠ハンター 大田区楓谷・崖を下る暗渠: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-9d8e.html

前回の「 暗渠の愉しみバランスシート 」からいうと、今回の記事はこんな内容です。

では本文、行ってみます 。

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南馬込に行きました。そう、例の谷あたりに。 街角ねこさん写真家(でいいんでしょうかw)の ろっちさん が、 「楓谷」と名付けたところ 。 猫またぎさんをして「V字谷の聖地」と呼ばしめた 馬込の地形ですが、 楓谷はこの猫またぎさんが取り上げたエリアのもうちょっと南の方に位置します。

私もこの近辺は何度か断片的に記事にしました。 環七を両脇から囲む池尻掘りの 東 と 西 。 そして池尻堀東の奥から来る 大仏支流(仮)。 さらに池尻堀西の奥の奥から来る 池尻掘り南馬込1丁目支流(仮)。 その手前 のするすみ支流群(仮)。 そんなに家から近いわけじゃないのに、我ながらよく通ったものです。 会社で「住まいは馬込なんです」というひとがなぜか結構いるんですが、もうその一人一人に、「で、何丁目何番地?谷の底のほう?そばに坂はない?」と問い詰めたくなることが多いのですが、ずっと我慢してます。

で、今回はその楓谷エリアで、たぶんあまり知られていない(と思います;;;)暗渠を見てきたので、2回にわけてご報告します。

まずは全体の地形図をどうぞ。(GoogleEarthさん東京地形地図さんありがとうございます)

■序章代わりの「1」 では地形図の「1」とした矢印。これは、さきにご紹介した「楓谷」の命名者ろっちさんにすでにご紹介されてますので、軽く。 バスが行き来する南馬込1-60-5の尾根道からぽっかりとした暗渠が見えます。

ここからこの流れに階段で降りていきます。振り返るとこんな景色。 すでに秘境感満載ですね…。この先はこんなふうに続きます。

いったん道に出てガードレールに阻まれた後も…。

やはり階段で下ります。この谷のきつい高低差を物語りますね。

その先はいったん右に曲がって、左に曲がり、するすみ支流群(仮)の中心となる支流となって流れていくようです。

■するすみ支流群・南馬込2丁目崖支流(仮) 「2」 次は、今回新たに見つけたするすみ支流(仮)の副支流のひとつ。 それが地形図の矢印「2」。 南馬込2-23から唐突に始まる支流です。 ここ。

車の間をすり抜けて進んでみましょう。

進むと、崖

[159] 暗渠ハンター 大田区楓谷・こんどは断崖絶壁暗渠: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-4c65.html

■池尻堀西・馬込支流「3」

前回からの続きです。 今回の記事も、趣としてはこんな感じの「 暗渠の愉しみバランスシート 」となります。

まずは前回の地形図を再掲します。 (GoogleEarthさん東京地形地図さんありがとうございます)

今回は上地図の「3」という矢印のところ。 前回のするすみ支流群とは谷を異にするところですね。

「2」の場所から「3」へと移動する途中、 尾根道のT字路に井戸(サンタイガー式)がありました。なんか岬に立つ防人みたいな風情で。

このあたりから、これから下る谷を一望できます。

うっわーすっげえ高低差!とついつい「ですます調」が乱れてしまいます。

さてここ。南馬込3-17に突如金網が見えてきました。

覗き込んでみると…。

おわっ。 この先は崖になっていて、その崖を下る一筋の暗渠があるのです。 望遠で奥の方を見てみましょう。

大谷石で築かれた家の土台の高さを見ても、この谷の深さがわかるかと思います。 ただ、行く先がよくわかりません…。

この写真を撮った足元には、土管も見えています。

下流をなんとか確認するため、一つ先のブロックに回り込んでみましょう。 ブロックを囲む道は、こんな急階段になっていました。

そりゃそうだよなあ、あんな崖だったんだもんなあ…。

そして。 この階段を下りたところがまさに暗渠の出口だったのです。

右側に見えるお宅と階段とのスキマが暗渠。 半分プライベートな空間っぽかったので、 ちょっと覗き込んで写真を撮るのは自粛いたします。

ここからは、馬込二小の敷地の横を通って下っていく様子。

うん。道もちょっとヘンな造り。

この先すぐには 池尻堀西 が流れています。 おそらくそこに合流していたものと思います。 地理的にも時間的にも断片的にこの楓谷を巡ってきましたが、 ようやここへきて全体像を掴みかけたような気がしました。

より大きな地図で 池尻掘・六郷用水北堀・内川 を表示

[160] 暗渠ハンター オチのない内川支流の話。: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0538.html

「大田区の文化財 第25集『地図で見る大田区』(2)」 という資料を眺めていたら、こんなものを見つけました。 そう、真ん中に流れる川(オレンジ色)は、内川。

明治19年測量、というこの地図には、 西から内川に合流する支流が二本くっきりと描かれています! 赤い丸のところ。

以前内川をたどっていて偶然見つけたのは もうちょっと上(北)のほうに位置する暗渠でしたが、 このあたりに暗渠なんてあったっけな…。

でもこんなに堂々と書かれているんだから、痕跡がないならないでいいや、行ってみよう! と鼻息も荒く出かけていきました。 大正9年の測量時にすでに消えているんですけどね。

まあ地形図でもね、こんなくっきり谷があるし、 なにか面白いことが待っているかもしれないし。 (東京地形地図さん毎度引用させていただいてます、ありがとうございます。)

一応東京都の下水道台帳をみるとこの川筋には合流式の下水道管が通っているので、まあ暗渠と呼んで差し支えはないかと思うんです。

以下、便宜上それぞれの住所から、南側を西馬込2丁目支流、 北側を西馬込1丁目支流と仮に呼ぶことにして話を進めてまいります。

■ 西馬込2丁目支流

2丁目支流は、南馬込5-27あたりで内川に合流します。 ちょうど都営地下鉄西馬込から延びてくる商店街の谷のところ。 一見なんの変哲もない商店街。

このあともなんの変哲もありません。 ただ、両脇を見るとぐぐっと下がった谷地形であることは間違いない。

国道1号線・第二京浜とまじわるところには、 文化堂というスーパーがあるのですが、 何かの資料で「ここに昔湧水があった」と書かれていましたので、 その湧水はこの西馬込2丁目支流にあわさって 内川へと流れ込んでいたのだと思います。

第二京浜を越えても川らしい跡が浮き上がってきません。

今日はテンションが低いまま終わってしまうかも知れません。 いまから覚悟しておいてください。 大阪の人と飲んでるときにオチのない話をして怒られたことがありませんか? そんな感じ。

道端に公園。 お。 なんか川っぽいもの発見!

でもこれ、絶対ダミーです。 でもこの公園の端っこが急にがくんと低くなっていて、 おそらく谷頭部はこのへんなのだと思います。

その谷頭の上のほう、西馬込2-9の界隈にはちょっとした路地が。

特定はできませんが、配水路などがあった

[161] 新小平駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E9%A7%85

駅周辺 [ 編集 ]

西武多摩湖線 青梅街道駅 - 東へ約700m。正式な乗換駅には設定されていないが [2] 、武蔵野線が事故等で運転を見合わせている際は、振替乗車票を持って青梅街道駅から乗車するよう指示される。一方、 西武新宿線 ・ 拝島線 の 小平駅 は2.5kmほど離れており、乗換駅ではない。

小平郵便局

ゆうちょ銀行 小平店

小平警察署

小平市中央図書館

津田塾大学

国際ビジネス専門学校

国際パティシエ調理師専門学校

小平市立小平第十五小学校

国立精神・神経医療研究センター

第一屋製パン 本社・小平工場

平櫛田中彫刻美術館

石塔が窪

青梅街道 ( 東京都道5号新宿青梅線 )

鎌倉街道

府中街道 ( 東京都道16号立川所沢線 、 東京都道17号所沢府中線 )

小平グリーンロード

歴史と文化の散歩道 府中国分寺コース

小川用水

玉川上水

バス路線 [ 編集 ]

東行(駅東側青梅街道上)

梅70系統 ( 都営バス ): 柳沢駅 、 小平駅 行

寺64・寺64-1 ( 西武バス ): 国分寺駅 北入口行・循環

系統番号なし 「出入庫線」(西武バス):小平駅南口行

西行

梅70系統(都営バス): 青梅車庫 、大和操車所行

系統番号なし「出入庫線」(西武バス): 小平営業所 行

北行(駅西側青梅街道上)

銀河鉄道バス (ぎんてつ): 明法学院 行・循環(2014年3月25日より 休止中 [14] 。新小平駅始発停→ 小川駅 ・ 明治学院 経由。休校日運休、学校行事に応じて増発)

1991年10月の水没事故 [ 編集 ]

経緯 [ 編集 ]

この年は8月から記録的な長雨が続いており、近接する 所沢 アメダス の積算降水量 [15] は8月が394mm(観測史上8月として6位)、9月が447mm(観測史上4位、9月として2位)であり、10月も台風21号の接近に伴い活発化した前線により事故前日で既に200mmを超えていた。

このため、9月半ばにはホーム北(新秋津側)の壁面から地下水が噴出し始め、10月11日朝から接近した台風21号による大雨(所沢の24時間積算雨量95mm)により23時45分頃 [16] ホーム北側と線路を含むU字形構造全体が120mにわたって最大1.3m隆起 [注釈 2] し、擁壁継目には最大70cmの開口部が生じ、土砂混じりの地下水が大量(復旧時の計測で

[162] 旅たび倶楽部部録 旅たび倶楽部 第6回部会・部録, , http://tabitabi401.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

2012年3月24日(土) 小雨後曇り、後晴れ 練馬区西大泉町飛地から新座市平林寺へ 東京都と埼玉県の境をめぐる・その2 参加者: 柳沢道生、岩瀬 翠、飯降昌吾(集合写真順)、弓 祐美(撮影) 岩瀬は、ひるねの森から参加 写真は平林寺(埼玉県新座市野火止3-1-1)中門(なかもん)門前にて 1.保谷駅~区市境路地 集合は西武池袋線保谷駅北口、この駅の住所は西東京市(旧保谷市)下保谷4丁目だが、池袋寄りのホーム3分の1ほどは練馬区南大泉4丁目にある。区市境にまたがる駅だ。午前11時にメンバーが集合し、小雨の中、散策を開始した。練馬区側の住宅地の路地を北に進む。ほどなく、左側の住居表示が西東京市に変わった。右は練馬区のままである。この何の変哲もない路地が東京23区最西端の区市境なのだ。 保谷駅、上り電車の最後尾あたりが区市境にあたる この路地の真中が区市境、左が西東京市、右が練馬区 2.保谷山福泉寺 駅から徒歩7~8分、住宅地の中に畑が点在し始める。路地を左折し西東京市のバス通りに出る。福泉寺通りといい、すぐにその名の由来となったお寺が見えてくる。 保谷山福泉寺、日蓮宗。創建年代は不詳だが、もと三十番神社・現下保谷天神社の別当寺で、寺が保有する木彫彩色三十番神神像は市の文化財に指定されている。文化・文政期(1804-29)に編纂された新編武蔵風土記稿にこの寺の記事がある。本堂脇になつかしい1号丸型ポストがあった。近くには本の形の碑があり、帝釈天の由来と遷座、「郵政事務官高橋清の菩提」のため堂宇と井戸屋形の再建と奉納の経緯が紹介されていた。ポストは故高橋氏ゆかりの品なのだろう。傍らの狸がほほえましい。 福泉寺本堂、前には紅白の梅 本形の碑 丸型ポスト、当然使用不可 3.新井憩いの森~大乗院 福泉寺通りを北に歩き、最初の十字路を右折する。また練馬区に入る。行く手の左に大きな木々が見える。お寺さんかと行ってみると、看板に「新井憩いの森」とあり、土地所有者の好意で区民に開放されているという。かなりの広さで植生も多彩だ。ちょうど植木屋さんが2人、手入れをしていた。話を聞くと、この森に汚物を放置する事件が続き、昨夜もあったという。地主さんの好意を、文字通

[163] 鳩ノ巣渓谷, , http://www.yuhoyuyu.sakura.ne.jp/course/cn128/index.html

鳩ノ巣渓谷は多摩川の中流域にあって、小さな山を越えていくと、深くてダイナミックな渓谷が続いています。

古里駅から奥多摩駅までの渓谷沿いを、大多摩ウォーキングトレイルと数馬峡遊歩道をつないで歩いていきます。

[164] 八王子城址散歩 そのⅢ;城山川に沿って「正面口」から八王子城址に向かい、城山山頂から城沢に沿って搦手口(裏門口)に下る - 時空散歩, , http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2013/06/post-227.html

八王子城址散歩 そのⅢ;城山川に沿って「正面口」から八王子城址に向かい、城山山頂から城沢に沿って搦手口(裏門口)に下る

八王子城址散歩も三回目。今回のメンバーは私を含め大学時代の友人3名。東京赴任の友人が関西に戻るに際しての記念散歩。散歩の希望コースなどを訪ねていると裏高尾辺りなどどうだろう、という希望が出てきた。が、裏高尾といっても旧甲州街道を進み小仏峠を越えて相模湖に出る、といったコースであり、「歩く」ことが大好きな人ならまだしも、それほど「歩き」に燃えることがなければひたすら街道を歩き、厳しい小仏峠を越えるコースは、少々イベント性に欠ける、かと。

その替わりとして提案したのが、少々牽強付会の感はあるも、「歴史と自然」が楽しめる八王子城址散歩。個人的にもこの機会を利用して、二回の八王子城址散歩を終え、唯一歩き残していた、オーソドックスな絡め手口からのコースを辿りたいといった気持ちがあったことは否めない。

で、コース設定するに、それほどの山歩きの猛者といったメンバーでもないので、誠にオーソドックスに八王子城址正面口、城下谷から御主殿跡などの山裾の遺構を訪ね、その後、山麓、山頂の要害部に上り、「詰の城」まで尾根を辿る。そこで大堀切を見た後、再び山頂要害部へと折り返し、城山からの下りは、私の希望を入れ込み、八号目・柵門台から城山沢・滝沢川に沿って城山絡手口方面に向かい、心源院をゴールとした。

搦手ルートの「隠し道」といった棚沢道、詰の城から「青龍寺の滝」に続く尾根道、「高丸」へ上る尾根道など、少々マイナーではあるが辿ってみたいルートはあるものの、それは後のお楽しみとして、今回の散歩でオーソドックスな「八王子城城址攻略ルート」はほぼ終わり、かと。

本日のルート; JR高尾駅>中宿・根小屋地区>宗関寺>北条氏照墓所>八王子ガイダンス施設_午前9時28分>近藤曲輪>山裾遺構_午前9時52分(御主殿跡)>山麓遺構_午前10時42分(高丸)>山頂要害部_午前11時(山頂曲輪)>尾根道を詰の城に_午前11時50分(詰の城)>ピストン往復>八合目・柵門台_午後1時20分>城沢分岐_午後1時25分>清龍寺の滝分岐_午後1時35分>清龍寺の滝_午後1時50分>松嶽稲荷_午後2時15分>松竹バス停‗午後2時36分>心源院‗午後3時>河原宿大橋バス停>JR高尾駅

JR高尾駅

集合

履歴

[175] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054541968230

メモ