残堀川

残堀川

[1] 残堀川

Webページ

[2] 昭和記念公園内を歩く: 暗渠さんぽ, , http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/11/post-6d40.html

ふたたび、立川周辺です。と、いっても、このときは、たんにコスモスを鑑賞し、公園で昼ビールでも飲んで癒されよう、という目的で昭和記念公園に行きました。

そう、「今日は暗渠抜きよ」みたいなかんじで・・・。

ちなみに昭和記念公園っていうと地下シェルター説が気になりますが・・・そして中央線のここらへん、軍事萌えが活性化するエリアなんですが・・・

ふつうに公園日和を楽しんでいて(ふつうの公園日和の写真は割愛w)、そういえばここって川が流れていたな、と、川のほうへ行ってみることに。

残堀川(狭山池を水源とし、立川にて多摩川と合流する)。開渠が公園をぐるうっと通っています。ま、それはそれで。

で、ふと、川のすぐ脇に側溝が走っていることに気づきました・・・。わああ、こんなのあったんだ・・・!

見下ろすと、わりときれいな水がなみなみと流れています。ちょっと、うれしくなるほどに。 周囲の景色とあわせると、暗渠っぽいふんいきを醸し出しているのに、暗渠ともいいがたい。しかし開渠とも言いがたいぞ。なんと呼んだらいいのかな・・・そうしたら、連れのひとが、「半渠」と表現してくださるではないですか。ナイスネーミング!

ちなみに、横を流るる(はずの)残堀川はこうです。のぞきこんだら、カラッカラでした。

このカラッカラ、と、横の半渠のなみなみ、の対比が興味深すぎます。いったいなぜこんなことが・・・?半渠の水は、いったいどこから、どこへ・・・?

もう気になって仕方が無いので、追いかけてみることにしました(トイレ休憩もはさみつつw)。

途中、こうやってコンクリ蓋の終点があって、でもそれを我慢して遡ると、また出現して・・・の繰り返し。しばし黙々歩きます。

昭和記念公園、何度も来ているのに、こんな側溝知らなかった・・・当然といえば当然かもしれないけど。芝生でねころんだり、花見でどんちゃんやったり、それで帰るだけだと、この端っこをひっそり通っている流れには出会えないわけです。

突如、開渠になります。

サイクリングコースのすぐ脇だからでしょうか、とつぜん綺麗に整備されています。今までの、端っこボウボウ未整備地帯からすると、面食らうほどに。

そして、立て札が出現。 「立川分水は、1737年(元文2年)に玉川上水から水を分けました。水道施設が広まったため生活用水に使われることはなくなりましたが、現在も農業用水として利

[3] 柴崎分水(立川分水)(2)昭和記念公園〜奥多摩街道まで : 東京の水 2009 fragments, , http://tokyoriver.exblog.jp/14720354/

googlemapにプロットした柴崎分水流路図はこちら。 ‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾ 昭和記念公園の北方で暗渠となって行方をくらました柴崎分水の水路が再び姿を現すのは、昭和記念公園中ほどの残堀川遊水池の南側からだ。 残堀川は昭和記念公園と、まだ空き地となっている立川基地跡敷地の境界を流れており、川沿いにつくられた遊水池がつくられている。遊水池そばの看板に柴崎用水路の字が見える。

普段は遊水池はもちろん川にもほとんど水はない。川沿いには雑草が生い茂り、荒涼感を漂わせている。遠くには、立川基地跡に残る陸軍航空廠の煙突が小さく見える。

遊水池の南西角に接して、残堀川に「やまぶき橋」がかかっており、その左岸側(東側)から、鉄柵で蓋をされた柴崎分水が、残堀川に並行して流れている。写真右側には残堀川の護岸が見える。立川基地跡北側では残堀川の右岸側を流れていたので、どこかで残堀川を渡っているはずなのだが、地図や空中写真を見る限り、どこで渡っているのかわからない。もしかすると「やまぶき橋」の下に懸樋や導水管があるのかもしれないが、確認を失念。

[7] @nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す, , http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/2.htm

残堀川に架かる橋の上から道をまっすぐ進んで、およそ1.5キロ先の空堀川に架かる橋の上まで歩いてみる。

標高は川沿いのこのあたりがいちばん低いのは間違いないだろう。周囲を見回してもほとんど平地で山はないけど、道路の微妙な起伏を読み取りながら、それぞれの川の間でいちばん高い場所を探すのだ。

きっと、その場所が荒川と多摩川の分水嶺に違いない。

[9] @nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す, , http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/

分水嶺とは水系と水系の境界線、つまりその場所に降った雨がどの川に流れてどの海に注ぐのか、というエリアの境目である。

たとえば日本列島の中心部分には太平洋と日本海の分水嶺が縦断していて、同じ山でも雨や雪が降った場所によって、流れ着く先が太平洋か日本海かに変わるのだ。

そこまで大げさでなくても、川が2本流れていればその間のどこかに分水嶺があるはずだ。それがたとえ山の中じゃなくて住宅街であっても。

(萩原 雅紀)

東京の水系事情

東京には大きく分けて荒川と多摩川という2つの大きな川が流れていて、それぞれが東京湾に注いでいる。都心部だとさらに渋谷川とか目黒川とかの水系もあるけど、東京の大部分はほとんど荒川水系か多摩川水系と言っていい。

[10] 暗渠ハンター 立会川を下る③: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】, , http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-0273.html

さて立会川も最終回。

では中原街道と立会道路との交点から。 手前が中原街道、その奥に緑道が続きます。

進んでいくと、旗の台駅近くでいったん線路を前に中断。

さらに荏原町の駅をまたぎ中延を通って国道1号線まで続きます。 その途中にあった物件が、先日ご紹介したこの「大径マンホール跡」。 荏原町付近にはこんな味のある質屋さんも。大谷石づくりですね。 わき道もいい感じ。 地図上では立会緑地と名前を変え、こんな感じになります。 途中から工事中。すぐわきのストロングタイプの暗渠道を行きます。 中延あたりではこんな川辺っぽい光景も。 さて、ここが国道1号線との交点です。国道1号線ですが地域での愛称は「2国」。

東京横浜を結ぶ大幹線を、海側から1国(産業道路)、2国(1号線)、第3(第3京浜)と呼ぶんですって。かえって混乱しそうですけどねw。 そして、上の写真の左の敷地が、先日から問題視wしている「東急バスの荏原営業所」です。 うーん、川筋と操車場、どんな関係があるのでしょう・・・。 2国(<やっぱ紛らわしい)を越えると道幅がぐっと広がり、こんな光景になります。 ところでこの道をまっすぐ30m程度進むと、品川用水と立会川が交わる地点に。 立会川を下流に向かって左を望んだ写真が下ですが、この道がおそらく品川用水。立会川を突っ切って右に続いていたようです。 しかし横切るって・・・立体交差だったのでしょうか・・・。 さて、さらに立会川を下ります。道は上りへの一方通行道路となり、その脇をこんな歩道が続きます。 こんな魅力的は道も交差。ただし立会道路はすこし盛り土して作ったのか、支流からはこのように階段で数段上るようにして交差しています。 横須賀線・新幹線の高架と交差する場所が近づいてきました。 これを越えるとすぐにJR西大井駅。

ここからはこんな整備された緑道となり、いまいちテンション下がりますw。 JR大井町方面に向かっています。道もまた細くなったり、こんな暗渠らしい道になったり。 (あ、これは立会道路に交差する道だったかもしれません;;;;) いわくありげな舗装跡ですねw。

大井町に到着。川筋を見失いそうになりますが、しっかり立会道路の続きがあるので大丈夫。 駅の南にある線路を渡って、 右に現れる大きなガードをくぐると こんな緑道が復活します。 蛇行して進むこの道の傍らには、なんだ

[11] マセ口川 - 川のプロムナード, , http://riverpromenade.blog.fc2.com/blog-entry-49.html

2015.05

«

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 »

2015.07

調布市深大寺南町四丁目にある都立農業高校神代農場を水源とする野川の支流 マセ口川 (ませぐちがわ、別名:佐須用水)を追ってみた。 マセ口とは、付近の小字名から名づけられたものだが、そのマセ口という字名 の由来は不明のようだ。 まず、神代農場と三鷹通りを挟んで向かい側、 青渭神社 に立ち寄ってみる。 祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命、創建年月は不明であるが、古代の先住民 が水を求めて居住した際に、祠を建て水神を祀ったと伝えられる。 かつて社前には湧水から出た大池があり、青波をたたえていたことから青波天 神社とも称されていた。 境内には樹齢数百年という大欅があり、江戸名所図会にも描かれている。 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載) さて 都立農業高校神代農場 からマセ口川を追い始めてみる。 前身は青年学校の射撃用地、昭和23年(1948)に農業高校の付属農場として 譲渡された。 毎週木曜日には一般公開しているそうだが、この日は土曜日のため入れず、 仕方なく西側沿いに歩いていく。 農場沿いに歩いていくと、柵の下に池(心字池)を望むことができる。 農場内にはかなり深い谷となっており、湧水を湛えていることが想像される。 歩いていくと中央高速手前、右手に小さな 池ノ上神社 がある。 絵堂(旧字名)の鎮守社で創建は不詳、明治40年(1907)に里の稲荷社と 池ノ上の稲荷社を合祀して、池ノ上神社となったとのこと。 池ノ上という名前が興味をそそる。 その中央高速の手前から左手、谷(池ノ谷)へ下りていく階段がある。 谷へ下りると、神代農場から流れ出るマセ口川の清流を見ることができる。 その脇、別の湧水からの小さな流れも合流している。 ここから南へ 深大寺自然広場 が続くが、残念ながらマセ口川は暫く暗渠と なってしまう。 中央道のガードを潜ると広場内に 野草園 がある。 園内には約300種類1万本以上があるとのことだが、開園期間は3月か ら10月まで、また期間内においても休園日が多いので、訪問時には注意 が必要である。 その野草園の入口近くには湧水があり、かな

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054534276556

メモ