楢川村

楢川村

[1] 楢川村 (ならかわむら)

35.9836111111111 137.835611111111

Webページ

[2] 楢川村 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B7%9D%E6%9D%91

楢川村(ならかわむら)は、長野県中部に位置していた木曽郡の村。 2005年4月1日、塩尻市に編入合併した。 村内の国道19号沿いに「是より南 木曽路」の碑があり、中山道の宿場として、贄川宿と奈良井宿があった。

[3] 旧楢川村, , http://www.geocities.jp/gunmakaze/column/15narakawamura.html

旧楢川村は、信濃川を南に遡って、どん詰まりのところにある。川の名前もいくつか変って、生活圏は奈良井川であるが、最後の水源は白川と呼ぶ。

ちなみに木曽街道には11宿ある。その一番目は贄川宿、最後の11番目は馬籠宿(旧山口村)である。街道の入口には、それぞれ「是より南木曽路」、「是より北木曽路」の碑がある。面白いことに平成の大合併で、両端の村が隣りの市に編入合併をして村名が消滅した。しかも山口村は、岐阜県の中津川市に越県合併をしている。だからと言って木曽街道の歴史が消えたわけではない。

話を元に戻すが、旧楢川村には冒頭に述べたように、三つの大字がある。奈良井と贄川は木曽街道の宿場であり、両宿に挟まれて木曽平沢がある。さらに言えば、重要伝統的建造物群保存地区として選定されているのが、”宿場町”の奈良井と、”漆工町”の木曽平沢である。

僕が生まれた贄川は、残念ながら、大正7年の大火で昔の面影は少なく、せめてもの慰めは、”贄川関所”が復元されたことである。そこで働く女性ボランティアの解説は、見学者の興味をそそり中々のものだ。2006年に放映された、NHKの総合テレビ「街道てくてく旅-中山道-」の旅人-勅使川原郁恵さんに、贄川宿を案内してくれたのも彼女たちである。

この旧楢川村における子供の頃の想い出は、あるものは記憶が薄れ、あるものは鮮明に覚えている。それらについては”子供の頃”に記述してあるが、風習・暮らし等の民俗の分野に属するものである。

<分水嶺-太平洋と日本海を分ける->

子供の頃の想い出を、民俗の面でしか捉えられなかった僕が、ふとしたきっかけで、別の視点から吾が楢川村をみつめることに目覚めたのは、5年ほど前のことである。その「ふとしたこと」と言うのは、2002年ころだったろうか、前橋市立図書館でリサイクルブックフェアがあって、そこで見つけた本によってである。題名は「日本の分水嶺」、副題が-地図で旅する列島縦断6000キロ-とある。これを貰ってきて、読み出したら実に興味深い内容だった。北海道の宗谷岬から、鹿児島県の佐多岬まで、太平洋と日本海を分ける大分水嶺が一本の線でつながるというものである。この大分水嶺に沿うすべての市町村について、著者は余すところなく興味深い解説を加えている。この連続線のほぼ中心に吾が楢川村があった。僕の知的好奇心は、この一本の線にとりつかれて離れ

履歴

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