静岡県道388号接岨峡線

静岡県道388号接岨峡線

[1] 静岡県道388号接岨峡線 (せっそきょうせん)

35.1753030138369 138.187837600708

Webページ

[2] 静岡県道388号接岨峡線 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E9%81%93388%E5%8F%B7%E6%8E%A5%E5%B2%A8%E5%B3%A1%E7%B7%9A

静岡県道388号接岨峡線(しずおかけんどう388ごう せっそきょうせん)は静岡県榛原郡川根本町梅地を起点とし、同町奥泉を終点とする一般県道である。延長7.6km。 大井川鉄道接岨峡温泉駅付近から長島ダム沿いを鉄道とほぼ並走し、奥泉で静岡県道77号川根寸又峡線と合流する。

[3] 道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区, , http://yamaiga.com/road/itisiro/main.html

【周辺地図(マピオン)】

今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。

右図に赤く示したラインが、それである。

地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。

もう一度地図を見て貰いたい。

この場所は、川根本町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。

寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。

この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。

その過程で、名前も何度も変わってきた。

本編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見てみよう。

鍵になるのは、大きな文字で示した“3本の橋”たち。

渡谷(とや)橋、川根路(かわねじ)橋、泉大橋である。

※右のように枠が赤い画像は、カーソルオンで表示が変わります。もし変わらない方は、こちらから【表示】して下さい。

昭和27年と42年の地形図を比較してみる。

なお、右下の円部は奥泉地区の拡大図である。

上の2枚の地形図から分ることは、昭和27年当時、接岨峡へ通じる道と寸又峡へ通じる道は、奥泉集落内で分岐して“いなかった”ということだ。そして、この当時はまだ、自動車が通れる道が奥泉まで到達していなかったことも読み取れる。

対して昭和42年版になると、渡谷橋を通って大井川の左岸伝いに接岨峡を目指す車道が開通している。

だがこの道は県道接岨峡線ではなく、森林開発公団が建設した「大井川林道」という林道だった。

『森林開発公団十年史』によると、大井川林道は昭和35年から40年の間に建設され、全長は14.4km。 その一部として渡谷橋が完成したのは昭和36年だった。

一方の奥泉集落を通って寸又峡へ通じる道も車道に変わっているが、こちらもほぼ同じ時期に東京営林局が建設した林道である(『本川根町誌』による)。

おおよそ15年の間に相次いで林道が開通し、一帯の交通事情は一変したことが理解される。

(本編とは関係しないが、大井川鉄道も中部電力の専用線から旅客も扱

[8] 川根本町 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E7%94%BA

行政[編集]

歴代町長

杉山嘉英(2005年10月16日〜 2009年10月15日)

佐藤公敏(2009年10月16日〜 2013年10月15日)

鈴木敏夫(2013年10月16日〜、1期目)

庁舎

川根本町役場 本庁舎(郵便番号428-0313 静岡県榛原郡川根本町上長尾627)

川根本町役場 総合支所(郵便番号428-0411 静岡県榛原郡川根本町千頭1183-1)

川根本町教育委員会(郵便番号428-0411 静岡県榛原郡川根本町千頭1183-1)

産業[編集]

農業

全国的に知られる「川根茶」の産地で、天皇杯や全国品評会等で産地賞受賞などを多く受賞している。また農業生産額では、ほとんどを茶(生葉)、荒茶が占めている。

2000年での農家1戸あたりの平均経営耕地面積は0.41haと、県平均の0.69haのおよそ6割に過ぎず、経営規模は小さいといえる。

林業

町の森林面積は、町全体の約94%を占めている。そのうち国有林の比率が高いのが特徴で、県内国有林の28.6%を占めている。

工業

町には少数だが精密機械、電気機械、製茶(仕上茶製造工場)等の企業が立地している。2001年の時点で、事業所は35か所、従業者数は719人、製造品出荷額は89億円弱となっている。

県全体の水準と比較して1事業所当たりの規模が小さいこと、従業員1人当たりの出荷額が低いことが特徴。

建設業

全産業に占める建設業の比率を見ると、事業所数が13.1%、従業者数が18.8%を占め、県全体よりも高い数値を示している。特に従業者数の構成比は、県全体の水準7.6%の2倍以上の数値を示しており、地域の雇用の受け皿として重要な産業であることがうかがえる。

商業

2002年の商業統計をもとに、地域内の小売業を見てみると、店舗数は215店、従業者数702人、年間商品販売額は約68億円となっている。このことから、町内には大規模小売店舗立地法に基づく店舗面積1,000m²以上の大型店舗がなく、小規模店舗が多いことが分かる。

観光

町内には日本で5か所のみという原生自然環境保全地域の大井川源流部、静岡の自然100選に選ばれたブナの原生林などの美しい自然に加え、寸又峡温泉、接岨峡温泉、白沢温泉、千頭温泉の温泉、さらには大井川鐵道のSL通年運転や日本で唯一のアプト式鉄道などの様々な観光資源がある。

主な学校[編集]

[9] 奥大井湖上駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%A4%A7%E4%BA%95%E6%B9%96%E4%B8%8A%E9%A7%85

概要 [ 編集 ]

海抜は490m [2] 。 長島ダム のダム湖である 接岨湖 に突き出た半島状の陸地の突端に位置する。この場所はダム建設以前に谷が大きく蛇行していた部分の尾根にあたり、駅および鉄橋の湖底(つまりかつての谷底)からの高さは70mもある。

前後を2本の巨大な鉄橋「レインボーブリッジ」(東京港の「 レインボーブリッジ 」より先の開通である。そちらとの区別のため「奥大井レインボーブリッジ」とも)に挟まれ、また周辺に民家等はなく、さながら陸の孤島の様相を呈している。このため「 秘境駅 」に数えられることもある。

この駅は井川線の一部が長島ダムの建設によってダム湖に沈むことから 1990年 に新線に移設された際、新駅として開業したものである。駅構内および鉄橋上からは、ダム建設による切り替え前の旧線の橋が散見できる。

駅構造 [ 編集 ]

単式1面1線のホームを持つ。ホームの一部は橋梁上にもせりだしており、駅名通り「湖上」となっている。

駅の出入口は接岨峡温泉側の鉄橋に併設されている歩道で、これを渡ると階段・山道を経由して 静岡県道388号接岨峡線 に出ることができる。県道には当駅の駐車場も用意されており、駐車場と駅との間は片道で20分ほどの時間を要する。利用者はほぼ全員が観光客であり、当駅や展望の良い丘や橋を通ること自体が人気のウォーキングコースとなっている。大井川鉄道では当駅から接岨峡温泉駅までのハイキングコースを案内している [2] 。

当駅のホーム上には、Happy Bellという「幸せを呼ぶ鐘」がある。この鐘の脇には恋人が愛を誓って錠前をかける場所が用意されており、大井川鉄道ではこの錠前・鍵を販売していた。(2013年1月現在販売は終了している) [2] 。

駅周辺 [ 編集 ]

天狗石山

レイクコテージ奥大井

駅から少し登ったところにある展望施設で、駅周辺唯一の建物。2階建てで1階は休憩所とトイレ、2階は展望台という構造。冬季は閉鎖される [2] 。

歴史 [ 編集 ]

1990年 ( 平成 2年) 10月2日 - 開業。

2001年 (平成13年) - 中部の駅百選 に選定される。

隣の駅 [ 編集 ]

大井川鐵道

井川線

ひらんだ駅 - 奥大井湖上駅 - 接岨峡温泉駅

その他の特徴 [ 編集 ]

1990年 10月2日 に アプト式 を採用した

[10] ミニレポ第218回 静岡県道77号川根寸又峡線旧道 奥泉地区, , http://yamaiga.com/mini/218/main.html

【周辺図(マピオン)】

今回紹介するのは、静岡県川根本町の奥泉地区にある、 静岡県道77号川根寸又峡線 の短い旧道である。

左図の通り、現在の県道は、奥泉集落の南にある大井川の小さな蛇行を、渡谷橋と川根路橋という2本の橋で串刺しにする形で、ほぼ直線的に通過している。

だが、このような線形があるとき、橋を介さない川沿いの旧道を想定するのは、もはやトンネルの脇に旧道を探すことと同じくらい、オブローダーにとって自然な行為である。

そして事実、ここには旧道が存在した。

実際にこの旧道を探索したのは2015年のことだが、2010年に初めてこの地区での探索を行った当初から、ここに旧道がある事は知っていた。

左図に旧「大井川林道」と表記した道を、「 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区 」の表題でレポートしているが、そこでもこの旧道の存在に触れている。

わずか600mほどの短い旧道なのだが、存在を把握しつつも探索までに時間を要した理由は、そこが短い割には“大変そう”だったということと、基本的には現道から見通せる程度の規模なので、優先順位があまり高くなかったのである。

だが、比較的短時間で探索出来るこうした小さな旧道は、 大きな探索 が終わった後の日が暮れるまでの空き時間を無駄にしないという目的にはちょうど良かったので、今回遂に探索する事になったのだ。いわゆる、スキマ時間の探索である。

探索レポートの前に、この川沿いの短い旧道が現役だった期間について、これまでに入手した情報を総合して考察しよう。

まず旧版地形図を見較べてみると、 昭和42(1967)年版では車道としてこの川沿いの道が描かれている。

現在の県道を構成する渡谷橋と川根路橋のうち、昭和36(1961)年に大井川林道の一部として開通した渡谷橋はこの当時すでに架かっていたが、 川根路橋は昭和48(1973)年に初めて架設されたので、その時に川沿いの道が旧道化したもの と思われる。

なお、この昭和42年版地形図にも描かれているとおり、川根路橋には先代と呼ぶべき奥泉橋なる橋があった。

これは昭和37(1962)年に開通したという記録があるが、現在も片岸に残る 吊橋の主塔跡 や、 昭和45(1970)年撮影空中写真 に写る非常に華奢な姿を見る限り、自動車を通せるような規模では無かったと思う。 (「橋梁史年表

渡谷橋

渡谷橋

市代トンネル

市代トンネル

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529440357

メモ