豪雪の東北地方に見切りをつけ、関西への踏査を決めたのは出発の二日前のことであった。とにかくおさぼり気味で、このままではいかんという焦燥感がつのり、比較的東北以外では地理に明るい関西に照準を定めたのは必然でもあった。今回は「鉄道廃線跡を歩く�\」「地形図でたどり鉄道史 西日本編」(JTB)でも紹介されている、歴史の長い関西本線の中でもいわくつきの区間である、三郷〜堅上間の旧線跡をご紹介したい。
この区間の中心となるのは「亀ノ瀬隧道」である。しかしこの隧道は現存していない。最初にこの区間が完成したのは明治24年のことであるが、開通前に周辺の地すべりの為に、初代亀ノ瀬隧道の改築を余儀なくされる。これが旧旧線にあたり、昭和25年に開通、以後大正12年に複線の旧線区間の2代目亀ノ瀬隧道が開通するまで利用されていた。
ここで、開通時〜現在に至る、路線の変遷を見ていただきたい。
初代隧道の山側に二代目の隧道が作られたわけだが、最初の異変が発生したのは昭和6年のことであり、この隧道周辺の地形が地すべりを起こしていることが確認され、2ヵ月後の昭和7年1月31日をもって亀ノ瀬隧道は完全に閉鎖された。
この区間の次の迂回新線案が確定するまで、二代目隧道の東西には仮停車場が設けられ、この間は徒歩連絡を行ったという。ちょうど、地図で「峠」という地名が記してある場所の細道がそうである。しかし、この徒歩連絡も問題があったようで、近鉄線等をつかった迂回線で当座をしのいだが、最終的に地すべり区間を避けるように大和川を2回架橋するという方法で新線を作り、隧道の前後区間は昭和7年12月31日をもって放棄、新線が開通した。
早速踏査を開始する。写真は三郷駅方向に向って撮影。旧線跡はちょうど撮影地点へ向ってまっすぐ伸びており、新線が南へカーブしていく。
この草地がそうなのか、道路がそうなのかは、いまいちはっきりしない。
左の土手が築堤っぽいが、限りなくグレーである。大和川の堤防だろうといわれればそうであるし、当時この道路が無かったことを考えれば、道路が廃線跡だろうと考えるのも自然である。
新線は大和川を渡っていく。この周辺区間、わずか9.5キロの間に5回も大和川を渡ることになる。
旧旧線は川沿いに曲がっていく土手の部分。旧線は道路の部分がそうで、ちょうど突き当たりに二代目亀ノ瀬隧道の東側坑口