亀ノ瀬トンネル

亀ノ瀬トンネル

[1] 亀ノ瀬トンネル

Webページ

[2] 亀ノ瀬トンネル - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E3%83%8E%E7%80%AC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

亀ノ瀬トンネル(かめのせトンネル)は、かつて日本の国有鉄道(運営事業体は鉄道庁→鉄道省と数度変化)関西本線の河内堅上駅 - 王寺駅(現在では三郷駅)間に存在した、全長下り線699m・上り線703.5mの鉄道トンネルである。

[3] 旧大阪鉄道 亀ノ瀬隧道, , http://www.youtube.com/watch?v=hyu9KipEbE0

平成24年6月2日

みんなで防ごう土砂災害! in亀の瀬見学会にて

[4] 「80年前消えた幻のトンネル」・亀ノ瀬隧道! - 近畿・林道デコボコ探検隊 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/old_boy_old_heart/204588.html

「亀の瀬隧道」は建設当時の姿で見つかり、天井には蒸気機関車のススの跡が残っていた そうです。

[5] 国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所 | 亀の瀬 | 亀の瀬を楽しむ | JR関西本線と亀の瀬隧道, , http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/outline/landslide/enjoy/tunnel.html

亀ノ瀬トンネル(隧道)は、かつて国鉄(運営事業体は数度変化)関西本線の河内堅上駅―王寺駅(現在では三郷駅)間に存在したトンネルの名称です。

「亀ノ瀬トンネル(隧道)」は大阪、奈良間における最初の鉄道は大阪鉄道(現関西本線)によるもので、明治22(1889)年に着工、明治25(1892)年1月に完成し439メートルの長さがありました。さらに大正13(1924)年には先の単線トンネルとはコースを変えて、長さ703メートルの単線トンネル2本が設けられ線路が増設(復線化)されました。大正期のトンネルは路線増設時に新たに掘削されたものですが、大阪行きのトンネルの西口より246メートルは明治期のトンネルの一部を活用していました。つまり、奈良方面から大阪方面へ向かう列車は大正期の坑門から入り、明治期の坑門から出ていたことになります。

昭和6(1931)年11月に始まる大規模な亀の瀬の地すべりにより、亀の瀬トンネル内で壁面に亀裂が発生、昭和7年2月1日、関西本線は運転を中止。2月4日トンネルは崩壊し、閉鎖されました。上下線がそれぞれ崩壊したことから路線は急遽対岸へ移設(現路線)され、以来トンネルはその姿を表すことはありませんでした。

平成20(2008)年11月、亀の瀬地すべり対策工事の一貫で行なわれていた地下水排除を目的とした排水トンネル工事の掘削推進中に、坑口より約30m地点でレンガ構造の旧国鉄トンネル下り線(大阪方面行き)、約50m地点で上り線(奈良方面行き)が発掘され、亀ノ瀬トンネルの一部がほぼ当時の原形をとどめた状態で発見されました。

亀ノ瀬トンネルの内部構造の煉瓦組積法は起拱線から下部の側壁はイギリス積みを採用し、上部のアーチは長手積みとなっていました。また、上方には蒸気機関車の通過で付着した煤煙が確認されました。これらのうち、排水トンネルとの交差部から離れた旧下りトンネルの王寺方39mを、約120年前のトンネルの貴重な遺構として保存されることとなり、現在、地すべり見学会に合わせて公開されています。

JR関西本線は亀の瀬地すべりに翻弄されてきました。現在のJR難波駅(旧称湊町駅)−奈良駅間は大阪鉄道会社が明治21(1888)年に政府に路線変更を申請して、翌22年5月に湊町から柏原駅に至るまでの区間が開業しました。

この線の主要工事は亀の瀬隧道(トンネル)を含む3つの隧道

[6] 鉄道と王寺(その4), , http://www.town.oji.nara.jp/history/train4.html

7. 町制施行祝賀飛行の大惨事

大正15年(1926)4月17日から3日間の予定で計画された町制施行記念祝賀行事は、第1日目の予定を順調に消化しましたが、第2日目の18日、重大事件が発生しました。午前10時40分ごろ、町制施行祝賀飛行として大和川の川原に着陸するはずだった飛行機が、それを観覧していた小学生児童のところに誤って墜落してしまったのです。この事故は2名が死亡、22名が負傷するという大惨事となりました。大正15年(1926)4月27日「町制施行祝賀飛行事故報告書」では、事故が発生した経緯や負傷した児童の救護活動など、この事故の顛末を詳細に知ることができます。王寺町の門出を祝うときに、このような大惨事があったことを忘れてはなりません。

8. 亀の瀬地すべりの発生

亀の瀬地すべりは、昭和6年(1931)11月27日、大阪府中河内郡堅上村大字峠(現柏原市)で亀裂が発見されたことにはじまりました。この亀裂はやがて拡大し、ついには大字峠を中心にして山塊が地すべりを起こしたのです。これにともなって、亀の瀬を通っていた鉄道にも影響が及び、昭和7年(1932)2月1日からは亀ノ瀬隧道(トンネル)が不通となって、やむを得ず隧道の東口・西口に仮駅が設けられて隧道区間は徒歩連絡によることとなりました。また、一方で亀の瀬地すべりは大和川の川床が隆起するという事態もともなっており、これによって川水がせき止められ、同年7月には上流の王寺町藤井の住宅25戸が浸水するという被害が生じています。

9. 地すべり見学と復旧工事

深刻な被害を受けている堅上村大字峠(現柏原市)と王寺町藤井は、地すべりと川床の隆起という事態に日夜悩まされ、昭和7年(1932)2月からは朝鮮人労働者を含む延べ35万人あまりもの人々によって行われることになる復旧工事もはじまっていました。しかし、こうした被害の一方では、地すべり災害のようすを見学に訪れる人々が殺到していたのです。多いときには1日2万人以上もの見学者が訪れ、亀の瀬までの貸切列車が走り、徒歩連絡道にはカフェーなどの露天商が出店、見学記念絵葉書も発行されました。こうして昭和7年(1932)末まで約1年間にわたって発生した亀の瀬地すべりも同年12月31日に復旧した関西本線新線の開通で一応の幕を閉じました。

[7] もっこうばら 亀の瀬隧道、見学会, , http://mokkouvala.blog62.fc2.com/blog-entry-163.html

地すべりで崩壊していたと考えられていた「亀の瀬隧道」が、昨年、地すべり対策工事で見つかりました。 今回はこのトンネルの見学ができるということで「亀の瀬地すべりの現地見学会」に参加してきました。 一般公開はまだ目処がたってないようです(2年後位か?)。 集合場所はJR河内堅上駅、私は自転車で現着。 トンネルはここから30m位入ったところです。 まだ一般公開できるような雰囲気ではありません。 安全性の確認に時間がかかる様子。 これがレンガ造りのトンネルです。 機関車の煙の黒いススが付いたままです。 この穴は発見された時から開いていたそうです。何のために? 当時の物、レールは発見された時は撤去されていたそうです。地すべり資料館にはレールの一部が展示されています。 レンガはイギリス積と云われる積み方です。(イギリス積学習しました) 堅い岩盤? トンネルの中は、勿論、ひんやりと涼しいです。 詳しくは”亀の瀬隧道について” トンネルを出た場所から・・・この橋は工事用の橋ということでした。 向こうに見えるのは国道25号線、少し左にいくと、ここ亀の瀬の地すべりで国道が隆起した場所があるそうです。 ここら辺かな?1m位隆起しているとか・・。 竜田越え街道の峠で一休み。 ん?・・タヌキ!!。 撮影ポイントですが(線路の近くに下りると危険ですのでやめましょう)。 こちら恩智川沿いの田んぼに舞い降りる、野鳥の撮影ポイント。

[8] ふるさと地盤診断ウォーク「亀の瀬地すべり」 vol.4 幻の鉄道トンネル | 徒然漫歩計, , http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=229

◇60歳を過ぎて急に下腹がせり出してきた。下腹ばかりか、ブログまでが肥満状態。

◇小説、雑学、ペットに映画、歴史紀行か、奇行に起稿、気候異変の方丈記。

◇スリム化どころかスラム化寸前。以降は歴史雑学ブログに変身します。

亀の瀬・排水トンネル見学のあと、いよいよ2年前に発見された旧国鉄関西線 ・亀の瀬トンネルにはいることになる。昭和7年の亀の瀬地すべりで圧壊され消失したと思われていた鉄道トンネル。それが地下水の排水トンネル建設中に偶然発見されたものだ(左写真はトンネルの発見を伝える平成21年12月10日朝日新聞の記事)。 まずは、このトンネルの全体像を、JTB発行「地形図でたどる鉄道史」(今尾恵介・著)から見ておこう。 「広い大和盆地(奈良盆地)を流れる飛鳥川や竜田川、葛城川などすべての川は大和川の1本にまとまり、河内の大阪平野を目指すのだが、その喉の部分にあるのが亀ノ瀬である。ここは生駒と葛城の両山脈の末端部に挟まれた、まさに隘路と呼ぶにふさわしい難所で、大阪府と奈良県の境界(大和・河内国境)もここを通っている。 明治に入り、大阪と奈良を結ぶ鉄道を計画した私鉄の大阪鉄道(のち関西鉄道、現・関西本線)はここを通すルートに決め、まず明治22年(1889)に大阪ミナミの湊町を起点に柏原までを開通させた。奈良からも翌23年に王寺までを開業、残りは柏原〜王寺間のこの峡谷の隘路だけになったのである。 亀ノ瀬には当初亀ノ瀬(431m)、芝山(216m)などのトンネルと、大和川に架かる3つの橋梁が建設された。明治22年に着工されたのだが、この地域が厄介な地滑り地帯であったため、これらのトンネルに異常な圧力がかかり、工事完成後に煉瓦に亀裂を生じ、崩壊する危険が出た。大阪鉄道では明治24年(1891)に当局に改築許可願を出しているが、これらのトンネルを掘り直すなどで時間を費やしたためにこの区間だけ開通が遅れてしまった。会社は苦肉の策としてトンネルの西側に亀瀬仮停車場を設置、東口付近に設けた稲葉山仮停車場との間を人力車での連絡を始めた。トンネルはようやく明治25年に改築完成し、同年2月2日に同区間が開通、これで湊町〜奈良間41・2㎞がようやく全通した。同時にトンネル東西の仮停車場は廃止となっている。 その後、この区間は輸送量の増大とともに複線化され、列車が増発されたが、この地

[9] 関西本線旧線 亀ノ瀬隧道, , http://www2q.biglobe.ne.jp/~kodama/kamenose.html

豪雪の東北地方に見切りをつけ、関西への踏査を決めたのは出発の二日前のことであった。とにかくおさぼり気味で、このままではいかんという焦燥感がつのり、比較的東北以外では地理に明るい関西に照準を定めたのは必然でもあった。今回は「鉄道廃線跡を歩く�\」「地形図でたどり鉄道史 西日本編」(JTB)でも紹介されている、歴史の長い関西本線の中でもいわくつきの区間である、三郷〜堅上間の旧線跡をご紹介したい。

この区間の中心となるのは「亀ノ瀬隧道」である。しかしこの隧道は現存していない。最初にこの区間が完成したのは明治24年のことであるが、開通前に周辺の地すべりの為に、初代亀ノ瀬隧道の改築を余儀なくされる。これが旧旧線にあたり、昭和25年に開通、以後大正12年に複線の旧線区間の2代目亀ノ瀬隧道が開通するまで利用されていた。

ここで、開通時〜現在に至る、路線の変遷を見ていただきたい。

初代隧道の山側に二代目の隧道が作られたわけだが、最初の異変が発生したのは昭和6年のことであり、この隧道周辺の地形が地すべりを起こしていることが確認され、2ヵ月後の昭和7年1月31日をもって亀ノ瀬隧道は完全に閉鎖された。

この区間の次の迂回新線案が確定するまで、二代目隧道の東西には仮停車場が設けられ、この間は徒歩連絡を行ったという。ちょうど、地図で「峠」という地名が記してある場所の細道がそうである。しかし、この徒歩連絡も問題があったようで、近鉄線等をつかった迂回線で当座をしのいだが、最終的に地すべり区間を避けるように大和川を2回架橋するという方法で新線を作り、隧道の前後区間は昭和7年12月31日をもって放棄、新線が開通した。

早速踏査を開始する。写真は三郷駅方向に向って撮影。旧線跡はちょうど撮影地点へ向ってまっすぐ伸びており、新線が南へカーブしていく。

この草地がそうなのか、道路がそうなのかは、いまいちはっきりしない。

左の土手が築堤っぽいが、限りなくグレーである。大和川の堤防だろうといわれればそうであるし、当時この道路が無かったことを考えれば、道路が廃線跡だろうと考えるのも自然である。

新線は大和川を渡っていく。この周辺区間、わずか9.5キロの間に5回も大和川を渡ることになる。

旧旧線は川沿いに曲がっていく土手の部分。旧線は道路の部分がそうで、ちょうど突き当たりに二代目亀ノ瀬隧道の東側坑口

[10] 旧大阪鉄道亀瀬隧道, , http://www.city.kashiwara.osaka.jp/bunkazai/shinai/sisitei/s10/s10.html

名称(ふりがな)

旧大阪鉄道亀瀬隧道

(きゅうおおさかてつどうかめのせずいどう)

員数

1

時代

明治時代

種別(指定番号)

有形文化財 土木構造物(柏有第9号)

指定年月日

平成25年2月2日

所有者

国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所

所在地

柏原市峠

解説

この隧道(トンネル)は、大阪と奈良を結ぶ初めての鉄道として敷設された大阪鉄道(現JR関西本線)のうち、明治25年(1892)2月2日に開通した柏原市峠(亀の瀬)・王寺間に設けられた最初のトンネルです。亀の瀬は古くから地すべりの頻発した地域で、昭和6年(1931)11月にも大規模な地すべりに見舞われました。この地すべりでトンネルは崩壊し、両側の入口(坑門)も埋ってしまいました。昭和37年(1962)から始まった地すべり対策工事のなかで、平成20年(2008)11月にこのトンネルの一部(約60m)が発見されました。幅4.3m、高さ4.75mの煉瓦(レンガ)造りの馬蹄形で、側面がイギリス積み、アーチ部分の天井は長手積みで造られています。災害史、交通史からも貴重な構造物です。

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529295671

メモ