御母衣ダム

御母衣ダム

[1] 御母衣ダム (みぼろだむ)

36.13813889 136.9104167

Webページ

[3] 御母衣ダム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%AF%8D%E8%A1%A3%E3%83%80%E3%83%A0

御母衣ダム(みぼろダム)は、岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川本流最上流部に建設されたダムである。 電源開発(J-POWER)が管理する発電専用ダムで、高さ131メートルと日本屈指の規模のロックフィルダムである。只見川の奥只見ダム、田子倉ダムと共に「OTM」の頭文字で呼ばれ、同社を代表する水力発電所の一つである。ダム湖は御母衣湖。水没予定地から移植された荘川桜のエピソードでも知られる。

[4] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

[5] 森茂川流れ込みと六厩橋・源流にいた獣と御母衣湖での恐怖の体験, , http://doyano.sytes.net/keiryu/33/index.html

森茂峠を越えて森茂川へ

森茂川へ車で行こうと思うのなら、高山市清見町・小鳥川方面より森茂峠を越えるしか方法がありません。

ただし、林道にはゲートがあります。

また、道路は崩落していて途中までになります。

国土地理院・1/50000の地図では、御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、

森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、

この道路はすでに昭和45年頃から土砂のため埋没しています。

車は通る事はできません。

自転車も難しい。

徒歩でも過酷です。

50年程前までは、集落に人が住んでいて、流れ込みあたりまで車で行けましたが、

現在は、廃村となり人は住んでいません。

このため道路は手入れがされておらず、

峠から1.5キロ下ったところで道路が滑落しており車はここまでです(地図参照)

森茂峠には地蔵堂があります。

地蔵堂の中には天明年間に建立された、お地蔵様が奉られています。

今でも、人里から離れたこの地蔵堂に花が供えられています。

かって、この地域に住んでいた人が、今でも地蔵堂にお参りをしています。

森茂川流域に住んでいた人々は、昭和35年頃に道路が整備されたとともにこの地を離れてしまったそうですが、

当時の住居跡が森茂川流域に残っています。

この地では縄文時代の遺跡も発見されており、随分と古くから人が住んでいたことがうかがえます。

釣りには関係の無い話かもしれませんが「森茂川」に興味が沸いて色々調べてみました。

森茂峠についてはこちらで▼詳しく案内されています。

飛騨の峠・建設省中部地方建設局・高山国道工事事務所

森茂川流れ込みを目指しカヌーを用意したが、風が強く断念。

御母衣から小鳥ダムまで行き峠を越える。

御母衣ダム湖からカヌーを使って流れ込みへ行く計画でした。

一旦は御母衣ダム湖の東湖畔側の隋道付近まで行きましたが、

残念な事に風が強くカヌーを漕ぐには危険な状態のため、小鳥川

まで戻って峠越えしました

移動に多くの時間を費やしたために、既に時間は12時を過ぎています。

森茂峠から1.5キロほど下ると右岸へ渡る橋があります。

ここには既に車が7台ほど停めてありました。

車を降りて流れ込みへと続く道路の状況を確認すると、

道路が滑落しており車が通行出来る状況ではありません。

停めてある車はここで車を降りて、それぞれの

[6] 道路レポート 六厩川橋攻略作戦, , http://yamaiga.com/road/morimo/main3.html

8:48 【現在地:三の谷林道分岐】

大谷(出発地)→六厩川橋(目的地)のほぼ中間。

6.5km地点の「三の谷林道」分岐地点へたどり着いた。

本線は左だが、少しだけ寄り道して「森茂集落跡」へ行ってみることにした。

分岐地点の間近に架かる大きな橋は、「森茂橋」という。

下を流れる川の名前は「森茂谷川」である。

1.5km手前で渡ったときには「森茂筋谷」だったはずだが、沢山の沢が集まって名前が変わったのか。

この橋は、なんとなく今までの橋に較べて、人の匂いが強い気がする。

いかにも、集落のそばにありそうな橋。

多数の丸窓が歴史を感じさせる欄干には、激務の痕が刻まれていた。

表面に凸凹のある異形鉄筋が建材に使われるようになるのは昭和30年代だが、欄干の欠けた部分から露出していたのはより古い丸形鉄筋だった。

対岸の銘板に記されていた竣功年は「昭和三十六年十一月」と意外に新しかったが、それ以上に年老いて見える。

右図は、まだ森茂集落が存続していた昭和28年の地形図である。

ここには、森茂を終点とする3本の道が描かれている。

それは六厩へ下る細い歩道と林用軌道、森茂峠を経て大谷へ続く車道(林道)だ。

そしてこの車道上には、恐らく木橋だったろう先代の森茂橋が描かれている一方で、左岸を通る現在の林道(本線)はまだ無い。

つまり、かつてはこの「三の谷林道」の方が本線だったことになる。

これは、林道がはじめは森茂集落を目指して伸びてきた事を想像させるに十分な事実。

ひとしきり走ると、ご覧のような所に出た。

一瞬もう集落跡に着いたのかと思ったほど広がっているのは、川原。

源流に近い山中にありながら、ここだけはまるで大河の河口近くのよう。

すぐ下流に川をせき止める砂防ダムがあるわけでもない。

にもかかわらずこれだけの土砂が自然に溜まったのだとしたら、どのくらいの規模の土石流を想定すればよいのか。

この地形が暴力的な災害の結果だということは、無理な急坂で前後を上り下りする道にも感じることが出来る。

つまり元は川の縁を迂回していた道が、土石流で岸ごと100m以上も削り取られた。復旧に当たって強引に災害地を突っ切るようになったのは、予算の問題だろうか。

また土石流があれば不通になりそうだ。

災害現場を過ぎると登り坂が始まって、すぐに川原を離れる。

途中で小さな

[10] 秋町隧道と 六厩川橋 1, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20s2.html

秋町隧道と 六厩川橋 1

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある そのダム 東に

廃村になった 部落 森茂がある。 そこから 森茂川沿いに

西へ 行くと 六厩川橋 秋町隧道トンネルがある。

森茂川沿いの土砂崩れの道

1998年 平成10年 10月10日(土 体育の日)

森茂川 南 林道の 土砂崩れの地点から 西へ 歩いて

約3km進んだ 秋町隧道トンネルを 目指した。

今年の 第3回 9月 三重 和歌山ツーリングは 2台無事に スケジュールを

消夏できた。 その2日後 9月17日(火)あたりから 天候は 曇りの日が

20日ぐらい 続いた。 ほんとうに 毎日毎日 ぐずついて 曇りか 雨ばっか

だった。 10月上旬に なったら こんどは 暑い日ばかり 半袖で過ごす日が

続いた。 10月6日(火)あたりに ようやく朝方 冷え込むように なった。

それまで 掛け布団は 薄い夏用のだったが 9日(土)に ようやく 分厚い

掛け布団に かえた。 ほんとうは 9月26日(土)に 冒険を 予定していたのに。

10月9日(金)仕事を終え 家に着き 玄関のカギを開ける前に 東側に

しまってあった バイクを 押し出した。 エンジンをかけてみる。 かかった。

すぐにエンジンを止める ひと安心。 家ん中に入り 洗濯 夕食 風呂を すませて

録画してあった 秋の踊る大走査線SPを見る。 PM9:20ごろ 電話が鳴った。

出ると いつも上機嫌のD氏からだ 画面見とった? って、 こちらは めずらしく

F2 F3の電源が切ってあった。 んにゃ、 これから M氏の 誕生日会やるから

こんかね? って、 うちはもう パジャマだった。 結局行くと 返事をした。

ちゃっと 着替えて ここ2〜3ヶ月電源が入れてある 携帯を持って スプリンターの

ドランクから 6MのANTをだして 家を出た。 途中 姫を乗せて ファミレスへ

向かう。 着き駐車場へ いんちき止めして 店内へ入る。 レジ前で ローカルらは

空席待ちをしていた。 D、M、E、姫、H、そしてP氏 だが空席待ちを していたのは

P氏ではなかった。 人 間違いだった。 P氏は 来ていない。 計5人。

ようやく 席に着き ピザ 大盛りポテト ケーキ ドリンク注文、 のち 各

[11] ツーリングに 尻木宇豚堂/ウェブリブログ, , http://ulman.at.webry.info/201310/article_1.html

行ってきました。

当初は志賀高原に行くつもりでしたが、この日は東側の天候が良くなかったので比較的天気の良い西側へ行くことに。先日の「福井県にタッチ」の続きで荘川〜白川郷方面へ行くことにしました。

安房峠越えで岐阜県入り

安房峠を下る途中から見た乗鞍岳

平湯温泉スキー場前から見た槍ヶ岳

平湯温泉スキー場は少しだけ紅葉しはじめていました。

旧道を登って平湯峠

乗鞍スカイライン頂上は午前11時現在で9℃

ちょっと気温高めですね。

ここからR158で高山、中部縦貫自動車道で飛騨清美JCT、東海北陸自動車道で荘川IC。ここで高速を降ります。

昼になったので荘川町のソバ屋「蕎麦正」に入ります。

このときは新そばまつり期間中でした。

新そば旨かったです。

さあ、R156白川街道に入ります。ここは4年前のZZR一泊ツーリングで通りました。今回は逆方向の北上ルートです。

岩瀬橋が見えてきました。

注意標識

この先が難所であることを予告しています。

岩瀬橋

岩瀬橋を渡った先は直角カーブ

大量の注意標識。さあ、難所の始まりです。

荘川桜

御母衣湖の水没地区から移植した桜の木です。

尾上橋

渡ったところから振り返る

この橋も渡ったところは直角カーブです

この先2本目のトンネル「尾神2号トンネル」の中は補強付き

今はこのように照明が付いていますが、以前は無かった。暗い中でいきなり出っぱりが現れる怖いトンネルでした。大型車の運転手はさぞびっくりしたでしょう。

トンネルを抜けて振り返って撮影

少し行くと1999年開通の福島保木トンネル(全長1106m)と旧道

もちろん右側の旧道に進みます。

旧道に入って最初のトンネル「福島保木第1トンネル」

トンネルを抜けても洞門が続き、次は「福島保木第2トンネル」

ここも抜けても洞門が続き、次は「福島保木第3トンネル」

トンネルに横窓がついています

横窓から外の壁を見るとボロボロ

作ってから50年以上経ちますからねぇ

洞門の上に登るハシゴがあります

湖面を見おろす

この水面下数十メートルには、白川街道の難所「福島歩危」がありました(詳しくはコチラ)

トンネル名の福島「保木」は「歩危」から来ているんですねー。まさかトンネル名に「歩危」なんてコワい名前つけられませんから。

途中明かり区

[12] 道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路), , http://yamaiga.com/road/akimati/main.html

右の地形図を見て欲しい。

これは最新の2万5千分の1図であるが、幅の広い水域を渡る一本の橋が描かれている。

橋には「六厩橋」という注記がなされ、西側の岸辺には三角点がある。

「六厩」は地名で、これで「むまい」と読む。

橋を中心に3本の道が存在する。

一本は南西へ、一本は北へ、一本は東へ放射状に伸びているが、いずれの道も橋の周辺は「破線」で描かれている。

これらの道は、かつてトラックも通る林道だったが、現在は廃道になっているとのことである。

3本が、3本とも廃道になっているとのことである。

現在この橋がどうなっているかを知っている人は、かなり少ないらしい。

だが、そこには大変雄大な、訪れた誰もが息を呑まずにはいられないような巨大吊り橋が架かっているのだという。

この橋が存在する場所は、岐阜県高山市(旧荘川村)と白川村との境を流れる六厩川河口部である。

そこは、巨大な御母衣(みぼろ)ダム湖右岸の、かなり山へ入り込んだ峡谷である。

一見するとダム湖の左岸を通行している幹線道路(国道156号)から離れていないのだが、実際は湖を渡る橋が少ないために、近くはない。

橋から伸びる3本の道は、それぞれが別の終点を持っている。

最も短距離である「右岸ルート」でさえ約13km、次ぐ「森茂ルート」で約14km、「六厩ルート」が約15kmもあるのである。

この橋の情報提供者は過去に二人いた。

一人(原付3種氏)は約10年前にバイクで右岸ルートから橋を目指し、果たせずに途中で断念をしたという。

もう一人(パンダ使い氏)は約4年前に自転車で六厩ルートから橋を目指し、見事に達成した。

だが惜しくもそこで時間切れとなり、来た道を引き返したのだという。

(お二人がその後再挑戦されていたとしたら申し訳ないです。その場合ご連絡下さい。)

原付3種氏はさらに、この橋を紹介した数少ない(恐らく最初の)サイトとして、『冒険伝説』というサイトを教えてくれた。

その管理人のt.s氏は、今から約11前にバイクで森茂ルートに進入し、途中から廃道を徒歩に切り替え橋に到達。

それを渡って、さらに右岸ルートの秋町隧道まで到達して、引き返した模様である。

時期が古いせいもあり、決して豊富な画像で綴られているわけではないのであるが、橋の姿をモニタ越しに見た私は、トリハダがたった。

そして、強く

[15] 六厩川橋, , http://doyano.sytes.net/keiryu/34/img/7-4-2-p.html

国土地理院発行の地図には、高山市荘川町牧戸から清見町森茂まで道路が表示されています。

見た目には通る事が出来そうで、釣り人やバイクマニアなどが一度は挑戦しているようです。

しかしこの道路は、私が釣りを始めた昭和45年から通る事は出来ませんでした。

トンネルが土砂に埋まり通行不能だったのです。

六厩川橋へは今では行くのがとても困難ですが、

その当時でも状況は同じです。

一度だけ橋の袂へ行きましたが、橋の床が腐っていて渡れるような状態ではありませんでした。

今では幻の橋として酷道マニアの聖地になっています。

この橋へは、森茂峠からですと道なき道を歩いて5時間。

六厩川上流からでも同じく5時間。

御母衣ダム湖からは山越えとなるので何時間かかるのか分かりません。

たぶん一日がかりなるのではないでしょうか。

いずれにしても相当な時間が必要になります。

野宿覚悟の遠い道のりとなります。

それほど困難な場所にあるため、行った者には必ず幸せになるという「噂」がありそうですが、

聞いた事はありません。

ただ、酷道マニアには垂涎の場所で、渡ったものは英雄視されているようです。

橋が完成してから、一体何人がこの橋を渡った事か?興味はつきません。

[16] "はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project, , http://www16.atpages.jp/rayna/Report/akimachi01/

"はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project

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「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

庄川林道(岩瀬秋町線)は御母衣ダム建設を機に開設された林道で、

昭和48年(1973年)頃まで木材の運搬に利用されていました。

しかし、「トンネルが陥没して不通となり」、廃道化、今に至ります。

陥没したトンネル「秋町隧道」の坑口は殆ど埋もれ、内部は水没しており、通行は不可能です。

秋町隧道の先にある巨大廃橋「六厩川橋」は、

多くの同業者達を魅了しますが、この庄川林道以外の「森茂林道」「六厩林道」も同様に廃道であり、

アクセスが非常に困難な物件であります。

今回は"秋町隧道までは比較的良好"な庄川林道経由での六厩川橋攻略を目指しました。

秘密道具

[17] 秋町隧道: 林道・ダム・鉱山の勝手な記録, , http://netishim.seesaa.net/article/137703020.html

9月から休み無く出勤したつけが回ってきて、 最近では週休3日制です。 今日(12月9日)も代休が取れました。 おととしに、再会できなかった秋町隧道を見に行こう かと思いました。 それと、以前、Bandlover様より、山の東向こうにも トンネルが有り・・ とお教え頂いていたので、うまく いけばそれも・・・と思いました。でもそれは実現でき ませんでした。 95年に秋町隧道に行った時の記憶がすごく曖昧 で、確認したいという気持ちもあります。 写真(銀塩)と8mmVTRを探しても秋町隧道の 南西側坑口しかみつかりません。 私の記憶だと、95年に行った時はこうです。 ・秋町隧道 南西側坑口には 御母衣右岸側の林道 を通り、すぐ前の広場まで車で横付け出来た。 ・森茂峠を通って森茂へは、車で行けたが、その先は 足のすくむような崖下まで道が崩落していて、歩いて でも行けそうになかった。 ・六厩川沿いの林道では、途中から歩いて六厩川橋 まで行けたが、六厩川橋を渡った先から道が無くな っていて、秋町隧道の北東側坑口には行けなかった。 で、問題は、この六厩川橋のそばにある隧道ですが、 全く記憶に無いんです。有ったら写真ぐらい残っていて もよさそうなものを・・・・ でもBandlover様のおおせのように、地図には描かれて ますね。 今年は暖冬で、いまだに雪が積もっていません。 (11月2日に有峰で雪にあたったのみです。) ひょっとしたら、御母衣もそんなに積もっていない のでは無いかと思い、来てみました。 国道から御母衣の右岸側へ入る分岐です。 雪が全くありません。これは予想外でした。 道中は、さらにこんなに良い感じ。 この前の夏とはえらい差です。スズメバチの心配も 無さそう。 車で行ける終点から延びている林道もくっきり 見えています。 あそこも後で行ってみることにします。 白山方面は・・・ これは当然雪が積もっています。 さすがだ・・・ 荒廃した川に岸もはっきり。 やはり来る季節は間違えてはいけないのですね。 おなじみの場所に車を置きまして、 防寒対策バッチリにして、歩きはじめます。 08年8月10日の同じ場所です。 まったく草の量が違いますよ。 簡易ゲートの場所。 去年とは看板の配置がちょっと変わっています。 車を通す為に外した、ということなのでしょう。 この道、一応現役な

[18] 秋町隧道と 六厩川橋 2, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20a20s3.html

秋町隧道と 六厩川橋 2

昔の道路と 森茂川が 御母衣ダム湖水に 流れ込む 合流

橋が 見えた

橋に 近づいた

六厩川橋と 橋から西を見る

未完成

秋町隧道と 六厩川橋 3

六厩川橋 画像 音声

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[19] 森茂, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a10s2.html

森茂

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある

そのダム東に 廃村になった部落 森茂(もりも)がある。

森茂 奥の 行き止まりの 谷・一之谷 二之谷 三之谷かは不明

1戸の朽ちかけた廃墟を見た

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[20] にしみやうしろ仮駅 荘川営林署林鉄六厩川線~その2~, , http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-181.html

謎の多く雲を掴むような荘川営林署の森林鉄道ですが具体的な資料も得ています。 それは名古屋営林局が毎年まとめていた統計資料。 毎年度の事業に関する損益計算書、貸借対照表などでめちゃくちゃ堅そうな資料だなあ・・・と敬遠する人が多そうですが、各営林署ごとの森林鉄道(林道事業)の数や距離、1954(昭和29)年度以降は林業機械数一覧があって林鉄の車両数も載ってます。 新規建設区間の距離や保線工事を行った距離の一覧までも載っており(但し距離だけでどこの区間かは分からない^ ^;)色んなことが読み取れます。 というわけで荘川営林署の林鉄関係を抜き出すと・・・ 1965(昭和40)年度まで路線としては存在してますが、実際の林鉄としての使命はダム工事中の1959(昭和34)年度中には終わっていたことが分かります。 電源開発の御母衣ダム建設の補償として代替林道が建設されて林鉄は撤去されました。 その林道も今は結構は移動になった部分があり、かつて六厩川、森茂線分岐点付近の上に架かる「六厩川橋」や「秋町隧道」が廃道ファンには人気なようで・・・(うちは流石にそんなおっそろしいとこまでは行きませんよ~ ^ ^;) 荘川村の住民も反対運動では「死守会」とまで称し強固な反対をしていましたが、電源開発が誠意ある態度を示し円満解決したことは「荘川桜」のエピソードで有名ですね。 合掌造りの村の片隅を林鉄が走っていた風景も画像記録として残っていたら良いのですが。

[23] 村道を往く(第二回) - ポンコツラビリンス - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/boro_sabi_tour/15064560.html

「林道&廃道」書庫の記事一覧

飛騨の江戸街道

2011/12/29(木) 午後 11:17

続・利賀巡礼

2011/10/2(日) 午前 0:34

春のお散歩♪(後編)

2011/4/25(月) 午後 11:46

春のお散歩♪(隧道編)

2011/4/21(木) 午後 11:12

春のお散歩♪(前編)

2011/4/17(日) 午後 8:48

冬の隧道ツアー再訪編

2011/3/1(火) 午後 10:45

追想の遊歩道を往く(後編)

2011/1/18(火) 午前 0:02

追想の遊歩道を往く(前編)

2011/1/15(土) 午後 10:09

双六谷を往く(最終回)

2010/12/21(火) 午前 0:09

双六谷を往く(第三回)

2010/12/7(火) 午前 0:52

もっと見る

[24] 艨艟ノ棲処−森茂林道と秋町隧道, , http://moudou.hatagashira.com/moudou/motercycle/kdx/kdx_touring_report/20100504_kdx_morimoakimachi/20100504_kdx_morimoakimachi.html

地図で見て、昔からとても魅力的に思っていた御母衣ダム周辺の林道。マシンと時間がなかなか合わず、何年も行こうと思っていて実現しなかったのだが、実は昨年、ようやくに走ってきた。

で、だ。御母衣ダム周辺林道のどこへ行こうかと思っていたかというと、まずはここ。 地図を左上から右下へ横切る細い線は尾根上を走る林道で、これは関係ない。問題は右上から左下へ、途中で切れている道だ。古い地図(といっても平成の始め頃まで)には、この部分に隧道があるのだ。未舗装(たぶん)林道の先に現れる謎の隧道。なんかもう、想像するだけでワクワクしてくる。

加えて、その地図を更に左上へ辿ると、川を渡るところに橋が架かっているのが分かると思う。

だがしかし。橋へ至る左下からのルートは、件の隧道のところで切れている。そして橋の右(東)から来るルート、上(北)から来るルートは、いずれも途中で林道が終わり、細い線(徒歩道)となっている。

どう?ドキドキしてきたでしょ。

こうなってくると、廃(?)隧道

と橋をこの目で確かめたくなるのは人情というもの。で、さっきも言ったように、行たのである。

だがしかし、その結果はレポートにまとめる程の成果も得られず、分かりやすく言えば「惨敗」である。南から廃隧道を目指したルートは、激藪のためKDXどころか徒歩でも進めず。東から橋を目指したルートは、途中で路盤が消失(落ちて)していた。やむなく再挑戦の時期を狙っていたのだが、その間に、こっちのサイトで先を越されてしまっていた(一時期、アムンゼンに先を越されたスコットのような気持ちだったのは事実である)りして、ややテンションは下がり気味だった。

しかし持つべきものは友である。昨年の状況を聞いたリターンライダーKDX氏が、是非行きたいという。ならばと今年、再挑戦してみることにしたのである。

さて、廃隧道と橋へのアプローチだが、昨年は南からの六厩林道、そして御母衣湖沿いの秋町林道のコースを取った(両方とも失敗したが)ので、今年はまだ走ったことのない東からのアプローチ、森茂林道を通ることにした。

さて、途中は飛ばして森茂林道の入口がここである。延長は15km(!)とある。これがここから橋までの距離なのだ。

急勾配の九十九折れを10分ほど上がって行った先に森茂峠がある。峠の祠はきちんと清掃されているところから、それなりに

履歴

[28] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529287910

メモ