六厩川橋

六厩川橋

[1] 岩瀬秋町線六厩川橋

Webページ

[2] 道路レポート 六厩川橋攻略作戦, , http://yamaiga.com/road/morimo/main8.html

12:08 【現在地】

森茂林道起点より13.5km、廃道化から3.5km、これまでで最大の景色の変化が起きた。

川幅の極端な巨大化。

一瞬、御母衣湖のバックウォーター(ダム湖の上端などで水が溜まりはじめる地点)に着いたかと思ったが、砂利の川原を二筋に分かれた清流は尚もさらさらと流れ続けている。

だが、この谷を埋め尽くした膨大な堆積は、流れの遅くなったことを意味している。バックウォーターは近い。

そして何よりも大きな問題となったのは、森茂林道の行く末についてだ。

真っ白な谷底に道はなく、その10mほど上の急斜面に定規で付けたようなラインが見える。

それが道であることは明白だが…

ここから見ただけでも、ほぼ通行不可能。

実際その場に立てば、或いはウルトラCクラスの名案の浮かばないとは言い切れない。

だが、私にはあまり時間がない。

この期に及んで、あそこまで行ってから駄目でしたと引き返してくるわけにはいかない。

上を行くなら徹底的に行き尽くさねばならぬし、それが相当に難しそうだと事前に分かる幸運を得たのだから、ここははじめより下を行くのが得策と判断した。

そもそも写真左の部分。

一番最初の部分でさえ、チャリ同伴で通り抜けられる自信がなかったというのもあったが…。

しかし、この谷底を行くという選択は、今は楽でも後が怖いかも知れなかった。

写真に映る崖の道は、手前も奥も河床からほぼ同じくらいの位置に見える。

だがこれは遠近法のマジックで、実際には先に進むほど上っていって谷底から離れていく。

恐らくそれは、六厩川橋付近を頂点とする登り坂になっている。

つまり今は河床を行けば楽が出来るとしても、やがて湖が現れたら、離脱しなければならなくなるということだ。

そのときにすんなりと道に復帰できればいいが、…もしそれが叶わなければ…、今いるこの場所だけが唯一の相互往来の地点だとしたら…。

考えるだけで恐ろしいので、行き当たりばったりでも、とにかく先へ進むことにした。

最低限、橋が見たい。(嫌なフラグが立った?!)

谷底から見る森茂林道の惨状、その1。

2枚上の写真のところで、「一番最初の部分でさえ、チャリ同伴で通り抜けられる自信がなかった」と書いたのがここだ。

…チャリ同伴条件どころか、単身でも無理じゃねーか…。

でも、逆にこれを見たことで踏ん切りがつけれて

[16] 秋町隧道: 林道・ダム・鉱山の勝手な記録, , http://netishim.seesaa.net/article/137703020.html

9月から休み無く出勤したつけが回ってきて、 最近では週休3日制です。 今日(12月9日)も代休が取れました。 おととしに、再会できなかった秋町隧道を見に行こう かと思いました。 それと、以前、Bandlover様より、山の東向こうにも トンネルが有り・・ とお教え頂いていたので、うまく いけばそれも・・・と思いました。でもそれは実現でき ませんでした。 95年に秋町隧道に行った時の記憶がすごく曖昧 で、確認したいという気持ちもあります。 写真(銀塩)と8mmVTRを探しても秋町隧道の 南西側坑口しかみつかりません。 私の記憶だと、95年に行った時はこうです。 ・秋町隧道 南西側坑口には 御母衣右岸側の林道 を通り、すぐ前の広場まで車で横付け出来た。 ・森茂峠を通って森茂へは、車で行けたが、その先は 足のすくむような崖下まで道が崩落していて、歩いて でも行けそうになかった。 ・六厩川沿いの林道では、途中から歩いて六厩川橋 まで行けたが、六厩川橋を渡った先から道が無くな っていて、秋町隧道の北東側坑口には行けなかった。 で、問題は、この六厩川橋のそばにある隧道ですが、 全く記憶に無いんです。有ったら写真ぐらい残っていて もよさそうなものを・・・・ でもBandlover様のおおせのように、地図には描かれて ますね。 今年は暖冬で、いまだに雪が積もっていません。 (11月2日に有峰で雪にあたったのみです。) ひょっとしたら、御母衣もそんなに積もっていない のでは無いかと思い、来てみました。 国道から御母衣の右岸側へ入る分岐です。 雪が全くありません。これは予想外でした。 道中は、さらにこんなに良い感じ。 この前の夏とはえらい差です。スズメバチの心配も 無さそう。 車で行ける終点から延びている林道もくっきり 見えています。 あそこも後で行ってみることにします。 白山方面は・・・ これは当然雪が積もっています。 さすがだ・・・ 荒廃した川に岸もはっきり。 やはり来る季節は間違えてはいけないのですね。 おなじみの場所に車を置きまして、 防寒対策バッチリにして、歩きはじめます。 08年8月10日の同じ場所です。 まったく草の量が違いますよ。 簡易ゲートの場所。 去年とは看板の配置がちょっと変わっています。 車を通す為に外した、ということなのでしょう。 この道、一応現役な

[18] "はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project, , http://www16.atpages.jp/rayna/Report/akimachi01/

"はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project

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「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

庄川林道(岩瀬秋町線)は御母衣ダム建設を機に開設された林道で、

昭和48年(1973年)頃まで木材の運搬に利用されていました。

しかし、「トンネルが陥没して不通となり」、廃道化、今に至ります。

陥没したトンネル「秋町隧道」の坑口は殆ど埋もれ、内部は水没しており、通行は不可能です。

秋町隧道の先にある巨大廃橋「六厩川橋」は、

多くの同業者達を魅了しますが、この庄川林道以外の「森茂林道」「六厩林道」も同様に廃道であり、

アクセスが非常に困難な物件であります。

今回は"秋町隧道までは比較的良好"な庄川林道経由での六厩川橋攻略を目指しました。

秘密道具

[19] 岐阜荘川村 六厩川 - たまにへこむ日記, , http://d.hatena.ne.jp/sed/20051010/1128960751

岐阜荘川村 六厩川

自転車 | 01:12

先週富山から「週末どう?」と電話が来たので、はくたかに乗って富山襲来。ちょっと金使いすぎ。

岐阜・御母衣(みぼろ)湖の東にある六厩(むまや)川を上流から御母衣ダム東岸に出る計画。総勢3名。ツーリングマップルは「がんばれば通れそう」みたいなコメントになっているが、ゲートを突破して 3km ほどで完全に廃道化、崩落倒木多数、4時間近くひたすら担ぎあり薮漕ぎありで、何とか六厩川橋到達(写真) ここから御母衣湖への道がさらにひどいことになっており、御母衣湖へ抜けるトンネルに達することができず*1、六厩川橋から 3km 地点で日没。「今日中に到達することは不可能」と判断しビバークすることに。シュラフがないのでひたすら薮を刈って毛布代わりにして就寝。

翌日全く同じ道を六厩に向け6時間かけて何とか退却。片道 15km 程度の道に丸二日を要する凄まじい企画になってしまった。遭難しないで済んだだけでもハッピーでしょう。ちょっとやりすぎた。反省。

結局、六厩川橋 〜 御母衣湖東岸を結ぶというトンネルは実在するのか、御母衣湖東岸は果たしてどこまで走れるのか、わからないまま退却したため、かなり心残りがある。近くに高速道路も走っているというのに、信じがたく荒廃した道。奥飛騨にはまだこの類の道が沢山あるようで、少し不気味な感じもします。

追記。

以下のページによれば、御母衣湖東岸 〜 六厩川橋間のトンネルは入り口が完全に埋まっているらしい。

http://doya.sytes.net/keiryu/m/7-1/7-1.html

国土地理院・1/50000の地図では御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、この道路はすでに昭和45年頃から隋道が埋まっているため車は通れません。今は完全に土砂に埋没してしまい人も通れなくなりました。

1997年に突破した写真というのもあるのだが…。

http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20a20s4.html

■ コース

10/9

六厩 R158 分岐付近 (0:15) 林道ゲート (0:30) 担ぎ開始部

(4:30) 六厩川橋 (3:00) 秋町隧道付近? 日没

10/10

秋町隧道付近 (2:00) 六厩川橋 (4:00) 担ぎ

[20] 道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路), , http://yamaiga.com/road/akimati/main3.html

2009/11/22 9:22 【現在地】

ゲートはないが、通行止めの表示がなされた所を過ぎると、荘川営林署の専用林道となる。

しかし、ここから見える範囲はこれまで同様穏やかな雑木林の道であり、乗車のまま進むことが出来る。

隧道までの残距離はおおよそ500m。

確かに2.5km手前から廃道になりはしたが、事前情報のほど荒れていたとは思われない。

正直なところ少々拍子抜けもしたのだったが、よく考えればまだまだ先は長いのである。六厩川橋を渡りきるまでは油断出来ない。

それに、ここまで来ればむしろ“別の興奮”が、ヒタヒタと張り付いてきた。

既に360度の視界から湖の姿は消え、前面は秋町半島付け根の山影に塞がれた。

まだ坑門自体は見えないが、その所在と彼我の距離は、ほぼ明らかである。

間もなく現れるだろう秋町隧道の南口については、事前調査で視覚的情報を一切得られなかった。

つまりは、初見。

10年前には(バイクで)辿り着きがたかったほどの場所であり、その後も恐らく訪れた人は限られていたらしい。

はたして隧道は正しく開口し、そして、貫通しているのか…。

前方の峠は見上げるほど高く、他に道もない。

もし隧道が通り抜けられなければ、そのときはたぶん、撤収…。

いよいよ荒れてきた急坂を、自転車を押し上げるようにして進む。

緊張と興奮のない交ぜになった複雑な感情は、焦燥感に近いものがある。

秋町の分岐を過ぎて、明らかに廃道上の藪は深くなった。

草藪だけでなく潅木が育ち、流れ込んだ瓦礫が山を成していた。

…これから先、このレベルの廃道が何キロも続くのだとしたら…。

隧道を抜けた先こそ、本当の地獄なのかも知れない…。

そんなことを思った。

あ?!

…いや…、見間違いか?

でも、確かに何かが見える。

そこにあるのは、

秋町隧道ではないのか?

夏場なら、絶対この位置からは見えないだろう、コンクリートの構造物。

気になりすぎるその正体は、10m進んだところで完全に明らかとなった。

9:32 【現在地:11km地点】

心臓バクバク!

これが、待望の秋町隧道の南口。初見。

岩瀬の国道分岐地点から、ちょうど11km地点。

うち廃道分は約3km。

所要時間は2時間半。

想定より少しラクな道だったが、隧道直前の状況だけは別物だった。

そして、この坑口の有様も…

[24] 森茂川流れ込みと六厩橋・源流にいた獣と御母衣湖での恐怖の体験, , http://doyano.sytes.net/keiryu/33/index.html

森茂峠を越えて森茂川へ

森茂川へ車で行こうと思うのなら、高山市清見町・小鳥川方面より森茂峠を越えるしか方法がありません。

ただし、林道にはゲートがあります。

また、道路は崩落していて途中までになります。

国土地理院・1/50000の地図では、御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、

森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、

この道路はすでに昭和45年頃から土砂のため埋没しています。

車は通る事はできません。

自転車も難しい。

徒歩でも過酷です。

50年程前までは、集落に人が住んでいて、流れ込みあたりまで車で行けましたが、

現在は、廃村となり人は住んでいません。

このため道路は手入れがされておらず、

峠から1.5キロ下ったところで道路が滑落しており車はここまでです(地図参照)

森茂峠には地蔵堂があります。

地蔵堂の中には天明年間に建立された、お地蔵様が奉られています。

今でも、人里から離れたこの地蔵堂に花が供えられています。

かって、この地域に住んでいた人が、今でも地蔵堂にお参りをしています。

森茂川流域に住んでいた人々は、昭和35年頃に道路が整備されたとともにこの地を離れてしまったそうですが、

当時の住居跡が森茂川流域に残っています。

この地では縄文時代の遺跡も発見されており、随分と古くから人が住んでいたことがうかがえます。

釣りには関係の無い話かもしれませんが「森茂川」に興味が沸いて色々調べてみました。

森茂峠についてはこちらで▼詳しく案内されています。

飛騨の峠・建設省中部地方建設局・高山国道工事事務所

森茂川流れ込みを目指しカヌーを用意したが、風が強く断念。

御母衣から小鳥ダムまで行き峠を越える。

御母衣ダム湖からカヌーを使って流れ込みへ行く計画でした。

一旦は御母衣ダム湖の東湖畔側の隋道付近まで行きましたが、

残念な事に風が強くカヌーを漕ぐには危険な状態のため、小鳥川

まで戻って峠越えしました

移動に多くの時間を費やしたために、既に時間は12時を過ぎています。

森茂峠から1.5キロほど下ると右岸へ渡る橋があります。

ここには既に車が7台ほど停めてありました。

車を降りて流れ込みへと続く道路の状況を確認すると、

道路が滑落しており車が通行出来る状況ではありません。

停めてある車はここで車を降りて、それぞれの

[25] 六厩川橋, , http://doyano.sytes.net/keiryu/34/img/7-4-2-p.html

国土地理院発行の地図には、高山市荘川町牧戸から清見町森茂まで道路が表示されています。

見た目には通る事が出来そうで、釣り人やバイクマニアなどが一度は挑戦しているようです。

しかしこの道路は、私が釣りを始めた昭和45年から通る事は出来ませんでした。

トンネルが土砂に埋まり通行不能だったのです。

六厩川橋へは今では行くのがとても困難ですが、

その当時でも状況は同じです。

一度だけ橋の袂へ行きましたが、橋の床が腐っていて渡れるような状態ではありませんでした。

今では幻の橋として酷道マニアの聖地になっています。

この橋へは、森茂峠からですと道なき道を歩いて5時間。

六厩川上流からでも同じく5時間。

御母衣ダム湖からは山越えとなるので何時間かかるのか分かりません。

たぶん一日がかりなるのではないでしょうか。

いずれにしても相当な時間が必要になります。

野宿覚悟の遠い道のりとなります。

それほど困難な場所にあるため、行った者には必ず幸せになるという「噂」がありそうですが、

聞いた事はありません。

ただ、酷道マニアには垂涎の場所で、渡ったものは英雄視されているようです。

橋が完成してから、一体何人がこの橋を渡った事か?興味はつきません。

[26] 秋町隧道と 六厩川橋 2, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20a20s3.html

秋町隧道と 六厩川橋 2

昔の道路と 森茂川が 御母衣ダム湖水に 流れ込む 合流

橋が 見えた

橋に 近づいた

六厩川橋と 橋から西を見る

未完成

秋町隧道と 六厩川橋 3

六厩川橋 画像 音声

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[28] 秋町隧道と 六厩川橋 1, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20s2.html

秋町隧道と 六厩川橋 1

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある そのダム 東に

廃村になった 部落 森茂がある。 そこから 森茂川沿いに

西へ 行くと 六厩川橋 秋町隧道トンネルがある。

森茂川沿いの土砂崩れの道

1998年 平成10年 10月10日(土 体育の日)

森茂川 南 林道の 土砂崩れの地点から 西へ 歩いて

約3km進んだ 秋町隧道トンネルを 目指した。

今年の 第3回 9月 三重 和歌山ツーリングは 2台無事に スケジュールを

消夏できた。 その2日後 9月17日(火)あたりから 天候は 曇りの日が

20日ぐらい 続いた。 ほんとうに 毎日毎日 ぐずついて 曇りか 雨ばっか

だった。 10月上旬に なったら こんどは 暑い日ばかり 半袖で過ごす日が

続いた。 10月6日(火)あたりに ようやく朝方 冷え込むように なった。

それまで 掛け布団は 薄い夏用のだったが 9日(土)に ようやく 分厚い

掛け布団に かえた。 ほんとうは 9月26日(土)に 冒険を 予定していたのに。

10月9日(金)仕事を終え 家に着き 玄関のカギを開ける前に 東側に

しまってあった バイクを 押し出した。 エンジンをかけてみる。 かかった。

すぐにエンジンを止める ひと安心。 家ん中に入り 洗濯 夕食 風呂を すませて

録画してあった 秋の踊る大走査線SPを見る。 PM9:20ごろ 電話が鳴った。

出ると いつも上機嫌のD氏からだ 画面見とった? って、 こちらは めずらしく

F2 F3の電源が切ってあった。 んにゃ、 これから M氏の 誕生日会やるから

こんかね? って、 うちはもう パジャマだった。 結局行くと 返事をした。

ちゃっと 着替えて ここ2〜3ヶ月電源が入れてある 携帯を持って スプリンターの

ドランクから 6MのANTをだして 家を出た。 途中 姫を乗せて ファミレスへ

向かう。 着き駐車場へ いんちき止めして 店内へ入る。 レジ前で ローカルらは

空席待ちをしていた。 D、M、E、姫、H、そしてP氏 だが空席待ちを していたのは

P氏ではなかった。 人 間違いだった。 P氏は 来ていない。 計5人。

ようやく 席に着き ピザ 大盛りポテト ケーキ ドリンク注文、 のち 各

[29] 村道を往く(第二回) - ポンコツラビリンス - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/boro_sabi_tour/15064560.html

「林道&廃道」書庫の記事一覧

飛騨の江戸街道

2011/12/29(木) 午後 11:17

続・利賀巡礼

2011/10/2(日) 午前 0:34

春のお散歩♪(後編)

2011/4/25(月) 午後 11:46

春のお散歩♪(隧道編)

2011/4/21(木) 午後 11:12

春のお散歩♪(前編)

2011/4/17(日) 午後 8:48

冬の隧道ツアー再訪編

2011/3/1(火) 午後 10:45

追想の遊歩道を往く(後編)

2011/1/18(火) 午前 0:02

追想の遊歩道を往く(前編)

2011/1/15(土) 午後 10:09

双六谷を往く(最終回)

2010/12/21(火) 午前 0:09

双六谷を往く(第三回)

2010/12/7(火) 午前 0:52

もっと見る

[31] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

[32] 毎日ボンクラな毎日です, , http://weinzel.web.fc2.com/log1110-1112.htm

2011年10月〜2011年12月の日記 トップへ

2011-12-31

・あっという間に

今年ももう終わりですね。1年間の体感速度が年々速くなっている気がしますよ。今年を振り返ると、やっぱり登山に関してはあんまり登れてなかったですね。その分1回の登山が濃かった気はしますが。

スカイラインは走行距離18万キロを超え、来年車検ですがまだまだ乗る感じで。

そういえば今年はiPhone買ったのが大きいです。電池が持たないのが弱点ですが、DropBoxやFieldAccessなど、素晴らしいアプリもそうですが、iPhoneが自宅の無線LANに繋がると撮った写真が自動的に自分のPCに入ったり、とにかくスマートです。もっと使いこなしたいですね。

ちなみに、自分のおもちゃのつもりで買ったタブレットPCは…

文字通り甥っ子のおもちゃと化しました。

2011-12-30

・登り納め

さて、今年最後の登山は大文字山です。当初は去年同様に御来光を拝むつもりでしたが、色々あって6時45分銀閣寺付近の駐車場からスタート。まぁ天気が曇りなのでどのみち見れなかったっぽいですが。

近所の適度な散歩コースなのか、この時間に下ってくる人が結構多いです。7時20分、大文字焼きの火床に到着。

京都市内が一望出来ます。雲りっちゅうか雪が降っていますけど。

7時45分、山頂着。

う〜ん、相変わらず見えませんな。いまいちスッキリしませんが、まぁ、こんな時もあるさー。

せっかくたくさんルートがあるのに同じ道で帰るのも何ですし、かといって南に下りすぎると車まで戻るのが大変なので、一つ下の霊鑑寺に出るルートで帰ります。登りの道はトレッキングコースっぽいですが、こっちはやっぱりマイナールートらしく、普通の登山道のような感じです。市街地に出たら、哲学の道をちょいと歩いて9時前にゴール。

今回の行程図。やっぱり便利なアプリだな。

2011-12-23

・NETSUKE #001-044

前の携帯と比べて、iPhoneは横幅は広いのですが厚みが薄いのでポケットへの収まりは意外と良いのです。しかし幅の広さと、ストラップが付けられないことも相まって、電話が鳴ってもなかなか取り出せないこともしばしば。

そこで…

コネクタの横のネジを利用してストラップを付けられるアクセサリ。

1800円と高い

[33] ツーリングに 尻木宇豚堂/ウェブリブログ, , http://ulman.at.webry.info/201310/article_1.html

行ってきました。

当初は志賀高原に行くつもりでしたが、この日は東側の天候が良くなかったので比較的天気の良い西側へ行くことに。先日の「福井県にタッチ」の続きで荘川〜白川郷方面へ行くことにしました。

安房峠越えで岐阜県入り

安房峠を下る途中から見た乗鞍岳

平湯温泉スキー場前から見た槍ヶ岳

平湯温泉スキー場は少しだけ紅葉しはじめていました。

旧道を登って平湯峠

乗鞍スカイライン頂上は午前11時現在で9℃

ちょっと気温高めですね。

ここからR158で高山、中部縦貫自動車道で飛騨清美JCT、東海北陸自動車道で荘川IC。ここで高速を降ります。

昼になったので荘川町のソバ屋「蕎麦正」に入ります。

このときは新そばまつり期間中でした。

新そば旨かったです。

さあ、R156白川街道に入ります。ここは4年前のZZR一泊ツーリングで通りました。今回は逆方向の北上ルートです。

岩瀬橋が見えてきました。

注意標識

この先が難所であることを予告しています。

岩瀬橋

岩瀬橋を渡った先は直角カーブ

大量の注意標識。さあ、難所の始まりです。

荘川桜

御母衣湖の水没地区から移植した桜の木です。

尾上橋

渡ったところから振り返る

この橋も渡ったところは直角カーブです

この先2本目のトンネル「尾神2号トンネル」の中は補強付き

今はこのように照明が付いていますが、以前は無かった。暗い中でいきなり出っぱりが現れる怖いトンネルでした。大型車の運転手はさぞびっくりしたでしょう。

トンネルを抜けて振り返って撮影

少し行くと1999年開通の福島保木トンネル(全長1106m)と旧道

もちろん右側の旧道に進みます。

旧道に入って最初のトンネル「福島保木第1トンネル」

トンネルを抜けても洞門が続き、次は「福島保木第2トンネル」

ここも抜けても洞門が続き、次は「福島保木第3トンネル」

トンネルに横窓がついています

横窓から外の壁を見るとボロボロ

作ってから50年以上経ちますからねぇ

洞門の上に登るハシゴがあります

湖面を見おろす

この水面下数十メートルには、白川街道の難所「福島歩危」がありました(詳しくはコチラ)

トンネル名の福島「保木」は「歩危」から来ているんですねー。まさかトンネル名に「歩危」なんてコワい名前つけられませんから。

途中明かり区

[34] にしみやうしろ仮駅 荘川営林署林鉄六厩川線~その2~, , http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-181.html

謎の多く雲を掴むような荘川営林署の森林鉄道ですが具体的な資料も得ています。 それは名古屋営林局が毎年まとめていた統計資料。 毎年度の事業に関する損益計算書、貸借対照表などでめちゃくちゃ堅そうな資料だなあ・・・と敬遠する人が多そうですが、各営林署ごとの森林鉄道(林道事業)の数や距離、1954(昭和29)年度以降は林業機械数一覧があって林鉄の車両数も載ってます。 新規建設区間の距離や保線工事を行った距離の一覧までも載っており(但し距離だけでどこの区間かは分からない^ ^;)色んなことが読み取れます。 というわけで荘川営林署の林鉄関係を抜き出すと・・・ 1965(昭和40)年度まで路線としては存在してますが、実際の林鉄としての使命はダム工事中の1959(昭和34)年度中には終わっていたことが分かります。 電源開発の御母衣ダム建設の補償として代替林道が建設されて林鉄は撤去されました。 その林道も今は結構は移動になった部分があり、かつて六厩川、森茂線分岐点付近の上に架かる「六厩川橋」や「秋町隧道」が廃道ファンには人気なようで・・・(うちは流石にそんなおっそろしいとこまでは行きませんよ~ ^ ^;) 荘川村の住民も反対運動では「死守会」とまで称し強固な反対をしていましたが、電源開発が誠意ある態度を示し円満解決したことは「荘川桜」のエピソードで有名ですね。 合掌造りの村の片隅を林鉄が走っていた風景も画像記録として残っていたら良いのですが。

[35] 市道岩瀬秋町線, , http://www.youtube.com/watch?v=WPV8JKZ1BoY

岐阜県高山市(旧荘川村)にある御母衣ダム湖東岸沿いの市道岩瀬秋町線を走りました。市道岩瀬秋町線から秋町林道を経由して秋町トンネルを抜けると六厩川橋があるのだが、私が走った通行止め看板のある少し先でワイヤーで四輪は通行不能になっているらしいです。道そのものもさらに先で廃道化しており、トンネルも崩落して通り抜けはできないらしいです。

履歴

[36] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529287855

メモ