上野尻ダム

上野尻ダム

[1] 上野尻ダム

37.63121151 139.63103101

Webページ

[3] 上野尻ダム | THE SIDE WAY, , http://side-way.jugem.jp/?eid=936

堤高30m G/P 1958年 東北電力 2012.10.6見学 阿賀野川の豊実ダムから上流におよそ12km、その間に県境を越え上野尻ダムからは福島のダムとなります。 阿賀野川も名前が変って、福島県内は阿賀川です。 静かな水面に淡いブルーの鉄骨トラスがゆらいで見えていました。 巻揚機によるものか、ピア頂上の建物には凹凸があります。 今朝見た揚川ダムのピアによく似ています。 ダムサイトの左岸は建設時のプラント跡が小さな公園になっています。 つる草に覆われたバッチャープラント、その中にはベンチが置かれていました。 春には桜が咲き誇る憩いの場になっているのだろうと、想像しただけで、のほほんとした気分になります。 記念植樹でしょうか?木の根本にこんな碑がありました。 東北電力創立40周年記念とあります。 ひょっとしたら、上野尻ダムは東北電力として最初に建設されたダムなのでしょうか? 上野尻ダムは戦後の1956年着工、1958年完成です。 日本発送電が解体され、電力9社(当時はまだ沖縄電力は無い)に再編されたのが1951年なので、上野尻ダムの工事とは少し間があります・・・。 うーん、微妙。 公園から少し歩いて下流側に来ました。 第一印象で、思わずわっ!となってしまいました。 なんだかダムが「起立」しているようで、とてもユニークな姿に見えたのです。 ゲート配置はローラーゲートが8門。 それと手前の左岸には2門の自然越流の洪水吐・・・? んんん? この2門は洪水吐???。 ダムが起立して見えるのはローラーゲートのピア形状と、この越流吐の切り立った下流面にあるようです。 こんなに下流面が立ってたら、越流した水が下で湧きあがってエライ事になりませんか??? と、言うよか・・・。 ローラーゲートよりも越流吐の方が高いですね・・・。 勿論、洪水でローラーゲートから放流を始めれば、ゲートを開けた分、ゲート上部も高くなりますが・・・。 ローラーゲートの上部が少しエグレていて、多少ならゲート上を水が越えてもOKに見えるのも気になります。 うーん、謎だ。 すくっ!と立ち上がった堤体とは対照的に、下流は広い水面が広がっています。 天端上は県道です。 今日は天端が入れないダムが多いので、なんだか久しぶりの天端の気分です。 車道部分は一車線半程の幅ですれ違いは難しそう。 でも、橋の下流側にちゃんと分離

[4] 橋梁レポート 西会津上野尻の大廃橋, , http://yamaiga.com/bridge/sibazaki/main.html

この探索劇は、次のメールから始まった。

差出人は、498氏。

(略)阿賀川をまたぐ白い道が上野尻ダム(柴崎橋)です。ダムといっても、大きい堰という感じです。

そこより南、写真では目立ちませんが航空写真で黒っぽく写っているトラス橋があり、廃橋です。西側の橋げたが落ちています。

トラスの大きさからすると、ちょうど森林鉄道サイズに見えなくもないですが、その生い立ちはまったく不明です。

前述の知人によれば「線路ではなかった」。

私はこの廃橋がずっと気になっているのですが、インターネットで探しても全然ヒットしません。

まるで存在自体が認められていないか、箝口令がしかれているのではないかと思うほど、実に見事にスルーされています。

もし、ここに述べられているような橋が実在するとしたら、これは是非確認する必要がある。

トラス橋は非常に高価で、また耐用年数も大きな事から、そうおおく廃橋として現存する物はないのだ。

廃止されても、他の場所へ部材が転用されたり、または屑鉄として売却されたりすることが殆どだ。

私は、福島市で万世大路の視察会に参加あと、自身にとって初となる会津地方入りを果たし、そのまま橋があるという西会津町上野尻を目指した。

車中泊があけて翌朝、私は始発列車前のJR上野尻駅で自転車を組み立てていた。

目的地は遠くないが、何かを探しながら車でうろちょろするのは性に合わない。

498氏からの情報や、航空写真などによれば、右の地図の位置に廃橋はあったようだ。

橋が跨いでいるのは阿賀川の本流そのもので、阿賀川は全長210kmと日本第10位の大河であるから、中流に位置するこの西会津付近でもその川幅は150m〜200mはある。

これまで私が遭遇し得なかった巨大な廃橋の姿が、様々にイメージされたが、思いがけないほど呆気なく橋は発見された。

この道は県道338号「上郷下野尻線」。

とりあえず廃橋の姿を肉眼で捉えるべく、廃橋があると思われる地点より500mほど下流に架かる柴崎橋を目指していた。

柴崎橋はこの県道の橋である。

磐越西線を踏切で渡ると、阿賀川沿いの短い北上区間となるが、川と道の間には帯状の緑地公園があって、直接水面は見えない。

私は、逸る気持ちを抑えきれず、芝生の公園を横断して川岸へと近付いてみたのだが……。

あ…。

あるよ。

一部をツタに覆い隠され、

[6] 旧柴崎橋~磐越西線・上野尻駅近くの大廃鉄橋 | araichuu.com, , http://araichuu.com/archives/265

ポートレートやら、クラシックカメラやらについて、試したり話したりするブログ。カメラを持っての旅の記録なんかも。

クリエティブ系の小さな会社を経営しています。大阪芸術大学→デジタルハリウッド大学院→立教大学大学院(MBA)卒。

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[7] 補完レポート 旧柴崎橋 , , http://yamaiga.com/hosoku/hosoku_3.html

平成18年に「西会津上野尻の大廃橋」として紹介したこの橋(→)を覚えておいでだろうか。

個人的には、これまででも一番か二番目くらいに怖い思いをしながら「体験」した橋だけに忘れがたい印象を持っているのだが、最近になって「西会津町史」を開いたところ、探索では分からなかった事実が発覚した。

平成20年の再訪時に撮影した写真(右の写真のみ初回撮影)とともに、前レポートを補完する事実を紹介したい。

※青わくの写真は、クリックすると大きなサイズで表示します。

本橋は、福島県耶麻郡西会津町の阿賀川に架かる2連のトラス廃鉄橋である。

この500mほど下流には、県道338号「上郷下野尻線」に指定される「柴崎橋」が、上野尻ダムの堰堤と一体化した形で架かっていることから、廃トラス橋は「旧柴崎橋」と見立てられたものの、現地ではそれがどのような経緯でいつ生まれた橋であるかという詳細については、不明のままであった。

上野尻ダムが昭和33年に完成した事に伴い廃止されたという証言を得たのみである。

遠目にも焼けただれたような赤褐色を呈し、岸に近い部分は緑の蔦(ツタ)に絡まれるなど、いかにも廃橋であることを意識させる旧柴崎橋であるが、近づくことで初めて、床板がすっかり無くなっている事を知る事になる。

それでも無理に渡ろうとすれば、前レポートのような怯えた醜態を晒すことなるし、当然命の保証は出来ない。

古老の証言によれば、廃止後暫くしてから危険防止のため、木製の床板を外したと言うことであるが、現在も多数の廃材が橋上に残されており、人為的な撤去は岸に近い部分だけと想像された。

外見的には鉄道用の鉄橋の用にも見えるが、車道として使われていたことは証言上間違いない。

なお、再訪時にはこの写真を撮影するため岸から10mほど進んだところで、満足して引き返した。

正しいオブローダーは、一度倒した相手に寝首をかかれるような愚かな真似はしないものである。

…というのは盛大な負け惜しみで、ぶっちゃけ、「平常の心理状態」では、とてもこれ以上進むことは出来なかった。

それでは、本題である「西会津町史の新情報」である。

少々長くなるが、以下に転載しよう。

本橋に関する結論については、最後に改めて書くことにする。

架設に至る細かな経緯については読み飛ばしたいという方は、一気に最後へ行ってもOKだ。

明治25年

[8] 崩壊橋梁「西会津・旧柴崎橋」左岸編: たなぼた, , http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2012/12/post-147b.html

「西会津・旧柴崎橋」右岸編から続く。

旧柴崎橋右岸から現行の柴崎橋(上野尻ダム)を経て、橋の左岸へと迂回した。

(C)Google

左上が柴崎橋で、右下の赤いのが崩壊した旧柴崎橋だ。

その左手(左岸)崩落部分の探索になる。

航空写真をみてもこちら側は道路とは大きく離れているうえ、間には杉木立が密集していてまったく接続していた様子がない。

これまで橋のたもとまで探訪した記事もなければ、画像も見たことがない。

これは、橋への接続道路が想定されるような橋の延長上ではなかったということではないのか。

そう考え、県道が曲がって線路(磐越西線)を渡る踏切あたりの搦め手から探索を開始した。

ヤブを掻き分け降りて行くと、その奥に意外にも大きな遺構が姿を現したではないか。

旧い頑健なコンクリート製のもので、その形状から橋脚に使われたものと思われた。

苔むしたその古さも、十分50年という歳月に合致する。

さらに急傾斜を下り、橋の方向へと歩みを進めると、今度は明らかに人の手で造成されたとみられる通路らしき平坦地に遭遇した。(写真は振り返って撮影)

もしかして、これは線路跡なのか?

そう考えて足元を探ってみれば、そこには『工』のマークが刻まれた石柱が。

(マウスを置くと画像が切り替わります)

間違いない。

ここは旧国鉄の用地だった。

この石柱は国鉄の用地界標で、マークは漢字の『工』を表したものだ。

明治初期に官営鉄道が開業した際、工部省が管轄したからなんだね。

となれば、現在崖上を走っている磐越西線が、かつてはここを走っていたことになる。

おそらくダムの建設で水位が上がって線路が水没するのを避けるため、現在の高い位置まで移設されたのだろう。

崩落橋につながる旧県道を探していたのだが、図らずも鉄道の旧路線にぶち当たってしまったことになる。

この線路を越えるため、県道には先に見つけた大仰なコンクリート橋脚が必要だった訳なんだな。

よし、探索の方向は間違っていない。

杉の落ち葉が厚く積もった急傾斜をさらに降りてみた。

足を取られる湿地帯をも抜けて推定される方向へ歩を進めると……

見えた!

杉の木立の間からついにヤツが姿を現したのだ。

たもとの直下にはコンクリートの残骸が土に埋もれている。

やはり接続道路は橋から直進の杉林方向ではなく、推定通りたもと

[9] 福島県、阿賀川、上野尻ダム 2014.07.10, , https://www.youtube.com/watch?v=km9K_fl8kXs

先日の大雨の、影響で増水したダムをとりました

履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529040241

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