国道156号

国道156号

[1] 国道156号

Webページ

[2] 国道156号 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93156%E5%8F%B7

国道156号(こくどう156ごう)は、岐阜県岐阜市から富山県高岡市へ至る一般国道である。

[3] 道路レポート 国道156号 大牧トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r156_oomaki/main.html

【所在地(マピオン)】

随分久々になってしまったが、“越中五箇山”を巡る道を、また少し語りたいと思う。

越中五箇山、或いは単に五箇山(ごかやま)とは、日本海に望む北陸の砺波平野から山を隔てた内陸部、庄川水系に属する山峡地帯の歴史的広域地名であり、平成の合併前に存在した富山県東礪波郡旧平村、旧上平村、旧利賀村の地域を指す。現在はいずれも南砺市に属す。

そしてこの名は、中世の平家落人たちによる開村伝説を持ち出すまでもなく、平成7年にユネスコの世界文化遺産にも指定された合掌造り集落に代表される独自性と秘境性を併せ持った地域名として、現代なお広く用いられているのである。知名度の面において、北陸を代表する“秘境”ではないだろうか。

だが、現在の五箇山は山村ではあっても、飛び抜けた秘境というにはあたらない。

右の地図を見てもらえば分かるが、五箇山は地理的に見てさほど平野から遠い場所ではないし、今ではその平野と繋がる3本の国道が地域内を縦横し、いずれも積雪期においても通行が確保されている。さらには高速道路も開通した。

実際、いちばん内陸寄りの旧利賀村地域だけは少し遠さを感じるが、それ以外の地域は(少なくとも私が体験した夏場であれば)かなり気軽に訪れる事が出来るのである。

しかし、今の秘境らしからぬ便利さは、これまでの国道整備に依るところが大であり、むしろそれがほとんど無二のものである。

そして、これら国道が現在に近い状態で完成した時期は、いずれも昭和50年代以降と、さほど昔ではない。

例えば五箇山を走る3本の国道の中心的存在といえる国道156号でさえ、庄川〜祖山ダム間が冬も通れるようになったのは、昭和52年である。

それまで、旧平村や旧上平村の住民は、毎年12月頃から4月頃まで四周を深い雪道に閉ざされ、村に自動車はあっても外へ乗って出る事は出来なかった。

その当時は、庄川の祖山ダム湖と小牧ダム湖を乗り継ぐ村営船や、細尾峠の危険な雪中行軍をもって、辛うじて世界と繋がっていたのである。

そして、今回主に紹介するのは、この区間における国道156号の除雪可能化(無雪化)を実現させた最大の立役者である大牧トンネル(全長1330m、昭和52年開通)、その開通以前の旧国道である。

五箇山が名実とも神秘の秘境であった時代の最後を見届けた国道風景と、失われた車窓、それらとの再開

[4] 道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危, , http://yamaiga.com/road/r156_utigato/main.html

本編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。

一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日本海岸の高岡へ達するのである。

列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。

しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜〜富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間通行止めになっていた。

また、落石や土砂崩れによる通行止めも珍しくなく、路線番号にかけた「イチコロ」線という有り難くないあだ名で呼ばれた。

この路線が国道の指定を受けたのは昭和28年で、当初は二級国道「岐阜高岡線」といった。また、全線を自動車が通れるようになったのは昭和29年である。

特に北半分を占める庄川沿いの車道建設は、関西電力などによる庄川電源開発の進展とともに、地元補償や工事用道路として進められたもので、最も古い小牧堰堤(小牧ダム)は昭和5年の完成と、国内でも有数の歴史を誇る。

オブローダー的視座に立ったときのこの道は、旧道の多い道であるといえる。

昭和20年代までに一旦完成した国道と、昭和54年に改めて「全線開通」と盛んに喧伝された路線とでは、随所でルートが変わっている。もっとも、経由地が変わるほどの大きな違いはなく、あくまでも区間旧道を多く持つということである。しかし、小規模の旧道は沿道集落や施設を持つことも少ないから、必然的に廃道となった部分が多いのも特徴である。

そんなわけで、地図を眺めるだけで“たまらなかった”この国道156号の「旧道巡り」を、平成21年4月30日に、「越中第一次探索」の4日目行程として、自転車を用いて行った。

この日に巡った旧道は、庄川が砺波平野へ流れ出る地点にある富山県砺波市庄川から、南砺市五箇山の県境を経て岐阜県白川村の中心部まで

[5] 御母衣ダム - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%AF%8D%E8%A1%A3%E3%83%80%E3%83%A0

御母衣ダム(みぼろダム)[1]は、岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川本流最上流部に建設されたダムである。

電源開発(J-POWER)が管理する発電専用ダムで、高さ131メートルと日本屈指の規模のロックフィルダムである。只見川の奥只見ダム、田子倉ダムと共に「OTM」の頭文字で呼ばれ、同社を代表する水力発電所の一つである。ダム湖は御母衣湖。水没予定地から移植された荘川桜のエピソードでも知られる。

計画の発足[編集]

庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つである。流域の大部分は山岳地帯で占められ、シベリアから吹く季節風によって冬季は豪雪地帯となる。また夏も台風の通り道になりやすく、全般的に多雨気候である。降り注いだ雨は険しいV字谷を形成する峡谷を急流となって流れ、日本海に注ぐ。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川であり、大正時代から黒部川や常願寺川など近隣を流れる河川と共に水力発電所の建設が進められていた。

1926年(大正15年)に白山水力電気が平瀬発電所の運転を開始したことに始まる庄川の電力開発は、浅野財閥総帥であった浅野総一郎の庄川水力電気により1930年(昭和5年)に小牧ダムが完成、当時日本屈指の出力7万2,000キロワットの小牧発電所が運転を開始した。同年昭和電力が小牧ダム上流に祖山ダム・祖山発電所を完成させ、以後庄川は下流から上流に向かってダム式発電所の建設が進められていった。民間で進められた事業は戦時体制の進展に伴い誕生した日本発送電によって庄川水系の電力施設は接収、1942年(昭和17年)には小原ダム・小原発電所が完成する。その日本発送電が1951年(昭和26年)に電気事業再編成令によって分割・民営化されると、庄川水系の電力施設は旧庄川水力電気・昭和電力の流れをくむ関西電力が継承し、成出・椿原・鳩谷の各ダム・発電所が建設された。しかしこれらのダムと発電所は余りある庄川の水量を十全に活用できるほどの貯水池を持たず、電力需要の多くなる冬季に発電能力を発揮しきれなかった。このため庄川の最上流部に巨大なダムを建設し、それによって形成される大容量貯水池によって下流の水量を安定化させ、下流に建設された発電所の出力を増強する必要があった。

すでにこう

[6] 国道156号線旧道-内ヶ戸廃隧道, , http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_utikato.t.html

【国道156号線旧道-内ヶ戸廃隧道】

岐阜県の北側、白川村の合掌集落で有名な白川郷。その北側には、数多くの旧道が存在します。

今回はその内の一つ、「内ヶ戸第一号・第二号隧道」を探索して来ました。

青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント

雪が降る前に北の方の物件を見てみようと

まずは飛騨白川郷を探してみました。

地形図で見てもそれらしい道が沢山あります。

これはぜひ行ってみなくちゃ♪

ちょっと遠いので

1〜2箇所ぐらいしか見れないけど、

さっそく早起きして出発だ!

まずは地図で位置を確認→■周辺図■

最初に来たのは国道156号線の長大トンネル

「新内ヶ戸トンネル」横にある2つの隧道です。

これはそのトンネルを

目的の隧道の反対側から見たもの。

少し写ってる赤い橋は「椿原橋」です。

今立ってる場所の後ろには、

「旧・椿原橋」があります。

そちらもイイ雰囲気ですが、

今回は隧道のレポートに専念します。

旧道はちょっと荒れた感じで、

微妙に廃道みたいな雰囲気もあるけど、

道は結構きれいになってます。

左に見える、椿原ダムのダム湖と

その向こうの紅葉した山がとても綺麗です。

なんて歩いていると、

間もなく最初の隧道

「内ヶ戸第二号隧道」が見えて来ました。

路面はさらに整備されてきて、

落ち葉などを掃除した跡もありました。

[7] 道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危, , http://yamaiga.com/road/r156_utigato/main1.html

2009/4/30 15:06 【現在地】

現国道156号が、椿原ダム湖右腕の「馬狩谷」を跨ぐ地点に、ランガー形式の椿原橋が架かっている。

そしてその100mほど上流には、カンチレバー(ゲルバー)形式の旧橋が現存している。

いまからそこへ向かう。

約30年前に旧道となった道は、両側からかなり雑草の侵入を許しているものの、それでも軽トラ1台分の舗装路面は確保されていた。

クルマでは通り抜けられないこの道に、これだけの路面が維持されているのは、やはり旧橋の魅力のなせるわざか?

現道から100mほどしか離れていないので、いとも容易く旧橋に到着した。

当然のように柵がされているが、「立入禁止」の表示はない。

柵の簡単さもあって、あくまで「車両進入禁止」のような印象を受けた。

遠目に見るより塗色の剥げが著しい鉄の矩体へ入り込む前に、挨拶代わりの親柱チェックである。

それはなぜか一本だけしか残っていなかった。

やや大ぶりな親柱に填め込まれていた銘板には、「昭和二十八年三月竣功」と刻まれていた。

それは、椿原ダム竣功の年と同じである。

ダムの水面上にあることからも予想できたとおり、この旧橋はダム建設とともに生まれたのである。

そして、これが白川村と富山方面を結ぶ、第一世代の自動車道であった。

それより古い…つまりダムに沈んだ道については、ダムの水位が高く痕跡を見出すことは出来ないが、明治20年代に「白川街道」として、荷車が通れる程度の道が存在していたことが、「白川村誌」に知られる。

[10] 【廃線・廃道】【歩いてみた】国道156号旧道 馬狩橋・内ヶ戸第二号隧道 ‐ ニコニコ動画:GINZA, , http://www.nicovideo.jp/watch/sm15681519

動画の説明文:全文を表示

世界遺産 白川郷のすぐ近くにあるこの物件。 ダム湖沿いの廃道に、橋梁やら隧道やらのパラダイスが待っていました。 が、想像を絶する激藪も・・ そのせいで中途半端な探索となってしまいました。 >3:26のコメ...

[11] 国道156号線旧道-旧・椿原橋, , http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_tubaki.b.html

【国道156号線旧道-馬狩谷橋】(旧・椿原橋より改称)

有名な合掌集落のある白川郷の北側には、多くの旧・廃道が存在します。

そんな道の途中に残る、古い鋼鉄製の橋を見て来ました。

青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント

ロードマップにはちゃんと描いてあるけど、

地形図からは完全に消されている橋。

でも空中写真には写ってるし、

いったいどんな橋なんだろう?

いや、そんな事より今でもあるの?

と言う訳で、実際に見て来ました。

まずは地図で位置を確認→■周辺図■

国道156号線を北上し、

白川郷を越えてやって来ました。

でも、白川の合掌集落手前から、

車がすごい渋滞していたよ(¯Д¯)

そう言えば白川郷って有名な観光地だった。

世界遺産だし。

まあともかく、旧道入口です。

そそりますね。

それで橋はあったのかって?

ありました。

現道のトンネルを抜けたら、

ちらっと見えました♪

一目で古い橋ってわかるぐらい、

味のある姿でした。

ぜったい近くで見てやるわよ〜

それで渡って来るんだ〜

はりきって行ってみよう。

でもこの旧道、ちゃんと橋まで行ける?

あっというまに薮になりそうな予感。

なんか車の通った跡も無いし、

ここは無難に歩きで行きます。

[12] 道路レポート 国道156号 大牧トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r156_oomaki/main2.html

2009/4/30 8:30 【現在地】

これが、大牧トンネル南口付近から見た、旧道の姿である。

確かに道があったという痕跡は見て取れる。

路肩の擁壁や、その先に続く微妙な平場の断続的連続など…。

だが、直前に見た駈足谷橋の旧道で恐れていた展開は、現実のものとなった。

現道開通後、おそらく速やかに放棄されたと思われる旧道は、豪雪の山腹に放置されること30余年にして、その国道であった過去をまるで喪失してしまったように見える。

良かろう。

望むところ。

季節的には、今がベストシーズンであるはず。

現道がトンネルで失ってしまった庄川峡の車窓を独り占めに出来るのならば、苦労のし甲斐もありそうだ。

とりあえず「大牧とんねる」の扁額が掲げられた坑口から洞門に入り、急な左カーブで90度近く進路を変えると、正面に洞門とは異なるオレンジ色の空間が見えてきた。

出口まで見通す事が出来ないそれは、全長1330mを誇る大牧トンネルである。

そして旧道の分岐は、その本当の坑口の直前にあった。

一応自動車でもここを曲がって、旧道のある“外”へ出る事までは出来るし、禁止もされていない。

ただ、後続車がいたら追突されそうで怖ろしい。

いよいよ、旧道探索が始まる。

初っ端から、これである。

遠目に見た時から予感はしていたが、やはり旧道は完全に廃道化しているようだ。

地形図に描かれていなかった時点で、十中八九分かっていたともいえる。

問題は、その状況如何である。

まず、自転車についてはこの時点で持ち込みを辞退させて頂くことにした。

無事に探索が終わってトンネルの反対側に脱出出来たら、トンネルを歩いて回収しに来れば済むことだ。

多分、この状況の廃道を自転車を持って無理やり突破するより、結果的には短時間で攻略出来ると判断した。

(一番やってはいけないのは、ダラダラと途中まで自転車を持ち込み、回収にまで手こずる羽目になることだ)

早速の道の見失いっぷりに驚かされるも、崩れ落ちた上に突き固められた土砂の山の根本、本来の路面があった辺りに目をやれば、ちゃんとその痕跡を見て取ることが出来た。

見覚えがあるギザギザの構造物は、明らかに路肩の駒止めである。

間違いなく、ここに小さな暗渠を渡る道路が通っていたのである。

これに小さく励まされ、いざ単身、先へ進む。

この先想定される旧道

[13] 国道156号旧道 内ヶ戸歩危 - 轍亡き路へ - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/suisin_train/25183596.html

ものすごい余談ですが、このレポ書いているのは大学のテスト2時間前(しかも課題がまだ終わっていない状態)から書いてます…w

歩危。

その昔、通行することがとても危険だとされた場所のことを指す。

白川の三大歩危とされるのは福島・下田、そして今回レポをする内ヶ戸の3つである。

本来であれば、福島・内ヶ戸・下田と3つすべてを制覇するつもりで居たのだが天気は御母衣ダムに差し掛かったところで殴りつけるような雨に変わった。

この時点で福島歩危の攻略は見送りとなった。

…まぁ福島歩危は過去に1度散策したことがあるため(レポはこちらでも、跡地のほうでも公開はしていない)また次回に取っておいた。

続いて比較的距離の近い内ヶ戸と下田の2つだが、こちらもあいにくの雨で見送ろうとしたが、せめて内ヶ戸を行ける所までとして、心ない折り畳み傘とせめてもの救いとして長靴を穿いて雨の中出陣した。

この道のレポは先駆者さんが居る。大体どこもそうなのだが、ここはかのプロオブローダーのヨッキれんさんが挑んでご自身のHPでレポを公開している。

私は高3の夏までは道への興味は全くなく、ただの鉄ちゃんであったことはこのレポを読んでいる一部の方は知っていると思う。その後、ニコ動で「酷道」の走破動画を見て「酷道」の分野に足を踏み入れ「道」の楽しさを知った。

その後ヨッキれんさんのHPに出会い、廃道の世界へのめり込んだというわけである。

そこでこのレポを読んで、この橋に一目惚れしたわけである。

降りしきる雨の中現れた一本の橋。

名を馬狩橋という。

この橋は「カンチレバートラス橋」、または「ゲルバートラス橋」と呼ばれる特殊な構造をしている。

構造についてはうまく説明できる自信がないのでWikipediaを参照していただけるとありがたいです…

とりあえず真ん中が浮いているということだけ言っておきます(謎

[17] 道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路), , http://yamaiga.com/road/akimati/main2.html

2009/11/22 8:01 【現在地】

起点から6km、秋町隧道まであと5km、六厩川橋まで7kmという地点。

とうとう現れた全面通行止めのチェーンゲートであったが、脇を抜けて進み始めると、まだ道は続いていた。

さすがに一段と路面状況は悪化したが、廃道と言うにはまだ少し足りない。

別に、廃道を待っている訳じゃないんだが。

これまでに増してクリティカルな場所に道は付けられている。

護岸工事もされていない湖岸の崖と、路肩の崖とが、同一のものである。

当然そんな状況だから路肩は徐々に崩れるのであって、崩れて減ってしまった道幅の分は、太い橋梁枕木のような材木が敷かれているのだった。

自転車だからいいが、四輪車で来てたらここでもう嫌になりそう。

もし一歩でも足を踏み外せば、或いは崩れる路肩に巻き込まれたとしたら、直行するのは底の見えない御母衣の海。

1200人の生活が沈んだ巨大水面が、一声のもとに私の小さな命を呑み込むだろう。

ぞくぞくするよ…。

うわわあぁ…。

すっごい遠くまで見えるよ。

ガードレールってナニ? おいしいの?

この道の続きが、滑り落ちそうな崖の縁に、延々と続いている…。

そして、道影の見えない半島がある。

秋町隧道が貫通する半島(秋町半島と仮称)だ。

そこまではまだ…、遙かに遠い道のりである。

望遠で覗いた御母衣ダム堰堤。

現在地からは、湖上を6kmも隔てている。

石垣のように見えるのは、それがロックフィルダムという形式だからだ。

御母衣ダムから六厩川橋へ直接向かう道があれば、こんな長途を要することはなかったのだが…。

晩秋というのは、一年で一番オブローディングに適した時期だと思う。

なんといっても藪が明るくなり、しかも涼しいからハードな運動もこなしやすい。

必然的に飲料水も減らせるので、荷重も減らすことが出来る。

春先も悪くはないが、残雪を心配する必要があるのは大きなストレスだ。

ただ、晩秋ならではのデメリットもある。

それは、日がとても短いと言うことである。

午前6時〜午後5時の11時間しかない。

それにしても、水位が低い…。

満水位に較べ、20m以上も低いと思われる。

この崖の下あたりにも「海上」という集落があったはずだが、何も見えない。

そこは旧荘川村の中で一番広い耕地を有する、豊穣な所だったという。

また、荘川

[20] 小牧峠隧道|険酷隧に魅せられて・・・。, , http://ameblo.jp/ken-koku-zui/theme-10035160486.html

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[21] 道路レポート 六厩川橋攻略作戦, , http://yamaiga.com/road/morimo/main11.html

14:07

苦心惨憺のすえ、森茂林道を踏破して六厩川橋へと到達。

最大の目的であった渡橋も無事果たされた。

その時点で時刻は14時を少し回っていた。

真夏ならばまだまだ宴もたけなわと言ったところだが、残念ながらこの時期はもう日暮れを意識して行動しなければならない時刻である。

3時間後には、ほとんど灯り無しでは行動できないくらい暗くなっているはずなのだから。

というわけで、ここは左岸の土を一蹴りだけして引き返し、すぐさま脱出路の六厩川林道へ向かう

べきだったのかもしれないが、

もう二度と来れないかも知れない(というか、来ることは出来ても、そのためには自分の体をまた沢山動かさなきゃならない)この場所を、もう少しだけ味わい尽くしたい思いが勝った。

何かと言えば、秋町隧道である。

一昨日の探索で踏破を断念した秋町隧道の北口から、この六厩川橋までの距離は約1.5km、往復で3km。

ここまでに要した時間を考えれば、この3kmは決して小さな数字ではなかったが、最悪六厩川橋付近で夜明かしする事になろうとも、この区間だけは今回やってしまいたかった。

この写真は、森茂林道の最後の大崩壊地点で撮影していたものだが、六厩川橋から御母衣湖畔の崖を経て秋町隧道までは、このくらいの距離感である。

1.5kmも無さそうだが、山腹の蛇行に少し道が折り畳まれているのでこの距離がある。

この景色を見ながら、秋町半島の意外な高さに恐れ感じたことをよく覚えている。

でも、通り抜けられない隧道だと知っているのに、そこへ行かなければ気が済まないのだから、なお怖ろしいのは自分の“オブ欲”だった。

ここで秋町隧道まで足を伸ばしたのは、完全に欲である。

「良くないなぁ」とは思いながら、抑制できなかった。

だが、前進を決めた私の心は一時的に、とても晴れやかだった。

これさえ終えれば、後は何も思い残すことはない。

これで全てを終えて下山出来れば、どれほどの達成感を味わえるだろうかと、捕らぬ狸の何とやら。

…この時間、この季節、この天気、この場所、この孤独、どれを取っても重苦しい。

努めて明るい思考で行こうというのは、意識せずとも自衛的にそうなったのだ。

秋町隧道へ出発進行!

対岸でまず出迎えてくれたのは、それぞれ100トン以上はありそうな2基の巨大アンカー。

道はこのビルディングのよう

[22] 村道を往く(第二回) - ポンコツラビリンス - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/boro_sabi_tour/15064560.html

「林道&廃道」書庫の記事一覧

飛騨の江戸街道

2011/12/29(木) 午後 11:17

続・利賀巡礼

2011/10/2(日) 午前 0:34

春のお散歩♪(後編)

2011/4/25(月) 午後 11:46

春のお散歩♪(隧道編)

2011/4/21(木) 午後 11:12

春のお散歩♪(前編)

2011/4/17(日) 午後 8:48

冬の隧道ツアー再訪編

2011/3/1(火) 午後 10:45

追想の遊歩道を往く(後編)

2011/1/18(火) 午前 0:02

追想の遊歩道を往く(前編)

2011/1/15(土) 午後 10:09

双六谷を往く(最終回)

2010/12/21(火) 午前 0:09

双六谷を往く(第三回)

2010/12/7(火) 午前 0:52

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[23] 隧道レポート 利賀村の楢尾隧道 , , http://yamaiga.com/tunnel/naranoo/main2.html

2009/4/29 13:51 【現在地】

利賀側坑口から入って10分を経過し、おおよそ500mを探索済みとした。

百瀬川側坑口までは、推定あと300mである。

今いるのは洞内2回目の待避所であり、謎の駐車車両を背にしている。

この待避所も雑多なものの物置であり、おそらくここに掲げられている最高速度30kmの規制標識も、本来の規制とは無関係なのだろう。

規制標識の取り扱いは法的にシビアであり、道路法の道路であるなしを問わず、一般車両が通行する現役の道路へ設置する権限は公安しか持っていない。

すなわちこの一事を以て、本隧道が法的には廃道と見なされている(より正確な表現をすれば、「一般交通の道路ではない」と見なされている)ことが窺える。

再び1車線幅となった洞内を進んでいくと、その後しばらくは特に足を止めさせる発見もなく、利賀村の東側の地平が眩い光の中に見え始めた。

だが、この終盤で“滝潜り”の荒行を要求された。

出口まで50mほどの地点で1ヶ所、天井アーチの広い範囲が破れて、そこから著しく水が吐き出されていた。

この水垂れは激しく、土砂降りの音が辺り一帯に響いていた。

晴天続きでもこの漏水だから、雨天時などは本当に滝のようになるかも知れない。冬期間にいかなる氷柱が出来上がるのかも見物だろう。

(一般的に、隧道坑口付近の内壁が著しく傷む理由は、単に地表が近く漏水が多い為だけではなく、氷柱の発生と氷解によってもたらされる部分が大きい)

ぬかるんだ出口の向こうに見え始めた、百瀬川の地平。

この隧道が貫通するまで、村の中央部に車で出るためには、一旦村外へ迂回しなければならなかった。

なお、この日の探索で私が到達した利賀村内での最高地点がここで、海抜は約660m。

13:54 【現在地】

自転車で13分ほどかけて、いま隧道を完抜!

坑口付近は崩土が路上にだいぶ堪っていて、本来の鋪装された路面が見えない状態になっていた。

だがぬかるみには新しい自動車の轍もあり、日常的な出入りがあるようだ。

村の名義で設置した「通行止」の看板も、端によせられたままになっていた。

東口坑門も、西口と同じような特徴に乏しい作りであった。時代相応といった感じか。

ただ、坑口の左上胸壁部分には何か看板のようなもの取り付けていた形跡があった(東口にもあった)。

西口と異なっていたの

[24] 国道418号線を走ってみる・その2 (旧根尾村樽見→八百津町) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/d55eb120215ed306418e54f0172532ea

きたへふ(Cチーム)のブログ

ファミスタとは特に関係ありません。タブレット・スマホをご利用の方は、できればPCモードで御覧ください。

【記事作成日:2017/10/22、現地訪問日:2016/9/3】

このエントリでは国道418号線走行記の その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村) の続きとして、岐阜県本巣市(旧根尾村樽見)から八百津町までの区間について記載しています。その他の区間については、下記リンクを参照ください。

・ その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村)

・ その2(旧根尾村樽見→八百津町) …このページ

・ その3(八百津町→恵那市)

・ その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村)

・ その5(長野県平谷村→売木村→阿南町)

・ その6(長野県阿南町→天龍村→遠山郷)

1. 岐阜県本巣市(旧根尾村樽見)→モネの池(寄り道先)まで

この区間の地図 ( google mapのデータ )

このブログでは国道418号線の旅をメインに書いていますが、このときのツーリングは横浜から北陸回りで冠山峠を越え、最近話題のモネの池を見てくることが目的の一つでした。そのため本巣市を出発してから途中の山県市で一旦県道196号線+国道256号経由で板取方面へ寄り道します。

01-樽見駅の手前から出発(奥は国道157号線方面)

この日は2016年9月3日(土)。前日に冠山峠を越えて岐阜県入りしていたブログ主は、旧根尾村(樽見駅近く)の民宿の住吉屋( 公式サイト )に宿泊していました。しっかり朝食を食べて、朝8時頃に宿を出ます。

なお、後述のモネの池のところまでカメラの設定がおかしいことに気付かず、途中の写真は暗くなっています。(´・ω・`)

02-樽見鉄道の線路の下をくぐっていきます

上の写真の左側を向いたところの写真です。国道418号のおにぎりと案内板が出ています。国道418号の単独区間の旅がここから始まります。

03-尾並坂峠の風景

旧根尾村から山県市に抜ける区間では、尾並坂峠を越えていきます。ただし峠道は広めの2車線区間が多く、狭いところでも1.5車線はあって酷道成分は皆無な状況。交通量も少なく、快適に…とまでは言いませんが、苦も無く黙々と進んで行きます。

04-山県市内の風景

山県市内の集落のあるエリアに入ってからは、バイクと車の離合は容易なもの

[25] "はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project, , http://www16.atpages.jp/rayna/Report/akimachi01/

"はずれルート"庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道 - Frost Moon Project

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「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

「はずれルート」庄川林道(岩瀬秋町線)と秋町隧道

庄川林道(岩瀬秋町線)は御母衣ダム建設を機に開設された林道で、

昭和48年(1973年)頃まで木材の運搬に利用されていました。

しかし、「トンネルが陥没して不通となり」、廃道化、今に至ります。

陥没したトンネル「秋町隧道」の坑口は殆ど埋もれ、内部は水没しており、通行は不可能です。

秋町隧道の先にある巨大廃橋「六厩川橋」は、

多くの同業者達を魅了しますが、この庄川林道以外の「森茂林道」「六厩林道」も同様に廃道であり、

アクセスが非常に困難な物件であります。

今回は"秋町隧道までは比較的良好"な庄川林道経由での六厩川橋攻略を目指しました。

秘密道具

[26] 秋町隧道と 六厩川橋 1, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20s2.html

秋町隧道と 六厩川橋 1

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある そのダム 東に

廃村になった 部落 森茂がある。 そこから 森茂川沿いに

西へ 行くと 六厩川橋 秋町隧道トンネルがある。

森茂川沿いの土砂崩れの道

1998年 平成10年 10月10日(土 体育の日)

森茂川 南 林道の 土砂崩れの地点から 西へ 歩いて

約3km進んだ 秋町隧道トンネルを 目指した。

今年の 第3回 9月 三重 和歌山ツーリングは 2台無事に スケジュールを

消夏できた。 その2日後 9月17日(火)あたりから 天候は 曇りの日が

20日ぐらい 続いた。 ほんとうに 毎日毎日 ぐずついて 曇りか 雨ばっか

だった。 10月上旬に なったら こんどは 暑い日ばかり 半袖で過ごす日が

続いた。 10月6日(火)あたりに ようやく朝方 冷え込むように なった。

それまで 掛け布団は 薄い夏用のだったが 9日(土)に ようやく 分厚い

掛け布団に かえた。 ほんとうは 9月26日(土)に 冒険を 予定していたのに。

10月9日(金)仕事を終え 家に着き 玄関のカギを開ける前に 東側に

しまってあった バイクを 押し出した。 エンジンをかけてみる。 かかった。

すぐにエンジンを止める ひと安心。 家ん中に入り 洗濯 夕食 風呂を すませて

録画してあった 秋の踊る大走査線SPを見る。 PM9:20ごろ 電話が鳴った。

出ると いつも上機嫌のD氏からだ 画面見とった? って、 こちらは めずらしく

F2 F3の電源が切ってあった。 んにゃ、 これから M氏の 誕生日会やるから

こんかね? って、 うちはもう パジャマだった。 結局行くと 返事をした。

ちゃっと 着替えて ここ2〜3ヶ月電源が入れてある 携帯を持って スプリンターの

ドランクから 6MのANTをだして 家を出た。 途中 姫を乗せて ファミレスへ

向かう。 着き駐車場へ いんちき止めして 店内へ入る。 レジ前で ローカルらは

空席待ちをしていた。 D、M、E、姫、H、そしてP氏 だが空席待ちを していたのは

P氏ではなかった。 人 間違いだった。 P氏は 来ていない。 計5人。

ようやく 席に着き ピザ 大盛りポテト ケーキ ドリンク注文、 のち 各

[27] 岐阜県荘川村六厩(むまや)の砂金, , http://mineralhunters.web.fc2.com/mumaya.html

六厩金山の金鉱石に関するデータは未見であるが、天生鉱山のものに近かった

と考えられ、高い金の含有率が砂金の源と考えられる。

「日本希元素鉱物」には、『六厩金山群』との記述があり、小さな坑道が数多くあった

らしく、産地に至る途中、六厩川の川岸露頭部分に、旧坑跡を見ることができる。

「鉱物採集ガイドブック」の記述では、「桐ヶ谷洞谷」は基盤岩が露出していて砂金

採集に好適となっているが、2004年の集中豪雨か台風で上流から大きな岩塊や砂礫が

流れてきて厚く堆積し、基盤岩は見られず、砂金採集には不適であった。

そこで、六厩川岸に生えている葦などの植物を引き抜き、根に付いている土砂を

パンニング皿に受け、川の淀みでパンニングした。

旧坑跡 「桐ヶ洞谷」との合流点

砂金産地

4. 産出鉱物

(1)砂金【Placerv Gold:Au】

パンニングすると黄鉄鉱とそれが錆びた「武石」が多量に残り、「日本鉱産誌」の

記述を裏付けている。砂金も一緒に流してしまわないにように、慎重にパンニングすると

最後に黄金色の砂金が残る。

砂金は、一般には薄ぺらい”�ノ状”のものが多いのだが、六厩のものは”紐状””団塊状”

を示し、山金に近い形態をとどめており、原産地に近いことがうかがわれる。

砂金(自然金)

(2)ジルコン【Zircon:ZrSiO4】

金剛(ダイヤモンド)光沢、透明〜褐色〜薄紅色、四角短柱状で両端が錐面の

結晶で産する。結晶は最大でも1mm程度と小さく、最後までパンニング皿に残った

砂を実体顕微鏡で覗きながら先端を唾で濡らした楊枝を使い拾い上げます。

ジルコン

5.おわりに

(1)清冽な六厩川の流れは夏でも冷たく、パンニングする手がかじかむほどです。

「日本希元素鉱物」には、希元素鉱物産地として「白川郷」が記述されており

ジルコンなどの希元素鉱物が他の産地に比べ多く、モリブデン鉱などに伴って

放射能鉱物の存在が考えられるようです。

(2)飛騨國・白川の領主・内ヶ嶋氏理は初代為氏から数えて3代目の帰雲(くもがえり)

城主であった。氏理の代になって、飛騨國も戦国の動乱に巻き込まれ、天正13年

(1585年)秀吉の北陸・飛騨侵攻に際し、秀吉の敵・富山の佐々成政に加担した。

戦に敗れた後、ただ

[28] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

椿原橋

椿原橋

馬狩橋

馬狩橋

内ヶ戸歩危

内ヶ戸歩危

新内ヶ戸トンネル

新内ヶ戸トンネル

履歴

[48] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529039033

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