清水トンネル

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[1] 国道418号清水トンネル

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[2] 新清水トンネル貫通 « ミナミシンシュウ.jp, , http://minamishinshu.jp/news/society/%E6%96%B0%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E8%B2%AB%E9%80%9A.html

天龍村と飯田市南信濃を結ぶ国道418号の「新清水トンネル」の掘削作業が終了し、20日にトンネル内で貫通式が開かれた。トンネルの竣工は来年3月を、供用開始はトンネルと直結する「新清水橋」が完成後の2012年度を予定している。

施工業者の吉川建設(吉川光國社長)が主催。工事発注者の県飯田建設事務所と下伊那南部建設事務所、両市村、協力会社の関係者や地元住民などを含めて約90人が出席した。

新清水トンネルは延長326・0メートル、幅員7・5メートル(うち車道6・5メートル)。施工中の「新清水橋」と結び、遠山川に沿った狭あいな現道に代わる役割を担う。

トンネル部は09年度の国補正道路改良工事として、総工費約6億円で県が発注し、昨年12月14日に着工。ことし3月19日から、掘削作業が進められてきた。今後に舗装工事などを行い、竣工は来年3月7日を予定している。

一連の工事は1997年に着工し、約60億円をかけて総延長約1・8キロを整備する「十方峡バイパス」事業の一環。「藁野トンネル」などを含むバイパスの全線開通は2013年度中を見込んでいる。

貫通式は掘削終点となる同村側のトンネル内で開かれた。貫通発破の合図で幕が除かれると、坑口内に光が差し込み、夏の青空や同村の山々が出現。貫通点を清めてから、出席者全員による通り抜け、樽酒の鏡開きなどで貫通を祝った。

飯田建設事務所の三井宏人所長は「バイパスは国道間や三遠南信道を結び、地域住民の生活を守る重要路線。県としても早期開通に向けて引き続き努力したい」とあいさつ。吉川建設の安野正和常務は工程通りの貫通を伝えた上で「引き続き無事故に努め、立派な品質のトンネルに仕上げたい」と力を込めた。

天龍村の大平巖村長は「地元住民にとって、トンネルの貫通は積年の願い。文化や経済の導きの道になってほしい」と話し、国道418号のさらなる改良促進を期待。飯田市の菅沼良収建設部長は先月の遠山谷の豪雨災害を振り返り「この道は命をつなぐ重要な道路。1日も早い整備促進に向け、国などへ要請活動を展開したい」と話した。

[3] 南信濃と天龍村を結ぶ新清水トンネルの工事安全祈願祭開く « ミナミシンシュウ.jp, , http://minamishinshu.jp/news/local/%E5%8D%97%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%A8%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E6%9D%91%E3%82%92%E7%B5%90%E3%81%B6%E6%96%B0%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%B7%A5%E4%BA%8B%E5%AE%89%E5%85%A8.html

飯田市南信濃と天龍村を結ぶ国道418号線の新清水トンネルの工事安全祈願祭が19日、現地であった。関係者ら約70人が出席し、無事故・無災害を誓って着工。トンネルと現道を結ぶ橋梁の整備を順次進め、2013年の供用開始を目指す。

新清水トンネルは、延長326・0メートル、全幅員7・5メートル。計画中の新清水橋と直結させ、遠山川に沿ってカーブを重ねる狭あいな現道に変わり、両市村間を結ぶ。

トンネル部は、09年度国補正道路改良工事として、総工費約6億円で県が発注。来年3月の完成を目指し、土圧を利用するNATM工法で掘削する。

式典では神事を執り行い、無事故を祈願した。

飯田建事所の城之内高志所長は「南部地域と三遠南信自動車道を結ぶ大切な道路。地域の方々が安心して通行できるトンネルにしたい」とあいさつ。地元代表の大平巖・天龍村長は「地元にとっては命の道で、改良促進は悲願。三遠南信自動車道に直結することで、今後の発展に寄与してくれるものと信じている」と期待を寄せていた。

[4] 国道418号線を走ってみる・その6 (長野県阿南町→天龍村→遠山郷) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/64665ace1443115fe51c85d8c6d9b1e3

きたへふ(Cチーム)のブログ

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【記事作成日:2017/11/13、現地訪問日:2016/10/23】

このエントリでは国道418号線走行記の その5(長野県平谷村→売木村→阿南町) の続きとして、長野県阿南町から天龍村そして飯田市(旧南信濃村)の遠山郷に至る最終区間について記載しています。その他の区間については、下記リンクを参照ください。

・ その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村)

・ その2(旧根尾村樽見→八百津町)

・ その3(八百津町→恵那市)

・ その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村)

・ その5(長野県平谷村→売木村→阿南町)

・ その6(長野県阿南町→天龍村→遠山郷) …このページ

1. 阿南町→天龍村(平岡)まで

この区間の地図 ( google mapのデータ )

2016/9/3の朝より岐阜県の樽見(現本巣市、旧根尾村)より国道418号線単独区間走行の旅を行っていたブログ主ですが、長野県阿南町の道の駅 信州新野千石平まで来たところで日没サスペンデッドとなってしまいました。

道の駅 信州新野千石平 (2016/9/3訪問時)

そして約1ヶ月半後の2016/10/23、ブログ主は横浜の自宅を夜明け前に出発し、中央道+国道151号で飯田市側から南に下って道の駅 信州新野千石平に再びやって来ましたのでありました(9:00頃到着)。そして30分ほど休憩して、国道418号線を巡る旅は再開となります。

01-国道151号線から右に入ります (道の駅は写真の左後ろ側)

道の駅までの道中(特に中央道)では完全防寒装備をしていたにも関わらず寒さに震えていたブログ主ですが、ここから先はふつーの装備で出発します。

道の駅からは一旦来た道(国道151号)を飯田市街地側に200m程戻って、右側に分岐する国道418号線の方に進んで行きます。

02-この先大型車両通行不可

右の方に「この先 おきよめの湯から 大型車両(ホイルベース5m以上) 通り抜け出来ません 」との警告看板が出ています。

03-天竜まで17km、南信濃まで28km

田んぼと町工場の横道のようなところを抜けていきます。南信濃が国道418号の終点なので、あと一息な感じがありま

[5] 道路レポート 国道418号 清水トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r418_shimizu/main.html

「山行が」に、とうとう“あの国道418号”の名前が登場するわけであるが、天の邪鬼でマイナー好きな私である。

酷道ファンに知らぬ人のない“あの区間”を紹介するのは、またいずれの時としよう。

ここで紹介するのは、国道418号の中でも国道への指定以来ずっと地域の生活道路として健気に働き、その功績が認められる形でつい最近に生まれた旧道である。

国道418号は、他の一群の国道と一緒に昭和57年に指定された。

しかしこの「遠山郷」と呼ばれる中部日本の秘境と言われる地域に進み出でたのは、それから11年経った平成5年のことである。

その時以来、国道418号は福井県大野市(起点)と長野県下伊那郡南信濃村(終点)を延々250km近い道路で結ぶ、全線走破にますます骨の折れる国道となったのである。

しかし、指定時期の遅い国道の大半がそうであるように、この国道418号も一連の歴史性を持った道路ではなくて、別々の経緯で生まれてきた道々の機械的連結によって出来ている。

したがって、その末端に近い場所を紹介する今回のレポートにおいて、国道418号という「なんかウキウキする」キーワードに大した意味は無い。

酷道という業界の重鎮であるこの路線への敬意を示す意味で、「山行が」初登場の今回にこうした前置きをしたに過ぎず、重要なのはむしろ「遠山郷」である。

遠山というのは天竜川支流遠山川流域の四方を山に囲まれた地域の呼称であり、行政地名としては昭和35年の遠山村解体以来消えているが、今も人心や風俗…そして主に観光の面から使われている歴史地名である。

そして信濃国の南端という、遠山に通じる辺境的地名である「南信濃村」という名もまた時代遅れとなり、現在は飯田市の一角、大字に南信濃を冠する地域が遠山の中核となっているのである。

【所在地(マピオン)】

国道418号の終点側最末端部である天龍村平岡〜飯田市南信濃和田の区間(約9km)が国道となったのは、既に述べた通り平成5年と最近のことである。

それまでこの区間は(国道予備軍である)主要地方道でさえない一般県道「下和田平岡停車場線」と呼称されており、その名は少し古い道路地図帳で確認する事が出来る。

一般県道から一足飛びで国道昇格を果したこの区間は、確かに遠山郷住2000人余りの人々(もちろん昔はもっと多かった)にとっては、文字通りの“生命線”に他な

[6] 道路レポート 国道418号 清水トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r418_shimizu/main3.html

2013/3/4 10:11 【現在地】

旧旧道へ迂回すれば、この旧清水隧道を通行することなく先へ進めるのだが、それでは後悔するだろう。

次に来たときにも同じように通行できる保証はどこにもない、廃隧道の“一年生”である。

しっかり胸に刻んで往復したいと思う。

まあ、反対側の坑口前に自転車を乗り捨ててきたので、それを回収する目的もあったが。

なお、左の写真は坑口脇の旧旧道入り口である。

既に道に見えなくなりつつある旧旧道だが、一応は「立入禁止」の措置が取られていた。

そのためのバリケード自体が、率先して廃道化していたが…。

これは、なかなか良 い。

ほんの去年の秋まで、この姿のまま現役の国道を貫いていたというのが、まず素晴らしい。

素掘、すぼり、といいながら、実際はコンクリート吹付けのまがい物も目立つ中、これはワンク“ラ”ック即落石という、ワンクリック詐欺もビックリの危険隧道(=青春)で現役を貫いたのであるから、立派である。最後尾を走っていたつもりが、実は先頭だったというくらい立派だ。

しかも国道隧道の矜持であろうか、天井には一つどころか三つも照明が取り付けられていて、しかもそれが何食わぬ顔をした、いつものナトリウム灯なのがおいしい。

素掘の天井に取り付けるのは、いろいろ気を遣ったであろう。

そしてもう一つ、この純粋なる素堀隧道の素晴らしいと思える点は、無理矢理としか思えない幅のである。

これは半ば潜り抜け、西口に背を向けた状態で洞内を撮影したものだが、素掘としては異常なほど扁平な断面をしていることが、ほとんど路面と並行になっている天井からも感じ取れると思う。

この隧道の一番奇妙でかつ凄いところは、前後の道(前は「橋」で後は「崖道」)よりも隧道内の道幅が広い(この逆はよくあるが)ことだと思う。

その理由は分かるのである。

キツいバナナカーブであるために(壁面の矢印反射板が泣かせる)、交通の安全上そうせざるを得なかったのだろう。

大型車(大型のバスも通る)が、このカーブを曲がるには到底1車線幅のままでは無理だし、前後の道が狭いうえに交通量も少なくないので、出会い頭で対向車と遭遇してもある程度離合できるようにしたかったのだろう。

いろいろな地質の素堀隧道を見てきたが、一般に掘りやすいとされる凝灰岩や砂岩質で、この扁平さは自殺行為となる。

これは掘りにく

[7] 国道418号 天龍村の廃道と遠山郷 - 街道迷走独案内, , http://kaidoumeisou.blog.fc2.com/blog-entry-16.html

国道418号。福井県大野市と長野県飯田市を結ぶ全長243.3kmの国道。 国道418号といえば、現役国道にして通行不能という、国土交通省に見放されたような岐阜県八百津の酷道区間があることで有名です。 今回はそこではなく、ほぼ終点に近い長野県飯田市と天龍村境の廃道を訪ねてきました。 場所はこちら 2012年11月に、清水トンネルが開通しました。 そしてその脇には、自動車同士のすれ違いが困難なほどの細い旧道が佇んでいます。 つい最近まで、この道は現役国道として車の往来を見守り続けてきました。 廃道となって半年以上経ちますが、国道標識が設置されたままになっており、廃道のイメージはまだありません。 この辺りは地質的に落石が絶えず、現役時代からいつ通っても小さな石が大量に転がっています。 廃道になったことで初めて歩いて通ったわけですが、 石だけでなく白骨化した動物も落ちていました ((((;゚Д゚))))))) この廃道には廃隧道も含まれています。 1932年竣工の淸水隧道。 素掘りの小さなトンネルで、つい最近までこれも現役だったわけです。 私もいく度となく自動車でここを通過しました。 探せば壁画でも出てきそうな。 さらに、廃橋もあります。 こちらは1958年3月竣工のようです。 国道418号の終点には、秋葉街道和田宿、秘境として知られる遠山郷があり、ここは平成25年の現在でもリアルな昭和の町並みで、のんびりとした空気が流れていました。 しばし小さな子供の頃に戻ったような感覚で、日常を忘れて歩きます。 国道418号はどんどん道路の拡幅やバイパス化が進んでおり、この場所が秘境と呼ばれるのも、あと数年かもしれません。 たまに訪れるだけの余所者が「秘境のままでいてほしい」などと口を挟むことはできません。 狭くすれ違いが困難な道で、ときには土砂災害による町の孤立化なども起きており、地元の人達にとっては生死が関わることもあるわけで、脳天気に「田舎の風情が云々」などとのたまうのはエゴにしかならないと思うのです。 追記 私がブログでこの内容を公開した一か月後に、廃道のプロ平沼義之さんがご自身のサイト「山さ行がねが」で、同じ場所のレポートを公開されています。 とても専門的な内容が盛りだくさん。すごく勉強になります。

[8] 【都市伝説を検証】目白の田中邸から新潟まで3回曲がれば着く...は本当か?, , http://n-knuckles.com/discover/urban_legend/news001465.html

乗り合わせたタクシーの車内。目白付近で運転手は自信ありげに言った。

「角栄邸から新潟の実家まで、3回曲がれば着くんですよ」

まさかと思った。目白から新潟まで300キロ近くあるはずだ。いくら田中角栄が建設行政ににらみがきいたと言っても遠すぎやしないか。かといって彼の言葉を完全に否定する論拠を僕は持ち合わせていなかった。

後日、東京から新潟へ行く用事があったので実走して、確かめることにした。午前7時、レンタカーで角栄邸の前から出発する。死後20年あまり。相続税のため物納されたため、通り沿いに延々と続く塀はもはやない。石造りの塀と鉄門扉がビルと公園の間にかろうじて通りに面している。「田中」と記された表札がなければそこがかつての角栄邸だとは気づくはずがない。

一路西へ。車はすぐに学習院大学、続いて目白駅の前を通る。駅前は二車線で沿線は繁華街になっている。早朝だが通行量は多い。

6キロ走ったところ、豊島区の南長崎一丁目の交差点で右折する。通りは目白通りのままだ。出発から30分ほどで関越道の練馬インターチェンジにさしかかった。目白通りの3車線のうち2車線が高速へつながっていて、そのまま高速に入った。

車は快調に北上していく。谷あいを選んで走行しているからか、緩やかに蛇行するようになった。

関越トンネルに入ったところで、角栄の発言が頭をよぎった。

「三国峠をダイナマイトでふっとばせば越後に雪は降らない。そしてその土を日本海に運べば佐渡と陸繋ぎになる」(初出馬のときの演説)

事実、このトンネルは谷川岳の真下を10キロ以上にわたって貫いている。

そうした発言や後の「日本列島改造論」からわかるように、角栄は自らの選挙区、新潟三区への社会基盤整備に熱心だった。特に昭和30年代後半は公共事業の山ともいえるほどの郷土の大改造を施した。国道17号線の三国トンネルの開通に始まり、上越線の複線化、清水トンネルの完成。

角栄の行動力の原点とも言える裏日本ルサンチマン。それを克服するために霞ヶ関のエリートを手玉に取り、東京への復讐を果たしていったのかも知れない。関越自動車道の完成はその集大成ともいえるのだろう。昭和60年に全線が開通している。

北陸道へ入り、10キロあまりで西山の出口にさしかかった。高速を出ると、目の前には田んぼがあり背後が山になっているいかにも米所といった田舎の風景が広がっていた。

[9] 国道418号線 十方峡バイパス 南進, , http://www.youtube.com/watch?v=58n0W9FBa7Q

一般国道418号下伊那郡天龍村平岡~折立(十方峡バイパス)

距離1,810m、幅6.5m

新十方峡トンネル、藁野大橋、藁野トンネル、新清水橋、新清水トンネル

[10] 国道418号線 十方峡バイパス 北進, , http://www.youtube.com/watch?v=3u2xYt9l23s

一般国道418号下伊那郡天龍村平岡~折立(十方峡バイパス)

距離1,810m、幅6.5m

新十方峡トンネル、藁野大橋、藁野トンネル、新清水橋、新清水トンネル

履歴

[13] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054528545967

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