平成新島トンネル

平成新島トンネル

[1] 東京都道211号若郷新島港線平成新島トンネル

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[2] 道路レポート 東京都道211号若郷新島港線, , http://yamaiga.com/road/tpr211/main6.html

2013/3/31 13:37 【現在地】

石タイル貼りのおかげで、どこか古代の遺跡のように見えなくもない吹上げ洞門。

この洞門の内部は2車線分の車道があるが、その外側にはひさしを設けて歩道を迂回させてある。

その歩道の入口に垂れ下がっているのは、前回登場した電柱に結ばれていた電線であろう。

この道は本村と若郷の唯一の往来路であったのみならず、発電所や電話局を持たない若郷にとってはライフラインでもあったようだ。

それでは、いざ入洞!

極めて対照的な洞外と洞内の路面状況。

洞内はこちらから奥に向かって結構な上り坂になっているにもかかわらず、坑口から20mほど奥まで目の細かい土砂(おそらく火山灰土)が侵入していた。

極めて流動性の強い土石流が、過去に坑口付近を襲った事が見て取れた。

それにしても、長さ100mほどのこの洞門を設置した関係者は、こんな結末を相当悔しく思っているのではないだろうか。

明らかに耐用年数を大量に残したままでの廃止であるばかりか、もし新島近海地震による崩壊地点がこの洞門の上であれば、交通が途絶することも、そのまま(大事を取って)長大トンネルの新道に取って代わられることも、起こらなかった可能性がある。

もっとも、崩壊の規模によっては大崩洞門のように圧壊してしまったかも知れないが…。

洞門のたくさんある“窓”の部分から、外へ出てみる。

そこには見慣れたタイル貼りの歩道があるが、防壁が完全ではないため、いち早くジャングルの侵蝕を受けている。数年もしたら通行困難な状態になりそうだ。

そして私はこの歩道部分に、もう一つ「見慣れたもの」を見つけた。

その「見慣れぶり」は、タイル貼り歩道の比ではなく、これは新島に渡ってくる遙か昔から「見慣れている」ものだ。

それは、東京都道を特徴付ける、青色のキロポストであった。

私が住む日野市にも沢山設置されているものだ。

壁面側に数字が向けられているために、“何キロ”であるかの確認はサボったが、現都道にあるお洒落なコーガ石ガラスのキロポストは、平成12年以降に採用されたものらしい。

おそらく旧道が現役だった時代には、新島でも本土(の都内)と同じキロポストを使っていたのだろう。

歩道が敢えて外部に露出している理由は、これだろう。

この羽伏浦を俯瞰する絶景を、自動車の喧噪と危険から少しだけ離れて堪能して貰いたい

[14] 伊豆諸島 新島町巡り 新島編 | 雑記 | ^迷走局 <電脳神奈川県民は眠らない>, , http://wander-dept.net/article/13_niijima/niijima.html

伊豆諸島 新島町巡り 新島編

10分ほどで連絡船が新島港(前浜港) に到着しました。

無料巡回バス『ふれあいバス』で若郷地域に向かう

連絡船にしきを降りた港の直ぐ先に、市営の無料バスが待っていました。

乗車料は無料で、にしきの到着時間に合わせてあります。

若郷地域に向かう、平成新島トンネルを通過します。

平成16年04月23日に開通した、約2400mのトンネルです。

徒歩・自転車の通行が禁止されているため、車・バイクなどを利用する必要があります。

若郷会館(旧若郷小学校)

平成19年03月に廃校された旧若郷小学校です。今は、「若郷会館」として地域の総合施設として利用されており、管理人さんもいます。

中にはトレーニングルームや、図書館、そして小学校時代の記念品の数々が展示されている部屋がありました。

また芸術イベント等、様々な催しに利用されています。

学校の奥に見える崖は、平成12年に発生した地震によって崩れるような被害が発生したそうです。

中は総合施設ということで、図書館・記念館・トレーニングルームなどが用意されています。

昼食

ファミリーマートダイエイにて、天丼を購入。

若郷港は商業施設が皆無で、食事はこちらでしか調達できません。

他にも、親子丼などを作ってくれるようです。

若郷前浜海岸

若郷前浜海岸を、本町方面に歩きます。途中から消波ブロックの生産施設となっていました。

かなり巨大なもので、これらをつり下げるクレーンや、コンクリート型も相当な大きさでした。

若郷港(渡浮根港港)

海岸を歩くと、港が見えて来ました。道が断絶された際は、この港から本町へ向かう船便があったようです。

この日は誰も居ませんでしたが、魚を上げる施設や多くの船がありました。

若郷渡浮根展望台

若郷渡浮根展望台

淡井浦海岸

展望台から歩いて30分。淡井浦海岸に到着しました。

港の反対側に位置するこの砂浜は風景が素晴らしく、サーファーにも人気があるそうです。

漁船に乗っていた漁夫が白衣を着た人魚に引き込まれたという伝説があるのは別として、この付近は神社の聖域であるため禁漁区に指定されているようです。

新島ロラン局

スケジュール上断念した新島ロラン局を見る事ができました。アンテナは高さ200mもあるのですが、本町方面からだと山に隠れてしまい発見しにくくなっています。

ロランCは海上航行用に作ら

[15] 道路レポート 東京都道211号若郷新島港線, , http://yamaiga.com/road/tpr211/main.html

東京都には、これまで当サイトのレポートでもその一部をご覧頂いてきたとおり、東京という大都会の他に、奥多摩町や檜原村のような山岳地帯が存在する。

そしてさらにもう一つの大きな場面としては… 離島 がある。

具体的には、伊豆諸島や小笠原群島に属する200を越す島や岩礁がこれにあたるが、今日一般人が定住している島は伊豆諸島に9島、小笠原群島に2島があるのみだ。

そしてこれらの有人島も無人島も全て東京都に所属していて、東京諸島という総称も存在する。

東京諸島の広大な地域(海域)の広がりは、東京福岡間に匹敵する1200kmをも越えており、実は東京都こそが日本一の広がりを持った都道府県といえる。

しかしこれら島嶼(島しょ)と呼ばれる東京都のエリア人口は少なく、平成20年当時のデータだが、28,741人と記録されている。

これは東京都民1,279万人の0.22%に過ぎない数字だ。

ともかく、海の上にも東京は尋常でなく広がっている。

平成19年に東京都民の仲間入りを果して以来、そんな漠然とした意識をもってはいた。

だがいかんせん島とは縁遠い秋田暮らしが長かったこともあり、私の中で島は「島である」というだけで、遙か遠い異国のような印象であった。このまま島を知らずに、いつか東京を離れる日が来るのだろうかと、そんな風にも考えていた。なにせ私は今まで探索目的で本州の外へ出たことはなく、離島ではないものの、島の探索レポートとしてはミニレポ1本を数えるのみという体たらく。

自分の足だけでは近付けないという島の物理的障壁は、精神的な隔絶にも繋がっていた。

だが、私が突如島への興味に目覚める出来事があった。

場所は自宅のPCモニタ前である。

時期は…ちょうど1年くらい前だった。

次の地図を見てください。

左の道路地図は、最近の新島(にいじま)を描いている。

新島は上の全体図にも見えるが、伊豆諸島の有人島の中では大島から数えて3番目の島で、東京港からだと150kmほど離れている。本州の最寄りである伊豆半島の静岡県下田市付近からでも40kmほどあるから、東京の離島の中ではまだまだ“近場”とはいえ、離島に違いはないし、ビギナーな私にはこれくらいが相応しいという位置と見える。ちょうど地球が太陽系第3惑星である事とも不思議な符合でしょ?笑

さておき、島にお住まいの方には全く不本意な差別と

[16] 道路レポート 神津島黒根の未成道, , http://yamaiga.com/road/kurone/main2.html

<超・簡単に前回のおさらい>

島の北端にやって来た私は、そこで地図にも描かれているトンネルと遭遇。

入口に簡単なフェンスがあったが、なぜ封鎖しているのかの具体的説明は一切無し。

果たしてこのトンネルの先はどうなっているのか?

もしこの地図通りなのだとしたら、ちょっと面白そうだ…。

2013/4/2 7:37 【現在地】

島唯一の集落から海岸沿いの道路をひた走ること5.6kmで、島の北端に辿りついた。

もし自動車で来たら、ここまでほんの10分弱の道のりであろう。

なるほど、こういう走りやすい道だけを選んで走れば、神津島は大きい島ではないということが理解出来る。

この目の前に聳え立つ、迂回のしようもない柱状節理の岩山が、黒根と呼ばれる北限の岬である。

道は説明なくここで塞がれているが、形としてはまだ続いている。

そして、この先は集落があるのとは反対の東岸を南下していくわけで、“裏神津海岸”などと言ってもいいのかもしれない。

だが、東京からの定期船は必ず島のこの面を目指してやって来る。

つまり、外からの来訪者にとって島の視覚的第一印象を決めるのが、この先の海岸線である。

「 神津島に上陸出来る場所なんてあるのか?

無人島の間違いじゃないのか? 」

昨日の朝、船上の私にそんな穏やかではない第一印象を与えた風景が、目前のトンネルの向こうに待ち受けているはずなのだ…。

…それでは、進んでみよう。

まず、地図には書かれていなかったトンネルの名前が判明した。

大黒根トンネルという。

ここで早速疑問符が付いた。

地名は黒根なのに、トンネルの名前は大黒根である。

つまりこの「大」は地名ではなく、「思い」である可能性が高い。

例を挙げれば、上越線の清水隧道→大清水隧道のようなものではないのだろうか。

このトンネルは神津島で3番目のトンネルであるわけだが、どんな思いを込めて「大」黒根トンネルと名付けたのだろうかということが、まず気になった。

そしてそんな大仰に思われるネーミングに対して、外見は良い意味で洗練されてきたというか、「普通」になっている。

よく分からない年輪調の外見にしたり(錆崎トンネル)、変なところに扁額を取り付けたり(赤崎トンネル)してみたが、いよいよ3度目には熟れてきた感じを受ける。トンネルはこれで良いのだ。

内容に(個人的)注目が集まる

履歴

[17] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054527663092

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