鳥ヶ島

鳥ヶ島

[1] 新島鳥ヶ島

34.3623481547961 139.24230247736

Webページ

[2] 道路レポート 鳥ヶ島の廃道, , http://yamaiga.com/road/torisima/main2.html

これほど登ってきた。

しかしようやく島の中腹である。本来この島には無かっただろう平らな場所が、このすぐ上に設けられている。

それが、島の3分の1周ほどを取り囲む、石垣のある道である。遠目にはっきり見えた道へ、まもなく辿りつく。

島の地表にはこの高さに至るまで、一木一草も生えていない。そもそも、土が全くない事が原因である。

だが、石垣や道がある高さよりも上には、密生した灌木の森がある。道はそうした境界の高さに設けられている。

遂に、憧れの石垣に手をかける位置まで来た私だが、思いがけない発見に、早速驚きの声を上げることになった。

「うぉっ! ナニコレ?!」

石垣に刻み込まれた、膨大な数の文字。文字。文字!

その光景は異様なものであり、例えばピラミッドの壁画のような、異文化の宗教的光景を連想させた。

だが、そこに刻まれている文字の大半が日本語で解することが出来るものである事、そしてほとんどが人名である事に思い至り、一気に肩の力が抜けた。

率直に言って、少し萎えた。ガチの強行上陸、ガチの廃道探索の気分が削がれた(笑)。

でも、そんなのは私の一時の心の動きでしか無く、改めて考えればやはりこれは、この島の特異な歴史一部に違いないことに気付くのである。

確証が得られたわけではないが、これらの筆跡も筆致も異なる膨大な人名(の多く)を刻んだのは、島のワルガキなんかではなくて、島を訪れた観光客であったろうと思うのだ。

例えば、「S48ウエダ」の文字が見える。また「39.11.17」や「1967.8.10」などもある。いずれもタイムスタンプと思われ、それも昭和40年代に集中している。

昭和40年代の新島に何があったか。帰宅後に「新島村史」を調べたところ、昭和42年 観光ブームで民宿が大当たり。来島者は七〜八月で三万5〇〇〇人を超す という記述を見つけた。僅か二ヶ月で島民の何倍もの人が島を練り歩いたことになる。そして、その多くが海を目指したはず。

なお、文字が刻まれているのは全て抗火石の石垣で、それ以外の石垣(奥の谷積みの石垣など)は岩質が異なるらしく全く見られなかった。

“TAKE”が、今にもおっこちゃいそう!!

8:14

案外、広かった。

海辺から唯一の階段で登り着いた場所には、明らかに建物の痕跡があった。

10m×20mほどの広がりのコンクリートの基礎があり、その一

[4] 新島の観光 前浜・間々下海岸 海水浴場 - 新島 | トラベル - [ありの木], , http://www.arinoki.com/travel/niijima/page06.shtml

前浜海岸~間々下海岸を歩く

前浜海岸~間々下海岸は、島の西側に位置する海岸です。前浜には、客船が入港する新島港(前浜港)もあり、新島の玄関口となっています。

本村集落の目の前に位置する前浜海岸。

本村集落の目の前にある前浜は、夏場、海水浴客で賑わいます。

また、前浜から少し南に行ったところには、湯の浜露天温泉があります。こちらは、24時間無料で入浴できます(水着着用)。ただし、コインロッカーとシャワーの利用で各100円必要なのでご注意ください。

古代ギリシャをモチーフにした建物で、式根島の大自然の温泉とは違い、フナムシの心配なく入浴できます。

海岸の岩場に造られた無料の露天温泉。

前浜港に行ってみると、さるびあ丸が停泊していました。さるびあ丸は、約5,000トンの貨客船で、新島・神津島航路のほか、八丈島航路にも就航しています。

前浜港にさるびあ丸が停泊していた。

前浜港の旅客ターミナル。

鳥ヶ島

間々下海岸の目の前にそびえる島は、鳥ヶ島と呼ばれ、かつて、向かいの石山のコーガ石を運び出すためのロープウェイの基地があったそうです。

階段があるので登ってみました。

かつて索道施設があった鳥ヶ島。

鳥ヶ島は、意外と標高があり、下を眺めてみると、身震いするほどの落差です。

周囲を見回してみると、確かに、石垣やコンクリートの遺構があり、何らかの施設があったことが想像できます。

石垣や建物の基礎が遺る。

間々下海岸から眺める夕日は絶景。

間々下海岸から見る夕日は絶景でした。夕日を背景にして見る地内島もなかなか美しいです。

[5] 伊豆諸島 新島町巡り 新島編 | 雑記 | ^迷走局 <電脳神奈川県民は眠らない>, , http://wander-dept.net/article/13_niijima/niijima.html

伊豆諸島 新島町巡り 新島編

10分ほどで連絡船が新島港(前浜港) に到着しました。

無料巡回バス『ふれあいバス』で若郷地域に向かう

連絡船にしきを降りた港の直ぐ先に、市営の無料バスが待っていました。

乗車料は無料で、にしきの到着時間に合わせてあります。

若郷地域に向かう、平成新島トンネルを通過します。

平成16年04月23日に開通した、約2400mのトンネルです。

徒歩・自転車の通行が禁止されているため、車・バイクなどを利用する必要があります。

若郷会館(旧若郷小学校)

平成19年03月に廃校された旧若郷小学校です。今は、「若郷会館」として地域の総合施設として利用されており、管理人さんもいます。

中にはトレーニングルームや、図書館、そして小学校時代の記念品の数々が展示されている部屋がありました。

また芸術イベント等、様々な催しに利用されています。

学校の奥に見える崖は、平成12年に発生した地震によって崩れるような被害が発生したそうです。

中は総合施設ということで、図書館・記念館・トレーニングルームなどが用意されています。

昼食

ファミリーマートダイエイにて、天丼を購入。

若郷港は商業施設が皆無で、食事はこちらでしか調達できません。

他にも、親子丼などを作ってくれるようです。

若郷前浜海岸

若郷前浜海岸を、本町方面に歩きます。途中から消波ブロックの生産施設となっていました。

かなり巨大なもので、これらをつり下げるクレーンや、コンクリート型も相当な大きさでした。

若郷港(渡浮根港港)

海岸を歩くと、港が見えて来ました。道が断絶された際は、この港から本町へ向かう船便があったようです。

この日は誰も居ませんでしたが、魚を上げる施設や多くの船がありました。

若郷渡浮根展望台

若郷渡浮根展望台

淡井浦海岸

展望台から歩いて30分。淡井浦海岸に到着しました。

港の反対側に位置するこの砂浜は風景が素晴らしく、サーファーにも人気があるそうです。

漁船に乗っていた漁夫が白衣を着た人魚に引き込まれたという伝説があるのは別として、この付近は神社の聖域であるため禁漁区に指定されているようです。

新島ロラン局

スケジュール上断念した新島ロラン局を見る事ができました。アンテナは高さ200mもあるのですが、本町方面からだと山に隠れてしまい発見しにくくなっています。

ロランCは海上航行用に作ら

[6] (伊豆新島風景)温泉より鳥ヶ島を眺む, , http://www.tobunken-archives.jp/DigitalArchives/record/4658A460-FDCA-8B58-65E8-C5CCABC141B6.html?lang=ja

版:

原画

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원화

サイズ

:

91

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×

140

mm

色彩

:

モノクロ

monochrome

흑백

画像種類

:

写真

photographs

사진

文字情報

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備考

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[7] 新島, , http://homepage2.nifty.com/lj37/page080.html

東京の島巡りシリーズ第三弾は伊豆諸島新島村に属する当然新島です。

式根島の回で若干触れていますが、東京の島々の中でも大島、八丈島に次ぐ第三の人口を有する島ですが、その名のとおり地形的には新しい、文字通りの「新島」なのです。

それゆえ、地形的にも他の島とは違った名所があり、新島ならではのところが多くあります。

新島へのアクセスもやはり東海汽船の大型客船が基本で(10時間40分)、それ以外の航路として、同じ東海汽船の超高速ジェット船(2時間35分)、下田から神津島−式根島−新島−利島を渡る神新汽船の「あぜりあ丸」(4時間)などがあります。

新島には空港があって、調布飛行場から新中央航空が1日4往復が就航しており、主力路線となっています。

新島線に就航しているのは、「Fairchild Dornier」社製の「Do228-212」(通称ドルニエ)です。

大島や神津島にも就航している「アイランダー」と同じプロペラ双発機で航続距離はあまり変わりませんが、乗客数も巡航速度も倍程あります。

ドルニエの特徴は、写真でわかるとおり機内空間を最大限に生かした四角い機体ですが、そのせいで客室の与圧ができず、高高度を飛べないのが難点です。

また主翼は先端を斜めに切り落としたような「TNT翼」と呼ばれるもので、そのシンボルマークである、「トビウオ」によく似た翼形状です。

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054527662788

メモ