鷹の巣トンネル

鷹の巣トンネル

[1] 新潟県道45号佐渡一周線鷹の巣トンネル, 北狄隧道

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[2] 隧道レポート 新潟県道45号佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道, , http://yamaiga.com/tunnel/kitaebisu/main.html

佐渡島の南岸にある廃隧道を紹介したばかりだが(←隧道レポ「野崎トンネル旧道」)、今日は佐渡シリーズの“第二弾”として、北岸の外海府海岸にある廃隧道をまた1本紹介しようと思う。

外海府海岸の広がりは相川から鷲崎まで約50kmに及び、この海岸線に沿って県道佐渡一周線が通じている。

この海岸線は、海の風景には事欠かない佐渡島の中でも、雄大な海蝕海岸が見せる奇景・絶景に関しては、他の追随を許さない。

当然、佐渡観光の重要な舞台ともなっているが、長らく陸路の発達に恵まれなかったため、観光客がその全貌を把握しうるようになったのは、昭和も終わりの頃である。

また、海岸沿いには多くの集落が点在するが、かつて佐渡県庁や佐渡郡役場が置かれたこともある相川だけが別格の都会で、他は全て漁村や農村という表現が相応しい小村である。

しかも相川から離れるほどに集落出現の頻度が減っていく。

今回紹介する鷹の巣トンネル(と旧道)がある場所は、この外海府海岸の中ではだいぶ相川寄りの位置(相川の中心部から約9km)で、県道佐渡一周線を相川からスタートした場合、最初に出会うトンネルである。

つまり外海府海岸にある隧道群の中では最も南に位置している。

上記の説明からして私がこの隧道を“外海府海岸隧道群の初級編”に位置付けようとしている意図が感じられるかも知れないが、それは確かに間違っていない。

だが、現実の探索の順序は全く逆であったことも書いておきたい。

私は平成25年5月末に行った佐渡島2泊3日探索の2日目に、外海府海岸を岩谷口から相川近くまで自転車を漕いでいる。

だから私にとってこの隧道は、ほぼ一日中見続けてきた外海府海岸の奇景と絶景を締めくくるという、“初級編”とは真逆のポストにあった。

結果、

私の外海府海岸の印象、全く思いがけない意外な“形(カタチ)”で締めくくられることに…。

2013/5/28 14:20 【位置図(マピオン)】

私が今回の佐渡島一周探索計画(実際は寄り道しすぎて3日間の行程では一周出来なかったが…)を実行するにあたっては、事前準備として旧版地形図と『道路トンネル大鑑』の突き合わせを行い、『大鑑』に記載されている佐渡島内のトンネル24本全ての現状を確認することを目標に据えていた。

そして現在、2日目の行程である外海府海岸における残トンネルは、以下の1本。

[3] 新潟県道45号 佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道 北狄隧道 1, , http://d-road.sytes.net/r.php/road/ni45_kitaebisu/1

新潟県道45号 佐渡一周線はその名の通り、佐渡西部は真野湾から時計回りに海岸線を一周する路線である。

ただし、今のところ終点は島の南西部に設定されており、厳密に始点と終点が一致して「一周」しているわけではない。

そのため、終点は県道としては行き止まりになってしまうのだが、どうやら自動車でも海岸伝いに一周することは可能である。

終点から始点までの残りの区間については、道路が十分な整備を受けていないということで指定を受けていないらしい。

いまだ未通区間を残すものの、それでも主要地方道としては日本一の距離を誇り、延長は170km近い。

この先の未通区間が解消されれば、さらに数十km伸びるだろう。

今でこそ「佐渡一周線」という誇らしい名称が与えられているが、もちろんこれは当初から一周することを目指していたわけではない。

もともとは海沿いに点在する集落をつなぐ海岸の県道だったのが、最近になってひとくくりにされたのである。

元となったそれらの海岸の県道も、各所によってさまざまな変遷があるため、今回のレポートは要所要所を分けることにした。

今回紹介する北狄(きたえびす)隧道も、かつては「両津外海府佐和田線」とか、「両津鷲崎佐和田線」とかいった、

いわゆる佐渡北西部の海岸を進む路線に属していた。

佐渡島北西部は「大佐渡山地」と呼ばれるように山がちであり、おまけに日本海の季節風と波浪をまともに受けるために、海岸線には断崖絶壁が連続する。

そういう地形では、隧道無しでは海沿いの陸上交通はありえないわけだが、実際に交通に耐えるような隧道が築かれたのは大正や昭和中期になってからである。

というのも、当時の佐渡は舟運が大変に盛んであったため、時化のときは出られないといえども、手間のかかる道路開削工事よりも、

手軽にこさえることができた船に頼っていたからだ。

そのため、中には陸続きでありながら初めて自動車が通ったのが昭和40年代、なんていう集落もある。

まさに、「離島の又離島」という極限条件であった。

北狄隧道は佐渡金山の御膝元として栄えていた相川町の北方にある。

相川から北はそれこそ親不知もかくやという断崖の続く海岸で、陸の上を行こうとなれば、海岸段丘を登り詰め、

さらに山沿いの細道を行かなければならなかった。

明治の初頭、当時まだ金山も盛んであった島の重要

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