左図の如く、全長298mの中で5回も断面が変化するという、面白い特徴を持った沢井隧道。
なぜこのような姿になったのかを、前回の現地探索の結果を踏まえて、今度は机上より明らかにしていきたい。
まず、現地探索から明らかになったことは、北口に隣接する「断面5」(モジュラーチ)の部分10mは、平成9年に誕生したと言うことだ。
それ以前は、ただの明かり区間だったかもしれない。
それと南口に隣接する「断面1」の部分約50mについても、昭和44年の中央自動車道開通時に改築され、今の姿になったと見て間違い無いだろう。
ちなみに、昭和44年開通当時の中央自動車道(八王子〜河口湖間)は暫定2車線供用で、八王子〜大月JCT間は現在の上り線部分だけを使っていたらしいが、最初から用地は4車線を確保していたとのことである。
「断面1」の区間内に上り線と下り線の継ぎ目が見あたらないので、この断面区間は一挙に建設されたと考えて良さそうだ。
図らずも両側坑口が改修されているために、隧道の顔とも言える坑門の初期の姿を見る事が出来なくなってしまったのは残念だ。当時の写真でもあればよいのだが、未発見である。
残る断面2〜4の区間についてだが、前回紹介した「平成16年度道路施設現況調査」には、次のようなデータが記録されていた。
沢井隧道 (一般県道棡原藤野線)
竣工:昭和37年 全長:298m 幅員:4.7m 高さ:4.7m
したがって、これらの断面区間は、昭和37年に開通したものと考えて良いのであろうか。
今度はこのことを考えてみよう。