青崩峠

青崩峠

[1] 国道152号青崩峠 (あおくずれとうげ)

35.2539166666667 137.911055555556

Webページ

[2] 青崩峠 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B4%A9%E5%B3%A0

青崩峠(あおくずれとうげ)は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1,082mの峠である。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての塩の道)を歩いて峠にたどり着くことができる。武田信玄による1572年の徳川領侵攻において、軍兵の一部が通過したことで知られている。 国道152号の点線国道区間で未通区域となっている。1987年より三遠南信自動車道の一部としても位置づけられたが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路(青崩峠道路)を通すことが出来ず、2013年現在も未だ開通のめどが立っていない、最大の難所とされる。青崩峠の迂回のために兵越峠直下を通過するルートが選択され、草木トンネルが建設されたが、兵越峠の地盤が脆弱なことが判明し、結局地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルートに変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。

[3] 青崩峠 後編 <峠と旅>, , http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge2/aokuzure2/aokuzure2.htm

青崩峠 (撮影 2000.

5. 4)

峠越しに長野県側を望む

長野県側には写真中央から始まる狭い坂をまず下って行く

その先には中央構造線によって形作られた直線的な谷が北へ真っ直ぐ伸びていた

長野県南信濃村の国道152号を青崩峠に向かって南下してくると、ひとつのきついヘアピンカーブを左に曲がる。その先道は東面の山をクネクネ登って行ってしまい、青崩峠には行き着かない。地図によると、ここから国道ではなくなっている。ヒョー越(兵越峠)を通って静岡県へ越えるヒョー林道ということになる。

漫然と走っているとそんな事とはつゆと気付かない。しかしよく見るとヘアピンの途中から小さな橋を渡って南へ分岐している狭い道がある。実はこれが本線である国道の続きなのである。この付近では国道といっても、1.5車線くらいしかない道路だ。それが更に狭くなって分岐しているのだ。

1991年の4月にオートバイで静岡県側よりヒョー越を越えてやって来たことがある。行き止まり国道というのがまだ珍しく思えていた頃だ。ヘアピンから細々分岐する道を眺めて、これがその行き止まり国道かと写真を撮った。何でも青崩とかいう恐ろしそうな名前の峠の手前で、行き止まりになるらしい。道がなくなるところ、しかも国道が途切れるところなんて、とても想像できなかった。入り込もうかとも思ったが、見れば如何にも怖そうな道だし、時間もないので諦めることにした。

オートバイと違い、車なら鉄の鎧を着ているので怖くはない。まあ、それ程気にしている訳ではないが、やはり車の方が安心していられる。青崩峠の行き止まり国道に入ったのは、ジムニーを購入してからとなった。

分岐で写真を撮っていると、一台のワゴン車が止まった。行き止まり国道に向いた私のジムニーを見て、気にして止まったようだ。道を確認しているらしい。しかし直ぐにヒョー越へ向けて走り去っていった。

大抵の人にとっては道は通過するものであり、行き止まりになる道などには用がないのが普通である。単に行き止まりまでの往復をして何が楽しいのか、である。

しかし、私は非常に楽しい。しかもその先に峠があるとなっては、行かずにはおられない。どこの有名観光地にも引けを取らない価値があるのである。この「峠と旅」をご覧の方は、多分そういう変わり者である。行き止まりがどうなっているか、行って自分の目で見たくてしょうがないのだ。

[4] 青崩峠 前編 <峠と旅>, , http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge2/aokuzure/aokuzure.htm

青崩峠 (撮影 2000.

5. 4)

写真の左側が静岡県水窪町、右側が長野県南信濃町

右上に続く階段は熊伏山への登山道(頂上へ約2時間)

怖そうな名前の峠だが、きれいに整備されていた

さあ、お待ちかねの青崩峠の登場である(誰も待ってないって)。日本の峠を語る時、この峠を抜きにしては考えられないとまで言われた名高い峠である(誰もそんなこと言ってないって)。

青崩峠は信州(現代人に分かり易く言うと長野県)と遠州(同じく静岡県)の国境(県境)にあり、秋葉街道または塩の道とも呼ばれた信州街道にあって、最大の難所となったところであった。歴史が深く刻まれた峠道である。

といっても、歴史に疎い私には、そんなことは全く関心ないのだ。ただ地図を見ると、県境のところだけ国道が通じていない。そしてそこに書かれた「青崩峠」の文字。崩落が激しく、車道を築くこともできないほど険しい峠なのだろうか。「青く崩れる」とはどういうことか。何だかおどろおどろしいイメージが頭の中に広がっていった。

歩いて越える山道は通じているだろうが、それとて険しいガレ場で、ロッククライミングよろしく、岩を両手で掴みながらよじ登るのかもしれない。一歩間違えれば谷底にまっ逆さまで、ついでにクマも出没するんじゃないか。これは迂闊には近付けない峠だと、かってに思い込んでいた。知らないとは恐ろしい。

車道が通じていないので、車で行けるところまで行って、後は峠まで歩いて往復するしかない。体力がないことだけには自信がある私ではあるが、怖いもの見たさで青崩峠を訪れることにしたのであった。

これまで「峠と旅」では車やオートバイで越えられる車道の峠だけ掲載してきたが、青崩峠だけは特別扱いである。今回はその前編として、静岡県側から車道の終点までの旅である。後編は長野県側から歩いて峠まで行く。

青崩峠の近辺は10年近く前からオートバイや車でよく訪れていた地域だ。青崩峠が通行を阻んでいる国道152号は、他にも長野県の上(かみ)村と大鹿(おおしか)村の境の地蔵峠で、やはり未開通となっている。峠の数も多い、なかなか楽しい国道なのだ。

気が向いた時には、未開通区間の行止りの終点まで行ってみたりもする。右の写真は青崩峠の南側、静岡県水窪町の国道終点である。おりしも新道建設中で、それより先には進めなかった。後に分かったことだが、新道はこの先で草木トンネ

[5] 国道152号線の未開通区間を歩いた - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/140530164258_3.htm

とまぁ、このように国道152号線は青崩峠の手前で行き止まりとなっているのだが、先ほど車両通行止めとなっていた広場の辺りから、青崩峠を越える古道が伸びている。

その道を歩いて行けば、北側の152号線に出られるという寸法だ。

[8] 国道152号未開通(不通)区間 青崩峠 第三回, , http://pcitorn-nitikaku.sakura.ne.jp/aokuzure3.html

国道152号はを結ぶ長野県上田市と、静岡県浜松市を結ぶ国道であるが、険しい山岳地帯を縦断するルートをとっており途中、2ヶ所、地蔵峠と青崩峠の未開通区間が存在する。

今回は長野〜静岡県境に位置する青崩峠を訪れるつもりである。

標高1082mの青崩峠は、長野県側からであれば兵越林道、草木トンネルの迂回ルートへの分岐を過ぎたのち、車道終点から登山道を経て到達できるという。

車利用であれば、峠まで到達できても当然戻ってこなくてはならないのだが、そこは自転車の利を生かし静岡県側への通り抜けを目指したい。…と企んだのだが、2010年1月の挑戦では、時間の無さと気候の厳しさに敗退し、車道終点までもたどり着けなかった。

今回は静岡県側から青崩峠に挑む。

[12] 国道152号線を行く・その3, , http://www.org-chem.org/drive/R152/R152-3.html

というわけでR152第3弾。今回で終わる予定だったのだが、あまりに長くなってしまったので今回は青崩峠周辺だけで終わり。

上村を過ぎ、ついに長野県最後の南信濃村に進入する。ここもまあ思わず感心してしまうくらいの田舎だ。だがわずかに市街地らしきものも存在し、久々に国道もここから分岐していく。このR418も廃道寸前の断絶区間を抱えた強烈なボロ国道なのであるが、南信濃村近辺に関してはR152よりこっちの方がはるかに立派だ。おいおい、R418にすら負けてんのかよ。

小さな商店街を抜ける前に、この後に控える青崩越えに備えて給油をしておくが、レギュラーで¥114/・の値段に思わずのけぞる。まあここらだとガソリンを運んでくるのも一大事であろうからして、高値もやむを得ないところであろう。スタンドのおじさんの心を込めた窓の拭き方と、人なつこい満面の笑顔が実に印象的であった。

というわけでいよいよ最後の峠、青崩に向かう。ここも断絶区間となっていて道はつながっておらず、間を兵越(ひょうごえ、ヒョー越とも書く)林道という道が結んでいる。林道といいつつ、これもR152部分よりずっとましな道であったりするのはご愛敬というものである。

R152と兵越林道が分岐したちょっと先、通行不能区間に入るところに民宿の看板が立っていて驚く。こんなとてつもなく何もないところに泊まりに来る人というのはどんな人なんだろうと考え、とてつもなく何もかもを忘れ去りたいような人なのかな、と適当な結論を出しておく。いつか筆者もこういうところを訪れたくなる日が来るのかもしれないが、今のところその予定はない。

というわけで、林道のくねくね道をえっちらおっちらと駆け上がる。要するに青崩峠に道が作れなかったため、一つ隣の尾根、兵越峠へ迂回していくのがこの道なわけである。青崩の断絶区間は地図で見るとそんなに長くはなく、ちょっとトンネルを掘ればすぐつなげそうに見えるのだが、実際にはそんなに甘くはないらしい。パート2で書いた通りR152は不安定な大断層に沿っているため、地面を掘るたびにすぐ岩盤が崩れてきて工事にならなかったのだという。青崩峠という名も青っぽい石が常にぱらぱらと崩れてくることに由来しているそうで、言われてみれば確かに非常に落石が多い。青函トンネルを掘り抜いた日本の技術も、自然の脅威には勝てなかったわけである。

といっているう

[13] 隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道), , http://yamaiga.com/tunnel/kusagi/main.html

草木(くさぎ)トンネルとは、おそらく日本中でここにしかない、

高速道路から一般道路へと転落したトンネルである。

レポートのタイトルにある「三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)」は、その名の通り、三(三河)・遠(遠江)・南信(南信濃)の各地方を結ぶ、我が国の高速道路のひとつである。

今回紹介する草木トンネルとその前後の道は、この三遠南信自動車道の旧道である。

高速道路の旧道といえば、【道路レポート:中央自動車道旧道】もそうだったが、それと大きく異なっているのは、こちらには現道が今のところ存在しないという点だ。

にもかかわらず旧道があることを不思議に思われるかも知れないが、草木トンネルとその前後の道は三遠南信自動車道として建設されたが、その後の計画の変更によって、一般道路に格下げされたのである。

そして、新たな「三遠南信自動車道」はと言えば、まだ完成していない。

現道はないが、旧道だけが存在している。一般道路として。

しかもそこはちゃんと、誰でも一目見れば、「普通じゃない」と分かる姿になっている。

計画の変更から時間が経つにつれ、カムフラージュは進んでいるが、まだまだ完全に臭いは消えていない。

今回は、序。

どこにそんな道があるのかという話しから、はじめる。

2011/3/3 【地図は後ほど】

今回の旅は、しばらく車で行く。

写真の交差点は、静岡県浜松市の北部に位置する天竜区水窪町奥領家(てんりゅうくみさくぼちょうおくりょうけ)の国道152号上にある。

少し前(平成17年)までは水窪町という独立した行政の役場所在地だったところであり、今も景色自体は当時からほとんど変わっていないと思う。

そして、国道152号といえば、“酷道”の世界ではとみに有名な道だが、この道を南(終点:浜松市)から北(起点:長野県上田市)へ向けてひたすら走っていくと、この水窪町から次の長野県飯田市南信濃(平成17年までは南信濃村)にかけてが最初の酷道区間…自動車交通不能区間となっている。

峠の名で言った方が通りが良いかもしれない。青崩(あおくずれ)峠である。

← 地図で見る現在地はここ。

国道152号を浜松から出発すると、旧天竜市二俣、旧龍山村瀬尻、旧佐久間町大井などを経て、旧水窪町奥領家にやってくる。(これらは全て現在の浜松市内)

ここまでの距離はおおよそ60km

[19] 道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間, , http://yamaiga.com/road/r256_kami/main5.html

この机上調査で解明したい、国道256号の “地形図に描かれていない区間” に関する最大の「謎」は、

並行する県道があるのに、廃道状態の国道が放置されているのはなぜか?

道路界広しといえども、なかなか見られない不自然な現状に対して、納得出来る理由を見出そうというのが、この机上調査の最終目的である。

道路に関する謎を解き明かすセオリーは、来歴を調べることだ。

道の現状を見ただけでは分からないことは多い。現に私も現地探索だけでは上記の謎の答えを導き出せなかった。

まずは、今回探索した道がどのような経緯で誕生したのかという来歴を探ることから始めよう。

なお、今回私が探索したのは、伊那山脈を越えて伊那谷と遠山谷という2つの生活圏を結ぶ歴史的な峠道である 小川路峠 の一部だ。

本稿では小川路峠や秋葉街道についての一般的解説はほぼ省略したが、 小川路峠は近世に秋葉街道として大いに発展し、近代以降も引き続き地方交通の主流となるべく改良を目論まれたものの、車道化が難しい険阻な地形に邪魔されて思うようにならなかった“苦闘の峠道”である ――というくらいの大まかな認識で大丈夫なように書いたつもりだ。

第1章: 旧版地形図には描かれていた “地形図に描かれていない国道”

�@ 地理院地図(現在)

�A 昭和26(1951)年

�B 明治44(1911)年

まずはいつものように、旧版地形図のチェックから。

ここに掲載した地理院地図、昭和26(1951)年版、明治44(1911)年版からなる3世代の地形図を見比べてみると、 “地形図に描かれていない国道”の正体は、明治以前から存在していた古道だったことがはっきり分かる。

明治と昭和のどちらの地形図でも、道は「府縣道」であることを示す太い二重線で描かれており、かつ「荷車が通れない=車道ではない」ことを示す片破線になっている。また、途中の2kmごとに水準点の記号が描かれており、険しい山道でありながら幹線道路として重視されていたことが伺える。

もっともこれについては、現地探索中に石垣や道形を前にさんざん「古道」とか「近代車道」と言っているので、予想通りである。

どう見てもあれは近年の国道指定時に急ごしらえで作られた道ではなく、古くからあった道だった。この国道に限らず、当サイトがこれまで紹介してきた多くの不通国道や不通県道が古道を路線に指定

[20] 国道152号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93152%E5%8F%B7

概要[編集]

杖突街道および秋葉街道を踏襲している。路線上の2箇所に不通区間(下記参照)があるほか、山岳地帯では幅員の狭い区間が多く、ホイールベース5m超の大型車では本道を用いた長野県と静岡県の往来は不可能である。このため、静岡・長野県境の山岳地帯では、本道に併走する形で三遠南信自動車道の整備が進められている。

路線データ[編集]

一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および経過地は次のとおり。

起点 : 上田市(大屋交差点=国道18号・長野県道176号下原大屋停車場線交点)

終点 : 浜松市(東区、北島交差点=国道1号交点、静岡県道65号浜松環状線終点)

重要な経過地:長野県小県郡丸子町[注釈 2]、同郡長門町[注釈 3]、茅野市、同県上伊那郡高遠町[注釈 4]、同県下伊那郡上村[注釈 5]、同郡南信濃村[注釈 5]、静岡県磐田郡水窪町[注釈 6]、同郡佐久間町[注釈 6]、天竜市[注釈 6]、浜北市[注釈 7]

路線延長:259.6 km(実延長251.5 km、現道240.4 km)[2][注釈 8]

長野県区間:172.5 km(実延長168.0 km、現道161.5 km)

静岡県区間:0.1 km(実延長0.1 km、現道なし)

浜松市区間:87.1 km(実延長83.4 km、現道78.8 km)

指定区間:なし[3]

歴史[編集]

道路法(昭和27年法律第180号)に基づく二級国道として初回指定された路線のひとつである。国道指定当初は、長野県飯田市から愛知県北設楽郡三輪村[注釈 9]まで二級国道151号と重複し、同村からは現在の愛知県道9号天竜東栄線および静岡県道9号天竜東栄線を経て静岡県磐田郡二俣町[注釈 10]の鹿島橋交差点に至り、同交差点からはバイパス化を除けば現在と同等の経路によって終点の浜松市に至る路線として指定された。1969年(昭和44年)公布の政令により、翌1970年(昭和45年)4月1日に経路が変更されて、飯田市から長野県下伊那郡上村[注釈 5]を経由し、同村からは青崩峠を経由して終点の浜松市に至る路線となった[4]。1975年(昭和50年)に施行された国道256号の経路変更に伴って飯田市から上村にかけてが同国道と重複区間となり[5]、1993年(平成5年)に起点から一部区間(飯田市 - 長野県下伊那郡上村)を

[21] 三遠南信自動車道 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%A0%E5%8D%97%E4%BF%A1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93

三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)は、長野県飯田市の中央自動車道・飯田山本インターチェンジ (IC) から愛知県を経由して静岡県浜松市北区の新東名高速道路・浜松いなさジャンクション (JCT) に至る、総延長約100kmの高規格幹線道路である。

国道474号の自動車専用道路(国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路))に指定されている。

概要[編集]

中央構造線や赤石山脈(南アルプス)を中心とした険しい山岳地帯を通る。特に静岡県浜松市天竜区水窪町と長野県飯田市南信濃の県境を結ぶ青崩峠は、地盤が脆弱でありながら地下水位が高く出水しやすいため、青崩トンネルの掘削は三遠南信道全体の工事の中でも最難関とされている。

国道474号[編集]

一般国道の路線を指定する政令および一般国道の指定区間を指定する政令に基づく国道474号の概要は以下の通り。

起点 : 長野県飯田市山本3643番1号(飯田山本IC)

終点 : 静岡県浜松市北区引佐町東黒田字桑田263番3(浜松いなさJCT)

重要な経過地 : 長野県下伊那郡上村(現飯田市)、静岡県磐田郡水窪町佐久間町(現浜松市)、愛知県北設楽郡東栄町、同県南設楽郡鳳来町(現新城市)

指定区間 : 長野県飯田市山本3762番2-長野県飯田市上村138番14、静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家5564番1-同区水窪町奥領家5012番、同区佐久間町川合787番2-同市北区引佐町東黒田字桑田263番3[1]

通過市町村[編集]

一般国道の路線を指定する政令はいわゆる平成の大合併以前の市町村名で記述されており、合併にあわせた改正などは行われていない。合併により上村は飯田市の一部に、水窪町および佐久間町は浜松市天竜区の一部に、鳳来町は新城市の一部に、引佐町は浜松市北区の一部になっているため、現在の市町村名による通過市町村は以下のとおりである。

長野県

飯田市 - 下伊那郡喬木村 - 飯田市 -

静岡県

浜松市(天竜区 - 北区) -

愛知県

北設楽郡東栄町 - 新城市 -

静岡県

浜松市(北区)

当面の整備方針[編集]

飯喬道路[編集]

長野県飯田市の中央自動車道から分岐し同市内を横断し長野県下伊那郡喬木村まで至る、現在建設中の自動車専用道路である。

基本計画・整備計画

起点 : 長野県飯田市山本(飯田山本IC)

[22] 出かけよう!北遠へ-ふるさと散歩道: 青崩峠トンネル着工へ 三遠南信道の静岡・長野県境 13年度にも, , http://yama-machi.beblog.jp/sakumab/2012/12/13-8e47.html

三遠南信自動車道の一部として浜松市天竜区水窪町と長野県飯田市(旧南信濃村)を結ぶ青崩峠道路計画で、国土交通省中部地方整備局は、早ければ2013年度にも県境のトンネル掘削に着手する。事業化から30年を経て“本丸”の工事にこぎ着けようとしている形だが、開通のめどは依然立っていない。

飯田国道事務所によると、長野県側では11年度に工事用進入路の開設に着手。静岡県側では来年1月から「本線工事」に入り、国道152号からトンネル出入り口までの740メートル間で既存道路を拡張したり、橋の基礎部分を造ったりする。

さらにトンネル本体の着工に向けて地質などを確かめるため、調査坑の工事費用を13年度予算案に盛り込みたい考えだ。

青崩峠道路は、県境の青崩峠(1,082メートル)の152号不通区間解消を目的に1983(昭和58)年に事業化、87年に三遠南信道の一部に位置づけられた。公共事業費の縮減を求められる中、国交省は計画延長13.1キロのうち、トンネル部分4.9キロを含む5.9キロを「当面整備区間」として、480億円を投じて片側1車線の自動車専用道路を優先的に整備する方針を打ち出した。

現状でも152号と平行する市道に迂回すれば県境を越えられるが、この市道は狭く曲がりくねっている上、冬季は積雪や凍結もある。浜松市道路課の担当者は「トンネルは計画の肝の部分。完成すれば長野県側との行き来が大幅に改善される」と早期完成の必要性を強調している。

青崩峠道路計画をめぐっては、国が94年に水窪町の青崩峠東側に草木トンネル(1,311メートル)を開通させた後、ルートを見直して草木トンネルの活用を撤回。結局、自動車専用道路として180億円を投じた草木トンネルを一般道路に格下げした経緯がある。

峠付近は中央構造線が南北に走り、断層活動による破砕帯などで東側は地盤が弱く、西側は相対的に強いとされる。国交省はこうした問題を草木トンネル開通後に明らかにし、地元住民らを交えた「懇談会」などでルートを協議。05年に西側を通る現行計画をまとめた。

国交省によると、青崩峠道路ができれば浜松市と旧信濃村の間の所要時間は約40分短縮されるといい、災害対策や地域活性化の面でも「効果が高く合理的な計画」と強調。ただ、水窪町で20年前より4割以上減るなど県境部の中山間地人口がしぼむ中、1日2,700台という計画交通量の適否など

[23] 国道418号線を走ってみる・その6 (長野県阿南町→天龍村→遠山郷) - きたへふ(Cチーム)のブログ, , http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/64665ace1443115fe51c85d8c6d9b1e3

きたへふ(Cチーム)のブログ

ファミスタとは特に関係ありません。タブレット・スマホをご利用の方は、できればPCモードで御覧ください。

【記事作成日:2017/11/13、現地訪問日:2016/10/23】

このエントリでは国道418号線走行記の その5(長野県平谷村→売木村→阿南町) の続きとして、長野県阿南町から天龍村そして飯田市(旧南信濃村)の遠山郷に至る最終区間について記載しています。その他の区間については、下記リンクを参照ください。

・ その1(福井県大野市→岐阜県旧根尾村)

・ その2(旧根尾村樽見→八百津町)

・ その3(八百津町→恵那市)

・ その4(岐阜県恵那市→長野県平谷村)

・ その5(長野県平谷村→売木村→阿南町)

・ その6(長野県阿南町→天龍村→遠山郷) …このページ

1. 阿南町→天龍村(平岡)まで

この区間の地図 ( google mapのデータ )

2016/9/3の朝より岐阜県の樽見(現本巣市、旧根尾村)より国道418号線単独区間走行の旅を行っていたブログ主ですが、長野県阿南町の道の駅 信州新野千石平まで来たところで日没サスペンデッドとなってしまいました。

道の駅 信州新野千石平 (2016/9/3訪問時)

そして約1ヶ月半後の2016/10/23、ブログ主は横浜の自宅を夜明け前に出発し、中央道+国道151号で飯田市側から南に下って道の駅 信州新野千石平に再びやって来ましたのでありました(9:00頃到着)。そして30分ほど休憩して、国道418号線を巡る旅は再開となります。

01-国道151号線から右に入ります (道の駅は写真の左後ろ側)

道の駅までの道中(特に中央道)では完全防寒装備をしていたにも関わらず寒さに震えていたブログ主ですが、ここから先はふつーの装備で出発します。

道の駅からは一旦来た道(国道151号)を飯田市街地側に200m程戻って、右側に分岐する国道418号線の方に進んで行きます。

02-この先大型車両通行不可

右の方に「この先 おきよめの湯から 大型車両(ホイルベース5m以上) 通り抜け出来ません 」との警告看板が出ています。

03-天竜まで17km、南信濃まで28km

田んぼと町工場の横道のようなところを抜けていきます。南信濃が国道418号の終点なので、あと一息な感じがありま

[24] 道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間, , http://yamaiga.com/road/r256_kami/main.html

国道256号は、岐阜県岐阜市を起点に、長野県飯田市に至る、実延長約221kmの一般国道であるが、最新の「道路統計年報2017」によると、この路線には長野県内に 全長12.3kmの 【自動車交通不能区間】 供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。 があることになっている。

酷道ファンにはよく知られた事実だが、飯田市内にある小川路峠は現在も自動車が通れない。これが上記した自動車交通不能区間の正体である。

ついでに小川路峠の説明を、『角川日本地名辞典 長野県』に行ってもらおう。

小川路峠 (おがわじとうげ)

飯田市と下伊那郡上村との境にある峠。標高1,494m。飯田の町と静岡県の秋葉神社とを結ぶ秋葉街道が,小川路峠・青崩峠を越えて通じ,江戸期から秋葉参りや善光寺参りの人々でにぎわった。伊那谷から遠山郷への最短ルートで,明治10年頃から峠道の改修が進み,牛馬などによる物資の流通も盛んになった。しかし上下5里(約20km)の難路で五里峠とも呼ばれ,遠山郷へ赴任する教員や警察官が職をやめたくなることから辞職峠の異名をとるほどであった。大正12年,下伊那郡喬木(たかぎ)村の小川と上村の程野の間に竜東索道が設けられ,昭和7年,現在のJR飯田線が平岡まで開通してから,峠の交通量は減少。現在,国道152号になってはいるが,峠は通行不能。同43年,喬木村と上村の上町とを結ぶ赤石林道が開通した。同62年,長大トンネルで越える新国道の工事が始められた。

上記内容は少し古いのでいくらか更新すると、「現在国道152号になっている」は、国道256号に変わっている(平成5(1993)年から)し、「喬木村と上村の上町を結ぶ赤石林道」は、長野県道251号になっている。そして、「長大トンネルで越える新国道の工事が始められた」も、国道474号でもある自動車専用道路「三遠南信自動車道」上の矢筈トンネル(平成6(1994)年開通)として結実している。あと、上村という村名も、平成17(2005)年に飯田市と合併したことで消えて、現在は飯田市上村になっている。

標高1494m、全長20kmもの険しい峠道であった、未だに自動車の通えぬ小川路峠。

ついに「山行が」も、全国有数の酷道である小川路峠に挑むのか! そんな風に期待して下さっ

[25] 国道152号秋葉街道青崩峠の迂回路を通過してみた, , http://www.youtube.com/watch?v=rlWrczXfPRc

2013年10月1日、諏訪から国道152号を一気に南下して浜松まで車でドライブしました。撮影はドライブレコーダーであるドライブマン1080を使用。撮影モードは1080のLモードです。

imovie提供の音源を使用したにもかかわらず、youtubeからの使用曲の版権に関しての指摘がありましたので曲をyoutube提供の版権フリーのものに差し替えました。

履歴

[34] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054523791566

青崩峠トンネル

[35] 「日本のトンネル技術の敗退」とすら言われた青崩峠に静岡県と長野県を結ぶ『青崩峠トンネル』の掘削率が98%を超えた - Togetter, https://togetter.com/li/2112025

[38] 20230530.pdf, , https://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/upload/20230530.pdf

[36] 国土交通省 飯田国道事務所さんはTwitterを使っています: 「【#三遠南信自動車道 青崩峠トンネル(仮称) 貫通の瞬間!!】 青崩峠トンネル(仮称)4,998mが平成31年4月から約4年の掘削工事を経て令和5年5月26日に無事貫通することが出来ました! 是非、#貫通 の瞬間を動画でご覧ください!! ↓↓記者発表資料はこちら↓↓ https://t.co/LjPMbnRepI #トンネル https://t.co/HRajCWEpw8」 / Twitter, , https://twitter.com/mlit_iida/status/1663449742268076034

[37] 【速報】三遠南信道 青崩峠トンネルが貫通 - 越境情報紙「三遠南信Biz」, https://senbiz.jp/aokuzure20230530/

[39] R774@まとめ屋さんはTwitterを使っています: 「とうとう青崩峠トンネルが貫通しました。工事関係者の皆様お疲れ様でした!施設工事等があと数年続くと思いますが、開通の日が待ち遠しいです。どうぞご安全に! https://t.co/YE0ZF3s4fw」 / Twitter, , https://twitter.com/kendou774/status/1663433723898138626

[40] 喜びの声がすごい!!!

メモ