鎖大師参道

鎖大師参道

[1] 青蓮寺鎖大師参道

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[2] 『鎌倉谷戸坂の切通(男坂切通)と鎖大師参道跡-2013年春』 [鎌倉]のブログ・旅行記 by ドクターキムルさん - フォートラベル, , http://4travel.jp/travelogue/10759995

鎌倉谷戸坂の切通(男坂切通)と鎖大師参道跡-2013年春

旅行時期 2013/03/23 - 2013/03/23 (2013/03/24投稿)

青蓮寺横にある谷戸坂の切通、別名、男坂切通を久し振りに訪れた。切通は短い長さではあるが、深く掘削され、両崖が切り立っている。現在は柵があり、通行禁止になっている。 柵の近くには掲示板があり、このあたりは宅地開発される予定のようだ。谷戸坂の切通、(男坂切通)を広げて4.5m道路が開設されるようだ。しかし、鎌倉市のホームページの「かまくら景観百選」の32番に掲載されている、「谷戸坂の切通」が破壊されるのを許可する鎌倉市当局も何を考えてのことか。 前回来たときには気が付かなかったのだが、谷戸坂の切通(男坂切通)の左には「鎖大師参道」と書かれた隧道(トンネル)があり、埋められている。山を掘削して西鎌倉小から青蓮寺横に県道304号線が開設されて坂道になっているが、それまではこの隧道(トンネル)が鎖大師参道であったらしい。その名残が県道から谷戸坂の切通(男坂切通)に通じる短い隧道(トンネル)のようだ。 また、谷戸坂の切通(男坂切通)の右手には古い街道が残り、尾根道には200mほど離れて2箇所の庚申塚がある。また、奥にある庚申塚から左に下る道は切通(女坂切通)になっており、青蓮寺(鎖大師)の門前に至る。すなわち、青蓮寺(鎖大師)への参拝道は戦前までは3本あったのだが、戦後の昭和32年(1957年)に県道が整備されて利用されなくなり、隧道(トンネル)は埋められ、谷戸坂の切通、(鎖大師の切通)は近年になって通行禁止になっているのだ。たった、幅200mの間の4本の道が造られていることころも珍しいであろう。 しかし、こうした谷戸坂の切通、(男坂切通)や「鎖大師参道」隧道(トンネル)跡も開発で完全に消滅してしまうようだ。 (表紙写真は谷戸坂の切通(男坂切通))

[4] 隧道レポート 鎖大師参道の隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/tebiro/main2.html

2008/6/27 11:43 【現在地】

私を誘い込んだオーラの源は、お前だったのか!

封鎖された掘割りの10mほど西側に、ご覧の坑口を発見!!

そのサイズはかなり小さく、大人は身を屈めなければ中へ入ることは出来ない。

この天井の低さは、おそらく埋め戻す目的で外部から土砂を持ち込まれたせいだと思うが、幅の狭さは間違いなく当初からのもの。

明らかに車が通れるようなサイズではなく、人道用の隧道と見受けられた。

この坑口について、特筆すべき点は二つある。

第一は、素掘の坑口でありながら、石造の立派な扁額が存在していること(後述)。

第二は、奇妙な段差を持った坑口部のデザイン(掘り方)である。

今まで沢山の素掘の坑口を見てきたが、このような段差のあるデザインは初めて目にする。

何か構造上の意味や由来があるのか、単なる意匠なのか、初めて目にするだけに判断が付かない。

もし意匠ではないとしたら、当初は外周(破線)の断面で掘ろうと工事をはじめたが、思い直して内周(実線)の断面に変更した可能性や、本来はこの窪んだ位置にアーチの巻き立てを施すつもりでいた可能性を疑いたくなる。

また意匠だとすれば、その目的は扁額に対する雨水除けであろうか?

通常の坑門における「笠石」の意図するところと言えば分かりやすい。

扁額イイ! そこに尽きる!

隧道の凝った扁額(特に石造扁額)は、私の大好物である。

扁額である石版の横幅は坑口の幅に匹敵するほどもあり、普通ならばいささかバランスを失する所だが、例の“段差”のおかげか、なかなか収りが良く見える。

そもそも、素掘の坑門に立派な扁額が取り付けられているのが、極めてレアだ。

個人的には、福島県内で一度目撃したことがあったか…といった程度である。

そして扁額の肝心な内容は、「鎖大師参道」という達筆なる五文字。

これは隧道名というよりも、この道の名前というべきだろう。

これ以外の例えば竣工年などの情報は得られなかった。

こうした素掘に似つかわしくない立派な扁額の存在は、隧道自体の格式より、隧道の先にある「鎖大師」の格式に拠るものだろう。

偶然だとは思うが、坑門に隧道名ではなく目的地の名前が掲げられているというのは、前回の「ヤマノイハイツ手広トンネル(仮称)」と全く同じパターンだ。

現在地と、鎖大師(青蓮寺)の位置関係をおさらいして

[7] 谷戸坂の切通, , http://kamakurasakura.com/tannpou/yatozakanokiridoosi.html

前回の青蓮寺石仏群があまりにもヒドイ事になってしまいました(笑)・・・あのページを見てガッカリしてこの近辺に寄り付かなくなる方々が増える様な事があると申し訳ないので、この辺にも見所ちゃんとあるよって事を証明する為に、今回ある物件を紹介したいと思います・・・

青蓮寺を出て右に曲がり県道304号線を江ノ島方面へと登って行きます・・・するとすぐに道の左側に怪しいトンネルが見えると思いますがこれはヤマノイハイツ手広というアパートの居住者用のトンネルで、今回の物件とはなんら関係ありませんのでスルーしましょう!

カーブを過ぎると坂の頂上になりますがその手前に左に入る道がありますので、そこへ入ります!

向かいにある赤い建物(中華一番)を目印にして下さい・・・どーやら工事中の様ですね・・・

宅地造成で今回の物件も無くなってしまうって話も耳にした事がありますが・・・大丈夫かな?

ちょっとドキドキしながら進んで行くと目的地に到着であります!

[8] okadoのブログ: 江の島道(手広~津~腰越~片瀬), , http://okadosblog.blogspot.jp/2010/11/blog-post_24.html

源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、中世鎌倉の伝説、文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。

鎌倉市内に限らず、源頼朝や鎌倉の歴史に関係する地域の情報や、花・自然・ハイキングコースなどの情報も収集しておりますので、併せてお楽しみください。

[9] 古道の旅「手広 谷戸坂の切通し」(神奈川県 鎌倉) | ひなたびBLOG, , http://www.hinatabi.com/blog/20101031_tebiro_kiridoshi.html

鎌倉の切通しの一つ「手広 谷戸坂の切通し」をご紹介します。

いわゆる「鎌倉七口」とは別の切通しですが、原型のよく残っている道の一つ。

かまくら景観百選に選定されています。

観光化されていないためひっそりとしていますが、あじさいなど季節によって変わる要素もあり飽きさせません。

切通しの正体は江ノ島道

この古道の正体は、文献不明ながら藤沢から江ノ島に抜ける「江ノ島道」の脇街道で、戸塚宿から江ノ島を結んでいたようです。

少し距離を離して女坂と男坂があり、見事な切通しと掘割が見られます。

男坂は尾根道への直登コースで距離は短いが傾斜が急。

女坂は迂回ルートになり距離は伸びますが、傾斜はゆるいです。

謎なのが2本も必要かということで、メインルートでもなく、大仏の切通しの傾斜を考えると男坂でも急すぎるというわけでもないので、2本の必然性が感じられません。

道の形態としては、女坂の方が稜線を通ることから「かまくら道」の要素が強いので古そうではあります。

手広は暴れ川と言われた柏尾川の流域であり、深い沼地が広がっていたそうで、このあたりもヒントになるかも。

男坂のほうが道幅が細く、少ない交通量を想定しているようにも思えます。

男坂の隣には廃止になった鎖大師参道(隧道)があるのですが、男坂があればあえて必要のない参道なのでこれまた成立時期が気になるところ。

女坂入り口(手広側)

手広交差点から西鎌倉方面へ歩き、鎖大師正門の道路向こうにある細道(斜面沿い)を進むと見つかる。

西鎌倉側の入り口よりは見つけやすいので、こちらから登ることをおすすめ。

写真にある草生した階段が入口です。

女坂 切通し部分

閑静な住宅地から登ると、いきなり蛇行した切通しに。

入り口のやぐらには現役のお墓あり。

女坂 切通し部分

女坂が維持されてきた理由の一つは墓地の存在でしょう。

切通し以外に到達できる道がありません。

女坂 掘割部分

切通しを抜けると大規模な掘割にたどり着きます。

ほぼ直線コース。

七口と遜色ない規模であることから、かつての交通量の多さが想起されます。

女坂 石碑群(年代は江戸時代から昭和まで)

なぜか男坂側にはない石碑群。

年代は豊富です。昭和になってからも造られていたことが意外です。

女坂 稜線の光景

女坂の最上部は畑になっています。

車道からは見えないの

[10] 青蓮寺〜鎖大師:鎌倉〜, , http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page139shorenji.htm

青蓮寺の本尊:「木造弘法大師坐像」は、鎌倉時代特有の裸形彫刻の一つ(国重文)。

足の関節が鎖で繋がれているような細工が施されているため、自在に動かせることから「鎖大師」と呼ばれる。

「大師様を信仰する人と大師様が、鎖のように強いご縁で結ばれますように」との願いが込められているという。手指の爪は水晶でできている。

四臂の木造十一面観音立像は鎌倉時代の作。

履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054521835128

メモ